沖縄よ! 群星むりぶし日記

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欠陥施設・辺野古新基地になぜ安倍内閣は固執するのか?

安倍内閣が強行して進めている辺野古新基地は、明らかに欠陥施設であることが確実となった。新基地が欠陥施設だと指摘したのは、安倍内閣ではなく、あろうことか米政府側である。

沖縄県庁は『辺野古埋め立て承認撤回聴聞通知書』において、17年4月5日に公表された米会計検査院の米軍再編に関する報告書について次のように指摘している。

辺野古の代替施設が緊急発着する固定翼機にとって短すぎること  ② 国防総省は緊急発着する固定翼機のための長い滑走路を沖縄において特定し、日本政府に提示する可能性があること  ③ この運用上の欠陥を解決しなければ、運用能力の維持という課題に直面し、それを維持するために更に高いコストがかかる可能性がある

辺野古新基地が欠陥施設だと警鐘を鳴らしたのは米政府だけではない。海兵隊政治顧問として沖縄で働いていたエルドリッジ氏も、普天間飛行場移設問題に関わってきた当初からずっと、辺野古移設に異議を唱えて、辺野古新基地の欠陥をあらゆる面から指摘している。

彼はその著作『オキナワ論:在沖縄海兵隊元幹部の告白』にその経緯を詳しく書いている。エルドリッジ氏は、沖縄市にある建設会社が設計した「勝連構想」に惚れて、その実現のために奔走した。軍事専門家としての立場から考察して、「勝連構想」だけが文句なしに必要条件を満たしている、と彼は断言している。

海兵隊の幹部も彼の提案に賛意を示し、ペンタゴンの担当者も同調するがしかし、エルドリッジ氏は次のように書いている。

< (勝連構想は)かなり注目されましたが、ペンタゴンの言い分は、「この案が一番いいのは認めるが、日本政府から提案しない限りは無理だろう」というものです。さらに、「沖縄県が提案しない限り、日本政府はアメリカに打診して来ないだろう」とも言いました。確かに、それはアメリカ政府ではなく日本政府かあるいは沖縄県が言うべきことであり、アメリカ政府が表に出さなかったのは仕方のない判断だったと思います。(同書59頁)>

エルドリッジ氏が最大限に評価した「勝連構想」は正式に表に出ることはなく、その後埋没した。

< 私は海兵隊に入る前から辺野古の問題点については自分なりに考え、長年の調査でよく理解していました。それだけに心配で、だからこそ辺野古移設ではない勝連構想を発表した。(略)いずれにせよ、これだけは言っておきたいのは、当時の防衛庁が無理な嘘に嘘を塗り重ねてしまったということです。(同62頁)>

< 莫大なお金がかかる、作業が難しい、環境に影響がある、さらに造られる滑走路は短くて使えない。それでもなぜ辺野古だったのか?冷静に振り返っても、この決定は日米同盟の管理上の大失敗でした。その後の鳩山政権がなかったとしても、これは変わらない事実です。(同63頁)>

エルドリッジ氏は、あくまでも米軍の立場から考察している。当然といえば当然のことだが、しかし、米国人らしく、その思考方法は合理的だ。合理的考察をするエルドリッジ氏でさえも、辺野古新基地は欠陥施設だと太鼓判を押しているのだ。

今朝の琉球新報は、辺野古断層について報道している。以前から指摘されてはいたが、地質学の専門家から「極めて危険な活断層」と改めて指摘されると、辺野古移設を強引に進める安倍内閣と防衛局の杜撰、無責任さにやり場がないほど腹が立つ。

「極めて危険な活断層」だけではない。C護岸真下は「極めて危険な超軟弱地盤」だ。

昨夜、NHKノモンハン事件を特集していたが、上層部の判断の過ちが、いかに国家の存亡に悪影響を与えるか、我々は大いなる警告として受け止める必要があるだろう。国家を運営する上層部が間違った判断をすると、亡国の道に入り込む危険がある。

欠陥施設が明らかになった辺野古新基地であるのに、「辺野古が唯一」と繰り返す安倍内閣と防衛局こそ、紛れもなく「極めて危険な人間たち」だ。こんな連中に日本の国家運営を任せるわけにはいかない。ヒタヒタと押し寄せる亡国の足音が聞こえてくる。

 

翁長知事が残した大きな遺産、郷土愛・同朋愛

昨日の朝、ベッドから起き上がろうとした時、眩暈がして倒れそうになった。10日に、これまで経験したことのないような急激な体調異変の後、翌日の県大会に参加したのが良くなかったのか、あまり気分がすぐれない。

そのため、翁長知事の告別式に参列するつもりで準備していたが、用心のため家でじっとせざるを得なくなった。告別式の様子をテレビのニュースで見た。祭壇に飾られた翁長知事の遺影は、まるで知事がいまにも声をかけてくるかのように明るい表情をしている。知事は笑顔の素敵な人だった。

参列者は予定の時刻が過ぎても途切れることがなかったらしい。多くの市民県民が知事の早すぎる死を悼んでいる証拠だ。ぼくは翁長氏を個人的に知っているわけではない。新聞報道や他の情報で知る限り、政治家としての氏は常に市民目線に立った行政サービを心掛けたという。

氏は終生、心底郷土沖縄を愛した正真正銘のウチナーンチュだった。公の場で琉球語うちなーぐち)を多用した政治家は翁長氏の他に誰もいない。

「はいさい、ぐすーよー、ちゅううがなびら(こんにちは皆さん、ご機嫌いかがですか)」は冒頭の挨拶として馴染み深い言葉になった。とりわけ我々県民が驚き、勇気を奮い立たせられた言葉は、4年前の菅原文太も応援演説に立った、あのセルラースタジアムで発せられた言葉だった。

「うちなーんちゅ、うせーてー、ないびらんどーさい!(沖縄人を馬鹿にしてはいけないよ!)」

この言葉を聞いた聴衆は大きくどよめき、会場が割れんばかりの大拍手が沸き起こった。うちなーぐちがわかる世代の琴線に触れる衝撃的な言葉だ。あの瀬長亀次郎でさえ、天国から見てひっくり返ったに違いない。そして、次のように叫ぶ姿が目に浮かぶようだ。

「したいひゃー、たけし!(でかしたぞ、たけし!)」

翁長雄志と瀬長亀次郎は政治的立場は違っても、誰にも否定できない共通するところがあった。二人とも、郷土沖縄を愛することにおいて、誰にも負けない強烈な自負心があった。その誠実さ、信念、勇気、嘘をつかない気さくな性格。二人の郷土沖縄に対する愛情は純真そのものだった。だから大衆は二人を愛し、尊敬したのだ。

翁長雄志と瀬長亀次郎が沖縄にもたらした遺産は巨大なものがある。それは「不屈」の精神だ。地球儀を見ると米粒ほどもない小さな沖縄で、強大な日米両政府に真正面から正論を述べ、異議申し立てをするということは、揺るがない信念と勇気がなければできることではない。

だから米軍は瀬長亀次郎を恐れ、安倍内閣は翁長雄志を恐れたのだ。瀬長亀次郎に圧力をかけて那覇市長から追い落とした米軍事政権。辺野古新基地阻止を公約に掲げて圧倒的票差で当選した翁長知事に圧力をかけて工事を強行する安倍内閣

日米両政府の目に余る圧力は、二人の本物の政治家を恐れた確たる証拠だ。強大な政権を持つ者は、弱い立場にある者に対して、真摯な態度で耳を傾けるのが本来あるべき民主主義国家の姿であるはずなのに、日米両政府にそのような姿勢は露ほども見られない。翁長知事が言ったように、まさしく政治の堕落に他ならない。

特に今の安倍内閣は、政治を私物化する、まるで駄々っ子のような戦後最悪の内閣だ。米政府にしっぽを振るしか能のない意気地なし政権だ。弱い立場にある者に平気で圧力をかけ、強い者にしっぽを振る。こんなだらしない政治姿勢で日本の歴史を前に進めることができるか、馬鹿者!

瀬長亀次郎が成し得ず、翁長雄志が実現した大きな政治的遺産がある。それは、イデオロギーよりもアイデンティティという保革合同を成し遂げたことだ。部分的達成だとは言え、その政治哲学は、沖縄のこれからの政治を考えるとき、最も重要な理念を形成したと言える。

沖縄の政治の不幸は、小さな島であるにもかかわらず、中央の政党に系列化しないと政党として成立し得ない現実にある。本当は、沖縄独自の歴史・文化・伝統に根ざした特有の政党が主導権を握って然るべきなのに、現状は社会大衆党という地元の少数派政党が頑張っているに過ぎない。

その社会大衆党は国会ではほとんど非力だ。このような沖縄にとっては不利な情勢下で、自民党に所属して政治を行ってきた翁長知事の政治哲学は、保革が合流しない限り、沖縄の現状を根本的に変革することはできない、という強い信念にあった。

小さな沖縄で保守だ革新だとお互いの主張を言い合うだけなら、千年経っても沖縄の問題を解決することは不可能である。そのためには主張の違いを乗り越えて、保革合流を目指すべきである。

翁長知事はそう考えた。その根底には郷土沖縄にたいする深い愛があった。同じウチナーンチュに対する深い同朋愛があった。

この郷土愛・同朋愛こそが大きな接着剤になり得る。各政党に所属してはいても、ウチナーンチュは誰でも郷土愛・同朋愛を持っている。だから沖縄では、自民党共産党が合流しても少しも不思議ではないのだ。事実、翁長県政は自民党の一部と革新政党が合流して成立した政権である。

それを成し遂げた翁長知事の指導力・胆力は見事だった。どんなに称賛してもしたりない。翁長知事が我々県民に残してくれた大きな遺産である。さて問題は、翁長知事亡き後この大きな遺産をこれからどのように活かしていくか、である。

その課題に対する答えは極めて単純だが、単純ゆえに難しいとも言える。それは各政党の政治家は、中央の指令に従順になることから脱却することだ。県民の目線から考えて沖縄の利益にならない事案に対しては、中央に対してはっきりと物申す。できないものはできない、受け入れられないものは受け入れないとはっきり言う。

あくまでも郷土愛・同朋愛に立脚して行動する。郷土愛・同朋愛を一番目において、中央からの指令は二番目に置く。翁長知事にできて他の政治家にできないはずがない。翁長雄志という政治家が率先して示した政治行動を一人一人の政治家が実践すれば、沖縄が大きく変わる可能性がある。

そのためには翁長知事が模範を示したように、これから沖縄の未来を託される政治家諸君が命懸けで沖縄県民のために働くことだ。

 

死者とともに生きる

台風の接近で悪天候にも関わらず、昨日開催された県民大会の会場となった奥武山陸上競技場には大勢の人が集まり、異様な熱気に包まれた。

ぼくは集団に参加することが苦手であり、好きではない。昔からそうだった。しかし、不思議な力に吸い寄せられるように奥武山公園に向かったのである。その不思議な力とは、8日に死去した翁長知事の魂に間違いないだろう。短袖の青いシャツと青いタオル、そして腕に喪章を着けて参加した。

主催者によると参加者は最終的に7万人に達したらしい。しかし、ぼくの実感としては、4〜5万人くらいではないだろうかと思う。もちろん正確な数字がわかるはずもない。ただ予想以上に多くの人々が参加し熱気に包まれたのは事実だ。

最初に1分間の黙祷があった。それから謝花喜一郎副知事はじめ、多くの人が登壇し演説したが、参加者全員が最も感動したのは、翁長知事の声が流れた時である。

慰霊の日におこなった翁長知事の式辞を録音したテープが流されると、会場がシーンと静かになった。慰霊の日と全く同じ生々しい音声が流れる。落ち着いて澄んだ声。淡々と語る言葉から郷土沖縄に対する深い思いが伝わってくる。参加者全員が感動を新たにし、音声が止むと大きな拍手が沸き起こった。

すすり泣く女性がいた。思わずぼくも、目頭が熱くなった。翁長知事は確かに生きている!肉体は消えても、彼が残した言葉は生き続ける。演壇に翁長知事がこの日かぶることになったであろう帽子が椅子の上に置かれていた。それを見て不思議な感覚に襲われた。人間の死とは一体なんだろうか?

素朴な疑問だが、又、素朴であるがゆえに正解を得るのは難しい。しかし、確実に言えることがある。生きている人間の記憶の中で、死者は生き続けるということ。18年前に亡くなった母は、今もぼくの中で生きている。毎朝のうちゃとー(お茶を仏壇に捧げること)の際、短い会話を交わす。飾ってある写真の母の表情が毎日、微妙に変化する。

それだけではない。亡くなった叔父、従兄弟、姉、友人・知人すべての人々が今もぼくの記憶の中で生々しく生きているのだ。彼らが本当の意味で死ぬ時は、ぼくが死ぬ時だろう。ぼくの記憶から完全に消え去る時だろう。

しかし、ぼくが死んだ後も生者の中で彼らは生き続ける。このように死者と生者の交流は永遠に続く。

辺野古新基地に反対する人は、会場に集まった人たちだけではない。反対の意思表明をして亡くなられた多くの死者達も含まれる。彼らの肉体を見ることはできないが、参加者一人一人の記憶の中で生きている。

「県民はあきらめない!」と書かれたプラカードを参加者全員で高く掲げて反対の意思表示をしたが、多くの死者達がともにいることを忘れてはならない。我々が生き続ける限り、死者達もまた、生き続けるからだ。

菅義偉官房長官は10日の翁長知事の通夜に参列した後、記者の取材に次のように語っている。「知事とは普天間飛行場辺野古移設については意見が分かれていたが、沖縄の振興発展について話し合ってきた。大変思い出深い、そういう思いで焼香した」

この言葉に菅義偉という人間の人格がよく表れている。「沖縄の振興発展について話し合ってきた」結果、県予算を3年間で500億円も削ったのは一体誰だ?翁長知事が当選した4年前、面会のため上京した知事に会わず、知事に恥をかかせ、その後も4ヶ月に渡って、知事の再三の面会要求に聞く耳を持たず、高慢な態度をとり続けたのは、一体どこのどいつだ?

こんな冷血漢に知事の通夜に来てもらいたくなかった。多くの県民はそう思ったことだろう。代役にきてもらうだけで十分だったのだ。しかし、菅は臆面もなく日帰りの日程でやってきた。

彼の腹の内は知れている。前倒しで行われることになった来月の知事選に向けて、知事の死去の結果予想される県民の知事選にかけるエネルギーの爆発を恐れて、それを少しでも鎮め、既に自党候補に内定した佐喜真宜野湾市長に有利になるように、いかにも菅義偉という人間は情に厚いかを演出するための焼香だったのだ。

辺野古新基地の利権にこだわる菅にしてみれば、C護岸直下の軟弱地盤を強化する難工事に伴う設計変更を認可する知事がどうしても必要である。だから何が何でも今度の知事選に勝たなければならない。

そのための手段は選ばない。だから本心では来たくもない通夜にやって来たのだ。事情に明るい県民にとって、彼の本心は丸見えだ。

安倍晋三が頭の悪いお坊ちゃん政治家だとすれば、菅義偉は腹黒い陰気な性格の政治家である。この二人が総理大臣と官房長官という要職を占める今の売国奴政権に、我々沖縄県民はどんなことがあっても屈するわけにはいかない。

昨日の県民大会は、そのことを誓い再確認する意味で、非常に意義深いものとなった。菅の企みとは逆に、日にちが経過するにつれ、辺野古新基地阻止闘争は益々激しくなるだろう。

大会が終わってモノレールに乗り、おもろ駅で降りた。新都心につながる通路を歩いて階段を降りている時、偶然、高校時代の同級生に出会った。豊浜弘だ。何十年ぶりの再会である。懐かしい。奥さんと二人で県民大会に参加した帰りだという。歩きながら話が弾み、一緒に食事をしようということで、メインプレイスに入ったら、食事処はどこも順番待ちで、ほとほと参った。

待っている間も話は尽きず、時間があっという間に過ぎていく。すず屋という店でおかず定食をとった。食事中もいろいろ話し込んだ。店を出て別れる時、電話番号の書かれたメモをもらった。

近いうち、機会を見つけて談笑したい。

 

人の命

姉の見舞いに行くために、軽い準備体操をした。徒歩で行くか、自転車にするか少し迷ったが、久し振りに自転車で行くことに決め、それで念のため軽い準備体操をしたのである。

姉が入院している病院は南風原町にある。徒歩で約45分、自転車だと約12分前後かかる。上り坂が多いので自転車で行くとかなりきつい。しかし快晴でもあり、時間が短縮できるので自転車で行くことにした。

しかし、この選択は間違っていたことがわかる。自宅を出て県道222号線に抜ける急な登り坂を一番軽いギアで登りきった辺りで早くもバテてしまった。いつもより急な疲労を感じた。

それでも識名トンネル入り口の信号までの緩い登り坂を、自転車に乗ったままで上りきった。この無理な頑張りが不幸を招いた。信号を渡りきり、識名トンネルに入った。トンネルの中は暗いので、着脱式のサングラスを上にあげた。いつもより疲労を感じる。出口近くに来ると陽射しが強くなるのでサングラスを下ろした。約560メートルのトンネルを抜けると、いよいよ体の異常を感じるようになった。

真地大橋に入ると、橋の敷石は白色で太陽の光を反射して眩しい。真地大橋も登り坂である。中程まで進んだところで、我慢できず自転車を降りた。視界が混濁してきた。軽い吐き気がする。明らかに異常事態である。自転車を引きトボトボ歩きながら、このまま強い陽射しに晒されたまま転倒するのではないか、と恐怖心に苛まれた。

先を見ると、橋の終わるところに木陰がある。頑張ってそこまで行き休むことにしよう。なんとか木陰にたどり着くと、落ち葉が敷き積もるところに腰を下ろした。木を支える棒に背中を持たせて、眼を閉じる。呼吸が荒くなっている。落ち葉から立ち昇る匂いを嗅ぐ。甘い香りに少し救われた気がする。

車の往来が激しくうるさい音はだるくなった体を攻撃しているような感じがしていたたまれない。眼を開けると視界は完全に白く混濁し、外界がぼやけて揺れている。このままでは危ない、と思い落ち葉が集積するスペースに体全体を合わせるようにくの字型になって横になった。

眼を閉じてじっと体が回復するのを待った。こうなった原因はなんだろうか、と考えた。日頃の運動不足か?暑さが続いたための夏バテが原因か?それとも自分には縁がないと思われた熱中症

あるいは致命的な病気が進行している?一瞬、翁長知事の死が脳裏をよぎった。このまま死ぬかも知れない。行き交う自動車の暴力的な騒音と落ち葉と木陰の優しさを感じながら帽子を枕に、ただただじっと横たわっていた。何分過ぎただろうか、頭の方から人の足音が聞こえた。眼を開けると、ぼくが来た方向と逆方向に歩いて行く一人の男性の背中が見えた。

男性は振り返ってぼくを見ることもなく、そのまま通り過ぎていった。なんと、白く混濁し消えていた視界がクリアになっているではないか!なんとか回復したのだ!

慎重に身体を起こした。三段になったガードレールを利用して上段を両手で握り、両脚を交互に中断に乗せて屈伸運動をした。もう大丈夫だろう。引き返さずに、病院に向かうことにした。それでもまだ自転車に乗ることはできない。用心するに越したことはない。

自転車を引いて歩きながら、南部病院前のバス停のところまできた。ここで自転車を置いて行くことにした。何故なら、そこから数分先の横断歩道から、目的地の博愛病院までは急な上り坂になっているからだ。幸いこの辺りは歩道に樹木が被さって木陰が続いている。自転車が太陽に灼かれないで済む。

盗難防止用の鎖をガードレールに繋いだ。横断歩道の手前にコンビニがある。そこで小休止ついでに水分補給することにした。トイレにも行きたい。店に入ると先にトイレを目指した。お腹の状態がずっとおかしい。

体が少し回復したとはいえ、不幸なことに、このトイレが難所となった。便秘だ。今まで何度も苦しい便秘を経験してきたが、今回は苦しいなんてものではない、生まれて初めて経験する異常なものとなった。

どうしても出てこない。便意はあるのだが、どんなに力んでも出てこない。電気が消える。手を振りかざして人間がいることをセンサーに察知させて再作動させる。ドアをコンコン叩く音がする。間をおいて何度も叩く。子供の声が聞こえる。ドアを叩き返した。

また電気が消える。手を振りかざす。汗が吹き出て来る。時間だけが過ぎて行く。諦めてトイレを出た。150ミリリットルのポカリスエットを買って飲む。少し落ち着いたが、便意は消えない。このままでは急な登り坂を征服する自信がない。再びトイレに入った。

しかし、やはり出てこない。今までの経験を生かして、両手でけつの穴近くの両側を強く押し付けていくら力んでも成功しない。電気が消える、手を振りかざすのを繰り返して絶望的になった時、最後の手段を思いついた。一瞬の閃き。人は絶望に陥った時、最高の知恵が出る。

中指を挿入して掻き回してやれ。挿入すると、指先に硬い丸いものを感じた。しかも2個ある。そのあまりの硬さに驚いた。これでは出たくても出てこれないだろう。指先をぐるぐる回して柔らかくしようとするが、敵もさる者、なかなか上手くいかない。それでもこれ以外に策はないので、ぐるぐる回し続けた。暫くしてからそっと中指を抜いた。トイレットペーパーで丹念に拭う。水洗いするのは後回しだ。すると便意が強くなった。今だ、と思い必死になって全身で力んだ。

出た!ついにやった。俺様を侮った敵もあっぱれ、堂々とした形態をしておる。敗北した敵の背中に石を投げるようなことはしない。別れを惜しんで東シナ海へ流してやった。

一番の功績をあげた中指様を丁寧に洗剤で洗ってやった。残りのポカリスエットを飲み干してからコンビニを出た。気分爽快だ。これで完全復活した感じだ。急な登り坂もなんのその。

姉を見舞った後、下り坂の途中にある沖縄そば店で、沖縄そば(大)を食べた。ここのそばはうまい。帰りはいつもここで食べることにしている。自転車のところまで歩いて行き、そのまま自転車に乗って家路に着いた。行きとは逆に下り坂が続くので快適である。貴重な経験をした1日であった。人間の生死ほど不可解なものはない。やれやれ。

 

翁長知事の肉体は消えても彼が残した言葉と行動は我々の記憶の中で永遠に生き続ける

昨日メインプレイスの2階にある珈琲ショップを出ると、通路の長椅子に腰を下ろした中年の女性が手にした号外の大きな見出しが目に飛び込んできた。「翁長知事死去」

あっ!と声が出て一瞬頭の中が真っ白になった。「信じられない。本当だろうか?」突然の不意打ちにバスを待っている間も、帰宅した後も頭の中は混乱した状態が続いた。

テレビのニュースで厳しい現実に引き戻された。やはり本当だったのだ。時間の経過とともに少しずつ気持ちが落ち着いてきた。今朝の琉球新報は、翁長知事の死去を詳しく報道している。丹念に読み込んだ後、沖縄タイムスをコンビニで購入した。当然のこととは言え、新報に劣らず大きく取り上げている。

識者のコメントを読むと翁長氏の純粋で誠実な人柄が偲ばれる。4年前、翁長氏が知事に当選した時、支持者たちと一緒になってカチャーシーを踊る笑顔を見て、誠実な人間に違いないと直感した。ぼくの直感は、その後の知事の発言・行動が証明してくれた。

誠実なだけではなく真の政治家に必要な勇気も兼ねていた。我に理があれば、相手がどんなに強大であろうと立ち向かう。翁長知事はそれを身をもって実践した。沖縄という小さな島の知事が、日本政府と米国政府に対して、言うべきことをはっきり言うということは、なかなか出来ることではない。

大概、途中で問題の所在をあやふやにして妥協する、というのが政界の相場である。しかし、翁長知事は病で斃れる直前まで、信念を貫き通して辺野古の公有水面埋め立て許可を「撤回」する手続きに入るよう県の担当部署に指示した。これは「撤回」宣言をしたに等しい。知事は死の直前まで公約を守ったのだ!

指示を受けた県のスタッフは『辺野古埋立承認撤回「聴聞」通知書』を公表した。この公文書は、政府(沖縄防衛局)が進めている埋めて工事が法令に違反していることを、具体的事例を積み上げて立証した立派なものである。誰が読んでも違法工事であることを納得させる見事な公文書である。

前倒しとなった来月予定の知事選挙で、翁長知事の意思を引き継ぐ人を当選させ、新知事が県の優秀なスタッフと心を一つにすれば、裁判闘争に勝利して辺野古新基地を阻止できると確信する。最後の最後まで諦めてはいけない。

翁長知事、多くの県民に勇気を与えてくれてありがとう。どうぞ安らかにお眠りください。合掌

 

立派!翁長県政、沖縄防衛局の聴聞期日延期を認めず

沖縄防衛局は県の聴聞通知書は1300頁に上る膨大なものであり、聴聞に応じるためには準備期間が少なくとも1ヶ月は必要であり、県提示の今月9日ではなく、9月3日に延期して欲しいと提案してきたが、今朝の新聞報道で聴聞通知書の根拠となる資料の大半は防衛局側の資料であることが判明した。

事実なら沖縄防衛局の期日延期申請は説得力に欠ける。自ら制作した資料を調べるのにそれほど時間がかかるはずがない。沖縄防衛局は、正々堂々と県指定の9日に聴聞に応じるべきだろう。県の度重なる行政指導を無視して工事を強行してきた以上、自らの正当性を述べるのは当然すぎる義務というものだろう。

しかし、県は防衛局の延期を求める根拠に妥当性があるかどうか分析する必要があるとも言っている。妥当だと判断して聴聞を継続すれば、撤回処分が延びる可能性がある。そうなった場合、防衛局が示唆した今月17日の土砂投入に踏み切る恐れがでてくる。

そのような事態を避けるためには、県は聴聞を継続する条件として、聴聞期間中は工事を停止するよう防衛局に提案するべきだろう。防衛局が応じなければ、その時点で撤回処分を下す。そして裁判で成否を争う。

民主主義的法治国家である以上、法令に則って政治判断を下すことに何の問題もない。当然、政府は撤回の執行停止を裁判所に申し立てるだろう。しかし、県が敗訴した承認取り消し訴訟と違い、今回の撤回処分に対し、裁判所が執行停止を命じるとは限らない。何故なら、承認取り消しの時と違い、状況が大きく変化したからだ。

状況変化の中身を正確に知るためには、県が提出した聴聞通知書が最も役に立つ。しかし、1300頁に上ると言われる県の聴聞通知書を、我々一般人が読むのは容易なことではない。その必要もないとは思うが、幸い都合のいいことに、琉球新報が今月1日に1頁全面使って、聴聞通知書(要旨)を掲載してくれた。聴聞通知書の内容を知るにはこれだけで必要にして充分だろう。ぼくは重要と思われる箇所を赤線を引きながら全文読んだ。

全文赤線で埋まるのではないかと思われる位、レベルの高い見事な論旨であり、県政の実務能力の高さに今更ながら驚き感嘆したのである。先日、当ブログでその解説をしたが、沖縄防衛局が進めている工事は明らかに法令違反であり、法治国家において認めてはいけない工事であると断言できる。

聴聞通知書(要旨)を読んだ人は誰でもそう思うだろう。

裁判官諸氏が三権分立の原則を忠実に守り、現政権に忖度しない志を有するならば、新辺野古米軍基地埋立工事が法令に違反して進められていることを正当に判断するものと確信する。

辺野古新基地闘争は沖縄県に限られた一地方の問題に限定されない。政府による違法工事を許して良いのか、又、果たして日本は主権国家なのか、国家の根幹をなすべき外交も安全保障も米国に追随・従属することが、この先何十年も許されることなのか、まさしく国家のあり方が問われる巨大な問題である。

その巨大な問題に対して沖縄県民は歯を食いしばって立ち向かっているのだ。革命思想などというチンケなイデオロギーのためではない。住民の生活と生命が脅かされる時、理不尽な権力に対して住民が抵抗するのは至極当然なことではないか。

沖縄の言論人で辺野古新基地ではない、世界一危険と言われる普天間飛行場の移設のためである、と繰り返す政府見解に追随するお馬鹿さんがいるが、道理の通らない完全な嘘である。安倍内閣が本気でそう思うなら何故、仲井真前知事と約束し、閣議決定した来年2月に予定されている普天間飛行場の閉鎖を断念したのだ。

埋立承認を得るために、仲井真前知事にできもしない空手形を切ったことが明らかとなっている。人の良い仲井真前知事は、安倍内閣に見事に騙され、裏切られたのだ(本人が自覚しているかどうかは別として)。できないことをやった(約束した)安倍晋三菅義偉は「できることは全てやる」と、機会あるたびに繰り返す。日本語を正しく使うことのできない日本の総理大臣と官房長官

それだけではない。辺野古新基地に対して、米政府は欠陥施設だと言ってきた。滑走路が短すぎる、と。そこで新たに8要件を安倍内閣に突きつけてきた。非常事態の時に、米軍が民間空港(那覇空港)を使用できるようにすること。

その要件が整わなければ、辺野古新基地ができても、普天間飛行場の返還はないだろう、と恐喝してきたのである。腰を抜かした稲田朋美防衛大臣参議院の質疑応答で、要件が整わなければ返還されない可能性はある、とはっきり答弁したのだ。

それでは何故、米政府は自ら欠陥施設と認める辺野古新基地を容認するのか?答えは実に単純である。建設にかかる費用の全額を日本政府が負担するからだ。欠陥施設であっても、日本政府が金を出して造る以上、米政府として断る理由はない、というわけだ。

軍人、民間人を問わず、米国人は実に合理的且つビジネスライクに物事を考える傾向が強い。それに比べ安倍内閣のオブスキュランティズム(非明晰性)はどうだ?

こんな調子では、何百年経っても米国の従属国家のままであることは間違いない。絶対にそうあってはならないし、させてもならない。

頭の悪い安倍内閣が企む欠陥施設工事を完全に断念させるまで、我々県民は翁長県政と一体となり、あらゆる妨害を払い除けて、沖縄と日本の誇りある未来のため闘い続けよう!

 

沖縄防衛局の杜撰な工事はまさに「傍若無人」そのものである

沖縄防衛局は県の撤回の聴聞期日を9月3日以降とするよう、「聴聞等変更申出書」を県に提出した。その理由として、県提出の「聴聞」通知書はあまりにも大部であり、それに応える準備期間として県指定の今月9日は余りにも短く、通常2カ月は必要であり、控えめに見ても1ヶ月程度は必要だとしている。

確かに沖縄防衛局の言い分にも理が認められる。なぜ今月の9日としたのか、県政の詰めの甘さを指摘しなければならないだろう。しかし、それならば県は条件として聴聞の間は工事を停止するよう提案すれば良い。沖縄防衛局が提案に応じなければ、行政手続法に則って、聴聞を省いて「撤回」を実行する。何も深刻な問題ではない。

深刻な問題は、沖縄防衛局が法令に違反する工事を強行してきた事実にある。少し長くなるがそのことを解説したい。

今月1日、琉球新報は1ページを使って『辺野古埋立承認撤回「聴聞」通知書(概要)』を掲載した。

これを全文読んだ人は誰でも、沖縄防衛局が強行している辺野古新基地建設が法令違反の杜撰極まりない工事であるか、痛感するに違いない。

記述は詳細にわたり、前県政(仲井真弘多知事)が埋立承認した後から現在までの工事経過の全体像をつぶさに検討したものであり、事実に基づいた記述は明快そのもので非の打ち所がないくらい、非常に説得力のある内容となっている。

「国土利用上適具合理的ナルコト」(公水法第4条第1項)の要件を充足していないとして、軟弱地盤について「通知書」は次のように述べている。

< ⑴ C護岸計画箇所の地盤について、埋立承認の審査時の本県の質問に対し、沖縄防衛局は「液状化の可能性は低い」「計画地の直下には圧密沈下を生じるような粘性土層は確認されていないため、圧密沈下は生じない」と回答し、この土質を前提に埋立承認がなされた。

⑵ しかし、承認後の土質調査により、C護岸設計箇所の地盤がマヨネーズ並みとも言われる緩い砂質土、軟らかい粘性土の軟弱地盤で、地震による液状化の危険性があり、軟弱地盤の上に護岸を構築した場合には圧密沈下の危険性があることが明らかとなった。

⑶ 従って、願書に示された構造のC護岸を構築した場合には、地盤の液状化や沈下等による護岸の倒壊等の危険性が存することになる。>

前県政(仲井真弘多知事)による埋立承認後に沖縄防衛局は大浦湾のボーリング調査を詳細に実施した。その結果、C護岸真下の深い海底の地層が超軟弱地盤であるとのデータが表示された。

このデータ記録を見た沖縄防衛局の職員は全員蒼ざめたであろう。「これはまずい、C護岸は後回しだ!」だから予定を変更して工事の容易なところから着工したのだ。しかし、施工順序を変更すれば、当然、環境保全措置の内容そのものを変更する必要があるが、沖縄防衛局はそれをしなかった。

前県政(仲井真知事)が埋立承認の条件として付した留意事項を無視したのである。明らかに契約違反である。沖縄防衛局は公有水面埋立承認願書の「設計の概要」において、どう記載したか。

最初にA護岸、中仕切り岸壁A・Bに着工し、その約2カ月後にC−1護岸、K4護岸、K−8護岸、K−9護岸、中仕切り護岸N−1・N−4・N−5の順序で工事を進めるとしていた。ところが実際は、K9護岸から着工し途中でやめ、工事の容易なところに移行して工事を進めて今日に至っている。

C護岸工事は後回しになった。おそらく一番最後になるだろう。明らかに軟弱地盤が根本原因である。それでも工事を継続するつもりなら、「国土利用上適具合理的ナルコト」(公水法第4条第1項)の法令を遵守しなければならない。そのためには設計変更が必要となる。しかしたとえ設計変更しても、C護岸工事は大変な難工事になることが予想される。海底の軟弱地盤を建築基準法をクリアするまで安定化させるには工事期間の大幅な延長と莫大な費用が追加加算されるのは自明である。

そして翁長知事は、当然、そのような理不尽な設計変更を認めない。それを知っているから、沖縄防衛局はC護岸工事を後回しにして設計変更申請を現在に至るまで申請しないのである。

埋立承認後に発覚したC護岸真下の軟弱地盤は、沖縄防衛局の予定を大きく狂わせた。もし、前県政(仲井真知事)の時に、分かっていたら、仲井真前知事と雖も埋立承認はやらなかったに違いない。

そして新基地建設の問題は軟弱地盤だけではない。「聴聞」通知書が指摘するように、多数存在する。

活断層の存在:「辺野古断層の存在を明らかにした遅沢壮一氏は、承認後の土質調査における音波探査調査及びボーリング調査のデータを検討し、上記海底谷地形は辺野古断層であると認められると判断を示した。」

〇米国統一基準で示された高さ制限:沖縄高専の校舎、辺野古弾薬庫地区内の弾薬倉庫、通信事業者及び沖縄電力の鉄塔、久辺小・中学校等の校舎、周辺地域の民家やマンション等が、米国防総省の統一施設基準書の高さ制限に抵触する

〇統合計画における返還条件が満たされなければ普天間飛行場は返還されないことが明らかになったこと:13年4月5日に日米政府間において合意された「沖縄における在日米軍・区域に関する統合計画」では、普天間飛行場の返還条件として「普天間飛行場代替施設では確保されない長い滑走路を用いた活動のための緊急時における民間施設の使用の改善」を含む8つの項目が示されたが、辺野古新基地への移設が実現しても普天間飛行場返還がなされないとの説明は一切なかった。

しかし、17年4月5日に米会計検査院の米軍再編に関する報告書が公表され、辺野古代替施設の滑走路が短すぎると指摘した。(*滑走路が短すぎることについては、元海兵隊幹部のエルドリッヂ氏も『沖縄論』の中で指摘し、さらに辺野古代替施設は海を埋め立てて造るため津波に弱く、欠陥施設であるとして反対している)

この疑問に対し、17年6月6日の参議院外交防衛委員会において稲田朋美防衛大臣は「緊急時における民間施設の使用の改善について今後米側との具体的な協議やその内容に基づく調整が整わないようなことがあれば返還条件が整わず、普天間飛行場の返還がなされないことになる」と答弁。

沖縄防衛局は埋立必要理由書において、県内では辺野古への移設以外に選択肢がない理由のひとつとして「滑走路を含め、所要の地積が確保できること」を挙げていたが、以上の事実により、辺野古新基地建設では「滑走路を含め、所要の地積が確保」できないことが明らかとなった。

〇留意事項の不履行:留意事項とは、埋立承認にあたり事業主が遵守すべき条件のことを意味するが、沖縄防衛局は違反したまま工事を強行した。

留意事項第1項は「工事の実施設計について事前に県と協議を行うこと」としている。 しかし、沖縄防衛局は県と事前協議を行わず、17年2月7日に汚濁防止膜設置、同年4月25日に護岸工事に着工、留意事項第1項に違反(負担の不履行)した。

「事業者(沖縄防衛局)は全体の実施設計をすべて示して協議を行うことなく工事着工を強行し、本県が再三にわたって工事を停止して全体の実施設計をすべて示して協議をすることを指導しても、これに従わない意思を明示して工事を強行し続けている。」

以上見てきただけでも、沖縄防衛局がいかに杜撰な工事を強行しているか、明々白々ではないか。まさに翁長知事が、撤回表明の記者会見で述べたように、「傍若無人」そのものである。

聴聞」通知書(概要)はその他にも「環境保全ニ付十分配慮セラレタルモノナルコト」(公水法第4条第1項第2号)の要件を充足していないとして、⑴留意事項2の違反 ⑵サンゴ類に関する環境保全措置 ⑶ジュゴンに関する環境保全措置 ⑷海藻草類に関する環境保全措置 ⑸サンゴ類を事業実施前に移植・移築せずに工事に着手した ⑹ウミボッスを移植・移築せずに工事に着手した ⑺傾斜混護岸用石材を海上搬入したこと ⑻辺野古側海域へのフロート設置について ⑼変更承認申請を行わず施工順序を変更し、サンゴ類、海域生態系、陸域生態系への影響を考慮していないことについて等、詳細に記述しているが、長いので割愛する。

最後に「撤回が制限されないことについて」のところから数ヶ所引用する。

「今日あらたに本格的・恒久的新基地を建設することは、約70年前から沖縄にのみ過重な負担を強いてきた米軍基地をさらに将来にわたって固定化することを意味し、県民世論は、沖縄県における米軍基地の縮小を求め、沖縄県に新たな米軍基地を建設することに反対をしている。」

辺野古新基地建設は、前例をみないような大規模埋立工事で完成までに長い年数を要するが、本県承認時には想定されなかった軟弱地盤が判明したことにより、仮に軟弱地盤の改良工事が可能であるとしても、極めて大規模な地盤改良工事を要することからさらに長い年数を要することが明らかとなり、この間、普天間飛行場周辺の被害・負担は固定化されることになる。」

普天間飛行場に駐留している部隊の沖縄駐留に必然性は認められない。もともと、普天間飛行場配備航空部隊(第36海兵航空群)は神奈川県の厚木飛行場をホームベースとしていたが、厚木周辺の騒音被害が問題となったために、復帰直前の69年11月に普天間飛行場に移駐した。このことからしても沖縄に駐留する必然性は認められない。」

「不利益処分(撤回)の理由とされるのは「災害防止ニ付十分配慮」という要件の不存在や、この要件の充足を担保するための留意事項の不履行、「環境保全ニ付十分配慮」という要件の不存在、「国土利用上適正且合理的ナルコト」の要件の不存在であるから、本県承認の効力を存続させることで人の生命・身体・財産等が重大な脅威にさらされ、本県における国土利用の適正による健全な経済発展等が阻害され、代替性のない大浦湾の貴重な自然環境が脅かされることになり、本件承認の効力を存続させることによる重大な公益侵害が認められるものであるから、効力を消滅させるべき公益上の必要性は極めて高いと認められる。」

「これに対し、事業者(沖縄防衛局)は少なくとも結果的には、C護岸設計箇所の土質調査等について事実とは異なる説明をして承認を受けたことになるが、土質について現在判明している事実を前提とすれば、要件を充足していないことは明らかである。また、埋め立て対象区域周辺の既存建物類が統一基準における高さ制限に違反していることや、統合計画における返還条件により辺野古新基地建設が完成しても普天間飛行場が返還されない可能性があることなどは、本件承認時には国は本県に明らかにしていなかったものであるが、これらの事実が承認前に明らかにされていたならば、要件の不存在はその時点で明らかになっていたことになる。」

「さらに、本県は事業者(沖縄防衛局)に対し、留意事項を遵守しないで工事着工をすることはできないことを行政指導し、事業者が工事着工を強行した後も工事を停止して留意事項を順守するように求め続けてきた。だが事業者は行政指導に従わずに工事着工を強行して続行し続け、遅くとも18年3月には大浦湾海底の土質が、護岸設計の前提とされた設計土層・土質条件とは全く異なるものであることを認識し、設計概要説明書に示された設計では護岸の安全性を確保できないことを認識しながら、この事実を明らかにしないまま着工して工事を強行してきた。」

以上、重要と思われるところから引用したが、可能な限り是非全文を通読してもらいたい。誰でも、見事な論理展開に魅せられて感嘆するのはほぼ間違いないだろう。

この「聴聞」通知書(概要)を読めば、翁長知事が置かれた立場になって判断する時、全国の知事は誰でも「撤回」の正当性を認めざるを得ないだろう。埋立承認を下した仲井真前知事でさへ、承認後の法令違反、留意事項無視を決め込む沖縄防衛局の許すべからず「傍若無人」振りには目を覆いたくなるに違いない。

沖縄防衛局の常軌を逸脱した姿勢の原因は、勿論、安倍内閣にある。行政のトップの頭が悪いと、下部組織まで浸透し、行政の至る所で腐臭を放つ。朝堂院大覚総裁が言うように、日本は今まさに国家非常事態である。その最大の功労者は、売国奴政治を5年半も実行してきた安倍内閣である。

沖縄防衛局に法令違反の工事を許してきた安倍政治に屈するわけにはいかない。そのためには、ウチナーンチュと全国の良識派が連帯する必要がある。