沖縄よ! でぃぐぬ花日記

祖国は日本。郷土は沖縄。日本国を愛し、沖縄を愛する者として、発信していきます。

勇馬氏に答える

勇馬様。鳩山元総理を、私は人間として全く信用していません。政治家を辞めて後、普天間移設の失敗を、彼は官僚のせいにしました。曰く、官僚は私のいうことを聞いてくれなかった。そして、岡田外務大臣、北澤防衛大臣、両大臣共に私を助けようとしなかった、などと泣き言を言ったのです。これだけでも、政治家には不向きの人間だったことがわかります。己の失敗を他人のせいにする、高学歴のloopyの典型です。多少骨のある男なら、自らの失敗を恥じて、生涯沈黙を押し通すべきでした。そうすれば、彼に対する見方も多少変わったかもしれません。ということで、今後彼がどのような発言をしようと、私がコメントすることはありません。

貴ブログ拝見しました。美しい体裁に思わず見とれてしまいました。いずれ私の方からコメントすることがあるかもしれません。リンク張りは、勿論快諾です。
さて、日本の核武装について一言言わせてください。勇馬氏は次のように述べています。
「八幡氏コメントは言葉足らずで真意不明ですが、もし、「日本は近い将来核武装すべきで、そのため原発も維持しなければならない。しかし核武装が実現するまでの間、日米安保を堅持しつつ、アメリカの核の傘に入らざるをえない。」というなら同意できます」
私はこういう言い方は生ぬるいと思います。多くの保守論客が同じようなことをいうのを、私はうんざりするほど聞かされました。核武装が実現するまで果たして何年かかるのでしょうか?それまではアメリカの核の傘に入らざるをえない、ということはすなわち、現状維持で良いということに他なりません。私の見解は、もっと過激です。内閣法制局が認めているように、現憲法下で、核武装が可能であるなら、日本は直ちに核武装すべきです。ミサイルの技術はすでに持っているので、核弾頭を自前で開発するか、アメリカから購入するか、方法はいろいろあるでしょうが、政治家にその覚悟と勇気さえあれば、すぐにでも決断できるはずです。我々国民もそのくらいのことは、声を大にして発言すべきではないでしょうか。現在、我が国ほど核兵器を持つ資格のある国は他にありません。なぜなら、我が国は広島と長崎に原爆を投下された世界で唯一の被曝国です。しかるになお現在、核兵器保有する周辺国から脅威を受けているのです。この現実をどう理解するか。人それぞれでしょうが、私は、この現実を見ると、日本こそ核兵器を持つ資格があると断言したい。そして、周辺国の脅しが効かないほどの核兵器を、我が国が保有すれば、その時こそ世界に向かって、真剣に堂々と核兵器削減交渉の主導権を握ることができるのです。少なくともそのためのカードを日本は手にすることができるのです。

 

お知らせ: 保守も革新も無党派層の人も辺野古へ行こう!
海兵隊は沖縄に駐留する必然性はない!海兵隊は抑止力にならない !
毎日無料高速バスが出ています:参加費はカンパのみ
月曜日 午前9時発 平和市民連絡会
火曜日 午前9時発 オール沖縄那覇の会
水曜日 午前6時発 平和市民連絡会  
午前9時発 島ぐるみ会議
木曜日 午前9時発 平和市民連絡会
金曜日 午前9時発 平和市民連絡会
土曜日 午前6時発 平和市民連絡会  
午前9時発 島ぐるみ会議
 (いずれも県庁前広場発:受付8時半〜)

10回目の辺野古:久しぶりの米退役軍人

昨日辺野古へ行った。19時前の帰宅で、疲労が激しく冷たいシャワーを浴びた後、軽い夕食をとり、しばらくしてから早い眠りについた。昨日は、総勢18名であった。その中にラミス氏がいた。久しぶりに会うので正直嬉しい。バスの中で軽い挨拶を交わす。そのラミス氏がパンフレットを全員に一枚づつ配り始めた。「訪米カンパのお願い」。カラフルで洗練された美しいパンフレットだ。「平和を求める元軍人の会・琉球沖縄国際支部」会員の一人、奥西眞澄氏が描いたアカバナは見事である。「今年2017年8月9日から12日まで、シカゴでVFP総会が開かれます。この総会に沖縄からダグラス・ラミスさん等3名を派遣します。ハワイや米本国在住の「平和を求める元軍人の会・琉球沖縄国際支部」メンバーもシカゴに集まります。沖縄を「平和の要石」にする第一歩として米国政府に次の要求をします。
普天間飛行場を閉鎖し、撤去すること・辺野古の新基地建設計画を撤回すること・高江の森を自然に戻し、オスプレイを沖縄から撤去すること」そして「旅費、宿泊費など派遣費のカンパ(目標額100万円)をお願いします。」とある。22日(土曜日)開催予定のキャンプシュワブを人間の鎖で囲む大集会に参加する代わりに、ぼくはこのVFPにカンパすることに決めた。さて、伊芸エリアでの10分間の休憩を入れて約1時間半で辺野古に着いた。今日は特別に暑い気がする。国道を挟んで海兵隊基地・キャンプシュワブを囲むフェンスが何処迄も続く。外国の軍隊が駐留するこの場所が我々の郷土か、と考えるとその理不尽さに耐えられない気分になる。ほとんどの参加者はテントの中にいた。100名前後集まっている。今日は6時発の那覇のメンバーもいるはずだ。こんな早い時間から参加するなんて、ただただ恐れ入る。
奥間氏の注目すべき報告があった。彼は、離島間の橋の難工事を手掛けたことのある土木建築のスペシャリストである。彼の説明によると、三重県で作っている巨大ケーソンの仮置き場の造成が、大浦湾の脆弱な地盤のため、事実上不可能であること、それを可能にするためには、設計変更許可が必要になり、翁長知事は当然の事として許可しないだろう、という事であった。種々のデータを分析しつつ、氏独自の経験をもとに下した見解であろう。
事実なら、工事は進行中とはいえ、まだまだ前途多難であり、工事断念に追い込む可能性は高いと見るべきだ。13時ちょっと過ぎ頃に、ゲート前の座り込みが開始された。暑い、と言っても仕方ないのだが、やはり暑い。快晴の太陽は容赦なく我々の上に降りかかって来る。座っているだけで、汗が噴き出し流れていく。ラミス氏はぼくの隣に座った。あまりの暑さに二人とも無言のままである。ラミス氏はじめ数人の人が日傘をさしたが、その効果は思う程ではない。機動隊が来る時間まで、参加者の一人がマイクを手に話しはじめたが、新聞その他にあるような内容で、くだらない。そんなことより、リーダー的立場にある人は、機動隊が来る時間をもっと正確に把握して、座り込む時間を的確に指導してもらいたい。時間が経てば経つほど、参加者の体力の消耗は激しくなるからだ。隣のラミス氏が心配だ。本人は覚悟の上とは言え、高齢で無理できるはずはないし、すべきでもない。
長い時間、うんざりした頃に機動隊がゾロゾロやってきた。いつものように、機動隊は帰れ、のシュプレヒコールの中、一人また一人と排除されていくが、頑強に抵抗する人もいて、車道で寝転んで数名の機動隊員と揉み合いになる。ちょっと危険だな、と思いつつも本当は彼のように頑強に抵抗するべきではないか、と自省する気持ちも起きて、複雑な心境に陥った。「機動隊は帰れ帰れ!」「ここはアメリカじゃないぞ!」「恥ずかしいことをするな!」といつものように大声で叫ぶぼくに感心したのか、ぼくの顔を横から見上げたラミス氏が、「スミマセン、私は無理できないので立ち上がります」と子供のような表情でぼくに言った。「無理しないでください」と返答して軽く肩を叩いたが、妙な気分であった。両脇を二人の隊員に抱えられた。左脇を抱える抱え方が正常ではないので、痛いぞ、と注意したが、その隊員の態度は横柄で無視された。そのまま二人の隊員に歩道の一角に運ばれた。距離がもっと長ければ、おそらく左腕の痛みは耐えられなかっただろう。今日の隊員たちは先週より荒っぽくなっている。彼らの扱い方に反発する参加者は、普段に比べて非常に多いような気がした。我々は非暴力で立ち向かわなければならないので、悔しいが仕方がない。我慢するしかないのだが、参加を諦めるわけにはいかない。むしろ参加者を増やすことをもっと真剣に考え、企画工夫して、実行することだ。ぼく自身、辺野古への参加を呼びかけるポスターを独自に作成して、電柱に貼り付ける作業を始めたところだ。勿論、誰かから支持されたわけでもなく、全くの独自アイデアであり、自己責任の範囲内においてである。このポスター作りのためだけに、ラミネート機も購入した。機動隊との攻防が一段落した頃、右翼の宣伝車が「君が代」をボリュームいっぱい流しながら、やって来た。マイクで挑発的な言葉を吐きながらUターンして去って行った。任侠道のかけらもない、情けない連中だ。彼らの精神はあまりにも子供っぽい。まともに向き合わず、完全無視するに限る。全員テントで休憩することになった。その時、愛知県からきたという女性の話が印象に残っている。彼女は、昔、隣県の岐阜にあった米軍基地が、米兵による事件・事故が原因で地元住民の反対運動が起き、それで同県の米軍基地が沖縄に移された経過を話した。そして、今の沖縄の基地過重負担の責任を感じて、辺野古にきて反対運動に参加している、と言った。以前も何度か来たが、9月にまた来る予定です、と付け加えた。本土の人間がこのように話すのを聞くと、さすがに胸が熱くなるのを感じる。心の中で、「ありがとう」と呟く。15時45分頃には多くの参加者が引き上げる中、我々那覇組は、もう少し残って頑張ろう、ということになった。18名のメンバーだけで、工事車両ゲートの方へ歩き始めた。ラモス氏が折りたたみの簡易椅子に腰掛けて、読書している。側のブロックに腰を下ろして、失礼になるかもしれないと気兼ねしつつ、何を読んでいるんですか、と声をかけてみた。手にしているのは、英書だ。「ベトナム戦争について書かれた小説です。」本の半分のところを開いて、「ここまでが小説で、あとは解説です。」と普段の調子で応じた。「著者は誰ですか?」と聞き、勝手に本を触って、表紙を見た。Graham Green?何処かで見た名前だ。ひょっとしてあの本の著者では、と気になった。確か、本棚のどこかに眠っているはずだ。帰ったら確かめてみよう。「面白いですか?ぼくは、英会話は苦手だが、英書を読むのは大好きで、今「War and Peace」を読んでいます。」と言うと、ラミス氏の顔が輝いた。「時間がかかりますね」「まだ4分の一くらいですが、勿論、辞書を引きながらです。」「翻訳されたものよりも、英文の方がいいですか?」「外国の本はできるだけ原書を読むようにしています。辞書の助けを借りながらですが。トルストイの「Anna Karenina」はとても面白かったですね。ドストエフスキーの「Crime and Punishment」も読みました。それからサリンジャーの「the Cacher in the Rye」も非常に面白かった。」と言うと、ラミス氏の顔の表情がますます穏やかになり、まるで好々爺のようだ。彼が並々ならぬ知識人である証拠だ。ぼくとの短い会話は、彼の知的脳細胞を多少なりとも刺激したに違いない。彼の著書『経済成長がなければ私たちは豊かになれないのだろうか』は平凡社から出た新書版だが、文明論的考察に富む本で、例えば次のような文章には、深く考えさせられる。
「自分の国を発展させる政策という意味では、日本の明治政府の方が早かった、という意見も成り立つ。しかし、世界に対する政策として使い始めたのはトルーマンが最初です。自分の国ではなく、世界中の相対的に金持ちではない国を「発展させる」。それがアメリカの国策であると言い出した。それには、歴史の中に先例がありません。」(92頁)勿論、ラミス氏はこのアメリカの国策を否定的に捉えている。それに続く文章で、なぜこのような国策が世界にとって災いをもたらすのか、説得力を持って具体的に述べている。興味のある方は、ぜひ一読を推奨したい。さて、少ない人数ではあるが、基地内から出て来るダンプに向かって、反対の意思表示をしてから、帰る支度をした。帰りのバスの中で疲れてはいたが、「久しぶりに来てくれた、尊敬するラミスさんのために一曲歌います」と言って、倍賞千恵子の「あざみの歌」をスマホから流しながら、デュエットの形でぼくも歌った。歌い終わると、ぼくの前の後ろに少し倒した席の隙間から、「ありがとう」と言ってくれた。県庁前広場に着いた時は、18時を過ぎていた。帰宅してから気になった本を調べたら、やはり同じ著者Graham Greenだった。「The Heart of the Matter」20年ほど前、鎌倉の鶴岡八幡宮を訪れた際、その帰りの途中にある古本屋で衝動買いしたものである。2、3頁読んで、そのうちにとほったらかして20年。怠惰な性格は治らないままである。呑気に行こう、呑気に。人生、焦りは禁物だ。


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安倍首相の積極的平和主義はすでに破綻している

3年にわたる民主党政権に対する国民の期待があまりにも大きく外れたため、同政権に代わるものとして、再び自民党政権を望む声が出てきたが、それは必ずしも積極的支持とは言えなかった。少なくとも民主党政権よりはましだろう、という消極的期待にしかすぎなかった。なぜなら、民主党政権に変わる直前まで、国民は自民党政権に飽き飽きしていたからだ。自民党も大したことはないが、それに変わる政治勢力が存在しない以上、そして3年間の野党暮らしで、少しは反省して以前の自民党よりよくなったかもしれない、という淡い期待感があったとすれば、やはり、民主党政権が余りにも情けない姿を国民の前にさらけ出したからに他ならない。何しろ民主党政権の時に起きた尖閣問題で、中国共産党の傍若無人な態度は多くの国民の怒りを買い、それが原因で大量の保守層が誕生した背景がある。
第一次安倍政権が首相の健康問題でわずか一年で幕を下ろした時、安倍晋三の政治生命は終わったはずであった。政界に詳しい評論家によると、野党時代の安倍晋三は経済を猛勉強したという。民主党政権は長く持たない、という読みもあったに違いない。そのための再登板に備えての猛勉強であったのだろう。無様な形で政権を放り投げたことに対するリベンジの気持ちもあったに違いない。そしてその読み通り、再びチャンスが訪れた。党内の熾烈な総裁選を勝ち抜き、続く総選挙で民主党政権を徹底的に非難すると同時に、アベノミクスなる言葉を連発して、その間猛勉強した経済政策を訴えたのである。自民党は総選挙で圧勝し、安倍晋三は再び総理の座をつかんだ。
野党時代の反省で、自民党の体質は変わったかのように思われた。少なくとも、自民党に投票した多くの国民は、そう期待せざるを得なかったはずだ。そうでなければ、この国の政治にもはや救いはない。第2次安倍政権のスタートは順調だった。「積極的平和主義」を掲げて、積極的に世界中を駆け回った。その積極的姿勢に国民は大いに関心を寄せ、期待した。しかし、政治的効果がはっきり現れるには一定の日にちが必要だ。安倍政権の高支持率は、その実績に明確な数字が伴わないにもかかわらず、以外にも長期間続いた。「戦後レジュームからの脱却」「日本を取り戻す」「私の政権で拉致被害者を取り戻す」勇ましい言葉が踊り、国民は半信半疑ながらも安倍首相に期待した。しかし、時が経過するにつれ、期待は蜃気楼に変わり始めた。まず、あれだけ自身たっぷりに宣伝したアベノミクスの失敗である。現時点で消費税を上げれば、経済は落ち込む、という経済の専門家たちの意見を無視して、3%あげて8%にした結果、専門家たちの予想通り、景気は落ち込み、その後なかなか回復しない。それでも経済は順調に回復している、と安倍内閣は強弁するが、実質賃金が上がらない現状を考えると、納得できる人は少ないのではないか。では、肝心の国防に関してはどうか?ぼくは少なくとも国防に関して、安倍首相に少なからず期待していた。安倍首相なら、自主防衛路線に舵を切るだろう、と内心期待していたのは事実である。しかし、実にあっさりと、期待は泡となって弾けてしまった。安倍首相の70年談話が、首相の政治哲学の表明であるならば、私にはこのくらいのことしか言えません、と政治家としての力量の限界を、自ら宣言しているようなものだ。70年談話に関しては、西尾幹二氏が、痛烈に批判した。ぼくは、西尾氏の批判に完全に同意すると同時に、その深い考察に敬意を抱く者の一人だ。安倍首相に対する期待は絶望に変わり、次第に怒りへと変化した。8月15日に靖国に参拝しない首相は、日本国の首相としての資格はない。尖閣諸島の現状は、民主党政権時となんら変わらないどころか、むしろ悪化している。安倍晋三という人間は、総理大臣という巨大な権力を持つ立場にありながら、その地位に見合う勇気を持ち合わせていない。我が国に軍事的有事が発生した時、果たして自衛隊の最高指揮官としての任務を確実に遂行できるのかどうか、大いに疑問である。心ある自衛官の中には、安倍首相の命令で死地に赴くのはどうも、と躊躇する人間がいるとしても少しも不思議ではない。元自衛官がそう述べるのを、ぼくは拝聴したことがある。無理もない。覚悟もなく、勇気もないお坊ちゃんのような総理の命令なんかに誰が喜んで従うものか。安倍首相の国防政策は、歴代政権のそれと寸分違わない。即ち、相も変わらぬ対米従属路線である。その証拠は山ほどある。沖縄県民の大多数が辺野古新基地建設に反対しているにもかかわらず、強引に推し進めているのは、安倍内閣の国防政策が対米従属路線から一歩も踏み出すことができない証拠である。中国の脅威論をいうが、国防を安易にしか認識してこなかった政治的無作為の結果にすぎないことは、もはや隠しようのない事実である。8月15日がやがて来る。安倍首相は靖国神社を参拝しないだろう。いや出来ないだろう。勇気のない日本国の首相なんて、世界の恥さらしだ。直ちに総理の座を明け渡し、政治家を辞めてもらいたい。


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劉暁波は生きている

劉暁波は生きている。肉体は滅んでも、彼が残した言葉は今も生きている。中国共産党が自滅し、中国が民主化される日が来るまで、劉氏の言葉は民衆の中に生き続け、多くの人々に影響を与え続けるだろう。人間が人間である根本は、人間は自由である、ということに尽きる。劉氏が求めた民主化は、人間が人間であるための最低限の条件である自由の保障であり、当然すぎる要求だった。にもかかわらず、中国共産党は彼を弾圧し、投獄して時間をかけて殺してしまった。一体、中国共産党は何を恐れたのだろうか?なんの武器も持たない、非力な一個人にしか過ぎない男の何を恐れたのだろうか?間違いなく彼の言葉だ。民主化を求める彼の言葉は、独裁政権の正体を暴露し、その基盤を揺るがすほど強力な武器となった。その武器が中国各地で炸裂し始めたら、営々と築き上げてきた自分たちの権益を失うことになるかも知れない。それだけは絶対に許すわけにはいかない。中国共産党はそう考えたに違いない。民主化を唱える中国人は、他にも多数いる。問題は、その声の大きさ、民衆に与える影響力の度合いである。それによって抑圧の加減に違いが生じる。劉暁波氏は、天安門事件のリーダーの一人であり、非暴力で基本的人権を求める行動が評価されて、ノーベル平和賞が、獄中において授与された。劉氏は今や世界的に注目される人物になった。彼を野に放てば、大衆の民主化運動に火がつき、一党独裁が崩壊する。彼だけは生かすわけにはいかない。直ちに消したいが、そうすれば国際的非難が湧き起こり、まずいことになる。時間をかけて、徐々に弱らせて自然死に見せかけてやれ。傲慢で自分勝手な独裁政権がよく使う常套手段だ。我々は、かつてソ連共産党が同じように人間を単なる物として扱い、その自由を抑圧し、罪なき無数の人間を虐殺した歴史を知っている。共産党一党独裁政権は、人類の敵である。彼らは、人間の自由性を、原則として認めない。認めたら、彼らの独裁基盤が崩れるからだ。その思想は一方的片務的であるがゆえに、残虐の限りを尽くして、反省することがない。サルトルは『存在と無』の第2巻で、他者の存在とはどんなものか、哲学的次元で緻密に解明した。私が自由であるのと同様、他者も自由である。私が他者の自由を乗り越えるのと同じように、他者もまた私の自由を乗り越える。このように他者との関係は、そのお互いの自由性において、抜き差しならないものとなる。「私の意識は他者の意識の死を求める」とヘーゲルは言った。相手が意識のない石ころなら、投げ捨てようが打ち砕こうが、私の自由だ。だが、意識を持つ人間だと、そうはいかない。お互いの自由を認めないならば、社会が成立しなくなる。たとえ抜き差しならぬ関係でも、お互いの自由を認める他に、人間が生きる道はない。この認識こそ、民主性を保障する根本である。だが、共産党一党独裁政権は違う。人間の自由を原則認めない権力にとって、民主性は敵である。ゆえに、人間存在の本来のあり方を否定する共産党一党独裁政権は人類の敵であり、打倒しなければならない。劉氏と同じように、民主化を求める中国人はたくさんいる。我々は出来るだけ彼らと連携し、1日も早く中国が民主化されるよう働きかけるべきだ。


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9回目の辺野古:99対1の巨大な壁

これまで特定の政治活動をやった経験のないぼくのような人間が、なぜ辺野古の反対闘争に自らの意志で参加することになったか。3年前の知事選はじめ、すべての選挙で辺野古移設反対派が勝利したにもかかわらず、沖縄県民の意思を無視して安倍政権は、新基地建設を強行した。これが直接の引き金となった。その傲慢さは、歴代自民党政権の中でも際立つもので、それにたいする怒りの火がぼくのような普段は大人しい人間の内部で、激しく燃え上がったのである。そしてその背後には、多くの情報を調べた結果、海兵隊は沖縄に駐留する軍事的必然性がないことがわかった、ということがある。海兵隊の機能を考えるなら、本土のどこに置いても構わないのだ。グァムに全軍移転しようが、米本国に引揚げようが、一切構わないのである。沖縄の米軍基地は、嘉手納空軍基地を除くと、ほとんどが海兵隊関連施設だ。その要らない海兵隊関連施設をすべて撤去するだけで、基地の過重負担という沖縄の基地問題の大方は解決する。沖縄県民が主張し訴えていることは、決して無理難題でもなんでもないのだ。日本人として、当たり前のことを言っているに過ぎない。
正当な訴えであるにもかかわらず、県民の声が、国会に届かないのはなぜか?その原因の一つは、99対1の巨大な壁が、北緯38度線を挟んで、沖縄と本土の間に横たわっているからではないか、とぼくは、昨日辺野古行きのバスの中で、話した。総勢19人の中に、本土から来られた方が3名いた。特にその人たちに向けて次のように話した。「沖縄には、99体1の壁という言葉があります。それはどういう意味かというと、全国の人口を100とすると、沖縄県民はその中の1にしか過ぎません。だから99体1と言っていますが、それが大きな壁となり、沖縄では多数派を形成しても、全国レヴェルでは絶対的少数派です。県選出の国会議員も国会では、絶対的少数派に過ぎない。そのため、県民の意思はなかなか届かない、という現実があります。その大きな壁を乗り越えるにはどうすれば良いか。みなさんのように本土から、できるだけ大勢の方が、辺野古へ参加することで、この壁を乗り越えることができると信じます。皆さんに心から感謝します。その気持を込めて一曲歌います。」「実は今日は、ぼくに代わって歌ってくれる人を連れてきました。なかもとくにこさんに、沖縄育ちを6番まで歌ってもらいます。」と言ってから、スマホYouTubeにある曲、「沖縄育ち」をマイクに向けて流した。この企画が、乗員全員に受けた。バスの中は一気に和やかな雰囲気に包まれた。伊芸エリアでの小休止を入れて、約1時間半で現場に着いた。暑い。灼熱の太陽は、カミュの「異邦人」を思い起こさせる。国道の両側にフェンスが走っている。広大なキャンプシュワブである。テントの中に100名前後の参加者が集まっている。我々もその中に加わる。民医連の二人の紹介があった。熱中症や怪我人が出た時の応急処置のため、毎日、違うメンバーで参加しているという。なんと有り難く、心強いことか。全国どこにでも良心派がいる。だから生きていける。13時半を過ぎた頃、機動隊との攻防があった。機動隊は帰れ!コールの中、一人また一人と排除されていく。二人の隊員が、ぼくの両脇を抱えて、「そのまま歩いてくだい」と言う。「座り込みにきたんだから、歩かないよ」と言って、ぶら下がる形になった。そのまま運ばれると流石に両腕の付け根に負担がかかるが、もう一人の隊員がぼくの両足を抱えて持ち上げた。ハンモックのようになった。これだと楽ちんだ。すでに排除された参加者たちが閉じ込められている歩道の一角に運び込まれた。取りか囲んでいる機動隊員に向かって「ここはアメリカじゃないぞ。君達の向いてる方向が違うんだよ。」「ウチナーンチュが同じウチナーンチュを排除してどうするんだ?排除すべきはフェンスの向こう側の海兵隊だろうが!」「弱気を挫き強気に味方する、これが日本男児のやることか!」「恥ずかしいことをするな、アメリカの犬になるな!」「海兵隊が沖縄に要らないことははっきりしている。安全保障をもっと勉強しろ!」というようなことを、繰り返し大声で叫んだ。二十代の若い隊員たちの純粋な心にビンビン突き刺さる効果を狙って。もちろん無駄なことは百も承知の上だ。しかし非暴力が原則である以上、こうする他に方法はないのだ。参加者たちが機動隊に囲まれて身動きできない間、工事車両は基地内に入っていく。それを眺めながらどうすることもできない。1時間近くかかったであろうか、炎天下の中、我々は立ちっぱなしであった。一回目の攻防の後、参加者の約半数が帰っていった。もう一度搬入があるかもしれない、ということで我々は残ることになった。16時過ぎ、工事車両が現場に向かっている、という知らせが入ったので、ゲート前に座り込む。この時点では、参加者は30名前後に減っていた。この人数だと簡単に排除されて終わりだろう、と諦めの気分が強くなったが、そうではなかった。残った参加者全員が頑強に踏ん張った。機動隊の隊員たちの顔にも疲労の表情がみえる。我々は全員排除されたが、不思議なことに敗北感はない。視線の先は、日本政府、安倍政権だからだ。安倍政権の支持率は下降線をたどる一方だろう。辺野古へ参加する人々が絶えない限り、新基地建設は必ず頓挫する運命にある。帰りのバスの中で、美空ひばりの唐獅子牡丹を、スマホYouTubeからマイクで流した。「今日は、美空ひばりさんも連れてきています。唐獅子牡丹を歌ってもらいます。」バスの中が爆笑に包まれた。県庁前広場に着いたのは、18時過ぎ。一番遅い帰宅になった。辺野古は、ぼくにとって掛け替えのない実学の場となりつつある。

 

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勇馬氏に答える(7月6日の当ブログのコメントに対して)

勇馬様。論点はただ一つ、沖縄に海兵隊を駐留させる軍事的必然性があるかどうかです。ないとする私に対し、依然として貴方は多少の疑問を提示しています。今回のコメントにおける貴方の見解に触れながら私見を述べたいと思います。
1.貴方は元航空自衛官、数多久遠氏の見解に賛意を示しつつ、少なくとも無視できない有力な見方であろう、と述べています。確かに、数多氏の分析には無視できないところがあります。私は完全に氏の見解を否定はしません。しかし、正直なところ、疑問を感じざるを得ないのも事実です。まず、台湾海峡危機に関してです。約20年前、中国共産党は台湾の李登輝総統を脅迫する目的で、台湾に向けてミサイルを発射しました。この時、中国共産党の野心を挫折させた直接的要因は、米軍の第七艦隊を主力とする航空母艦群が台湾海峡に陣取って、中国に睨みを効かしたからでした。在沖海兵隊が駆けつけたからではありません。数多氏は、台湾有事に備えて、海兵隊が沖縄に駐留する意義を説いていますが、彼はそもそも、海兵隊が沖縄に配備される前は、本土に駐留していた事実を知っていて発言しているのでしょうか?1957年に起きたジラード事件やその他の米軍基地あるゆえに生じた事件・事故が原因で地元住民による米軍基地反対運動が強まるということがありました。そのため日本政府と米国政府は危機感を強め、種々曲折した議論を経て、最終的に海兵隊を沖縄へ移転することに決めたのです。つまりそれまでは海兵隊は本土駐留でも良かったのです。地元住民による反基地運動が起きなければ、そのまま駐留し続けたでしょう。この歴史的経過だけを考えても、海兵隊は沖縄でなければならないとする主張に確たる根拠がないことがわかります。ではなぜ沖縄に白羽の矢を立てたのか。それは、当時の沖縄が米国政府の統制下にあったからです。つまり沖縄なら移転しやすい。
米国は沖縄県民(当時は県民ではなく、沖縄人)に押し付ける強行策に出たのです。実際、沖縄では「島ぐるみ闘争」と呼ばれる熾烈な反基地運動が起きました。しかし、本土で反対運動が起きた時と違い、日本政府は沈黙を決め込み、海兵隊移転は強行されたのです。この歴史的経過を考慮するなら、数多氏が在沖海兵隊は、台湾有事の際の人質として有用であるとする主張は、後付けの論理にしかすぎず、説得力としては非常に脆弱である、と言いたい。
「アメリカが、台湾への肩入れを止めるならば、沖縄に海兵隊を置いておく必要はありません。国外への兵の駐留は、アメリカにとっても負担ですから、当然に撤退することになるでしょう。ただし、その結果、台湾が中国に取り込まれた後、沖縄がどうすべきかも考えておく必要があります。その時は、沖縄が最前線ですが、アメリカが人質を置いてくれるかどうかは分かりません。台湾放棄論・沖縄放棄論が出ることも考慮しておくべきです。」
と数多氏は述べていますが、とても元航空自衛官の発言とは思えません。国外の駐留は米国にとって負担だと言っていますが、財政的負担のことだとすれば、在日米軍は世界中に存在する米軍の中で、その負担率は最も低いはずです。前防衛大臣中谷氏によれば、在日米軍の約85%の駐留経費を日本政府が負担しているとのことです。これだけ面倒見が良ければ、在日米軍が自主的に撤退することは考えにくい。そして台湾が中国に取り込まれた後、沖縄が最前線になり、その際、台湾放棄論・沖縄放棄論が出ることも考慮しておくべきだとも述べていますが、どうしてこのような発想になるのでしょうか。確かに我が国から全米軍が撤退し、東シナ海の海底を遊弋しているであろう米原子力潜水艦も姿を消せば、そうなる可能性は大いにありうるでしょう。しかし、数多氏が言及しているのは、沖縄から海兵隊が撤退したらという仮定です。それだけで、つまり沖縄から海兵隊が撤退しただけで台湾放棄論・沖縄放棄論が出てくるのでしょうか?とても信じ難い。何故なら、沖縄から海兵隊が撤退しても、嘉手納空軍基地も、第七艦隊も、原子力潜水艦も、そしてもちろん我が自衛隊もそのまま存在するからです。これだけ強靭・強力な抑止力がありながら、台湾放棄論・沖縄放棄論が出てくる理由が理解できません。いくら元航空自衛官とは言え、思慮に欠ける発言と言わなければならないでしょう。
自衛隊が国軍として(いかさまの自衛力ではなく戦力として、警察力ではなく軍隊として)認知され、米軍に置き換わるまでの沖縄と日本の防衛は遺憾ながら米軍に頼らざるを得ないのが現実ではないでしょうか。台湾が盗られれば次は沖縄です。」
勇馬氏は、そう述べられています。しかし一体、米軍に頼らざるを得ない状態は、この先いつまで続くのでしょうか?20年でしょうか、50年でしょうか?私の考えでは、辺野古新基地が完成したら、日本の真の独立は100年遅れると思います。そうさせてはならないから、中国共産党に対する必要不可欠な抑止力を維持しつつ、同時に国策を自主防衛路線に転換させるべく、大声で叫び続ける必要があると言っているのです。沖縄に海兵隊を駐留させる軍事的必然性はありません。海兵隊の機能を考えるなら、九州でも四国でも構わないのです。我が国が真の独立国家になるまでは、日米安全保障条約が必要というならば、その基地負担は全国で公平に担うべきでしょう。沖縄県民が訴えているのはこの一点です。
2.多くの識者が言っているように、尖閣防衛に海兵隊の出る幕はありません。小さな無人島に兵隊を上陸させても、戦闘機から発射されるミサイルの餌食になるだけです。
3.私は、沖縄に海兵隊が駐留する軍事的必然性はないと確信しているので、普天間飛行場辺野古への移設は容認できません。
4.「翁長知事が同じ国家の外交問題である尖閣辺野古で矛盾した行動をとっていることに関して、「私は、先日の返信で、この件に関しては十分論を尽くした」と答えておられますが、恐縮ですがどの箇所か再言して頂けないでしょうか?」
勇馬氏が田母神氏に言及した折、以下のように私見を述べました。これで十分論を尽くしたと考えた箇所です。
「“米軍普天間基地辺野古移転に対する翁長沖縄県知事の対応はどこまでも政府の方針に反対である。これほどまでに日本政府に反対のこぶしを振り上げる理由は何なのか。沖縄県知事は日本の安全保障に責任を持てない。知事は尖閣周辺で無法を働く中国船などについては何の発言もしない。” 田母神氏は、確かに軍事に関しては専門家です。しかし、全知全能の神ではありません。田母神氏の発言には論理の矛盾があり、沖縄に対する無理解があります。「 沖縄県知事は日本の安全保障に責任を持てない。」のであるならば、どうしてその知事が領有権を争って一触即発の危険を孕む尖閣問題で、中国政府を非難できるのでしょうか?知事の一言が事態をさらに悪化させることだって十分に考えられる。一市民ならいくらでも批判できるでしょう。現にネット空間では非難合戦が繰り広げられています。しかし、県民の責任を背負う立場にある県知事に果たしてそんなことが許されるのか、大いに疑問です。尖閣問題は、日本政府と中国政府との安全保障問題そのものではないですか。自衛隊を指揮監督する日本政府が責任を持って対応すべき政府の専権事項です。
仮に翁長知事が中国船の無法ぶりについて発言したとしましょう。それで中国共産党の政策が変わるとでもいうのでしょうか?翁長知事は中国共産党の政策を変えさせるほどの大物政治家でしょうか?是非そうあって欲しいものですが、現実はそうではありません。むしろ中国を名指しで非難すべきは、絶大な権力を有する日本政府ではないですか。 「 米軍普天間基地辺野古移転に対する翁長沖縄県知事の対応はどこまでも政府の方針に反対である。これほどまでに日本政府に反対のこぶしを振り上げる理由は何なのか。」 理由ははっきりしています。多くの県民が辺野古移設に反対だからです。その県民が翁長知事を支持しているからです。我々沖縄県民は、3年前の選挙で36万票対26万票という圧倒的票差で翁長知事を選んだのです。民主主義社会において、この事実は重い。政府は沖縄県民の意思を尊重すべきです。田母神氏の言い方は、まるで政府の方針だから反対しているのだ、のように聞こえるが、政府の正しい方針には賛成し、正しくない方針には反対する。民主主義国家では当たり前のことで、他の自治体も同じではないかと思うのですが、どうでしょうか?」
5.沖縄に海兵隊が駐留する軍事的必然性はないと確信しています。従って、辺野古闘争に身を投じることが、中国共産党の利益につながるとは思いません。
「チャイナマネーの流れは極秘裏に行われているため具体的に説明できませんが日本社会党飛鳥田、土井、浅沼らにソ連のカネが渡っていたことは暴露されました。公安が密かに把握することを同時代に公表することはありません。」
と勇馬氏は先日の私の質問に答えておられる。非常に残念です。具体的に説明できないのに、勇馬氏は、沖縄の反基地闘争にはチャイナマネーが間違いなく流れている、と断定されたのですか?なんら根拠のないデマを信じたとしか思われません。
「闘争現場にハングル文字があったことは韓国朝鮮人がデモに参加している証ですが、Kinbushi様がそれを歓迎されるのは何故でしょう。」
私は確認していませんが、仮に韓国朝鮮人がデモに参加しているとして、何か不都合なことでもあるのでしょうか?彼らが北朝鮮工作員なら当然容認できないどころか、現場から追い出されるでしょう。しかし、良心的韓国人なら大歓迎です。現場には退役米軍人の方も来ます。おかげで私は、その一人である『経済成長がなければ私たちは豊かになれないのだろうか』の著者ラミス氏を知ることになりました。2度辺野古行きのバスで同乗し、言葉を交わしたことがあります。高齢のためか、最近は見かけませんが。韓国人だろうが、アメリカ人だろうが、辺野古闘争に参加する良心的人間は誰だろうと大歓迎です。勇馬氏も是非参加してほしいものです。当然、大歓迎されることでしょう。百聞は一見に如かず。
6.私は勇馬氏とは違い、現在の日本の大多数は衆愚国民とは思いません。身の回り全てが師であると考えることにしています。従って当ブログを啓蒙のためと考えたことは一度もないのです。自分がこれまで考えて来た様々なことを、少しづつ整理できたらと思い、拙い文を綴っているに過ぎません。日々、自問自答を繰り返しています。自問自答こそ本物の学問である、というようなことを確か、小林秀雄本居宣長の講演で語っていた、と記憶にあるのですが、勿論、そのような大げさな気分ではありません。
7.私は民主主義のなんたるかを、西部邁氏から学んだように思います。西部邁ゼミナールは面白い番組で毎週見ています。YouTubeはすごいですね。テレビで放映されない貴重な情報を得ることができるのですから。ところで、勇馬さんはブログを開設しているとのことですが、良かったらブログ名を教えて頂けませんか?


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本居宣長の言葉が意味するもの

二十代前半、精神的に悩んでいた頃、キリスト教に入信しようかどうしようか、と迷ったことがあった。新約聖書に記されたイエス・キリストの言葉は、悩める魂を救ってくれそうな気がしたからである。伝道に訪れたエホバの証人を家に招き入れ、彼らの話に耳を傾けたこともある。しかし、入信に至ることはなかった。最後まで入信を踏みとどまらせたものは何だったのだろうか?それが判明するまで長い歳月が流れた。東京で暮らしていた頃、池袋の有隣堂書店で『般若心経』という本を偶然目にした。著者はバグワン・シュリ・ラジニーシという。著者というよりも講話者というのが正確かもしれない。弟子たちの前で話した内容をそのまま弟子たちが本にしたものだからだ。最初のページを開く。
「あなたの内なるブッダにごあいさつします」
最初に飛び込んで来たこの言葉は、予期せぬ不思議な力でぼくを魅了した。ラジニーシが語る平明な言葉には深い意味が込められていることが、読み進むにつれ分かってくる。忽ちラジニーシの言葉の虜になり、その日以来、彼の本を次々買い求めるようになった。気がつくと数十冊が本棚に並ぶことになった。三十代後半から四十代にかけて、ぼくはラジニーシの弟子だったことになる。勿論、聖名をいただかない、ヤクザな弟子にしかすぎないのだが。しかし、そんなことはどうでも良い。長い間解決できなかった宗教に対する疑問が、ラジニーシのおかげで完全に氷解したのだ。禅の講話を始める頃、彼はラジニーシの名を改めて、和尚という一般名を使用するようになる。その和尚から学んだことは、知識としての宗教ではなく、宗教の本質である。宗教は完全に個人的なものであるということ。組織化された宗教は、宗教とは言えず、むしろ政治と呼ぶべきである。その目的は、一人でも多くの信者を増やすことだからだ。宗教の本来の姿は、禅において体現されている。人間にとって一番大事なことは、いまこの瞬間のここである。この真理が理解できたら、あとは実践するだけだ。長期間にわたる独自の実戦の結果、ぼくはようやく和尚を卒業できたように思う。和尚の本は、数冊だけ残して、ほとんどを処分した。
「私の言葉にとらわれてはいけない。夢の中に、私が現れたら、私の首を切り落としなさい。」
和尚自身の言葉である。本物の光明を得た仏陀に匹敵する人物であった。
さて、個人的に自分の中で宗教に対する疑問は解決したが、ぼく自身は光明を得たわけではない。未だに極平凡な一人の人間にしかすぎない。そんな折、本居宣長の次のような言葉に出会った。
「さて又神道に教えの書なきは、これ眞の道なる證也。凡て人を教えておもむかするは、もと正しき經の道にはあらず。然るに其教えのなきを以て、其道なしと思ふは、外國の小き道々にのみならひて、眞の道を知らざる故のひかごと也。教のなきこそ尊とけれ。教を旨とするは、人作の小道也。」
まさに目から鱗である。教えの書なき神道!なんという爽やかなる道であろうか。キリスト教イスラム教も仏教も、凡て分厚い教書を持っている。だから後世の信者による解釈の相違が出て来た。争いの種が発芽し、論争が巻き起こり、戦争にまで発展した。しかし、我が神道は、教えの書を持たないという。我が国の古代人は、教えの書を作れば、解釈の争いが起きることを予見し、ある意味、人間の愚かさを、達観していたのだ。以来、ぼくが信じる宗教は神道である、と自信を持って言うことにしている。悟りを説く和尚の教えは、ぼくのような凡人には高級すぎる。しかし、神道は自然にすんなりと、少しの無理もなく、ぼくの中に入るのである。教えの書はなくとも祈る心があるだけで十分ではないか。古代の人々のとてつもない知恵に敬意を払いたい。さて、さらに論じれば、神道を持つ我が国であれば、憲法不文憲法で良いではないか、と言いたいのだ。現在の占領憲法を廃止して、不文憲法とするのだ。スッキリして良いと思うが、いかがなものだろうか。我らの先祖にできて、今を生きる我らにできないはずはないと思うが。

 

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