沖縄よ! 群星むりぶし日記

沖縄を、日本を、そして掛け替えのない惑星・地球を愛する者として発信していきます。

沖縄差別の原因は又吉(ヒジャイ)自身の内にある

又吉(ヒジャイ)が相変わらず、稚拙な言論を駆使して、郷土沖縄、沖縄人を貶める発言を繰り返している。チャンネル桜「沖縄の声」に出演した彼は「沖縄差別の原因は沖縄側にある」の題名で、焦点の定まらない、それでいて沖縄を貶める姿勢だけはしっかりしているという、聞くに耐えない恥ずべき発言をしている。
無視したいところだが、沖縄の若い人達、沖縄の歴史に疎い本土の人々がこの動画を見ているはずだと思うと、やはり又吉(ヒジャイ)の誤りを指摘し、批判したい。
彼は、人類館事件を取り上げ、それを題材にして書かれた戯曲「人類館」を批判している。
人類館事件とはどのようなものだったか、当時の雑誌に次のような記述がある。
「『風俗画報』269号(1903年)
内地に近き異人種を集め、其風俗、器具、生活の模様等を実地に示さんとの趣向にて、北海道のアイヌ五名、台湾生蕃四名、琉球二名、朝鮮二名、支那三名、印度三名、同キリン人種七名、ジャワ三名、バルガリー一名、トルコ一名、アフリカ一名、都合三十二名の男女が、各其国の住所に模したる一定の区域内に団欒しつつ、日常の起居動作を見するにあり(以降、大阪朝日新聞「博覧会附録 場外余興」とほぼ同じ内容)」
この中の琉球二名は、沖縄県から連れて来た「遊女」で、「琉球婦人」として展示されたらしい。これに対し地元から抗議の声が上がった。地元出身の言論人である太田朝敷は、次のように述べて抗議している。
「 陳列されたる二人の本県婦人は正しく辻遊廓の娼妓にして、当初本人又は家族への交渉は大阪に行ては別に六ヶ敷(難しい)事もさせず、勿論顔晒す様なことなく、只品物を売り又は客に茶を出す位ひの事なり云々と、種々甘言を以て誘ひ出したるのみか、斯の婦人を指して琉球の貴婦人と云ふに至りては如何に善意を以て解釈するも、学術の美名を藉りて以て、利を貪らんとするの所為と云ふの外なきなり。我輩は日本帝国に斯る冷酷なる貪欲の国民あるを恥つるなり。彼等が他府県に於ける異様な風俗を展陳せずして、特に台湾の生蕃、北海のアイヌ等と共に本県人を撰みたるは、是れ我を生蕃アイヌ視したるものなり。我に対するの侮辱、豈これより大なるものあらんや」
この太田氏の言葉から人類館は政府開催ではなく、民間人による営利目的の催し物だったことが分かる。以上が簡略化した人類館事件のあらましだが、さて、又吉(ヒジャイ)はなんと論評したか?
当時の沖縄人は、自分たちが差別されていると言って抗議したが、実は彼ら自身が台湾人とアイヌ人を差別したのである、と彼は述べている。又吉(ヒジャイ)には短絡的思考癖がある。彼は、太田氏の言葉から次の部分を捉えて、自説を短絡化したにすぎない。
「彼等が他府県に於ける異様な風俗を展陳せずして、特に台湾の生蕃、北海のアイヌ等と共に本県人を撰みたるは、是れ我を生蕃アイヌ視したるものなり。我に対するの侮辱、豈これより大なるものあらんや」
沖縄人は日本人であり、アイヌ人でもなければ、台湾人でもないと太田氏は言っているだけで、これをアイヌ差別、台湾人差別だと認識するとは、実に又吉(ヒジャイ)の短絡的思考癖には恐れ入る。沖縄人を展示するなら、なぜ他府県の異様な風俗を展示しないのか、と太田氏は疑問をぶつけている。
地域名は忘れたが、造形化した巨大ペニスを崇拝対象にする風俗も展示されてしかるべきではないか。その他にも日本各地には異様な風俗はたくさんあるはずだ。
これを沖縄差別だと断じ、抗議してなぜ悪い?台湾側からも日本に対し抗議の声が上がったという。当然の事だ。
「人類館」なる馬鹿げたことを思いつくような「冷酷なる貪欲な国民」を非難すべきであるのに、不思議なことに、又吉(ヒジャイ)は沖縄人を批判するのである。実に薄情な男だ。
そしてもののついでに彼は、戯曲『人類館』も批判してみせる。
この作品をぼくはまだ観ていないが、批評家が書いた文章等を読んで、大筋は知っているつもりだ。しかし、ぼくがそのあらましを下手に解説するよりも、映像作家の柴田昌平氏が見事な感想文を書いておられるので、引用させて頂く。
「 とても優れていると思ったのは、「調教師」という役。展示品である「琉球の男女」を調教する立場の男が、芝居の後半、実は沖縄にルーツを持ち、自らの立場をよくしたいがために「調教する」(加害する、差別する)側にまわっていることが明らかになる。 芝居は、その発見から急展開していく。 それまで共通語(ヤマトグチ)で語られてきた舞台が、沖縄の言葉(ウチナーグチ)中心の舞台となる。加害と被害、差別する側とされる側のまなざしが交錯し、きしみあいながらクライマックスへ向かっていく。最後に、「調教師」が死に、それまで虐げられてきた「琉球の男」が調教師の服に着替え、差別する側にまわっていく驚き。」
又吉(ヒジャイ)は、この作品を人類館事件を題材としながら、歴史的事実と違うことを描くことで、沖縄人差別を定式化した、と批判したのだ。
彼の発言には何度も驚かされて来たので、免疫力はついていると思っていたが、今回の発言にはさすがに、びっくりぽんである。
文学作品がなぜ歴史的事実を忠実に記述する必要がある?それは歴史家の仕事だ。こんな基本的な知識を持ち合わせていないとは、又吉(ヒジャイ)よ、君は一体なんのために小説や、戯曲や、詩を書いているのかね?しかも君は、その作品の内容はともかくとして、多作だ。にもかかわらず、君は、歴史書では書ききれない人間存在の深い闇、真実を書くことが、文学の役割であることを知らないらしい。
そんな人間に戯曲『人類館』を批判する資格などない。上に引用した柴田氏の感想を読む限り、この作品は立派な文学作品である。差別される側がいつの間にか、差別する側に変貌する。人間に内在するどうすることもできない不可解な矛盾。それを描いた作品である。
「沖縄差別の原因は沖縄側にある」のではなく、「沖縄差別の原因は又吉(ヒジャイ)自身の内にある」。
せいぜい空疎な議会制民主主義論を、呪文のごとく唱え続けているが良い。

無効な憲法はゼロであり修正することは出来ません。

今日、勇馬氏より拙文「馬淵睦夫氏には失望した」についてのコメントを頂いた。
「無効な憲法はゼロであり修正することは出来ません。」という氏の言葉に頭をガツンと打たれる思いがしました。無論、氏のご意見に大賛成です。

「 確かに9条3項の追加は「嘘の上塗り」ですが、それ以上に重要な過ちは、占領憲法の追認であり、実質的にGHQに強制された現行憲法を自ら正統なものとしてしまうことです。無効な憲法はゼロであり修正することは出来ません。一旦無効宣言(但し将来功として)することで正統性を回復し自主憲法を制定する過程で国軍として位置付けるべきで、これが渡部説、小山説です。国民の合意を得る方法はいくらでもあり得ます。」

イラク侵略は民主主義をもたらすためではなかった

2003年にイラク侵略した米国政府の目的は、イラクに民主主義をもたらすことではなく、サダムフセインを打倒することだった、と当時大統領補佐官を務めたコンドリーザ・ライスがブルックリン協会の会合で話した、と今日のsputnikが報道している。
これが事実なら、当時のブッシュ大統領の主張は、後付けのまやかしであったことが明らかとなる。ブッシュ大統領は、独裁者フセインを倒し、イラクを民主主義国家にする、と豪語していた。しかし、それは嘘で、米国の国際戦略にとって、フセインは邪魔な存在であったにすぎない。だから彼を排除するのが目的だった、ということだろう。
軽薄な政治思想がもたらす結果は残酷である。アメリカの余計なお節介のおかげで、今やイラクは破壊され尽くされて、無残な姿になった。生き残った子供たちが成長し、その怨念が消え去る日はいつ来るのか、誰も見通すことはできない。

Condoleezza Rice, the US national security adviser under President George W. Bush, said Thursday in an interview that the goal the United States pursued during the 2003 invasion of Iraq was toppling of President Saddam Hussein, not bringing democracy to the Middle East country.
WASHINGTON (Sputnik) — The United States invaded Iraq with its allies in 2003 not to bring democracy to that country but to topple President Saddam Hussein, former US National Security Adviser Condoleezza Rice told a meeting at the Brookings Institution.
"We didn't go to Iraq to bring democracy to Iraq we went to Iraq to overthrow Saddam Hussein… It was a security problem," Rice, who also served as US secretary of state, said on Thursday.
Rice, who served as national security adviser to President George W. Bush at the time, denied that the United States was determined to use its military power to impose democracy on Iraq in 2003 or on Afghanistan when it occupied that country in 2001.
"I would never have said to President Bush [to] use military force to bring democracy to Iraq and Afghanistan," she said.
Rice also acknowledged that the populist movements that had arisen in the United States and Western Europe over the past two years were expressions of protest by millions of people against elites who ignored their concerns about such issues as free trade and unlimited immigration.

馬淵睦夫氏には失望した

馬渕睦夫氏の「和の国の明日を造る」は面白くて、毎回見るようにしている。グローバリズムナショナリズムの違いを指摘して、その視点から世界情勢を解析してみせる馬淵氏の見解は刺激的で、毎回教えられること大である。
しかし、47回目となる同番組で、馬淵氏は安倍総理の例のビデオメッセージを称賛したのだ。見識の深い馬淵氏であるだけに、違和感を感じたがやはり、氏の見解に賛同することはできないな、と思った。
安倍総理は、第九条の2項をそのまま残すことによって、民進党が反対できないようにした、そして加憲を主張する公明党の賛同を得易い条文構成にした、というような意味合いの趣旨を述べて、氏は安倍総理の構想を称賛したのである。
一瞬耳を疑ったが、なぜ馬淵氏は成立しようがない安倍総理の構想を認めたのか、それほど総理を評価する理由はなぜなのか、不思議で仕方ない。
2項を残したまま、自衛隊を明文化する条文を追加するのは、嘘の上塗りをするだけなのは明らかで、絶対に成立するはずがないからだ。
ぼくは安倍総理の政治姿勢をまったく評価できない。一昨日の参議院予算委員会での蓮舫議員との質疑応答を見て、総理に対する評価はさらに下がった。かつての勢いを失った民進党を、鼻から見下すような高慢な姿勢に、嫌悪感を感じたのは確かだし、国民の支持率が低いとは言え、蓮舫議員の指摘は的を得た鋭いものだった。
それにたいす安倍総理の答弁は、質問の内容をはぐらかす不誠実なもので、野党のヤジに、必要以上に感情的になる姿は、子供っぽくて見苦しいばかりであった。
そのような安倍総理を評価する馬淵氏が、どうしても理解できないのである。

トランプ政権は長く続かない

TheGuardianの報道によると、FBI director James Comeyが昨夜、突然解雇されたという。コミー長官がトランプ政権とロシア政府との関わりを調査していたことが、解雇の理由ではないか、と言及している。
しかし、公表された公式な理由は、コミー長官がヒラリークリントンによるemailの私的利用に関する調査にあるとしている。その理由を思いついたのは、多分 attorney general Jeff Sessionsであろう、とThe New York Timesが報道している。
しかし、ヒラリークリントンのメール事件の調査は、トランプ氏は歓迎していたはずである。それを公式な解雇理由とするのは、非常に無理があるし、大いに疑問だ。
トランプ政権内でどす黒い闇が蠢くのを感じる。トランプ大統領が掲げた政策はともかくとして、彼に反対する人間は徹底的に排除するという、彼の性格がはっきりしてきた 。民主主義制度の中の独裁主義。これから先、政策を無理矢理に押し進めていく危険もある。
韓国では新北の大統領が誕生した。トランプ政権は、対北軍事作戦でなんら成果を得られない可能性が強くなった。そして、かつてトンキン湾事件をでっちあげて、ベトナム戦争をしかけた時のように、北朝鮮が米軍の圧力に屈しない状況がこのまま続けば、水面下で北朝鮮を先制攻撃するための情報操作も十分考えられる。真実を追求する手を緩めてはならない。
Donald Trump’s decision to fire the FBI director, James Comey, who was investigating links between the president’s associates and the Russian government, has taken US democracy into dark and dangerous new territory. That was the assessment of Democratic leaders, legal observers and security experts last night, with some drawing direct comparisons to Watergate and tinpot dictatorships.
FBI directors are given 10-year terms in office, precisely to insulate them from politics. It is very rare to fire them. The last time it happened was 24 years ago, when Bill Clinton sacked William Sessions, who had clung to office despite a damning internal ethics report detailing abuse of office, including the use of an FBI plane for family trips.
How Comey became tangled in the US election – and why it led to his downfall
Comey’s sacking has taken place in very different circumstances. It came on a night when CNN reported that a grand jury had issued subpoenas in the investigation of the Trump camp’s contacts with Russian officials, and after had confirmed to Congress that more than one person connected to the Trump campaign was the subject of an FBI counter-intelligence investigation. He had also indicated that he was investigating leaks from inside the FBI to the Trump campaign in the course of the election.
The New York Times has reported that Trump’s attorney general, Jeff Sessions, was “charged with coming up with reasons to fire him”. The official reason offered was Comey’s handling of the enquiry into Hillary Clinton’s use of a private email server for classified information. Comey’s announcement in July 2016 that there would no be prosecution, while criticising the Democratic presidential candidate and her aides for being “extremely careless” in their handling of classified material, is singled out in a memo by the newly appointed deputy attorney general, Rod Rosenstein.

大和撫子はなぜ黒髪を捨てた?

街を歩いていて嫌な気分になることがある。目に映る女性のほとんどが、茶髪であることだ。年齢に関係なく、色の濃淡の差はあっても、多くの女性が茶髪で、黒髪は圧倒的少数派である。茶髪の男性も見かけるが、女性に比べると少ない。そして、男性の場合は、特に若者に多いような気がする。
男女を問わず、スポーツ選手も茶髪にしている人が多い。サッカー、野球、レスリング、etc. そしてニュースキャスターと、あらゆる分野に渡っている。日本選手が出場するサッカーの試合を観戦したある外国人が感想を漏らしたらしい。「あれじゃまるで猿のようだ」と。さもありなん、確かに猿に似ている。なでしこジャパンの茶髪の選手が、ボールを追ってフィールド内を駆け回る。その姿を見ながら声援を送る前に、醜い茶髪をなんとかしてくれ!と、つい叫びたくなる。
個人の好みでいうと、ぼくは茶髪が大嫌いである。と言えば、「余計なお世話だ」という声が聞こえてきそうだ。しかし、今の状況を単なる流行だと割り切ってしまうのは、何か大事なものを置き去りにするような気がして、納得しづらい。
生きている人間にとって或る大事なもの。それは精神に宿る自発性ではないだろうか?他者の言葉に容易に振り回されることのない、精神の自立性と言って良いかもしれない。精神の本来の姿。
茶髪が流行する背景にあるのは、精神の自発・自立の消失ではないだろうか?「大袈裟な」という声が聞こえてきそうだ。しかし、日本人は心の奥深いところで、日本人であることに自信と誇りを持てなくなっているという現実があるのではないか。その遠因に敗戦の影響が時間をかけて、ゆっくりと着実に作用しているのではないだろうか?と言えば果たして、考えすぎだと批判されるだろうか?
あるいは、もう少し単純に考えて、茶髪の流行はアメリカナイズが行き過ぎた結果に過ぎない、と言えば許してもらえるかもしれない。
戦後の日本はアメリカ文化を取り入れ過ぎたのは事実だ。その結果、必然的にいたるところで、消化不良の兆候が現れている。数年ほど前のことだが、東京で仕事をしていた頃、人通りの激しい街中を、ズボンを尻が見えるところまでずり下ろして、堂々と闊歩している複数の若者たちを見たことがある。アメリカで流行りだしたスタイルを、何のためらいもなく無邪気に真似る日本の若者に、激しい嫌悪感を抱いた。Americanization !
アメリカからやってきた民主主義は、彼ら自身の自立・自発的精神から形成されたものだ。そしてそれは、彼らに特有の自由の観念と強烈な個人主義に支えられ、彼ら独自の慣習と伝統を構成している。そして当然のように、アメリカ人は自分たちの自立・自発的精神に自信と誇りを持っている。だから彼らの立ち居振る舞いには不自然さがない。
彼らの行動は、日本人が真似て習得できるような代物ではない。消化不良で体調を崩すのが関の山だ。そうであるなら、どうすれば良いか、答えは単純ではっきりしている。
アメリカナイズされる前の日本人に帰れば良い。日本人独自の自立・自発的精神を発露するだけで良い。戦前の日本人は自分たちの自立・自発的精神に自信と誇りを持っていた。
古事記に描かれた神話以来、独自の文化伝統を営々と構築し発展させてきた。それゆえ、戦前の昭和から遡って、中世、古代の我々の先祖の立ち居振る舞いに不自然さが感じられないのは、当然のことである。それは日本の歴史が、しっかりと証明している。
精神の内側から出てくる自発性こそ本物のエネルギーであるなら、大和撫子よ、なぜ誇らしき黒髪を捨てた?
なぜ安易にアメリカナイズして、醜い姿になったのだ。アメリカ人は自分たちの金髪に誇りを持っている。ラテン系のイタリア人、スペイン人、フランス人は自分たちの黒髪に自信を抱いている。なぜなら生まれたときからそうであり、それが自然そのものだからだ。
彼らは、心の底では日本人の茶髪を、醜いと軽蔑している。社交辞令ではっきり言葉に表すことはないが、ついポロリと本音が出る時がある。先ほど例にあげたサッカー観戦で漏らした「猿」発言だ。
ラテン系の人々は不思議に思っているに違いない。なぜ日本人は我々と同じ黒髪なのに、醜悪な茶髪にするのだ?黒髪の日本女性は美しいのに勿体無い、と。
大和撫子よ、そして若い男子諸君、茶髪を捨てて黒髪を取り戻そう!「日本を取り戻す」なんて安倍総理の抽象的な呼びかけなんかナンセンスだ。具体的な提案こそ必要である。日本人よ、黒髪を取り戻そう!そして大和撫子よ、和服姿で麗しい黒髪をなびかせながら、ニューヨークを、ロンドンを、そしてパリを練り歩いて、日本女性がどれほど美しいか欧米人に見せつけて欲しい。列を成した男性群が貴方の後ろについて歩く姿が目に見えるようだ。
そう言えば、大相撲があった。関取衆は全員黒髪である。新横綱稀勢の里関、頑張れ!
そしてもうひとつ。それは「バンクーバーの朝日」という映画で、戦前バンクーバーで働く日系人が作った野球チームの物語だ。体格に劣る日系人のチームは、腕力に勝る白人チームのピッチャーが投げるボールに全く歯が立たず、連戦連敗を重ねる。白人たちから軽蔑される日々が続くが、ある試合で試みたバントが見事成功する。これをヒントに全員でバントの練習に励み、技術を身につけて臨んだ試合で初勝利を勝ち取る。バント作戦が見事的中したのだ。体が大きい白人たちにバントは不得手ということもあり、この試合以降は日系人チーム「バンクーバーの朝日」の独擅場となる。そしてついに大会で「バンクーバーの朝日」チームが優勝する。その最後の場面。優勝した選手全員が揃って、帽子を取り、観客に向かって深くお辞儀をする。なんと彼ら全員の麗しい黒髪が、太陽の光を浴びて、燦々と輝いているではないか。ぼくは深く感動して、しばし時が過ぎるのを忘れたのだった。
風立ちぬ、いざ生きめやも   Le vent se lève il faut tenter de vivre.

 

 

 

 

 

 

 

 

竹田恒泰よ、お前もか!

昨日の「激論!クロスファイア」に出演した、竹田恒泰氏は、安倍総理のビデオメッセージに基本的に賛成し、実際の条文がどうなるか予想はできないが、と前置きした上で、例えばこのような条文にすれば2項と矛盾しないのではないか、と述べて氏自ら発案したその条文を提示した。
竹田氏が示した条文とは次のようなものである。「但し、自衛のため、戦力を保持し、国の交戦権は認める。その戦力を「自衛隊」と称する。」
この文章をそのまま九条全文に付け加えると以下のようになる。
第九条
1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦 争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
3 但し、自衛のため、戦力を保持し、国の交戦権は認める。その戦力を「自衛隊」と称する。
さて、2項と3項を読み比べてみて、両項は矛盾しないとする竹田氏の頭は、とても正常とは思えない。慶應義塾大学憲法学を学んだ専門家の発想がこの程度だとすれば、背筋が寒くなるような感じを受ける人は、決して少なくないはずである。
2項と3項が相容れないことぐらい、中学生でもわかる簡単な論理矛盾である。逆立ちして読んでも両項が完全に矛盾しているのは明らかであろう。保守を自認する人間の理性が、これほど貧しいとは実に驚嘆すべき事態ではないか。竹田氏といえば、沖縄の基地問題に偏見を持つ言論人でもある。
たかじんのそこまで言って委員会」という番組で、氏は次のような発言をしている。「普天間基地はもともとは田んぼであり、誰も住んでいないところに建設されたもので、基地ができたら基地経済を目当てにして、その周囲を囲むように住宅が建つようになったのだ。だから世界一危険とされる普天間基地が存在する責任は地元の住民にある。」
これはネトウヨの間で拡散した偏見だが、発信元は恐らくチャンネル桜「沖縄の声」である。何故なら「沖縄の声」の常連のキャスターに、同じ内容の発言を、竹田氏より遥か以前に発信した者がいるからだ。竹田氏は、沖縄の歴史を自分で調べるという基本的なことをしないで、他者の言動を盲目的に受け売りしたにすぎない。
同じような発言をする言論人に百田尚樹がいる。彼もまた事実を自分で調べないで、沖縄のエセ保守の言論をそのまま使うような軽薄なポピュリストだ。沖縄の左翼勢力を批判する一方で、沖縄を貶めるエセ保守勢力の代表的人物の一人である。
彼らの間違った沖縄基地問題の認識は、沖縄タイムス社編集局編『これってほんと⁉︎ 誤解だらけの沖縄基地』の本の中で全て論破されているので、日を改めて言及したいと思う。

それにしても戦後の日本の安全保障を考えるとき、多くの言論人の本気度がどれほど薄っぺらか、繰り返し繰り返し何度も見せつけられるとは、ただただ愕然として、絶望あるのみ。