沖縄よ! でぃぐぬ花日記

祖国は日本。郷土は沖縄。日本国を愛し、沖縄を愛する者として、発信していきます。

「辺野古新基地を許すな!」ブローチ

サンエーメインプレイスの5階で期日前投票ができることがわかり、バスに乗り出かけた。台風が近づいているためだ。先日印鑑屋さんに注文しておいたブローチを、いつも着用する帽子の両側にピン留めして出かけたら、バス停で年配の女性がそのブローチに視線を送って関心を示す気配が感じられた。実は狙い通りで、少し恥ずかしい気もしたが、内心得意でもあった。
そのブローチというのは、縦2.5センチ横7センチの長方形の青色のプラスチック板で、白文字で「辺野古新基地を許すな!」と彫り込んである。辺野古新基地に反対する人間がここにいるんだよ、と自己宣伝する目的で作らせたのだ。
実は、9月に入ってから体調が思わしくなく、それまで週に一度参加していた辺野古行きが叶わなくなった。体調が回復したらまた参加しよう、と思っていたのだが、生来の怠け癖が祟り、体調が回復しても行くのが億劫になってしまったのである。その代償として考えたのが宣伝用ブローチである。
辺野古へ通っていた頃、辺野古行きを呼びかける手作りのポスターを、数ヶ所の電信柱に貼り付けることもやったのだが、通行人を観察していると、そのポスターを見る気配が全くないことがわかった。それで帽子にブローチを付けたら多くの人に見てもらえるのではないか、というアイデアが偶然浮かんできて、方針を切り替えたのである。
その読みは的中した。バスに乗り込むと乗客の視線がブローチに注がれるのを感じ取ったからだ。これで腹は決まった。外出するときは必ず「辺野古新基地を許すな!」ブローチを付けた帽子をかぶって出かけることにしよう。これで辺野古行きのバスに同乗した仲間たちに言い訳が立つし、現場のゲート前で一緒に座り込んだ大勢の仲間たちの応援にもなる。
小さな応援だが、勘弁してほしい、そして理解してほしい。辺野古新基地を絶対に阻止する気持ちは変わらないし、想いは完全に一致しているのだから。機動隊に排除される屈辱に耐えて、命を削りながら今も座り込みを続ける多くの仲間たちを、ぼくは心の底から尊敬している。我々は精神的にはすでに勝利していると信じよう。
投票所に着くと、列ができるほど人が多い。やはり台風が接近しているからだろう。選挙区は、あかみね政賢、比例は日本維新の会と書いてそれぞれ投票箱へ入れた。数年に一度やってくる我々庶民が権利を行使できる瞬間だ。あとは政治家が国会で具体的にどう動くか我々庶民が知ることはない。これが議会制民主主義という制度の限界であり現実である。
書店兼営のコーヒーショップで本日のコーヒーとチョコ菓子を注文した。書店の本三冊まで試読できるので、辺見庸目取真俊の対談『沖縄と国家』をまず手に取り、本棚を物色していると、『日米指揮権密約の研究』という衝撃的なタイトルの本が目に入った。副題に「自衛隊はなぜ、海外へ派兵されるのか」とある。10日に発売された新刊書だ。直感が働く。購入しよう。もう一冊。『検証・安保法案ーどこが憲法違反か』を抜き出す。これで三冊。チョコ菓子を食べ、コーヒーを飲みながら一冊づつ要所だけ目を通す。『沖縄と国家』と『日米指揮権密約の研究』はその場で購入することにした。『検証・安保法案ーどこが憲法違反か』の奥付を見ると、初版日が2年前だ。スマホAmazonで調べた。送料込みで500円のがあった。コンビニ支払いで注文した。定価は税別で1400円だ。
三冊も買ってしまって大変な予算オーバーだが、未だに治らない病気だから仕方がない。部屋には未読の本が山積みになっている。おそらく一生かかっても読みきれないだろう。日暮れて道遠し、か。
帰りのバスの中でも、乗客の視線が「辺野古新基地を許すな!」ブローチに注がれている。その中に帰宅途中の女子高校生も数人いた。

共産党を支持しないぼくが何故、赤嶺政賢氏に投票するのか

ぼくは那覇市に住んでいるから選挙区割りは沖縄1区になる。今回の衆議院選では3名が立候補している。維新の下地幹郎氏、共産党赤嶺政賢氏、自民党国場幸之助氏の3名である。当然のことながら、三氏とも故郷沖縄を思う心は強い。しかし、政策の違いで所属する政党が異なるという厳しい現実がある。
誰に投票するかをいう前に、とりあえず三氏の政治姿勢に対するぼくの見解を述べたい。まず、国場幸之助氏。
彼についてまず思い起こすのは、4年前、辺野古移設反対の立場から容認する立場に変ったあの歴史的事件である。当時の石破幹事長が記者会見しているその斜め後ろで、県選出の自民党国会議員全員が雁首を揃えて簡易椅子に横並びに腰掛けさせられ、全員がうなだれた表情で、子供をたしなめる親のような石破幹事長の説教を聞いているあの場面である。石破幹事長は、5人全員に辺野古容認を迫ったのだった。容認しなければ、党から除名するぞ、というわけだ。除名を免れるためには、幹事長の恫喝に従うしかない。
しかし、その代償はあまりにも大きすぎた。県民は裏切られたと思い、怒りの声をあげた。
西銘恒三郎、島尻安伊子、宮崎正久、国場幸之助比嘉奈津美の5氏がその時の自民党所属の沖縄選出国会議員だった。参議院議員の島尻安伊子を除く4氏は3年前の衆議院選挙で全員落選したが、比例で拾われた。去年の参議院選挙では島尻安伊子は落選している。

しかし、どこに恥をかき捨ててきたのか、西銘恒三郎、宮崎正久、国場幸之助比嘉奈津美の4名は今回も立候補している。辺野古容認を提げたままでだ。
信念を貫き通すことのできない政治家は表舞台から早々に消えてもらいたい。代わりはいくらでもいるのだから。辺野古新基地建設反対は県民の大多数の意思である。ぼくもその中の一人である。国場幸之助は落選させるべきだし、比例復活もあってはならない。
さて、下地幹郎氏。
ぼくは、政治家としての下地幹郎氏を高く評価している。実は14年ほど前、『沖縄自立新聞』を個人で始めた頃、第2号で下地幹郎氏にインタビューを行い記事にしたことがあった。当時氏は自民党に籍を置き精力的に活動していた。インタビューしていても、ぼくより年の若い政治家の熱い想いと情熱がひしひしと胸に迫ってきた。
ぼくは、下地幹郎の陽気でエネルギーに満ちた性格に完全に魅了された、と言って良い。この政治家は将来、きっと大物になるに違いないと思った。テープ起こしをして仕上げた記事は自慢できるものに仕上がったと自負する。しかし、広告が取れない。どれほど頑張っても広告を集めることができない。唯一の収入源である広告が取れなければ、新聞を発行するのは不可能だ。個人で運営することの限界であり、悲劇でもある。涙を飲んで諦める他なかった。『沖縄自立新聞』は創刊号だけの幻の新聞になってしまった。
しかしそれでも、ぼくは今でも下地幹郎には政治家として期待している。沖縄のためにこれからも大いに汗を流してくれると信じる。それでは何故、下地幹郎に一票入れるのを躊躇するのか?
それは彼が所属する日本維新の会辺野古移設を容認しているからだ。下地氏自身の態度は曖昧で容認か反対か明確ではない。だからぼくは下地幹郎に一票入れないことに決めたのだ。しかし、比例は維新の会に入れるつもりだ。選挙区で落ちても、下地幹郎には比例で復活してもらいたいのだ。辺野古問題を除けば、ぼくは維新の会の政策にほとんど賛成の立場である。身を切る改革、政権与党に是々非々の立場で対峙する責任ある野党の立場。政治家を含め公務員をタックスイーター、納税者をタックスぺイヤーと規定してタックスイーターとしての公務員は身を正すべきだとする政治哲学。そんな日本維新の会の政治姿勢には大いに共感できる。
創始者橋下徹の遺産が大きいのだろう。しかし、辺野古容認はいただけない。橋下氏は最近安倍首相の例の九条に3項を加えて、自衛隊を明記する憲法改正案にも賛成している。ぼくは、先日当ブログでそんな橋下氏を「橋下徹には失望した」とのタイトルで批判したことを付け加えておきたい。
最後に共産党赤嶺政賢氏。
ぼくは共産党を幼稚な政党だと思っている。と同時にある面では感心できるところもある。その幼児性は安全保障政策だ。何が何でも憲法9条死守。嵐が吹こうがミサイルが飛ぼうが、とにかく九条死守。これを幼稚と言わずなんと言おう。共産党員の方々は、就寝時に戸締りはしないのだろうか?アパートの住人の良心を信じてドアに鍵をかけずに仕事に出かけるのだろうか?そうではあるまい。志位委員長始め、幹部連中は特に、自宅を出る時は、厳重に戸締りをしてから外出するはずだ。
国家だって同じことだ。外国の侵略に対してはしっかりとした戸締りを施す。一般家庭の鍵や防犯カメラを国家レヴェルにしたのが軍隊である。こんな簡単な理屈がわからない共産党はまるで子供のようである。そしてもうひとつ。共産党ほど頑固な政党はないということだ。年から年中、朝から晩まで大企業批判ばっかりして飽きることがない。経済政策もまるで子供のママゴト遊びのようだ。だから今日に至るまで、少数政党の域を出ることがないのである。名誉の万年少数政党!
しかし、感心できる面もある。それは他の政党と違って、政党助成金を受け取らない唯一の政党であるということだ。そして、企業献金も一切受け取らない。これは称賛に値する見事な信条である。この共産党の姿勢を他の政党は見習うべきではないか。
さて問題の多い共産党ではあるが、ぼくは赤嶺政賢氏に一票入れることに決めた。その決め手はただ一点。辺野古新基地建設に赤嶺氏は明確に反対しているという事実。ぼくは共産党を選択するのではない。選挙区は赤嶺政賢氏、比例は維新の会に入れて下地幹郎に復活してもらう。
オール沖縄は革新と一部の保守で構成されている。特殊な政治環境にある沖縄県民の知恵が働いた結果だと言える。3市長選挙で連敗した反省から、翁長県政を支える保守派の「にぬふぁぶしの会」も結成された。そして革新側もイデオロギーは腹六分目に抑えて翁長知事を支えてもらいたい。特に共産党イデオロギーを前面に出すのではなく、アイデンティティーこそを前面に押し出してほしい。

 

安倍の空虚で甘い言葉に騙されるな

投票日まであと一週間。選挙情勢はなお混沌としているが、そもそも今回の解散総選挙の本質を忘れることがあってはならない。米国による実質的宣戦布告による米朝戦争の只中において、その危機的状況を真正面から国民に訴えないばかりか、森友・加計学園問題で追及されるのを恐れるあまり、臨時国会で代表質問はおろか一切の審議も行わないで、冒頭で解散するという国会蔑視・国民無視の安倍首相の政治的無能がもたらす判断の誤りが原因である、ということだ。

解散などせずに、野党を説得して、臨時国会米朝戦争対策に絞って議論すべきではなかったか。迫力を持って説得すれば、森友・加計学園問題を一時棚上げすることに野党各党も同意するのにやぶさかではなかっただろう。もし首相提案を拒否すれば野党は国民から総スカンを喰らったはずだ。それほど米朝戦争は逼迫しているのだ。

年末にかけて米朝戦争はさらに緊迫するとの読みで、早めの解散を決意したとの報道もあるが、首相の任期はまだ一年ちょっとある。それなら解散せずに任期満了まで内閣と国会が協力して、米朝戦争に万全の対策を講じるべきだ。そのためにやるべき事は山積している。第一に核シェルターの建設。特に皇室の核シェルターは準備されているのかどうか。

電磁パルス攻撃による情報網壊滅に対する対応策は十分になされているかどうか。等々検討すべき課題は膨大である。しかも急を要するものばかりだ。

ところが頓馬な安倍首相は選挙演説でなんと言っているか。アベノミクスによる経済効果を数字の羅列でこれでもかとばかりに自慢する。しかも2年先の消費税の引き上げで学費の無償化を目指すなどと、いかにも国民受けするような人参政策をぶち上げている。こんなのは全て解散しなくても臨時国会の専門部会で審議できる事案ばかりだ。

安倍首相の今回の解散劇の目的ははっきりしている。自己保身のためだけのお坊ちゃん的悪あがきに他ならない。安倍首相の頭の中に国家国民は存在しない。あるのは自分を良く見せようとする子供っぽいパフォーマンスだけである。

鳩山由紀夫菅直人も最低の総理大臣であったが、安倍晋三は両者を上回る戦後の歴代内閣で最悪の頭の悪い総理大臣である。このような指導者をいただく日本国民こそ哀れである。

 

佐藤優の祖国とは?

『インテリジェンス武器なき戦争』は佐藤優と手嶋龍一両氏の対談本だが、佐藤氏の数ある本の中でぼくが最初に読んだ本である。今からおよそ十一年前のことになる。様々な情報戦に現場で関わって来た両氏の話は新鮮で抜群に面白く、一気に読み終えた記憶がある。その後インテリジェンスという言葉を、マスコミや言論界で頻繁に目にするようになったが、おそらくこの本の影響が大きかったのではないかと思う。

そしてこの本のおかげで、佐藤氏に興味を持ち氏の本を次々と購入するようになった。『国家の罠』『獄中記』をはじめとして、三十数冊がぼくの貧相な本棚に並んでいる。ひと頃「国策捜査」という言葉が流行りだしたのは多分『国家の罠』が発信源ではなかっただろうか。

底知れぬ知識と常識を超えた記憶力、そして日本人には珍しい論理的思考力で、多くの読者を魅了し、今や出版された本の数は膨大な量になる。県内の大手書店に行けば、佐藤氏の本は山積み状態だ。驚嘆すべき情熱とエネルギーを持つ日本を代表する知識人の一人である、と言っても決して言い過ぎではない。

そして何よりも氏の母親が久米島出身ということもあって、なんとなくウチナーンチュには親しみが感じられる。県内にも多くの熱心な読者、ファンがいるのではないだろうか。ぼくもその一人であり、佐藤氏の言動には常に注目している。

しかし、今朝の新報に掲載されたコラム「ウチナー評論」に少し引っかかる箇所があった。このコラムで佐藤氏は、11日に起きたCH53E米軍ヘリコプターの炎上事故について書いている。政府と米軍の対応の非道さを非難し、本土側の沖縄に対する構造的差別について指摘している。その論旨に対しては多くの県民は共鳴するだろう。勿論ぼくも賛成だし感謝したいくらいだ。しかし、佐藤氏は末尾で次のように書いている。

「日本人の良識に期待することは幻想だ。沖縄が自己決定権を強化し、われわれの祖国である沖縄を沖縄人の力で守るしか術がない。22日の総選挙では、沖縄に降りかかっている「国難」を克服できる政治家を国政に送り出してほしい。」

この文章でぼくが引っかかるのは「われわれの祖国である沖縄」という箇所である。佐藤氏の言い間違えか、新聞社の誤字表記であって欲しいのだが、そうでないとすれば非常に気になる言葉だ。というのもこの言い回しは明らかに琉球独立論に直結すると思われるからだ。何故なら47都道府県の中の一つの県に過ぎない沖縄県が祖国(国家)であるとするのは、論理をどれほど飛躍させても成立しない概念だからである。

だから「われわれの祖国である沖縄」という言い方は、琉球独立を想定したうえでの発言としか思われない。佐藤氏の意図するところはどこにあるか知らないが、危険であると言わざるを得ない。

何故危険か、理由ははっきりしている。中国共産党尖閣諸島を自国の領土だと主張するだけでなく、かつての中国の領土琉球を奪還する、と公言しているからだ。故に中国共産党の言い分は荒唐無稽であるにしても、今の状況下で琉球独立論に言及するのは、中国共産党を利するだけで非常に危険である。

いつの日か中国が民主化され、中国共産党が消えてその脅威が消滅してなお、相変わらず日本政府が沖縄に対して理不尽な政策を取り続けるなら、その時こそ琉球独立論が議論されても許されるのではないだろうか。物事にはそれなりにふさわしい時期がある。

今は、胸にしまって悪しき中国共産党に利用されないよう最大の注意を払う必要がある。独立がいいのか、沖縄自治州がいいのか、議論の別れるところだが、その時期が来るまでは辛抱するしかない。

「われわれの祖国である沖縄」という佐藤優氏の発言は、どんなに好意的に見ても、やはり思慮に欠ける発言であった、と言わざるを得ない。

立憲民主党がんばれ!

昨日のプライムニュースに立憲民主党枝野幸男代表が出演していた。彼の主張を聞いてある種感銘を受けた。頭のキレ、判断力、論理性、いづれも非の打ち所がない。そして何よりも誠実な人柄は政治家にとって大きな武器になる。欲得まみれの政治家が多い中で、彼の誠実で力強いことばは、多数の有権者のハートをつかむに違いない。党代表としての責任ある立場に立ったことで、全才能が爆発しはじめたのではないか、そんな気がした。

安倍首相のデタラメ無責任解散のおかげで、選挙戦はカオス状態を極めているが、ダークホース的存在だった立憲民主党がここにきて主役に躍り出たと言えるのではないだろうか。小池都知事の「排除」発言、希望の党政権公約の曖昧さも手伝って、早くも希望の党は主役から転げ落ちたのだ。

各マスコミの現在の予想では、与党が優勢だとされている。全野党の選挙協力が成立しなかったのだから、当然のことではあるが、しかし、やはり安倍首相の続投を許してはならないはずだ。嘘つきで傲慢、庶民の心が理解できないお坊ちゃん的性格、こんな食わせ者政治家に日本の舵取りを任せてはならない。

選挙の結果、与党が過半数を獲得するとしても、安倍首相を退陣に追い込むべきだろう。願わくば政治家を辞めてもらいたい。

話は前後するが、枝野代表は昨日沖縄に来て街頭演説して次のように述べている。「 辺野古については公約で、もう一度ゼロから検証すると明確に掲げた。日米地位協定の改定も全力で取り組む」

頼もしい限りだ。大いに期待したい。75名の立候補者を擁立しているが、ぼくの予想では全員当選は無理としても70名前後はいきそうな気がする。そして希望の党は60名前後の惨敗に終わるだろう。

さて、岸田文雄自民党政調会長。彼も選挙応援で昨日沖縄に来ていたらしい。そして不幸なことに、あのCH57米軍ヘリコプターの不時着炎上事故に出くわしてしまった。当然、政調会長としては米軍に抗議する必要がある。そこでローレン・ニコルソン在沖米四軍調整官を呼んで抗議しようと米側と調整したが、会うことはかなわなかったという。岸田氏は次のように述べている。「 四軍調整官と総領事にお越しいただき、しっかり抗議し対応を求めていく調整をしたが、かなわなかった。理由は説明がなく分からず全く理解できない」

外務大臣で現自民党政調会長であっても、ニコルソン四軍調整官は無視を決め込んだのである。これが我が国の対米従属路線の実態である。そして岸田文雄氏は次期総裁の有力候補の1人とされているのだ。冗談も休み休みにしてくれ。背筋が寒くなるばかりだ。

 

沖縄はイデオロギーよりアイデンティティーだ

昨日午後、CH53米軍ヘリコプターが訓練中に故障し、民間地に不時着して炎上した。県内報道機関はもとより本土の大手メディアも大々的に報道した。

最近特に在日米軍の事故が相次いでいる。イージス艦二隻が衝突事故で大破したのをはじめ、県内ではオスプレイの事故が頻発している。そして今回のCH53ヘリの炎上事故だ。現場近くの住民は恐怖で震えたに違いない。明らかに異常事態である。その最大の原因は、おそらく米国の財政赤字にあるのではないか、とぼくは推測する。

 米空母艦載機の何割かは飛べる状況にない、それほど米国の今の財政状況は悪い、と元キャスター木村太郎氏がある番組で指摘していた。それが事実なら、事故はこれからも頻発するだろうし、取り返しのつかない大惨事となる可能性だってありえる。

特にオスプレイは他の機種と比べて、点検ヶ所の点検回数が多く、そのぶん整備員による見落としの恐れが多分にあると指摘されている。訓練が増えるにつれ、整備員の疲労も大きく影響するだろう。我々沖縄県民はこのような環境下で生きていくことを強いられているのだ。

そのような不安な中、琉球新報は「新しい風・にぬふぁぶし」が昨日発足した、と言う小さな記事を載せた。共同代表に前那覇市議会議長の金城徹氏と真栄田絵麻宜野座村議が就任した。

<金城氏はあいさつで「 知事選以降、オール沖縄はややもすると革新勢力に頼りすぎていた。保守支持者の声を集約し、表現する体制がなかった。保守勢力の一員として再びオール沖縄の一翼としての気概を示す時だ」と語った。

また結成総会に参加した翁長雄志知事は「 沖縄はイデオロギーよりアイデンティティーだ。もう一度、新しい沖縄の保守のあり方を考えて、革新の皆さんも腹八分、腹六分で、皆で心を一つにして頑張っていきたい」と述べて設立を歓迎した。>

「沖縄はイデオロギーよりアイデンティティーだ」と言う翁長知事に、多くの県民は共鳴するだろう。しかし沖縄の政治の不幸は本土の政党に系列化を強いられる、という他律的運命にある。沖縄は独自の歴史と文化を持っているのだから、沖縄の実情に基礎を置く独自の政党があって然るべきだが、そうなると国会で100分の1の圧倒的少数派となり、独自政党が掲げる政策の実現は完全に不可能となる。

だから意に沿わなくても、本土の政党に系列化して沖縄の声を聞いてもらうということにならざるを得ないのである。面積も人口も本土の100分の1しかない圧倒的少数派という不利な条件の中で、我々沖縄県民は少数派なりの知恵を働かさなければならない。

それが「沖縄はイデオロギーよりアイデンティティーだ」という思想だ。周囲を海に囲まれた小さな島に借り物のイデオロギーなど必要ない。我々ウチナーンチュは先祖代々、各地域の共同体意識が強い。助け合う精神も伝統的に強固である。独自の歴史と風土と文化がお互いの絆を結びつけてきたのだ。

長い歳月をかけて築き上げた共同体意識を分断するようなイデオロギーは必要ない。借り物のイデオロギーを前面に出すよりも、内発的共同体意識で一つにまとまる方が、沖縄県全体の利益になるだろう。

本土の政党に系列化しなければならない現状ではあっても、県選出の国会議員は全員で心を一つにして県民のために働いてもらいたい。そして「新しい風・にぬふぁぶし」には大いに期待するし、是非頑張ってもらいたいと思う。寛容な精神で保守も革新も心を一つにするべきだ。我々は同じウチナーンチュじゃないか!

「にぬふぁぶし」は心に響く良い名称である。できれば当ブログの名称に使いたかった。「沖縄よ!にぬふぁぶし日記」。にぬふぁぶしに恋するでぃぐぬ花。

ソフィア・ローレンの自伝『Yesterday,Today,Tomorrow』から

ソフィア・ローレンは身に覚えのない脱税容疑で有罪を宣告されて、収監されたことがあった。すでに女優として世界的名声を得て、仕事に脂の乗り切った頃のことである。理不尽な司法に対し、彼女はとても悩み怒り苦しむが、所詮権力に対して個人はあまりにも無力だ。出所後、三十数年が経過して無罪であったことが判明するが、しかしそれにしても運命の悪戯は避けられないものなのか。辛い監獄の日々を送ることになった。絶望の中で彼女の苦しみを和らげたのは、その頃から書き始めた日記である。

外側の欺瞞的世界から自分を守ってくれるのは、唯一自分の内側から出てくる言葉だけだ。権力がこしらえた閉ざされた空間に真実などあるはずがない。これを機に出所後も彼女は日記を書き続けるようになった。

俳優業の世界は華やかで、高名な人々と交友関係を結び、素敵な思い出もいっぱいできた。しかし、本来の自分自身に帰ることができるのは、日記帳をめくり、自分の手で自分の言葉を綴るときだ。その中に安堵と慰めを見出し、我が家に帰ってきた気分になる。仕事に忙しい真面目な大女優はそう思った。だからこそ長い間その習慣を守り続けてきたのだ。ところが、春のある朝突然、鏡を見て恐ろしくなり、彼女は次のように問いかける。

" What's going to happen to my diary when I'm gone? "

この問いかけに多くの読者は戸惑うのではないだろうか。一体彼女の中で何が起きたのだろうか?説明は何もない。彼女は使用人たちに告げる。" If anyone asks for me, tell them I'm not here! "

そして寝室に入り、日記帳を親指で軽くめくりながら、感慨に耽る。その日の気分で書き方に違いがあり、時に鋭く、あるいは怒りに満ち、また静穏であったりする。彼女は決断する。

" Finally,I went into the bathroom with a box of matches,struck one,and burned the diary. All my words turned into fire,and then ashes. I never regretted it. Only now and again have I felt a bit of nostalgia. And I've never stopped writing. Since then, however, when the end of the year comes around, I take out another match, the magical instrument that lights a small ritual between me and myself. "

ぼくはこの文章を読んで、思わずアッと唸った。この文章はぼくの琴線に触れた。唯一の心の安らぎの場所、誰にも邪魔されず安心してくつろげる我が家。かけがえのない宝物。それを一本のマッチ棒で燃やして灰にする。紙とともに燃えて灰になり消えていく言葉たち!

彼女は悟ったのだ。そして悟りは諦めでもある。鏡の中に見た実在に比べると、言葉はあまりにも軽すぎる。圧倒的現実を前にして言葉にどれほどの価値があると言うのだろうか?私が死ぬ時、日記になんの意味があろう。

彼女の言葉にぼくの琴線が共振したのには理由がある。ぼくはかなり若い頃から言葉に対する不信感が強かった。言葉に何事か教えられることはあっても、感動は常に現実の方からやってくることがわかっていたからだ。言葉は本質的に嘘をつく性格を持っている。しかし、現実あるいは実在が嘘をつくことはない。

言葉は100%人工物である。しかし、実在は100%非人工物である。真実の重さは、言葉と実在では昆虫の羽と金の延べ棒ほどの差がある。だからぼくは、言葉に対する不信感が強かったし、それは基本的に今も変わらない。だから、ソフィア・ローレンの文章に偶然出会って驚いたのである。

人類が発明したもので言葉ほど厄介なものはないだろう。それは使い方によって、人間を幸せにするが、自殺に追いやることもある。言葉のやりとりで争いが起き、戦争に発展する場合もある。だから人間が使う言葉には、大いに警戒する必要がある。砂上の楼閣と心得るべし。

昨日の党首討論会を見て思ったのは、語られる言葉のほとんどは、嘘っぽく聞こえたということだ。実態をかけ離れた自己正当化のためだけの言葉。聞けば聞くほど虚しさだけが残る。政治家ほど嘘をつくのに習熟した人種もいないだろう、とつくづく思った。

明日は衆議院選挙の公示日である。また選挙カーのうるさい大音響に耐えなければならない日々が続くことになる。ウグイス嬢たちの聞きたくもない嘘っぽい言葉はなんとかならないものだろうか。

市民が権力を行使できるのは、一票を投じる瞬間だけである。その後はお決まりのように遠いところで覚悟も勇気もその気もない連中が下手な芝居を性懲りも無く永遠と演じるだけである。

いい加減嘘で固めた三文芝居を国民に見せびらかすのはやめてもらいたい。