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沖縄よ! でぃぐぬ花日記

祖国は日本。郷土は沖縄。日本国を愛し、沖縄を愛する者として、発信していきます。

琉球新報社説子の歴史認識を批判する

今日の琉球新報の社説は「全学徒隊の碑 「強制動員」の歴史忘れまい」というタイトルで平和記念公園内に「全学徒隊の碑」が建立されたことについて述べているが、社説子の歴史認識に違和感を覚えるので、その点だけ批判したい。
< 沖縄に配備された日本軍の任務は、沖縄を守り抜くことではなく、米軍を一日でも長く引きつけて「出血消耗」させ、日本本土への攻撃を遅らせることだった。>

半分は真実であるが、半分は嘘である、というよりも社説子の独断が入っているため、真実が曇っているといったほうがより正確だろう。社説子の意図が日本軍を非難することにあるのは明らかだ。真実に近づくためには、当時、日本を取り巻く全戦局、沖縄の戦略的位置付け等、日本がどういう局面に立たされていたか、その全体像を把握する必要がある。詳述は控えて、沖縄に限っていえば、米軍の大艦隊が沖縄を包囲した時、すでに日本の敗戦は濃厚で、終戦の僅か四ヶ月前であった。米軍に較べて、我が軍の兵力は圧倒的に僅少で不利であり、沖縄を守るための戦略は限られていた。

<沖縄に配備された日本軍の任務は、沖縄を守り抜くことではなく、>と社説子は書いているが、そうではない。もはや、沖縄を守り抜くことが不可能な状況下にあることは、大本営も沖縄守備隊の軍首脳部も理解していたのだ。そうであるなら、残された道はただ一つ、祖国防衛のために最善を尽くすことである。

敵兵を一人でも多く殺して、敵軍をできるだけ消耗させること、それ以外の選択肢はない。戦争とは、殺すか殺されるかである。この冷徹な現実を踏まえた上で、参謀八原博通は必死に最善の策を練り、作戦を遂行したにすぎない。そして、ひめゆり学徒隊他、全学徒隊も命懸けで負傷兵達の治療に専念した。アメリカ軍の圧倒的物量に敗北したとはいえ、我が日本軍はよく戦った。大田中将が海軍次官に当てた電文は沖縄戦の内実をよく伝えている。

「一木一草焦土と化せん。糧食6月一杯を支うるのみという。沖縄県民斯く戦えり。県民に対し、後世特別の御高配を賜らんことを。」

米兵を恐怖におとしめるほど、日本軍人が精神的に強靭であったのはなぜか?日本に確たる大義が存在したからである。その大義とは、大東亜戦争自衛戦争であると同時に、東南アジア諸国を欧米帝国主義の植民地から解放することであった。「開戦の詔勅」に明らかである。

社説子に悪意はないとしても、歴史を表層的にしか見ていない嫌いがあると思うがどうだろうか。GHQ憲法の眼に見えぬ悪しき効力が、ここでも見事に、社説子に影響を及ぼしている、というべきだろう。

<今回建立された碑は、沖縄戦の実相を伝えると同時に、子どもの生命を脅かし夢と希望を奪う行為を許してはならない-というメッセージを発信する場となってほしい。>

二年前、セルラースタジアムで翁長知事候補の応援演説に立った、今は亡き菅原文太が次のように述べた。「政治家の仕事は二つある。ひとつは、国民に体に良い食料を提供すること。もうひとつは、戦争をしないこと!」

聴衆から怒涛の拍手がわき起こった。ぼくも感動して、胸が熱くなったものである。少数の好戦的人間を除いて、戦争を好む人間はいない。人間同士が殺し合い、自然を破壊し尽くす戦争は、母なる地球に対する人類の最大の罪であると思う。戦争は反対だ!と、ぼくも大きな声で叫びたい。

しかし、戦争ができない仕組みを、人類はまだ編み出せずにいるのも冷厳なる事実だ。永久平和の過程に人類はいるのだと、多少楽観的に考えたところで、こちらに落ち度がなくても殴りかかってくる他者が存在する以上、万全の備えは必要だろう。最悪の場合、戦わざるを得ないのが現実だ。

社説子が言っているように、全学徒隊の碑が沖縄戦の実相を伝え、平和のメッセージを発信するのは大変良いことであるが、同時に、学徒隊は祖国防衛のためによく戦ってくれたと、感謝の気持ちを持つことも大事なことだと、強調しておきたい。