沖縄よ! でぃぐぬ花日記

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沖縄について語る西部邁:西部氏は真の保守思想家であった

西部氏が沖縄について語るのを初めて聞いたのは、20年以上前のことだ。1995年、沖縄の小学生が3人の海兵隊員に乱暴されるという痛ましい事件が起きた。沖縄中が反米軍基地で燃え上がり、連日抗議運動が続いた。本土のマスコミも大々的に報道したため、橋本政権は深刻な事態に陥り、事態収拾に乗り出し、普天間基地返還を米政府との間で取り決めたのだった。しかし、その内容は県民の要望とは程遠い県内移設であったために、県民は反発し、以後もめにもめて今日に至っている。当時、ぼくは東京で暮らしていたが、事件を知って怒りに震え、鬱屈を斬り払うように、琉球独立論者となったのである。日本政府のあまりの不甲斐なさと、歴代政権の沖縄に対するいわれなき差別への、溜まりに溜まった怒りの情念がそうさせたのである。県出身の友人たちにもそう言い、沖縄に帰った時も、友人知人、親戚にも、ぼくは琉球独立論者だと、はっきり主張した。ところが、2010年に状況が一変する事件が発生した。尖閣沖で中国漁船が海上保安庁の監視艇に体当たりしたのだ。あの時から中国共産党の脅威が、抜き差しならない現実となって迫ってきた。中国共産党は、尖閣諸島は自国の領土だと主張し、琉球も中国のものだ、と平然と嘯くようになった。その現実に直面して、ぼくは、今後独立論を標榜すべきではない、と悩んだ。独立論は、中国共産党を利するだけだ。
昨今、沖縄に琉球独立を唱える組織があるが、同じ沖縄人として彼等の心情は理解できても、ぼくは賛成できないし反対である。ただしそれは、条件付きだ。中国の共産党一党独裁が崩壊し、民主国家になること。これが最大条件だが、中国が民主化された後も、沖縄に海兵隊が駐留し続け、日本政府が基地問題で言われなき差別を我々県民に押し付けるなら、ぼくは再び独立論者になることに躊躇しないだろう。
話を元に戻すと、小学生暴行事件をきっかけに、沖縄問題がマスコミで盛んに取り上げられていた頃、「朝まで生テレビ」が沖縄特番を放映したことがあった。
本土の論客と、沖縄から数名の論客が対峙する形で、同時中継された。その時、本土側の論客に西部邁氏の姿があった。確か、司会の田原総一朗氏の右側に座っていたと記憶している。議論が白熱する中、西部氏が「最後は金で解決すれば良い」というような発言をした。言葉自体は正確ではないかもしれないが、そのような意味であったのは間違いない。
この発言に対して、沖縄側が猛反発した。玉城義和(故人)、知花昌一はじめ数人いたと思うが、全員が「けしからん」と言って、西部氏を非難した。実は、ぼくが西部邁氏を見たのはこの時が初めてであり、彼がどのような経歴を持つ人物であるかも知らなかったが、「金で解決」発言の印象が強く残り、今もあの場面だけは鮮明に覚えているのである。当然、ぼくもあの時の西部発言には強く反発した。なんだ、この野郎、とんでもない男だ!その後、西部氏の記憶は薄れていき、長い歳月が流れた。
そしてある時期から西部氏の言論に興味を抱き始め、引かれるようになったのは多分4、5年前位からではないだろうか。何が直接の契機になったのかはわからない。振り返ってみると、中国共産党尖閣諸島の領有権を主張し、恥も外聞もなく傍若無人の振る舞いを平気で行うようになり、それが原因でぼくが大きく保守の方へ傾き始めた頃からではなかったかと考えられる。しかし、突然そうなったのではない。これには明確な伏線がある。小山ゆうの漫画『お〜い竜馬』全23巻を読んだことがきっかけとなり、40代後半に司馬遼太郎のほとんどの作品を、それこそ舐めるように読破した。以来、日本の歴史と文化礼賛派となり、日本人であることの誇りと自信を持つようになったのである。それまでは、西欧の歴史・文化を日本の上位に置いていたが、しかし司馬作品を読むことで歴史観が大きく変わった。話が大きく脇道にそれてしまったが、保守思想を抵抗なく受け容れる土台が、ぼくの中に出来上がっていた事実を述べたかったにすぎない。さて、西部氏が沖縄について語るのを聞く機会は、朝生での「金で解決」発言以来なかったが、沖縄タイムスの阿部記者が昨年、西部氏を電話取材した時の様子を、昨日付同紙の大弦小弦というコラムに書いている。阿部記者のおかげで、沖縄について語る西部氏の言葉を、短いとは言え、再び聞くことができた。勝手ながらそのまま転載させていただく。

≪ 保守の論客として知られる西部邁さんは「僕は沖縄の悪口を言ったことはない」と話した。自称保守による沖縄ヘイトがまかり通る中、電話口の語りは新鮮に響いた
「基本的な立場は、ヤマトンチュとして申し訳ありませんと。米国に戦争で負け、土下座して沖縄を差し出してしまった。米軍には出ていってもらうべきなんだ」
作家の百田尚樹さんが沖縄で講演し、基地集中を正当化するデマを繰り返した昨年のこと。西部さんに評論を依頼して、固辞された。「彼は保守ではない。反左翼というだけ。時間がない中で、レベルの低い論争の相手をしたくない」と語った
日本の伝統に学ぶ保守の立場から、従属を恥じない「親米保守」を鋭く批判した。一方で核武装論者であり、「沖縄タイムスもそうかもしれないが、自由、平等、人権主義などときれいごとを言う人も同じように心底軽蔑している」とばっさり
西部さんは21日、亡くなった。時間がない、とはこういうことだったのだろうか。賛成できない点、浅学で理解が追い付かない点も含めて、知の塊に触れる貴重な時間を割いていただいた
最近は「自裁死」という表現を使っていたという。あらゆる教条や偽善を斬り、最後は自らを処断したのだろうか。その迫力と覚悟に、電話の時と同じようにただ圧倒されている。(阿部岳)≫

明らかに20年前の「金で解決」発言から、変化している。自らの思想の核心は固守しても、柔軟な精神の持ち主であったことが偲ばれる。百田尚樹の沖縄講演についての評論を依頼した阿部記者に対し、「彼は保守ではない。反左翼というだけ。時間がない中で、レベルの低い論争の相手をしたくない」と辞退している。当然だろう。百田尚樹西部邁では、思想の深さが違う。レベルの低い論争は避けるに越したことはない。また西部氏は「米軍には出ていってもらうべきなんだ」とも言っている。東京で発言する時と、沖縄にきたときに発言する内容が異なる似非保守言論人が多い中で、西部氏の発言は貴重である。西部邁は、真の保守思想家であった。