沖縄よ! でぃぐぬ花日記

祖国は日本。郷土は沖縄。日本国を愛し、沖縄を愛する者として、発信していきます。

東京MXが辛淑玉女史に謝罪

東京メトロポリタンテレビジョン(東京MX)が、後藤会長と伊達社長の連名で辛淑玉さんに謝罪した。昨年1月に放映された「ニュース女子」番組は沖縄の高江・辺野古の反対運動の黒幕は辛淑玉だと断定して誹謗中傷した。

事実に反すると言って、東京都民の良識派が立ち上がり、東京MXの前で抗議した。BPOが動き、番組の検証を行い、名誉毀損の人権侵害にあたる旨勧告した。

それを受け入れて、東京MXは辛淑玉さんに謝罪したのである。「真摯に反省し、社内で策定した再発防止策を推進するとともに、当番組の放送によって辛淑玉様を深く傷つけたことを深く反省し、お詫びする」

辛さんは昨日の会見で「 謝罪を受けたが和解ではない」と述べている。そして番組制作者のDHCテレビジョンと番組の司会者だった長谷川幸洋氏を名誉毀損で提訴すると述べた。

振り返るのもうんざりするくらい「ニュース女子」の沖縄特番はあまりにも酷い内容だった。軍事漫談家を自称する井上和彦とボギー手登根(手登根安則)、そして我那覇真子。この面々が登場する番組といえば、それだけでどのような内容になるか、容易に予想できるというものだ。

井上和彦は不真面目で臆病な人間である。抗議活動する地元の人々を直接取材せず、活動家は怖いからと言って二見トンネル手前で引き返し、ありもしない事で地元の人々を非難中傷する。最初からそうするシナリオだったのだ。

ボギー手登根はデマ製造に生き甲斐を感じる哀れな男だ。彼が手がけたデマ製造は無数にあるが、中でも最大にして最悪なのは、昨年の12月に沖縄自動車道で発生した多重衝突事故をネタに、意識不明に陥った海兵隊員トルヒーヨ軍曹をダシに使ったデマである。彼が流したデマに多くのマスコミと人間が騙されて大きな社会的事件に発展したのはつい最近のことである。

彼のデマを信じた産経沖縄支局の高木支局長は更迭され、産經新聞八重山日報、ヤフーニュースは謝罪し、海兵隊自衛隊が騙され、佐喜真宜野湾市長までもデマ情報を信じて犠牲者の一人になったのだ。これだけ規模の大きいデマ事件を起こした当人であるにもかかわらず、ボギー手登根はシレッとして謝罪するどころか、今日も新ネタを捜しているに違いない。常人の理解を超える無責任で薄気味悪い人間である。

彼の悪行の数々を知りたい方は、是非『 Osprey Fuan Club うようよ対策課』のホームページをご覧頂きたい。

我那覇真子はアイドル気取りの原理主義的保守妄信女子だ。幼少の頃より父親に独自の保守思想とやらを叩き込まれ、精神がねじれたまま成長して、今は盲信する原理主義的保守思想を宣伝することに余念がない。

歴史を重視する真の保守思想をぼくは尊敬する人間だが、我那覇真子が唱える偏狭な保守思想に用はない。その反対論を寄せ付けない軽薄さにある種の危険性を見るからだ。一年前は多少可愛さも感じられたが、最近は精神異常者ではないかと危惧するようになった。ヘラヘラ笑う姿は可愛らしさを超えて異様であり、軽薄で単調な主張はそろそろ賞味期限が切れつつあるのではないか。

ニュース女子」で辛淑玉さんが攻撃された後、我那覇真子は背後から強い言葉で追撃した。

< 貴女の抗議は、地上波東京MXテレビによって自らの不法行為と虚偽が首都圏から全国に拡散されるのを恐れ、これを阻止する事が目的と断じれる。そのために貴女は、沖縄県を日本の植民地と言い、ありもしない沖縄ヘイトに論理をすり替えた。日本国民である我々沖縄県民が、在日朝鮮人たる貴女に愚弄される謂れがどこにあろうか。我々は、貴女の一連の言動が反日工作につながるものだと解している。北朝鮮による無慈悲な日本人拉致、どう国内における、処刑、強制収容所送り等のすさまじい現在進行中の同朋人権蹂躙に対して、貴女が抗議しない不思議についても問うてみたい。それにしても、外国人の身でこれ程の反日活動を行うとは驚きである。>

思わず身がすくむような強い語調だが、内容は空疎である。事実に反することを強弁し、在日朝鮮人が味わってきた苦悩も知らないで辛女史に言葉の散弾銃を打ち込む。我那覇の言葉には在日朝鮮人に対する強烈な差別意識がある。辛女史の自伝『鬼哭啾々』を読んだ人間なら、我那覇のような言葉は絶対に使えないだろう。

帰国事業で辛淑玉さんの一家は凄惨な目に遭っている。我那覇が生まれる遥か以前から、辛さんは北朝鮮の内情をよく知っていたのだ。

1950年代終わりころから60年代にかけて日本の全マスコミは在日の帰国事業を肯定的に報道した。北朝鮮はこの世の楽園と大々的に宣伝した。しかし、帰国者からの手紙で、そうではない事が次第に明らかになってくる。

北朝鮮に必要だったのは奴隷であって、人間ではない。」(同書141頁)

2000年41歳になった辛さんは北朝鮮との国境に近い中国の町で、国境を越えてきた北朝鮮の難民たちを取材する。そのレポートに誇張はなく、難民たちの素顔が描かれ、本音が語られる。

そんな辛淑玉さんに対して、我那覇は<北朝鮮による無慈悲な日本人拉致、どう国内における、処刑、強制収容所送り等のすさまじい現在進行中の同朋人権蹂躙に対して、貴女が抗議しない不思議についても問うてみたい。>と宣うのである。

明らかに我那覇真子辛淑玉さんと言う人間を知らない。原理主義的保守妄信的立場から辛さんを批判しているに過ぎない。強い語調だが、内容は空疎だと言ったのはそういう意味だ。

辛淑玉女史の北朝鮮に対する抗議の声は、あまりにも重過ぎて我那覇真子の耳には聞こえないのだろう。空疎な言葉で人を問い詰める、あるいは抗議する、そんなみっともないことはやらないほうがマシだ。

むしろ我々は、在日朝鮮人の真実を知るために、辛淑玉さんの真摯な言葉に耳を傾け、朝鮮半島が周りの大国に苦しめられてきた歴史を学びなおす必要がある。辛淑玉さんの会見の様子を動画で見ていてふと気づいたことがある。

変な言い方だが辛淑玉さんが日本人以上に日本人に見えたのである。言葉の使い方、その動作、顔の表情が日本人以上の日本人に見えたのである。不思議なことだが、なぜそう見えたのかはわからない。

もう一人、ニュース女子問題を取り上げた人がいる。カヌーを漕いで日々辺野古海上で抗議行動を展開している目取真俊である。物事の本質を見る目、その誠実さ、人間性我那覇真子と真逆であることは明白である。彼は『海鳴りの島から』という自身のブログに次の様に記している。

《 直接、MXテレビの番組で名指しされ、誹謗中傷されたのは「のりこえねっと」の辛淑玉さんだが、同番組のデマで被害を受けたのは高江・辺野古の反対運動に携わってきたすべての市民である。また、同番組が拡散しているデマは沖縄への差別と偏見をあおるものであり、県民全体にかかわる問題である。これを放置しておくことはできない。

同番組で発言している井上和彦ボギーてどこん手登根安則)、我那覇真子という面々はチャンネル桜沖縄支局の常連メンバーだ。地元住民という依田啓示という男性もその仲間である。なおかつ、依田は高江でヘリパッド建設に反対していた女性の顔をこぶしで殴りつけ、怪我をさせた人物である。

殴られた女性はカヌーメンバーでもあるので、二日後に怪我の様子を見た。顔に青黒いあざができて痛ましかった。番組の視聴者の大半はそういうことを知らないだろう。「反対派の暴力」などとよく番組で扱えたものだ。こういうメンバーをそろえること自体、番組の目的がデマの拡散による沖縄の反基地運動への不信あおりにあったことを示している。

それにしても、中高年の男たちから若い女性が物事を教えてもらう、という構図の醜悪さは見ていてうんざりする。しかもその中身たるや、取材もろくにしていないデマばかりなのだから。井上和彦のレポートの最初の方で、名護警察署の前で抗議をしている市民の映像が出てくる。そこに取材に行くのも危険なのだそうだ。機動隊や私服刑事も大勢いるというのに。呆れはてる。》

東京メトロポリタンテレビジョン(東京MX)が辛淑玉女史に謝罪したと言うことは、チャンネル桜「沖縄の声」が流すデマ情報が本土でも通用しなくなりつつあるとの証明に他ならない。外国の軍隊の駐留を容認する似非保守の正体が明らかになってきたのである。

 

又吉康隆を斬る!12

昨日のブログで、又吉(ヒジャイ)が性懲りもなく原理主義的民主主義論を展開して得意がっている。

彼の言説を批判する前に少しだけ横道にそれるのを許してもらいたい。彼の名前を括弧でヒジャイとしたのは、彼が個人で運営しているヒジャイ出版に因んだだけ。ヒジャイは琉球語で左利きという意味。彼自身が左利きだから、自分の身体的特徴を表す意図でヒジャイ出版の名称にしたと思うが、詳しい事情は知らない。本名は又吉康隆だが、これまでのように又吉(ヒジャイ)で通すことにする。

深い意味はないが、本名を使う事にある種戸惑いの感情を覚えるからである。彼は大学の先輩だから、ぼくは彼のことをよく知っている。一昨年の或る日、偶然、彼がチャンネル桜「沖縄の声」に出演しているのを知って驚き、自分の目を疑った。彼と話がしたいと思い、十何年ぶりに連絡を取り、待ち合わせの場所、中の町のファーストフード店で色々聞いてみた。「沖縄の声」に出演する動機が知りたかった。

ところが話が進む中でぼくが感じたのは、彼は以前の又吉とは全く違う人間になってしまっている、ということだった。学生時代、そして社会人となってからも、ぼくは彼に人間的魅力を感じていた。

しかし、彼に対する認識は一変した。一人の人間に対する認識が、これほど深く根本的に変わる経験は、生まれて初めてと言って良い。米政府のイラク戦争を、彼は正当化した。フセインは独裁者で米国は民主主義国家という単純な理由だった。

ぼくが反論すると、議論しても無駄だ、と彼は言い、居酒屋談義だと言って、ぼくを小馬鹿にするような態度をとった。???反論を許さない人間が民主主義を語る資格があるのだろうか?

ぼくも彼が乗ってこない議論は意味がないと思い、これまでの誼もあり、なんとか喧嘩別れにならずに済んだ。それでもバス停で待機している間、腑に落ちないわだかまりの気持ちが続いた。その日彼から購入した『沖縄内なる民主主義7』を車中で読んで、心臓が高鳴るのを感じた。

又吉は、ぼくが思い描いていた人間ではない。明らかに別人だ。彼の文章から聞こえてくるのは、戦後駐留し続ける米軍基地のあまりの不条理・理不尽さに抵抗してきた沖縄の人々を攻撃し非難する姿勢である。信じ難い。これが琉大時代、革マル派に所属していた、あの又吉康隆か?

一体彼は学生運動で何を学んだのだろうか?勿論、過激な学生運動から転向した人間は数多い。武装共産党の書記長を務めた田中清玄も獄中で転向した一人だ。しかし革命思想を捨てたとは言え、彼はもともと国士である。強烈な信念の持主だから、米軍占領などという屈辱に耐えられる筈がない。これからは日本再生のために力を尽くす。終生、日本が米軍に屈服する現状と闘い続けたのである。

田中清玄という大物と比較したくはないが、又吉(ヒジャイ)は過激革命思想を捨てた後は、米軍占領を容認するどころか称賛する売国奴言論人に変貌したのである。信念のあるなしで人間はこれほども違うという良い証明だろう。

又吉(ヒジャイ)は学生運動を徹底しなかった。彼にとって、学生運動は子供の遊び程度に過ぎなかったのだ。革マル派という過激セクトに属したのも、単なるポーズにしか過ぎなかったことが、今となっては理解できる。この不徹底さが、彼の思想傾向を特徴付けているとも言える。

彼の思想に納得できないぼくは、メールで議論を仕掛けた。何度かやり取りするうちに、これ以上議論したくないとの彼のメールで打ち切りになった。

しかしこれで終わったわけではない。ネットを検索していると又吉(ヒジャイ)のブログ「沖縄に内なる民主主義はあるか」を見つけた。この中に掲示板が設定されている。これを活用しよう。

皮肉なことに、彼のブログは彼の思想傾向を知るための材料を提供している。早速掲示板に批判文を書いて議論を再開した。お互いに丁々発止応酬しあって半年程続いたであろうか、例の如く彼の方から痺れを切らして、掲示板そのものを廃止したのである。

批判するだけ批判したからこれで良かろう、とぼくは思い、普段通りのんびりした生活を送っていた。しかし、チャンネル桜「沖縄の声」の沖縄に対する偏見があまりにも酷い。彼らの偏見がネットで拡散されて本土の言論人たちが沖縄を攻撃する材料にしている。

この状況を見て、ぼくの心の中で何かが動いた。彼らの沖縄に対する攻撃は沖縄人であるぼくに対する攻撃でもある。黙っているわけにはいかないだろう。ネットの時代だ、彼らがネットを武器にするなら、逆にこちらもネットを使って反撃してやろうじゃないか。

自分のブログを開設しようと思いついたのは、去年の1月である。幸いなことに、無料で開設できるサイトがたくさんある。その中からhatenaを選んだ。光陰矢の如しで一年七ヶ月があっという間に過ぎた。思いつくままに、関心のあることだけを書くことにしてきたが、ネット世界の恐ろしさを実感させられたことがあった。

去年、『西尾幹二のインターネット日録』に寄稿された勇馬眞次郎氏の文章を紹介したところ、本人からコメントを頂いたのである。これには正直驚いた。ネットの世界には距離感がない!

氏のコメントがきっかけとなり、在沖米軍基地をめぐる日本の安全保障について、勇馬氏と議論を交わすことになった。勇馬氏の真摯な問いかけに、自分の見解を述べるのが精一杯で、冷や汗のかきっぱなしであった。

抑止力について双方の見解は食い違ったままで終わったが、自分の認識を整理する良い契機になったと思う。抑止力とは何か、もっと幅広く深く探求する必要があると自戒もしている。その意味では勇馬氏に感謝しなければならない。

さて随分と横道に逸れてしまったが、本題に移りたい。又吉(ヒジャイ)は米中貿易戦争を、ネットのどのサイトから引っ張ってきたか知らないが、うんざりするほどの数字を羅列して論じているが、ぼくはそんなことには少しも興味がない。経済問題に詳しいフリをする又吉(ヒジャイ)の姿勢が鼻に付くだけだ。イラク戦争について論じた部分だけを俎上にあげて批判したい。

イラク戦争で米国による民主化を全然評価しなかったマスコミ、評論家
次の文章がマスコミや評論家の平均的なイラク戦争評価である。

アメリカのブッシュ政権イラク戦争開戦の理由について、大量破壊兵器を開発・保有する独裁国家イラクの脅威から国際社会を守るためだと説明した。しかし、フセイン政権が崩壊し戦闘が終結しても、開戦の理由だった大量破壊兵器は発見されなかった。アメリカ政府は独立委員会で経緯を調査し、大量破壊兵器の情報は虚偽だったと結論づけた。イラク戦争大義などなかった。

ほとんどのマスコミや評論家は核兵器や生物・化学兵器という大量破壊兵器がなかったのにイラクを攻撃したことを非難するだけで、フセイン独裁政権を崩壊させた後に選挙による議会制民主主義国家にイラクを変革させたことを全然評価しなかった。
米軍がフセイン独裁政権を倒した後に米国は指導してイラクを大統領と国会議員は国民の選挙で選ぶ議会制民主主義の体制をつくった。イラク軍事独裁国家から議会制民主主義になったのである。
米国によって議会制民主主義になったのだから内側からの民主主義革命ではない。外側からの民主主義革命である。外側からであろうが民主主義革命であることには間違いない。しかし、多くのマスコミがイラクの民主主義革命に拍手をしなかった。フセイン政権は核保有の証拠もなかったのに米国が進攻したことを非難した。ほとんどのマスコミはイラク民主化に興味がなかったのである。
米国が議会制民主主義国家にした理由は、戦後、内政干渉をして、普通選挙による議会制民主主義国家にした日本が平和であり続け。順調に経済も発展したことを重視して、日本を参考にして議会制民主主義国家体制をつくったのである。米国はそのことを公表したがそのことに関心を持つマスコミはいなかったようである。
米国がイラクのバアス党政権を打倒し、それに続く選挙の実施によってイラク民主化」の達成を目指していたことは報道したが、イラク民主化の困難性を指摘したり、民主化の壁となっている問題を指摘することはなく。その後のイラクの様子を淡々と報道するだけで民主化の進展に注目した報道はなかった。

イラク戦争後に米国には民主主義精神が存在しているがマスコミにはないことを知った。日本のマスコミ、評論家も同じであった。と書くとまずい。私は日本の全てのマスコミと評論家を調べたわけではない。ネットで調べただけだ。私がネットで調べた範囲ではイラクの政治を民主的な視点で分析している日本のマスコミと評論家はいなかったと言っておこう。≫


以上が又吉(ヒジャイ)のイラク戦争を題材にした民主主義論であるが、これを読むと彼がいかに幼稚な頭脳の持ち主か、よくわかる内容の文章ではないか。

イラク戦争は、米国の侵略戦争であることは明白であるが、又吉(ヒジャイ)の奇妙な思考回路を通ると、米国はイラクに侵略して民主主義革命をもたらしたことになるらしい。それだけではない。彼はそのことを賞賛し、それに触れないマスコミを一方的に非難するのである。

いやはやなんとも空いた口が塞がらない。

又吉(ヒジャイ)は中東の複雑な歴史も知らなければ、イラク人の立場になって想像力を働かせる能力もない。民主主義でありさへすれば、何をやっても免罪符を与えてやる。こんなマヌケ野郎が、堂々と恥もなく沖縄で論陣を張っているのだ。

米国が大量破壊兵器の存在を口実にイラクを侵略し、フセインを裁判にかけ殺害した後、民主主義を導入したのは、後付けの政策であって本来の目的ではなかった。大量破壊兵器が存在しないことが判明して、イラク戦争大義なき侵略戦争であるとの烙印を押されるのを恐れて、低脳ブッシュ大統領は、日本を例に出してイラクに民主主義を植え付ける、と言い訳したのだ。

その言い訳も低脳ブッシュらしく、実に出鱈目である。日本とイラクは歴史が違うだけではない、物の考え方、宗教観が大きく異なる。戦前の日本は帝国主義体制を敷いた国家ではあったが、独国とは違い、世界征服の野心などなく、日本独自の民主主義が根付いた国家だった。

帝国主義体制を取らざるを得なかったのは、アジア全域を植民地化した欧米列強の帝国主義に対抗しなければ日本が植民地にされるという、真っ当で正確な国際情勢の判断が働いたからだ。

武士道精神で国防の鬼と化した日本軍人だが、負けた時は潔く敗北を認める。これにマッカーサーが驚いた。厚木飛行場に降り立った彼は、日本兵の蜂起を予想したらしいが、杞憂であった。

イスラム教を信仰するイラクと日本は国の成り立ちの根本が明らかに違う。米国式の民主主義は彼らの肌に合わないのだ。もしイラクに民主主義が根付くとすれば、イラク独自の歴史・風俗・文化・宗教を踏まえたものでなければならないだろう。

しかし、米国は強引に米国式民主主義を押し付けた。それが一つの原因となり、イラク人民の抵抗は激しくなって、ついにISというテロリスト集団を生んだのである。米国の手前勝手な侵略が強力なテロリスト集団を産み落としたのだ。

その意味で米国の罪は大きいと言わなければならない。罪という言葉は軽すぎる。イラク戦争は米国の国家犯罪に他ならない。国際社会は国際司法裁判を開いて米政府を裁くべきである。そして相応の国家賠償をイラク国民に支払うべきである。

イラクの国土を破壊し、何十万ものイラク人民を殺害した責任をとって、米政府はイラク国民に謝罪し、国家賠償を執行すべきだろう。

米国は世界一の大量破壊兵器を所有する国である。自分の国は許されて、イラクは何故許されないのか?フセインは独裁者だから許されない?イラクにはイラクのやり方というものがある。フセイン大統領の時代、イラクは安定していた。政敵が抑圧されることがあっても、それなりに安定していたのだ。

イラク戦争後のイラクの惨状と、フセイン時代のイラクを比較すれば歴然だろう。

又吉(ヒジャイ)のように民主主義を盲信してはいけない。それぞれの国情に合わせた民主主義があってしかるべきだ。そしてお互いの違いを認め合う。これが大人の付き合い方というものだろう。

しかし、又吉(ヒジャイ)が唱える民主主義は米国式民主主義が唯一で犯すべからず神聖なものとなる。米国式民主主義には誰も逆らってはならない。米国式民主主義を受け入れない奴は武力で叩いてでも従わせる。

なんと傲慢で勝手で恐ろしい民主主義だろう。又吉(ヒジャイ)という人間は、沖縄だけでなく日本国内で極めて稀な原理主義的民主主義の提唱者である。

民主主義という言葉は聞こえはいいが、人間が作る制度である以上、限界があるし欠点もある。それを見極める努力を怠らないことが大事であり、決して又吉(ヒジャイ)のように盲信してはならないし、思考停止状態に陥ってはならない。

トランプ大統領の登場で今、米国が揺れに揺れている。引き摺られるように世界も大きく揺れている。どうやら戦後体制の見直しが始まっているようだ。米国はいまや世界の警察官の役割を終えようとしている。

金正恩委員長との会談、そしてプーチン大統領との会談を見ればそれとなく推測できる。今世界中が民主主義のあり方を問いかけている。米国式の民主主義を世界中に押し付けるか、それとも独自の歴史、文化、風俗、宗教に見合った独自の民主主義を容認するか。各国独自の個性をお互いに尊重する方向に向かうのか、世界中が模索する現在、ただ一人又吉(ヒジャイ)だけが米国式民主主義の旗を掲げて気炎を上げている。

なんと時代遅れでレベルの低い、浅ましい人間だろうか。又吉(ヒジャイ)批判は今回で12回目だが、機会あるごとに批判していくつもりだ。

 

稀代のペテン師・安倍晋三

2013年12月、仲井真弘多沖縄県知事は、辺野古の埋め立てを承認する直前、政府に対し「普天間飛行場の5年以内の運用停止」を求めた。それを受けて翌年2月に負担軽減推進会議が発足し、5年以内の運用停止が閣議決定された。

遡って計算すると、2019年2月までに普天間飛行場の運用停止が実現する手筈になっている。ところが、政府には県との約束を履行する意思のないことがはっきりした。その最大の理由は、先の知事選で10万票という圧倒的票差で仲井真知事に勝利した翁長知事が辺野古埋め立てに反対しているからだ、という。

これがどんなに不誠実極まりない屁理屈にすぎないか、少し考えるだけで誰にも分かることだ。確かに多くの県民の意思を受けて、翁長知事は辺野古新基地建設阻止を公約に掲げた。にも拘らず、政府は昨年埋立作業に着手し、反対する多くの県民と翁長知事の主張に耳を傾けることなく、工事を強行して今日に至っている。

仮に仲井真前知事が当選したとしても、政府は当然工事を難なく進めただろう。しかし問題は、仲井真前知事の了解のもとで工事が進行したと仮定して、政府が約束通り2019年2月までに普天間飛行場を閉鎖するであろうか、という素朴な疑問である。

時間軸で考えると、ほとんど不可能に近いことがわかる。辺野古新基地建設は完成までに10年前後の歳月を要すると言われている。つまり県知事が誰であろうと、普天間飛行場の2019年2月までの運用停止は、辺野古新基地建設が完成する以前に実現されなければならない事になる。

そうなると、現在普天間に駐留している海兵隊は、一体何処に引き揚げることになるのか?米本土か、沖縄以外の在日米軍基地か?この件について、政府はなんの見解も示していないが、とにかく何処かに引き揚げたとしよう。そうなれば期せずして、普天間飛行場の存在理由そのものが成立しないことの証明になる。何故なら、辺野古新基地は建設途上であり、まだ運用に至っていないからだ。つまり普天間飛行場に駐留する海兵隊がいなくても抑止力にはなんの関係もない、という立派な証明となるのである。

いみじくも、2019年2月までの普天間飛行場の運用停止という政府の約束手形は、普天間飛行場そのものと、その代替施設さへも沖縄に置く必然性はないことの証明になるのだ。何故なら普天間飛行場は閉鎖されているし、新基地の完成は数年先のことだからだ。

つまり、新基地が完成するまでの数年間は、海兵隊の航空部隊が沖縄にいなくても我が国の防衛体制は充分に間に合うということを、安倍内閣自ら無意識の内に公言したことになる。

そもそも政府の中にも、5年以内の運用停止が可能なら、辺野古への移設そのものが不要ではないか、と言う声はあった。政府の中にも正直な人間はいるようだ。しかし、政府は仲井真前知事と約束を交わしたのである。

実現は不可能だと知りながら、沖縄県知事に空手形を切ったのだ。仲井真県政が続いていたとしても、2019年2月までの運用停止は不可能であることを政府は認識していた。明らかに沖縄県知事に対して嘘をついたのである。人の良い仲井真前知事は、安倍首相に見事に騙されたのだ。

この事実が意味するものは、一体何だろうか?

答えははっきりしている。沖縄に対する日本政府の構造的差別が歴然と存在すると言うこと。沖縄は日本列島でアイヌ民族同様、独自の歴史を持つ異端的少数派だ。少数派に対して多少強硬な行政を行使したからと言ってどうと言うことはない。適当に飴玉をしゃぶらせておけば、時の経過と共に忘れるものだ。

米軍基地問題に関する限り、日本政府の沖縄に対する理不尽な態度は、沖縄人に対する構造的差別の存在以外に説明がつかない。その差別構造が最大化したのが今の安倍内閣である。

実現できるはずのない2019年2月までの普天間飛行場閉鎖という空手形を切って仲井真前知事をまんまと騙し、返す刀で新基地建設に反対していると言う理由で翁長知事に強圧的態度で臨み、普天間飛行場閉鎖は不可能だと言ってのける。安倍晋三は稀代のペテン師である。

「できることは全てやる」と繰り返す安倍晋三の言葉の意味するところは、できないことは嘘をついてでも出来るように沖縄県知事を騙す、と言う意味に過ぎない。安倍晋三という男は、心のこもらない言葉を平然と使うことのできる人間だ。

彼の頭の悪さについて平沢勝栄議員が披瀝したことがある。安倍晋三が高校生の時、平沢氏は彼の家庭教師だった。当時を回想して、安倍君は決して頭が良い生徒ではなかった、と平沢氏は述べたのだ。

安倍晋三の頭脳の悪さは高校生の頃に比べて良くなったとは言えない。却って酷くなったのではないか。彼の言動、行動を観察していると、どうしてもそう疑わざるを得ないのだ。こんな低級な男が何故、日本の総理大臣にまで登りつめることができたのか?

答えは彼の政治家家系にある。祖父は元総理大臣の岸信介。父は元外務大臣安倍晋太郎。二人の存在がなければ、安倍晋三は平凡な並みの政治家として一生を終えたに違いない。

そうなれば、ぼくから散々批判されることもなかっただろうに。安倍晋三売国奴政治を続ける限り、沖縄県のため日本国のために、徹底して批判のメスを入れてやる。

 

翁長県政の度重なる失態

<県水産課は13日、埋め立て予定海域にある絶滅危惧種のオキナワハマサンゴ9群体を別の場所に移植するため沖縄防衛局が申請していた特別採捕を許可した。(琉球新報)>

<県水産課の粟屋龍一郎副参事は「ずっと審査して説明要求もした。内容を精査した結果、許可に至った」と述べた。(同紙)>

翁長県政は以前も沖縄防衛局に対し、サンゴの移植許可を出した前科がある。ぼくはその時のことをブログで批判した。翁長県政の失態はそれだけではない。奥港と本部港に砕石の海上運搬のための使用許可申請も認可したのだ。ぼくはそれも批判した。いずれも翁長知事の「あらゆる手段を行使して辺野古新基地建設を阻止する」と言う公約に相反すると考えたからだ。

砕石の海上運搬は、日々命懸けで小さなカヌーを漕いで抗議する人々を背後から鉄砲玉を撃ち込むに等しい。そのことを指摘して批判した。そしてサンゴ移植の許可は、新基地阻止の有力な知事権限にも拘らず自らそれを捨て去ることであり、決して容認できないと思い批判したのである。

翁長県政の変節に多くの県民も落胆し、抗議の声をあげた。声の大きさに翁長知事も反省の姿勢を示した。反省して県民の声に真摯に耳を傾ける。その基本姿勢がなければ県民を代表する政治家としての資格はない。当たり前のことだ。

しかし、果たして翁長知事は本当に反省したのか?

今回のサンゴ移植許可を見ると、少しも反省していないことが明確になったのではないか。たとえ県の担当者が<行政機関として、要件を満たしていれば許可せざるを得ないと判断した。(同紙)>にしても、知事は政治判断を下して、非許可に出来たはずであり、そうすべきだった。

役人の判断をそのまま容認するだけなら、政治家など要らない。役人の判断はあくまで行政手続きに添うだけのものであり、政治的判断を下すのは政治家の役割であり責任でもある。そう考えると、役人が上げた書類が知事に回ってきた段階で、知事は許可申請書を拒否すべきであった。あらゆる手段を行使して阻止するとは、そういうことだろう。

辺野古新基地建設に関わる沖縄防衛局の許可申請は全て拒否すべきである。そうして初めて、「撤回」の効力が最大限効いてくるはずだ。例えば今回のサンゴ移植を許可しなかったと仮定しよう。工事はストップするか、無許可の状態でサンゴを移植するか、あるいは移植せずに工事を強行するか、沖縄防衛局の選択肢はその何れかに絞られる。

工事が中断すれば、県としては大勝利であり、移植か工事を強行すれば、その時「撤回」宣言に正当性が付与されて、裁判に有利となるのは明らかだろう。

しかし、今回のようにサンゴ移植を許可するということは、埋め立てを間接的に認めることになり、「撤回」の意義が限りなく無意味となることは明らかである。蟻の一穴が建物全体を崩壊させる事だってあり得るのだ。このように考えると、翁長知事の今回の失態は実に残念であり、取り返しのつかない事態に至る恐れさえある。

<一方で条件を付した。その条件を満たすには、県による別の同意が必要となる。このため防衛局が思い通りに工事を進められるかどうかは不透明な要素が残る。(同紙)>

甘い、実に甘過ぎる。肝心の移植を許可しておいて、条件を付したから防衛局が工事を進められるかどうかなどと仮定の話をしてどうなる。一体、翁長県政は本気で新基地を阻止する気があるのか。

<県幹部の一人は「『撤回』と採捕許可は全く別の話だ」と否定した。県は今回の許可と関わりなく、撤回を含めさまざまな検討を続けるという。県民が納得できる説明ができるか問われる。(同紙)>

県幹部がこのように呑気な体たらく振りだと、もはや翁長県政に新基地を阻止する気はないのではないか、と疑わざるを得ない。

翁長県政は、仲井真前知事同様、土壇場で県民を裏切るつもりだと、誰もが疑心暗鬼に陥っても不思議ではない状況になって来た。県知事選挙は11月に行われる予定になっている。もうすぐそこまで来ている。名護市は辺野古容認派に敗北した。今の厳しい状況下で、県政があやふやな態度では知事も容認派に奪われる恐れが強い。県民の心が離反すれば翁長知事の再選はあり得ない。

今回のサンゴ移植を許可した翁長知事の責任は重い。翁長知事と県幹部諸君は猛省してもらいたい。そして、新基地阻止のために気を引き締めて、真剣に県政を運営してもらいたい。

敵は売国奴政治家・安倍晋三だ。不誠実で頭の悪いお坊ちゃん政治家に屈するわけにはいかないのだ。

 

 

人口減少時代に国会議員は増員⁉️

参議院は昨日の本会議で、参議院定数を6増する公選法改正案を、自民・公明党の賛成多数で可決した。大義名分は、一票の格差是正だと言う。おいおい、ちょっと待てよ。向いてる方向が逆だろうが。

人口が減少していく時代において、一票の格差是正を言うならば、議員の数を削減するのが真っ当な政策であるはずなのに、政権与党の諸君は何を血迷ったか、6人も増やす法案を可決したのだ。

当然、野党は反対した。国民の多くも反対だろう。しかし、今の政界は自民・公明の圧倒的多数の横暴が繰り返される泥沼状態だ。

去年一年で、37万人も人口が減少したと言う。我が国の人口減少は9年連続だが、去年の減少幅は過去最大となったらしい。那覇市の人口が一年で消えた計算だ。異常とも呼べる現実が進行中である。

ところで、先の総選挙で安倍晋三は、少子高齢化を「国難」の一つに掲げていた筈だ。その国難が進行している。人口減少と少子高齢化は相比例する現象だ。とすればすなわち、安倍晋三の「国難」発言は眉唾もので、彼には虚言癖があることの証明でもある。言葉が軽すぎるのだ。

国難」ならば、何故国会議員を増やす必要があるのか?常識的に考えて、削減するのが当たり前ではないか。人口は減る、議員は増える、こんなことをやってはいけない事くらいは、賢明な中学生なら容易に理解できることだろう。

増員する代わりに高い歳費を削減すると言うなら、多少は理解できる。しかし、それどころか東北大震災の時、削減された歳費はいつの間にか元に戻ったことを考えるならば、歳費の削減なんて彼らの頭の中では禁句という固定観念になっている。この事については、橋下徹が繰り返し批判してきた。

いまの政治家は、国民のことよりも自分たちの身分の安定、利益だけを考えている。安倍晋三がその象徴的存在だ。視線が向けられるのは、自分を支持する人々、身内だけだ。

少数派の意見に耳を傾けて、良いところは取り入れるのが民主主義の本来のあるべき姿である筈なのに、今の安倍内閣にその姿勢は微塵もない。兎に角数に任せて強行採決を繰り返すだけ。

5日午後2時、気象庁は豪雨に対する警戒を呼びかける緊急記者会見を行った。午後8時半に京都市は8万人以上に避難指示を出している。ところが、同日午後8時半「赤坂自民亭」に安倍晋三の姿があった。赤坂の議員宿舎で毎月1回開かれる懇親会。西村康稔官房副長官が自身のツイッターに載せた写真には、竹下亘岸田文雄小野寺五典等の面々が写っている。

料理のテーブルを囲んで、楽しそうに酒を酌み交わしているようだ。豪雨警戒が発せられた地域住民に対する気遣いの念を彼らから感じ取ることは出来ない。

これが今の安倍政治の実態である。宴会から外部に漂う腐臭。外交も国防も米国に追随・従属する売国政治家ども、全員直ちに辞職しろ❗️

 

映画『果たし合い』に見る武士道精神

主役を演じる仲代達矢と他の役者達の見事な演技と、美しい映像、そして重厚な物語がこの作品を見応えのあるものにしている。時代劇に感動したのは久しぶりのことである。特に仲代達矢の演技が渋い。過去と現在が交錯することで、年老いた武士の人生が浮き彫りにされる。

庄司佐之助(仲代達矢)は、左足が不自由な部屋住みの年老いた下級武士である。左足の不自由が原因で甥夫婦の屋敷の離れで暮らす厄介者。何故そうなったのか、物語は佐之助の若い頃に遡る。

佐之助には相思相愛の牧江(徳永えり)と言う名の美しい女性がいた。しかし、名家から縁談を申し込まれた牧江は、悩みに悩む。相手は格式の高い家柄である。当然両親に異存はないが、しかし、牧江は佐之助を諦めることが出来ない。。それを知った男は、佐之助に果たし合いを申し込む。

忍耐せよ、と引き止める兄の手を払いのけて、佐之助は果たし合いの場所に駆けつけた。佐之助の腕が相手より優っていた。得意の居合抜きで相手を斬り殺した。しかし、運悪く相手の折れた刀の先が佐之助の左足に深く突き刺さったのである。

左足は不自由となり、以後不遇な人生を余儀なくされる。牧江は別の家柄と縁談を結ぶことになるが、足が不自由になったとは言え、佐之助を忘れることはできず、強引に駆け落ちを持ちかける。佐之助は牧江の将来を思って断るが、時間と場所だけを告げて、牧江は急ぎその場を立ち去った。

夜、約束の時間に、満開の桜の下で旅衣装姿で佐之助を待つ牧江。手のひらに桜の花びらが数枚落ちてきた。期待と不安の気持ちを込めて、花びらを一枚ずつつまんでは捨て、その度に「来る」と声に出す。しかし男が現れることはなかった。

同時刻の頃、佐之助は酒屋で一人酒を飲んでいた。駆け落ちなんて出来るわけがない。そんな事をしたら、二人とも惨めになるだけだ。今俺に出来ることは、意識が無くなるまで酒を呑むことだ。そして牧江のことは忘れよう。

牧江は待ち続けていた。しかし、佐之助は来ない。牧江の手のひらに積もった桜の花びら。その時ついに女は理解した、佐之助は来ない事を。牧江は泣き崩れた。一途な女の情念の悲しさ。深い闇夜に桜の花が風に吹かれて舞散る。

酒屋で酔い潰れた佐之助はやっと眼を覚まし、自害が脳裏をよぎったのだろう、駆け落ちの場所へ急いだ。遺憾、自害したらいかん!浴びるほど呑んだ酒と不自由な足は、佐之助を女が待っている場所まで連れて行くことはなかった。途中転倒した佐之助は、ついに起き上がることが出来なかった。

運命の女神はなんと冷酷であろうか、と言うよりも時代の厳格なしきたりが佐之助と牧江の仲を引き裂いたのである。気の進まない婚礼のあと間も無く、牧江は精神に異常をきたし、一年後に亡くなる。佐之助はその事を初めて兄から告げられて知り、遺体が横たわる牧江の家の門前で、一目だけでも合わせてくれと、地面に突っ伏して必死に懇願するのだった。

以来、佐之助は世間から白眼視される部屋住みの身となったのである。或る日、そんな佐之助のもとに、農家の女が世話役としてあてがわれる。正式の妻ではないが、実質的な妻と言えるだろう。暇を持て余す佐之助は、囲碁の研究に勤しむ。碁の指南役を目指すつもりらしい。そんな慎ましい生活を送る佐之助だったが、いつしか女は身籠り、女児を産む。

しかし、部屋住みの人間に子を持つことはご法度である。現代人には理解できない当時の厳しい社会制度、しきたりだった。生まれて間もない子は、顔に布を被せられて窒息死させられた。勿論、若い母親は激しく慟哭する。佐之助も余りの苦しみに耐えられず泣いた。それでもしきたりには従わねばならぬ。そうしないと社会の秩序は保たれない。とは言え、なんと生き難い世であろうか。女は身体を壊し死の間際に一言いう、あなたと一緒になれて幸せでした、と。佐之助は心の優しい男だった。

苦難は人間を成長させる。耐え難きを耐え偲んできた人間の精神は強靭になる。いつしか佐之助は人生を達観した雰囲気を漂わせる老人になっていた。それでも部屋住みの厄介者にかわりはない。老人になった佐之助の面倒を見るのは、甥の娘の美也(桜庭ななみ)である。その美也は或る悩みを抱えていた。名家から縁談が持ちかけられているが、他に好きな男がいるのだ。美也は大叔父の佐之助に悩みを打ち明けた。

美也の父母はしきたりに厳しいが、大叔父は親身になって話を聞いてくれる。だから美也は大叔父が好きだった。佐之助は、好きな男と一緒になる事を薦めた。若い頃の苦い経験を孫のように可愛い美也に味わせたくない。美也は佐之助の助言に意を強くする。娘の強情な態度に根負けした両親は、やむなく縁談を断わらざるを得なかった。

ところが武士の世の中、そう簡単にことは収まらない。格式高い家系を辱めたとして、縁談を断られた腹いせに美也の恋仲である下級武士のもとに果たし状が届けられたのである。実はその少し前に、ちょっとした事件があった。今は碁の指南役として、方々で碁を打ち手数料稼ぎをしていた佐之助を、迎えに急ぐ美也の前方から数名の武士が近付いて来る。雨の降る竹林の中で、美也も武士達も傘をさしている。

すれ違いざま、一団の一人が美也に声をかける。その男は縁談を断られた縄手達之助だった。顔を始めて見る美也は驚くが、二言三言言葉を交わして、その場を去ろうとする。しかし、達之助は執拗に絡みついてくる。格上の家柄の人間として、縁談を断られた屈辱を許すわけにはいかない、と言うのだ。

宴会の帰りだろうか、一団には多少酒が入っているようだ。仲間たちが達之助を囃し立てる。暴行に及ぼうとした瞬間、背後から声がかかった。「貴様たち何をするのだ!」佐之助だった。

若侍たちと佐之助の言い争いとなり、襲いかかる数名を、傘を刀代わりに叩きのめした。佐之助の剣の腕前は衰えていなかったのだ。しかし、いかんせん老体の身である、息が続かない。その場に倒れると、若侍たちに思い切り蹴り上げられ、踏み潰された。そして美也に手をかけることなく、若侍たちはその場を去った。大叔父を気遣い、抱き起す美也。幸いなことに、佐之助は軽い怪我で済んだ。

この事件の後に、美也の恋仲である下級武士、信二郎のもとに果たし状が届いたのである。それを知った美也は佐之助に相談する。信二郎は既に現場に向かっている。一刻の猶予も許されない。佐之助は美也に言う。俺が助太刀して信二郎を救うから、おぬしは旅支度をして、ここで待て、と。

信二郎は達之助に比べて剣の腕は劣る。負けることははっきりしていた。だから信二郎を助太刀して救い、美也と駆け落ちさせるのだ。若い頃の無念と教訓が佐之助にそう決断させた。佐之助は急いで現場に向かった。

予想通り信二郎は不利な戦いを強いられていた。所々斬られて血を流している。トドメの一撃の前に声がかかった。佐之助は間に合ったのである。向き合う若武者と老武士。上級武士と下級武士。達之助が上段から振り下ろしてくるところを居合抜きで仕留めた。一瞬の力技。時間をかけて斬り合いに及んでいたら、息の続かない佐之助には致命傷になっただろう。若い頃修練した居合抜きが幸いした。

美也が待つ離れで信二郎の傷の手当を終えて、二人で旅立とうとした時、佐之助は金の入った袋を美也に手渡す。碁の指南役で、方々から稼いだ手数料が入っていた。実の所、美也は大叔父が碁打ちに出かけるのが嫌いだった。賭け碁だと知っていたからだ。しかし、この時のために蓄えた金だとわかり、左之助の優しさに感激して体が震えた。厳しい生活が待ち受けるであろう未来に向かって、若い二人は旅に出る。

さて、助太刀とは言え、上級武士を殺した佐之助は、これからの身の処し方を十分承知していた。切腹か、処刑のいずれかであろう。覚悟を決め、綺麗に身支度を整えた左之助は庭に出た。植えてある小菊の中から、黄色いのと白いのを摘み取り、これは牧江これは(女児を生んだ農家出の世話女房のことだが、名前が思い出せない)と二人の女の名を呟き、黒布に包み懐に収める。「これで良かったんだろう?んっ?」老武士の表情には人生を達観している雰囲気が滲み出ている。この時の仲代達矢の演技は見応えがある。

美也とともに牧江の墓と、世話女房の墓を訪ねる場面もあった。世話女房の墓は、丸っこい石を一つ置いただけの雑草に覆われた粗末なものだ。牧江の墓は武士の家系らしく、墓石に名前が刻まれた立派なものだった。身分制度が厳しい時代の光と闇。しかし、佐之助の心の中では二人とも自分を愛してくれた掛け替えのない大事な女性だったに違いない。死者は生者の記憶の中で生き続ける。

最後の場面。武家屋敷が並ぶ広い道路を、凛々しい衣装に身をつつんで、足を引きずりながら悠然と歩く一人の老武士の姿があった。その先にあるのは、切腹か、処刑の奉行のお咎めである。もとよりその覚悟はできている。

生き難き世を、佐之助は見事に、武士道精神で凌駕したのである。

 

日本代表と西野監督に感謝しよう!

試合開始から日本は、予想を遥かに超える闘いぶりで、信じられない位終始ベルギーを圧倒していた。前半を理想的な形で0対0に抑えると、後半戦に入って3分、原口が待望の先制点を決めた。斜めに飛んでゴールの左端に突き刺さる美しいシュート。日本の優勢な試合運びが実を結んだ瞬間だった。素晴らしい。選手全員が躍動している。その表情は落ち着いているし、自信に溢れている。

続いて、原口のゴールから僅か4分後に、乾の鮮やかなシュートがネットを激しく揺らした。斜めに飛んだボールは、今度はゴールの右端に突き刺さったのである。後半戦に入って間もない間の2得点。日本人の誰がこのような光景を想像できただろうか? 否、世界中のサッカーファンが驚愕したに違いない。こうなると、FIFAランクは少しも参考にならない。ドイツもスペインもポルトガルも、そしてアルゼンチンの並み居る強豪チームが既に姿を消してしまっているからだ。この調子だと、FIFAランク3位のベルギーがランク61位の日本に撃沈される運命にあるとしても、少しも不思議ではなくなった。日本の長年の夢、16強を超える歴史的瞬間が目の前に迫っている。可能性は9割以上、歓喜に高鳴る胸を抑えることができない。超えられない壁なんてこの世には存在しないのだ。終了の笛よ、何をグズグズしている、早く鳴ってくれ!

しかし、しかし、嗚呼、笛が吹かれる前に夢は幻となり、幻と現実が入り乱れ混沌とし始めたのだ。190センチを超える長身のヴェルトンヘンが投入されると、なんと悪魔のようなヘディングシュートを決められてしまった。

乾の天使のようなシュートから17分経過していたにも関わらずだ。この1点が、赤い悪魔たちを死の淵から呼び戻すのに大きな役割を果たすことになった。しかし、雪崩を打って日本チームが崩壊したわけではない。確かに、2点先行で気の緩みがあったとはいえ、見事なパス回しは健在だし、追加点のチャンスも何度か作ったのだ。

しかし、悪魔のヘディングシュートから5分後、フェレーニのシュートが決まり、ついに同点に追いつかれてしまった。そこで西野監督は、本田と山口を投入するが、勢いづいた赤い悪魔軍団を追い詰める力は、残念ながらこの時点でほとんど残っていなかった、と言うよりも、明らかに両チームには本気度に僅かではあるが差があるように見えた。この僅かな差が勝敗を支配した。しかし、それでも本田のシュート等があり、まだ勝利の可能性が消えたわけでもなく、同点のまま持ちこたえることができれば、延長戦も十分にあり得る状況だったのだ。

しかし、本田のコーナーキックを奪った後のベルギーの恐るべき反転攻勢の速いこと!この一瞬の虚を突く光速のような速さが、やはり日本との大きな実力の差と言うべきなのだろうか?

稲妻の速さに日本の防御態勢はなすすべもなく、チャドリに3点目を奪われてしまった。アディッショナルタイム3分41秒のことだった。こうなると、もはやどうすることも出来ない。間もなく終了を告げる笛が鳴ったのである。

残念無念、惜しい悔しい!

歓喜と沈黙。鮮やかすぎる明暗は、あまりにも残酷すぎる。西野監督、日本チームメンバー全員、そして日本中のサッカーファンの心の中に広がる巨大な空洞を形容できる言葉を、ぼくは持ち合わせない。

精神が固まるほどに劇的な試合だった。ワールドカップの歴史において、2点先行されての逆転勝利は1970年以来のことらしい。当時は、西ドイツが英国を相手に逆転劇を演じたとUS TODAYが報道している。

負けた側にとっては不名誉な記録として残るのは確かだろう。しかし、数字だけで全体像を把握することは不可能である。スルメを観察して烏賊を理解できないのと同じように。数字は固定している。スルメは死んでいる。生きている烏賊は自由に海を泳いでいる。

教条主義は実存を捉えることはできない。今日の劇的な試合は、実存のぶつかり合いだった。瞬間瞬間が自由の予測できない行動の展開だった。我々は、選手とともに生き、選手と共に敗北したのだ。我々は、実存のぶつかりあいの生き証人である。2対3という記録に残る数字に還元されない生きた試合を知る同時代人である。

試合そのものが映像として記録され、既に過去の出来事になっている。映像を検証して、これからのチーム作りに活かすことはできるだろう。又、当然そうすべきだろう。しかし、記録はあくまでも記録に過ぎない。西野監督も選手達も、日本中のサッカーファンも既に前を向いている。

現在を生きることが何よりも大事なことだ。過去を参考にすることはあっても捉われないこと。これは多分、西野監督の人生哲学だろうと思う。素晴らしい日本サッカーを見せてくれた西野監督に、感謝したい。そして引き続き日本代表を率いてもらいたい。

次のワールドカップまで4年ある。そこに至る間、日本代表は様々な試合をこなさなければならない。その試合毎に西野監督の采配ぶりを見ることが出来る。日本が目指してきたサッカーを西野監督なら、きっと完成度の高い形に仕上げて見せてくれると信じたい。

日本サッカーはまだ始まったばかりである。今日の素晴らしい試合が見事に証明してくれたのだ。