沖縄よ! 群星むりぶし日記

沖縄を、日本を、そして掛け替えのない惑星・地球を愛する者として発信していきます。

天皇陛下とひめゆりの塔

天皇陛下が皇太子の時、ひめゆりの塔を慰問されたことがある。その時、事件が起きた。左翼系過激派が、壕の中から皇太子めがけて火炎瓶を投げたのである。火炎瓶は皇太子の目の前で破裂炎上したが、幸いなことに皇太子も、ご同行されていた皇太子妃もご無事であった。

沖縄が祖国復帰してから三年後、1975年7月17日のことだった。復帰後、政府の「本土並み返還」はまやかしであったということで、沖縄県が政治的に燃えていた頃である。

しかし、明仁殿下はめげることなく、その後何度も沖縄をご訪問された。天皇陛下となられてからも、対馬丸記念館を訪れている。戦時中、学童疎開で沖縄から本土に向けて出航した対馬丸が、米国潜水艦に撃沈されたという報告を受けて、ご自身も疎開中の身であられた殿下は以来ずっと気にかけられていたという。

吉永小百合主演の映画「あゝひめゆりの塔」に対馬丸に乗船するため召集された学童たちと、彼らを見送る父兄が離別する悲壮な場面があるが、当時小学生であられた殿下も、疎開先で同じ気分であったに違いない。

 そして、対馬丸が撃沈されたという報告が、父兄や先生たちのもとに届くと、全員が泣き崩れる。殿下が疎開先で、対馬丸撃沈を知らされた時、幼い胸に言葉にならない悲しみが去来したことだろう。

驚くべきは、殿下はこの対馬丸の悲劇をずっと胸の内に抱え込んでいたという事実である。2014年6月27日に、陛下は学童慰霊塔「小桜の塔」と対馬丸記念館を訪れ、遺族・生存者十五人と懇談された。

歴史の真実を知れば知るほど、天皇陛下が高貴にて私心がなく、国民の安寧をひたすら念じておられるかがわかる。対馬丸が海底から発見された時、陛下が詠まれた歌

    疎開児の命いだきて沈みたる船深海に見出されけり 

一部の県民の間に未だに存在する、皇室に対するわだかまりを解くためには、我々一人一人が、忍耐強く歴史の真実を追求していくほかに道はない。

 

あゝひめゆりの塔

吉永小百合主演の「あゝひめゆりの塔」をビデオで観た。沖縄を誤解したお涙頂戴の、感傷的な映画だろうと、あまり期待はしていなかったが、予想に反して感動的で面白い良い作品だった。

特に感動した場面が二箇所ある。そのひとつは、米軍の凄まじい攻撃が続く中、ついに日本軍の大反撃が始まると言う嘘の情報を信じたひめゆり学徒隊は、ある日砲弾一つ聞こえない、静かな日に、大反撃が始まった証拠に違いないと喜んで、全員川で水浴びをしながらワイワイはしゃぎ回る。

そうしているうちに、突然、ウチナーグチで「谷茶前」を全員で大きい元気な声で歌いながら、カチャーシーを踊るのである。意表をつかれたぼくは、一瞬、吉永小百合はじめ全員がウチナーンチュになった感覚に襲われ、感動に震えて涙がどっと溢れてくるのを抑えることができなかった。

そのつかの間のオアシスを憎きグラマンが襲いかかり、多くの女学生が機銃で撃たれてしまう。そして、二つめの場面は、ある壕の中で、二谷英明演じる先生が生徒たちに言う、今までご苦労だった、今日で君たちの任務を解く、と。

悔しくてはじめは泣いて抵抗するが、仕方なく全員制服に着替えると、吉永小百合がひとりで、「浜千鳥」をウチナーグチで歌いながら踊りだすのである。

再び意表を突かれて、頭の中が真っ白になり、感動に震えて、大粒の涙が流れてくるのを止めることができなかった。

そして最後の場面。吉永小百合と同級生二人が摩文仁の崖に立っている。二人立ったまま抱き合い、吉永小百合が手榴弾の安全ピンを口で外して、自爆する。

何事もなかったかのように、摩文仁の海は静かで、浜辺に打ち寄せる波の音だけが聞こえる。− 終 −

「谷茶前」と「浜千鳥」は幼い頃から、どこからとなく、それこそいたるところから自然に耳に入り、また、目にしてきた歌であり踊りである。ぼくの血となり、肉となっている、と言っても決して言い過ぎではない。特に「浜千鳥」は思い入れの深い曲で、今でも何かの拍子で軽く口ずさむ時がある。世界の名曲の一つである、と勝手に自分で評価しているのだが。

どこからともなく、その哀調を帯びた三味線の調べが聞こえてくると、自然に胸の中が熱くなり、目頭が潤む。ヤマトゥンチュには理解できない、ウチナーンチュの情感ではないだろうか。

次回鑑賞する時は、「谷茶前」と「浜千鳥」の場面だけ繰り返し繰り返し見ることにしよう。この作品のおかげで、吉永小百合が今までよりグッと身近になったような気がする。大和撫子はウチナーンチュだった。

 

我が国に国家の理念ありやなしや?

今日の予算委員会で、民進党長島昭久議員が質問に立って、政府は尖閣諸島に対して、日米安全保障条約第5条が適用されると米国が表明する度に、日米同盟の揺るぎない安定を繰り返し言明するが、人民解放軍尖閣諸島に上陸して、現在の竹島のように実効支配したらどう対応するのか、と質問したのに対し、岸田外務大臣はそのような事態に至らないように日々対処している、というような内容の答弁をするのが精一杯であった。

次に、稲田防衛大臣に対して、政府はオスプレイを17機購入することを決定したが、非常な高額になると予想されるが、最終的な総額はどのくらいになると見積もっているか、と質問したのに対し、正確に応えることができなかった。

この両大臣の答弁を聴いて、背筋が凍りつく思いがした。国防に対する意識が、歴代内閣同様、今の内閣には希薄である。自主防衛の気概が完全に失われている。第5条の適用を米国が何度表明したからといって、戦闘を交えることなく人民解放軍尖閣諸島に上陸すれば、日本には領土を守る意思はないと見て、米軍が出動することはあり得ない。

そのような事態になる可能性は大いにありうる。なぜなら、いま尖閣諸島海域をパトロールしているのは、海上保安庁の巡視船のみだからだ。そして、中国の船舶は堂々と領海内を出たり入ったりしている。戦闘を交えずに、いかに自国民を上陸させるか、その隙を虎視眈々と狙っているのだ。海上保安庁は警告を発するだけだから、その日は必ずやってくるだろう。

そして、一旦上陸を果たすと、自衛隊に交戦権がないことを現場で実際に確認して、そのまま居座り続けて、実効支配の実績を認めさせる作戦だ。竹島という好都合なお手本もある。

中国の野望を打ち砕く手段はただ一つ、海上保安庁に代えて、海上自衛隊護衛艦を投入し、常時監視体制を敷くことだ。それでも中国の艦船が領海に侵入したら、その時は静かに、憲法を無視して撃沈すればよい。自衛隊の武士道精神の恐ろしさを見せつけると良い。

反撃してきて交戦状態となれば、その時こそ米軍が出動してくるだろう。自国の領土を守るのに、自ら戦わずしてどうして他国の軍隊が駆けつけるか。これぐらいのシュミレーションを披瀝できる大臣が一人もいないとは情けない。

そこで、自衛隊の最高指揮官たる安倍総理に言いたい、我が自衛隊員は、国家のために命を捧げる覚悟はできているし、命令が下ればいつでも出動できる体制でいるが、隊員の士気は総理が本気かどうかに左右されるので、出動を命じる際は、隊員一人一人の顔を正面から見添えて次のように述べて欲しい。

憲法改正には時間がかかるので、武器を使用せねばならなくなったら、総理大臣の名において許可する。国家の威信をかけて交戦せよ。すべての責任は私が取る。』

「沖縄に内なる民主主義はあるか」批判 4

アメリカのポチ、又吉(ヒジャイ)の言論には矛盾する箇所が多数あるが、その中の一つを取り上げてみたい。普天間基地の周りに、民間の住宅が密集している現状は、全国的に知られるようになったが、なぜ危険な米軍基地の飛行場の周りに、多くの住宅が建つようになったのか、その原因について又吉(ヒジャイ)は、次のような意味合いの言及をしている。すなわち、米軍基地が及ぼす経済波及効果、軍雇用、米兵の遊交費等、が地元住民を引き寄せたのであり、その結果、基地の周囲は住宅密集地になったのだと。

彼の説がその原因の全体像とは思わない(終戦後、荒廃した街の復興は、普天間基地周辺に限らず、全国的に見られる現象である)が、部分的に真実であると仮に認めるとしよう。

そうすると、住民は経済的理由により、自らの意思で積極的に基地の周りに住むようになったことになり(これが彼の意図するところであるが)、現在の普天間基地の危険な状態の責任の一端は、住民側にあることになる。

問題はここからである。辺野古移設賛成派の又吉(ヒジャイ)は、普天間基地移設問題は基地問題ではなく、宜野湾市民の人権問題であると主張しているのだ。つまり、世界一危険とされる普天間基地は早急に返還されるべきであり、それは宜野湾市民の人権問題であるから、辺野古移設反対派の主張は人権問題の立場からすると完全に間違っているというわけだ。

基地周辺に自らの意思で暮らしながら、人権問題だといって、辺野古へ早急に移設せよと主張する又吉(ヒジャイ)の主張は論理的矛盾がはなはだしく、ある意味宜野湾市民を馬鹿にしている。

ぼくは、人権を訴える宜野湾市民がエゴイストで固まった人々だとは思いたくない。佐喜真市長も1日も早い普天間基地返還を訴えながらも、辺野古への移設を公言しないのは、この問題が人権問題だけで割り切ることはできなと考えているからだ。つまり、現在の普天間基地問題は、人権問題であると同時に基地問題そのものでもあると、深く認識しているのだ。

沖縄の首長の大多数は、基地問題が絡むと、賛成するにしろ反対するにしろ、常に苦渋の選択を迫られる。日米両政府の重圧の下、弱い立場の県民に許される手段は非常に限られているからだ。

又吉(ヒジャイ)が主張するように、普天間基地を人権問題に単純化して、基地問題の本質を覆い隠してはならない。外国の軍隊が常駐する沖縄の基地問題は県内だけで議論できるものではなく、我が国に果たして、国家としての確たる理念が存在するのかという、国家のあり方が根本から問われている深刻な問題でもある。

 

拉致被害者は救出できる!

拉致被害者の家族が救出を訴える姿を、テレビで見るたびに、何もできない政府と我々国民の無力を再認識させられて、一体このままで良いのだろうか、否、良いわけがない、と思いつつ悔しさと絶望感に苛まれるという状態が、常に繰り返されてきた。

特に国防の義務を持つはずの政府に対する不信感は、ぼくの胸の内で増大する一方である。憲法9条があるから拉致国家に対して、なんの手だしもできないのだと言われ続けながらも、やはり、感情的にも理性的にも納得できない現実。

そんな鬱状態の中、元自衛官の側から力強い声が聞こえてきたのである。元陸上自衛隊特殊作戦群初代郡長の荒谷卓氏と、元海上自衛隊特別警備隊初代先任小隊長の伊藤祐靖氏。

二人は断言する。「いまでも、拉致被害者を救出せよという命令が政府から下されたら、直ちに特殊部隊は出動し、拉致被害者を救出する準備はできている。そのための訓練は、日々怠ることなく継続している。」

そして、次のようにも述べている。「命令を下す政府の本気度が問われている。しかし、今の政府には、拉致被害者を本気に取り返す気概がない。」

9条のせいで、いろいろと誤解される我が自衛隊だが、その実像は、日々厳しい訓練に耐えて国家防衛の使命感に燃えているのだ。嘘話を繰り返す政治家の不実な千の言葉を聞くよりも、自衛官の誠実な一言を聞くほうが、精神の健康にとってどれほど良いことか。

お二人の発言は、YouTubeで聞くことができるので、できるだけ多くの人に見てもらいたい。そしてお二人の本も推薦したい。伊藤祐靖著『国のために死ねるか』、荒谷卓著『戦う者たちへ』。荒谷氏の『戦う者たちへ』は当ブログでも紹介しているが、あと五、六回続ける予定である。蛇足だが、ぼくは今話題になっている本、『自衛隊幻想』をamazonに注文して、届くのを心待ちにしているところである。

世界が絶賛し畏怖の念を抱く、日本人の武士道精神は脈々と受け継がれている。伝統ある武士道の日本男子は実に美しい!そしてアメリカナイズされた日本人のなんと醜悪なこと。

 

荒谷卓 著『戦う者たちへ 日本の大義と武士道』7

今日は、我が国の建国記念日である。

琉球新報の「金口木舌」は「建国記念の日の歴史」と題して次のように書いている。
<「国民の祝日に関する法律」により16の祝日がある。唯一、日付を政令で定めているのが今日の「建国記念の日」だ
▼戦前は「紀元節」だった。初代神武天皇の即位日を日本書紀の記述を基に紀元前660年1月1日とし、日の干支(えと)などを検討して新暦の2月11日と決めたのが1873(明治6)年。以来、国威発揚の日として盛大に祝賀されてきたが、敗戦後、連合国軍総司令部(GHQ)によって廃止された
▼1952年の独立回復後、復活する動きが強まる。神話を基にした天皇制賛美だとして強い反対があり、国会で激しい議論となった。そして、根拠があいまいな日付を政令で定めることとして祝日「建国記念の日」となったのが66年である
▼沖縄では、日本復帰に伴い73年に初めて祝日となった。その前日付本紙で安仁屋政昭沖縄国際大名誉教授(近現代史)は、即位年も即位日も「つじつま合わせ」だと指摘。小国家が成立していない時代の神武即位そのものが「虚構」だと断じた
▼44年を経た今も「虚構であることは全く変わらない」と安仁屋さんは言う。「歓迎する人もいるが、天皇制が悲惨な沖縄戦とその後の米軍支配と関わっていることを忘れてはいけない」と強調する
▼天皇家の祖先によって日本国が建国されたとされる日。この祝日自体の特異な歴史を、沖縄の歴史を振り返りながら考えたい。>

安仁屋政昭氏がどのような人柄であるか、存じあげないが、神武天皇即位そのものを44年を経た今も「虚構であることは全く変わらない」と述べたことについては、安仁屋氏の個人的な学問上の見解としては仕方ないとしても、<天皇制が悲惨な沖縄戦とその後の米軍支配と関わっていることを忘れてはいけない>と強調したとなると、反論せざるを得ない。

先の大戦の時、我が国は絶対君主制ではなく英国同様、三権分立が確立した立憲君主制国家であり、実際の行政権は内閣にあり、天皇は内閣が決定した事項に関しては、それを承認するか、意見を述べられるくらいで、制度上、内閣に命令を下すことは不可能であった、という事実だけでも指摘しておかなければならない。

沖縄戦だけが悲惨であったのではない。第二次世界大戦そのものが悲惨であったのだ。そして、大東亜戦争に限っていえば、我が国は欧米帝国主義国家からアジア諸国の植民地を解放するという大義を掲げて戦ったのであり、敗北したとはいえ、イギリス、フランス、オランダ各国の軍隊をアジアから駆逐した結果、アジア諸国は独立を果たしたのである。現在のアジアの平和の背景には、我が国が三百万人の尊い犠牲を払ったという事実があることを忘れてはいけない。

安仁屋氏は、44年を経た今も、GHQが広めた偏向史観から脱し切れていないようだ。驚くと同時に、残念でもある。

引き続き、荒谷卓氏の『戦う者たちへ』の文章を紹介するが、今日の文題は奇しくも「日本建国の理念」となっている。全くの偶然だが、偶然の必然性という言葉が頭をよぎる。

「 八、日本建国の理念

日本の建国宣言にあたる、神武天皇即位の詔(「橿原建都の詔」)では、次のような日本的社会思想を国造りの理念としている。

『夫(そ)れ大人(ひじり)の制(のり)を立つ義(ことわり)必ず時に随う』とは、人間は自然の心理をすべて感ずることはできないから、人間社会の掟は、決して固定(教義化)することなく、そのときどきに応じて判断すべきことを示していると思う。

これは、人為的に作られた社会規範(経典やイデオロギーや法)を、普遍的、絶対的なものとする思想とは、ずいぶんと異なるところだ。そもそも、古事記日本書紀の神話では、(人には)姿を見せることがない天神五柱から物語が始まる。最初に現れる神「天之御中主神」は、宇宙のすべての根源たる理(万物万象の原理)を現しているものと思われるが、この神様は見えない神様としている。ここは、重要なところで、いわゆる(絶対的)真理は、人にはとても計り知れないとの示唆なのだろう。あたかも宇宙の真理を得たりと『教義』を説こうとする人間への戒めのようにも思われる。

では、時や時代に応じて、何をもって正しさの基準とするかといえば、『苟も民(おおみたから)に利(くぼさ)有らば、何ぞ聖造(ひじりのわざ)に妨(たが)わむ』。すべての民に利益のあることならばそれは正しいことだとしている。神武天皇が即位にあたり、「すべての民に利益をもたらす」政(まつりごと)を行なう「寶御位」の意義をまず示すことで、この御位につく天皇がいかなる御存在であるかを示している。天皇は「しろしめす」存在、すなわち「国民すべての心のうちを等しく知る」ともいわれ、「人々の声を分け隔てなく聞きとどける」という、いわば日本的民主主義の理想を象徴している。

日本的民主主義とは、多数決による意思決定ではなく、少数の意見であっても聞き入れ、優れたものであれば取り入れるというものだ。『上(かみ)は即ち乾霊(あまつかみ)の国を授けたまう徳(うつくしび)に答え、下(しも)は即ち皇孫(すめみま)の生を養いたまえふ心を弘めむ』とは、「天皇は、先祖たる神々の神聖なる徳を受け継ぎ、模範を示し、臣下・民は、その範を見習い、同じように先祖を大切にする心を社会に広める」というもの。神々と同じ徳に満ちた社会を創ろうという大理想を示している。

また、物事を決めるときは、今生きている者たちにとっての利益だけではなく、先祖の経験と知恵に尋ね、将来の子々孫々の幸福をも考えるべきことを明示している。ここも重要なポイントで、民主主義のシステムに歴史的経験値を組み込むことで、特定の世代の幸せのために自然の資源を食いつぶしてしまうような愚かなことがないように戒めているのだ。これは、時代の横軸にあたる同世代間だけの民意だけではなく、各時代を貫く縦軸としての先祖の意思も含めた、壮大なる民主主義の発想である。

『然して後に六合(くにのうち)を兼ねて以って都を開き八紘(あめのした)を掩(おお)ひて宇(いえ)と為(せ)むこと亦よからずや』とは、そういう大理想を持ちつつ、一つの家のような国を創ることを目指そうという意味だ。

神武創業に日本建国の理念があり、日本の大義はここに存する。」

荒谷卓著『戦う者たちへ 日本の大義と武士道』6

「 七、普遍的な神道の考え方(略)

日本の神話では、風、日、水や草木も人も、すべてのものが神々によって次々に生み出され、それは過去から現在に続き、未来もそれが続く。神々の宇宙万物の創造は、過去の一時点だけではなく、過去から将来にわたり永遠と続いているのだ。我々が子供を産み育てるということは、神々の創造の業の連続である。草木も人もすべてが神々の子孫であり、過去から未来まで、すべての存在が一つの家族のようなものとして考える。したがって、自然界で人間だけが特別な権利を持ち、人間個人の利欲を正当化するという発想は持ち得ない。

神道の発想は、人間と自然の共生と、民族の協和を当然視するものである。また、我々は全員が神々の子孫であるということは、本来、神の心を受け継ぐ神聖なるものを、一人一人が持っているということだ。これが、日本人は「性善説」に立つと言われる所以である。

しかし、肉体は、明らかに個々の所有物で、他との共有はできない。肉体を養うため、他の生き物の命を頂戴し、また肉体が欲する欲望により穢れを纏うことになる。それを放置しておくと、自分の心の中の神聖なるものが欲する声が聞こえなくなる。だから、日々積もった、禍事や罪穢れを取り払って自分の真心を取り戻し、その真心を貫いて人生を全うしようと努力する。

神道の特徴は、肉体が死んだあとの精神世界で神に近づこうとするのではなく、肉体を有する現世において、神々に近づく努力をするということである。

もう一つ、日本の神話の示す大事な点について触れてみる。日本の神話において、仮に、最も武勇に長けたスサノオノ命が最高神であったのならば、それはギリシャ神話のゼウスのように、智謀をめぐらし武力を持って勝ち抜いた者が最高の権力を手にする覇権的民族神話になろう。

しかし、日本の神話は、穢れがなく清らかですべてのものを同じように照らし清めるアマテラス大神を最高神とした。そこに、日本人の価値観がある。

現実においても、アマテラス大神のように穢れがなく清らかで、すべての人々をしろしめす(人々の心を分け隔てなく受け止める)存在である天皇の御位がうえにあって、いかに智謀・武力に優れた強者が現れようと、その者は上の座を侵すことなく、上の意を汲んで、その知能・実力を社会に奉仕することを良しとしてきた。それが日本である。

日本の神話は、神と人の関係を「神の精神を受け継ぐ子孫」とし、「清く穢れのないものが正しい」とする価値観を示しているのである。つまり「神が人間に与えたのは原罪や権利ではなく、神の徳を知る心である」。人間はそれを自覚し、その心に従って生きるべきだという原始的な価値観である。それは、日本神道の地理的・歴史的な特殊性ということができる。しかし、その特殊性は、すべての民族の起源に共通する普遍性を有しているともいえるのではないか。」