沖縄よ! 群星むりぶし日記

沖縄を、日本を、そして掛け替えのない惑星・地球を愛する者として発信していきます。

名護市長選挙の最大の争点は辺野古新基地問題である

名護市長選挙の最大の争点は辺野古基地問題であるということは、はっきりしている。
しかし、渡具知候補は、選挙戦が始まっても相変わらず、新基地問題から逃げ回っている。稲嶺市長が討論を呼び掛けても、応じようとしない。新基地問題が俎上に乗ると、勝ち目がないことを自覚しているからに他ならない。選挙で堂々と議論しない人間を卑怯者と呼ぶのだ。渡具知候補は、市長になりたいだけで立候補した政治理念なき政治屋に過ぎない。単なる政治屋は、名護市長になる資格はない。政治家として不適格である。このような人間が、名護市議会に席を置いていたこと自体が信じ難い。

海兵隊の県外・国外移転」を政策として掲げるなら、何故はっきりと辺野古新基地建設に反対しないのか。辺野古新基地は海兵隊の基地である。「海兵隊の県外・国外移転」を主張するなら、反対するのが当然だろう。政治姿勢の根本が矛盾しているし、間違っている。「海兵隊の県外・国外移転」は渡具知候補の本心でないのは、はっきりしている。有権者を惑わすために、言っているに過ぎない。なんと下手くそな役者だろうか。なんと不誠実な人間だろうか。よほど頭が悪いに違いない。ぼくはこのような政治家気取りをする人間を、心の底から軽蔑する。新基地問題を論じると勝ち目がないため、「稲嶺市政8年間で名護市の経済は良くなったか、ノーだ」と吠えて、経済問題で稲嶺市政を陥れる戦術を展開している。
沖縄で基地問題が争点になると、決まって繰り返される基地賛成派の経済問題すり替え戦術である。我々県民はこれまで何度、このような基地賛成派の三文オペラを見せつけられてきたことか。このような戦術は、基地経済が大きな比重を占めた頃を考えると、確かにそれなりの効果を発揮したが、しかし、基地経済が県経済全体に占める割合が僅か5%しかない現在、そんな戦術はもはや古い手法で、県民を説得することはできない。近年、県経済は好調を維持している。特に観光の好調ぶりは眼を見張るものがある。いずれ近いうちに1000万人を超える観光客が沖縄を訪れる時代がやって来るだろう。名護市はどうか。稲嶺市政8年間の経済指標は決して悪くない。
財政健全度は県11市で1位。経済成長は2位。一世帯当たりの国保税調定額は県11市で最小(額が小さいほど市民負担は軽い)。
再編交付金を受けないで、これだけの結果を残している事実を見れば、稲嶺市政はよく頑張っていると評価されて良い。名護市有権者の皆さんは、渡具知候補の古くさい経済批判戦術に乗ってはいけない。内容を伴わない単なるコケオドシに過ぎない。完全に無視しようではないか。渡具知候補をなんとか勝たせるために、売国奴政党・自民党と小判鮫公明党は、投票日まで死に物狂いで、あの手この手で振興策をチラつかせて来るだろう。しかし、彼らがちらつかす振興策の札束は、実は我々の税金であることを忘れてはいけない。安倍内閣が汗水流して稼いだ金ではない。国民が納めた血と汗の結晶だ。それを選挙でちらつかせるのは、道義に反することであり、民主主義社会における政権側の権力濫用に他ならない。国民の代表である政権がやることではない。汚い手段を使わないで、正々堂々と政策論争を、名護市民の前でやるべきだろう。
その意味でも、名護市長選挙は、日本の民主主義が後進国並か否かが問われる選挙でもある。
渡具知候補よ、辺野古新基地に賛成か反対か、名護市民の前で堂々と、稲嶺市長と討論せよ。民主主義社会の選挙では当たり前のことではないか。辺野古基地問題は決して小さな問題ではない。

辺野古基地問題は、日本の民主主義と真の独立が問われる国家的大問題である。辺野古新基地が出来上がれば、この先100年日本の真の独立はないと覚悟せねばならないほど、巨大な問題である。

 

 

稲嶺市長が勝てば新基地建設は、いずれ頓挫することになる

2月4日投開票される名護市長選が、いよいよ今日告示された。稲嶺進現市長と渡具知武豊氏の一騎打ちだ。両氏の政策を比較すると、内政に関しては、ほとんど違いは見られない。教育子育て・医療福祉・地域経済振興・観光・文化スポーツ振興等、ほとんどが一致している。僅かな違いはあるものの、取り上げて論じるほどのものではない。しかし、決定的に異なる政策がある。
辺野古新基地建設を容認するか否か、である。したがって、この観点から両氏の政策の違いを見る必要があるだろう。稲嶺市長の態度ははっきりしている。八年前、市長に就任した時から反対を表明してきた。そして今回も変わらず反対・阻止を表明している。
渡具知候補はどうか。「裁判を見守る」と言っているだけだ。県が現在、政府に対して岩礁破砕差し止めを訴えて争っている裁判の結果を見守る、と言っているのである。
しかし、有権者の皆さんは、このあやふやで無責任、且つ狡猾な言動に騙されてはならない。何故なら、渡具知候補は、「海兵隊の県外・国外移転」を主張する公明党県本と政策協定を結んでいるからだ。「海兵隊の県外・国外移転」を標榜するなら、辺野古新基地建設に反対してしかるべきだろう。新基地が建設されるキャンプ・シュワブ海兵隊基地だからだ。
明らかに論理が矛盾している。論理的矛盾を平気で政策に掲げるということは、名護市の有権者をバカにしているか、渡具知候補の頭脳が低級か、どちらかである。何れにしても茶番であることに変わりはない。
さらに警戒しなければならないことがある。あやふやで無責任、狡猾な態度の裏には、必ず見過ごすことのできない欺瞞が隠されている、ということだ。つまり、係争中の裁判の結果がどうなろうと、市長に当選したら、渡具知候補は新基地建設を容認するに決まっている、ということである。
渡具知候補は、新基地建設容認派である、と断定すべきだ。名護市議会議員の間、彼は容認派であった。今回の選挙で、態度を曖昧にしたのは、創価学会の票が欲しかったからである。だから公明党県本と政策協定を交わしたのだ。
票を増やすために、政策を不明確にするような人間を名護市長に選んではいけない。渡具知候補が名護市長になれば、名護市だけでなく沖縄の将来に大きな禍根を残すことになるだろう。
さて、駐留米軍を称賛擁護する沖縄の言論人に、誰が名護市長になっても辺野古新基地は完成する、というお馬鹿さんがいるが、彼は何も理解していない。
現在、護岸工事が進行しているが、いずれ設計変更しなければならない時がくる。複数の事案があるが、その中でも美謝川の水路切り替え工事は、名護市長の認可を必要とする大きな事案の一つである。市長が拒否すれば、その時点で工事はストップし、新基地建設そのものが頓挫せざるを得なくなる。
政府はそのことをよく承知しているから、死に物狂いで容認派を応援しているのだ。
稲嶺市長が三選されれば、新たな許可申請は全て拒否するはずであるから、新基地建設は立ち往生することになる。だからなんとしてでも稲嶺市長を当選させなければならないのである。

 

 

それで何人が死んだんだ

「それで何人が死んだんだ!」

安倍首相は、内心そう叫びたかっただろう。しかし、野次を飛ばした主は、松本文明内閣府副大臣だった。25日の衆議院本会議において、共産党志位和夫委員長が代表質問で、沖縄県で続発している米軍ヘリのトラブルに言及し、辺野古新基地建設の中止を求める発言をした直後、与党席から松本議員の野次が飛んできたのである。

「それで何人が死んだんだ!」

政治家は本音と建て前を使い分ける技量に長けている。本音と建前を見極めるのは、なかなか難しいところだが、野次のほとんどは本音と見て間違いないだろう。米軍ヘリが訓練飛行しない平和な東京の空の下で暮らす松本氏にしてみると、沖縄県で多発する米軍ヘリ不時着トラブルなるものは、蚊に刺されたくらいのものなのかも知れない。所詮、遠い遠い小さな島の出来事だ。普段そう考えていたところに、自分と見解が異なる志位委員長の発言を聞いて、ついカッとなり「それで何人が死んだんだ!」と大声で叫んだのである。感情に負けて、出してはいけない本音が出てしまった。
売国奴政党・自民党国会議員の長年にわたる悪態ぶりに、我々沖縄県民は免疫体になっているとはいえ、「それで何人が死んだんだ」という言葉を聞くと、流石に恐ろしさと怒りに身震いして言葉を失う。それでも、事態の深刻さと己の愚かさに気づいた松本議員は、翌日辞表を出して受理された。

2015年には副大臣として、沖縄・北方担当を務めた松本氏は、沖縄について一体何を学んだのだろうか。繰り返される米軍機の事故同様、繰り返される政治の茶番劇。米軍機の整備不良と政治家の質の低下がコインの裏表に見えて仕方がない。
「私とトランプ大統領は100%一緒です」安倍首相の言葉である。外交も安全保障も米国追従では、もはやいかなる展望も描けないというのに、逆に米国に擦り寄る姿を見せられると、この先百年を待たずに日の丸は星に変わり、星条旗の中の小さな一つの星になっている可能性さえある。

 

 

落選した南城市長・古謝景春はネトウヨ市長だったのか

「Osprey Fuan Club うようよ対策課」

によると、落選した南城市長古謝景春は、なんとネトウヨ市長だった。フェイスブックでデマを流して、デマだとバレるとすぐ消去するということを繰り返していたらしい。

「うようよ対策課」のホームページを見ていただきたいが、なんと当選した瑞慶覧氏が選挙違反したとのデマを流し、それにあの暴力男・依田啓示と、嘘をつく他に能のない沖デマゴン(ボギー手登根)が悪乗りして、拡散するのを手助けしているのだ。これでは落選して当然だろう。特に沖デマゴンが選挙応援すれば、疫病神が取り付くようだから、これから政治を目指す人は、沖デマゴンが自分を応援していないかどうか、十分注意した方が良い。少しでもその兆候があれば、完全にシャットアウトすることだ。君子危うきに近寄らず。

それにしても、古謝景春のような人間が南城市長を3期も務めたなんて、南城市民には災難だったのではないか。しかし、多くの真面目な一般市民は、まさか自分たちの市長がフェイスブックでデマを流していたなんて、ほとんど知らなかったのだろう。知っていれば3期も持つはずがない。

真面目な市民の信頼を裏切るなんて、とんでもない食わせ物野郎だ。県紙2紙が選挙違反したというデマを流して、2紙がその真意をただすと、なんなく謝罪している。しかもこの男は、県市長会会長や全国市長会副会長も務めていたというから、なんといったら良いか、言葉が見つからない。こんな人間は、もう表に出てきてもらいたくない。

どうぞ詳しい内容は「うようよ対策課」をご覧いただきたい。詳しくてなかなか面白いですゾ。そして、できるだけ拡散して欲しい。

恥もなくデマを垂れ流すネトウヨ連中を沖縄から締め出そう。薄汚いネトウヨ連中に天罰を!

 

 

 

小野寺防衛大臣は米軍の操り人形

結局のところ小野寺防衛大臣は米軍の操り人形にしか過ぎない。
日米安全保障に関する膨大な量の米公文書が、研究者達の努力によって次々解明され、書籍化されることで、米軍が引き起こす事件・事故に対する政府の無能振りの原因が明らかにされてきた。沖縄の現実がそれを証明している。
23日に渡名喜村の急患搬送用ヘリポートに米軍攻撃ヘリAH1 が不時着した。立て続けに起きる米軍機事故のあまりの異常さに、小野寺防衛大臣はかつてないほど強い態度に出た。普天間基地所属の同型機12機の緊急総点検とその間の飛行停止を米軍側に要求したのである。しかし、当然ながら米軍は、大臣の要求を完全に無視した。
日本の防衛大臣と雖も、所詮は蛇に睨まれたカエルにすぎない。米軍に対しては全くの能なしで無力。翌日、県民の神経を逆なでするように、普天間基地を飛び立った同型機2機が早速、渡名喜村の上空を、何事もなかったかのように平然と通過して行ったのである。これが日本の現実であり、日本政府の実態である。そして、これが沖縄の真実である。
有事の際に自衛隊は米軍の指揮下に入る密約の存在が明らかになっている。その時、防衛大臣も総理大臣も、ほとんど出る幕はない。自衛隊員の命は占領軍の命令に左右されることになる。対米従属という国策は、これほど深刻な事態になっているのである。国家が危機に直面した時に、安全保障を外国に任せることが、どれほど危険なことであるか、先日行われた避難訓練を見ればよくわかる。北朝鮮のミサイルが我が国に発射されたとする事態を想定した避難訓練だ。テレビを見て、その異様さに驚き呆れ、愕然となった。これじゃまるで子供の隠れん坊ではないか。対米従属は、政治家だけでなく、全国民を白痴状態にするという見本のようなものだ。ぼくの手元に『民間防衛』という、スイス政府が発行した本がある。新書判サイズの300ページ余の本で、各家庭に一冊配られているという。その内容は実に驚くべきものだ。国家が非常事態になった時、国民はどう対処すべきか、普段からの準備と心構え、取るべき行動等が微に入り細に入り具体的に記述されている。敵に国土が占領されたらどう対処したら良いか、核爆弾が投下されたらどう対処すれば良いか、各方面との連絡の取り方、自警団の組織化等、非常に具体的に書かれている。スイスは永世中立国である。どの国とも軍事同盟を結んでいない。しかし、非武装ではない。核兵器こそ持たないが、いざという時の国土防衛のために通常兵器は常備されている。核シェルターも完備されているというから驚いてしまう。スイス人は現実の厳しさを、歴史の教訓として、冷徹に澄んだ目で見据えている。彼らに比べれば、日本人の目は霞がかかって曇っているようだ。歴史の教訓を曲解して、現実世界を把握する能力を失くしてしまった。
『民間防衛』の警鐘をスイス国民全員が共有している。
≪ 平和と自由は、一度それが確保されたからといって、永遠に続くものではない。スイスは、何ら帝国主義的な野心を持たず、領土の征服などを夢見るものでもない。しかし、わが国は、その独立を維持し、自ら作った制度を守り続けることを望む。そのために力を尽くすことが、わが国当局と国民自身の義務である。軍事的防衛の準備には絶えざる努力を要するが、精神的防衛にも、これに劣らぬ力を注ぐ必要がある。国民各自が、戦争のショックをこうむる覚悟をしておかねばならない。その心の用意なくして不意打ちを受けると、悲劇的な破局を迎えることになってしまう。「わが国では決して戦争はない」と断定するのは軽率であり、結果的には大変な災難をもたらしかねないことになってしまう。≫
さて、我が国の今の絶望的屈辱的現状から逃れる道をどこに求めればよいのだろうか?。とりあえず言えることは、今の安倍売国奴政権を打倒して、米国の殻を打ち破り、日本の真の独立を目指す政権を樹立することである。
そして沖縄においては、海兵隊全面撤退を県民投票にかけることが、その第一歩になる。県民の7割以上が撤退を支持しているから、可決されれば売国奴政権に大きな打撃を与えることになること請け合いである。

 

 

沖縄について語る西部邁:西部氏は真の保守思想家であった

西部氏が沖縄について語るのを初めて聞いたのは、20年以上前のことだ。1995年、沖縄の小学生が3人の海兵隊員に乱暴されるという痛ましい事件が起きた。沖縄中が反米軍基地で燃え上がり、連日抗議運動が続いた。本土のマスコミも大々的に報道したため、橋本政権は深刻な事態に陥り、事態収拾に乗り出し、普天間基地返還を米政府との間で取り決めたのだった。しかし、その内容は県民の要望とは程遠い県内移設であったために、県民は反発し、以後もめにもめて今日に至っている。当時、ぼくは東京で暮らしていたが、事件を知って怒りに震え、鬱屈を斬り払うように、琉球独立論者となったのである。日本政府のあまりの不甲斐なさと、歴代政権の沖縄に対するいわれなき差別への、溜まりに溜まった怒りの情念がそうさせたのである。県出身の友人たちにもそう言い、沖縄に帰った時も、友人知人、親戚にも、ぼくは琉球独立論者だと、はっきり主張した。ところが、2010年に状況が一変する事件が発生した。尖閣沖で中国漁船が海上保安庁の監視艇に体当たりしたのだ。あの時から中国共産党の脅威が、抜き差しならない現実となって迫ってきた。中国共産党は、尖閣諸島は自国の領土だと主張し、琉球も中国のものだ、と平然と嘯くようになった。その現実に直面して、ぼくは、今後独立論を標榜すべきではない、と悩んだ。独立論は、中国共産党を利するだけだ。
昨今、沖縄に琉球独立を唱える組織があるが、同じ沖縄人として彼等の心情は理解できても、ぼくは賛成できないし反対である。ただしそれは、条件付きだ。中国の共産党一党独裁が崩壊し、民主国家になること。これが最大条件だが、中国が民主化された後も、沖縄に海兵隊が駐留し続け、日本政府が基地問題で言われなき差別を我々県民に押し付けるなら、ぼくは再び独立論者になることに躊躇しないだろう。
話を元に戻すと、小学生暴行事件をきっかけに、沖縄問題がマスコミで盛んに取り上げられていた頃、「朝まで生テレビ」が沖縄特番を放映したことがあった。
本土の論客と、沖縄から数名の論客が対峙する形で、同時中継された。その時、本土側の論客に西部邁氏の姿があった。確か、司会の田原総一朗氏の右側に座っていたと記憶している。議論が白熱する中、西部氏が「最後は金で解決すれば良い」というような発言をした。言葉自体は正確ではないかもしれないが、そのような意味であったのは間違いない。
この発言に対して、沖縄側が猛反発した。玉城義和(故人)、知花昌一はじめ数人いたと思うが、全員が「けしからん」と言って、西部氏を非難した。実は、ぼくが西部邁氏を見たのはこの時が初めてであり、彼がどのような経歴を持つ人物であるかも知らなかったが、「金で解決」発言の印象が強く残り、今もあの場面だけは鮮明に覚えているのである。当然、ぼくもあの時の西部発言には強く反発した。なんだ、この野郎、とんでもない男だ!その後、西部氏の記憶は薄れていき、長い歳月が流れた。
そしてある時期から西部氏の言論に興味を抱き始め、引かれるようになったのは多分4、5年前位からではないだろうか。何が直接の契機になったのかはわからない。振り返ってみると、中国共産党尖閣諸島の領有権を主張し、恥も外聞もなく傍若無人の振る舞いを平気で行うようになり、それが原因でぼくが大きく保守の方へ傾き始めた頃からではなかったかと考えられる。しかし、突然そうなったのではない。これには明確な伏線がある。小山ゆうの漫画『お〜い竜馬』全23巻を読んだことがきっかけとなり、40代後半に司馬遼太郎のほとんどの作品を、それこそ舐めるように読破した。以来、日本の歴史と文化礼賛派となり、日本人であることの誇りと自信を持つようになったのである。それまでは、西欧の歴史・文化を日本の上位に置いていたが、しかし司馬作品を読むことで歴史観が大きく変わった。話が大きく脇道にそれてしまったが、保守思想を抵抗なく受け容れる土台が、ぼくの中に出来上がっていた事実を述べたかったにすぎない。さて、西部氏が沖縄について語るのを聞く機会は、朝生での「金で解決」発言以来なかったが、沖縄タイムスの阿部記者が昨年、西部氏を電話取材した時の様子を、昨日付同紙の大弦小弦というコラムに書いている。阿部記者のおかげで、沖縄について語る西部氏の言葉を、短いとは言え、再び聞くことができた。勝手ながらそのまま転載させていただく。

≪ 保守の論客として知られる西部邁さんは「僕は沖縄の悪口を言ったことはない」と話した。自称保守による沖縄ヘイトがまかり通る中、電話口の語りは新鮮に響いた
「基本的な立場は、ヤマトンチュとして申し訳ありませんと。米国に戦争で負け、土下座して沖縄を差し出してしまった。米軍には出ていってもらうべきなんだ」
作家の百田尚樹さんが沖縄で講演し、基地集中を正当化するデマを繰り返した昨年のこと。西部さんに評論を依頼して、固辞された。「彼は保守ではない。反左翼というだけ。時間がない中で、レベルの低い論争の相手をしたくない」と語った
日本の伝統に学ぶ保守の立場から、従属を恥じない「親米保守」を鋭く批判した。一方で核武装論者であり、「沖縄タイムスもそうかもしれないが、自由、平等、人権主義などときれいごとを言う人も同じように心底軽蔑している」とばっさり
西部さんは21日、亡くなった。時間がない、とはこういうことだったのだろうか。賛成できない点、浅学で理解が追い付かない点も含めて、知の塊に触れる貴重な時間を割いていただいた
最近は「自裁死」という表現を使っていたという。あらゆる教条や偽善を斬り、最後は自らを処断したのだろうか。その迫力と覚悟に、電話の時と同じようにただ圧倒されている。(阿部岳)≫

明らかに20年前の「金で解決」発言から、変化している。自らの思想の核心は固守しても、柔軟な精神の持ち主であったことが偲ばれる。百田尚樹の沖縄講演についての評論を依頼した阿部記者に対し、「彼は保守ではない。反左翼というだけ。時間がない中で、レベルの低い論争の相手をしたくない」と辞退している。当然だろう。百田尚樹西部邁では、思想の深さが違う。レベルの低い論争は避けるに越したことはない。また西部氏は「米軍には出ていってもらうべきなんだ」とも言っている。東京で発言する時と、沖縄にきたときに発言する内容が異なる似非保守言論人が多い中で、西部氏の発言は貴重である。西部邁は、真の保守思想家であった。

 

 

 

西部邁さん、冬の多摩川に投身自殺

終戦から数年後、北海道のある村に、米軍の戦車が姿を現した。偶然、その戦車の前面に躍り出た西部少年は、敵愾心露わにじっと睨みつけた。すると、戦車の巨大な砲身が向きを変えて、少年に照準を定めた。勿論、米兵の操縦士は冗談のつもりだったに違いないが、西部少年の顔は蒼ざめて、その場から急いで退散し身を隠した。後年、西部氏が語った幼い頃の逸話の一つである。西部氏は、幼い頃に先の大戦を体験している。今迄、鬼畜米英と叫んでいた大人達が、終戦とともに手のひらを返すようにして、親米に傾いていく様子を見て、大人に対する不信感が、少年の心に芽生えた。大人も日本人も信用できねぇ。以後、西部氏の心から、この不信感が消えることはなかった、と言って良い。

西部氏の自殺を知ったのは、昨夜のことである。テレビより先に産経ニュースが流した。一瞬戸惑ったが、やはりそうだったか、というある程度予期していた事が現実になってしまった、という変な気持ちになったのも事実だ。
土曜日の「西部邁ゼミナール」を観て、西部氏の様子がどこかおかしい、と感じたのはぼくだけだろうか。「言論は虚しい」「ぼくの人生は、ほとんど無駄でありました」

少し冗談めかして喋るのは、西部氏の特徴で、相変わらずだとしても、「ぼくの人生は、ほとんど無駄でありました」とうつむいて喋った言葉が、最後の言葉になったのは、あの時すでに西部氏は、死を決意していたに相違ない、と思わざるを得ない。西部氏は、対米従属から抜けきれない戦後の日本に完全に絶望していた。「この国は、もはやダメなんじゃないですか」。この言葉を西部氏は、機会あるごとに何度も語っていた。市ヶ谷で自決した三島由紀夫と、多摩川に身を投げた西部邁の絶望の声が、時を隔てて日本の空にこだまする。

日本よ、米国の殻を突き破れ、日本よ、独立せよ!

キーボードを叩く手を休めて、安倍首相の施政方針演説を聴いた。「日米関係は、いまほど強固になった時期はありません」ただの戦後青年が、何を抜かすか。安倍晋三の言葉は何ひとつぼくの心に響かない。
ぼくの貧相な本棚に、西尾幹二著『国民の歴史』と西部邁著『国民の道徳』が並んでいる。『国民の歴史』はだいぶ前に読んで、文庫版も所有しているが、『道徳』の方は、100ページほど読んで、そのままだ。これから少しづつ噛み締めながら読もうと思っている。
西部邁さん、1月の多摩川の水は冷たかったでしょう。安らかにお眠りください。

合掌。