沖縄よ! 群星むりぶし日記

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日本の未来を切り開く伊藤貫の見事な「自主的核抑止論」

日本の政治と言論界に絶望して、昨年11月25日に書いた短い詩がブログ決別宣言になるはずだった。しかし伊藤貫の核抑止論に出会って心が動き、目の前の濃い霧が消えたような気がして、同氏の論説に言及したくなった。

伊藤氏の核抑止論が実現されるならば、日本はこの先想定される中国の属国化を免れることができる。同時に名実ともに自立した主権国家として、米国の属国を脱して対等の立場から独自外交を展開することも可能となる。あとは日本人の覚悟次第である。

少し長くなるが伊藤貫著『中国の核戦力に日本は屈服する』(小学館101新書)から引用する。

<ここで、筆者が考える「日本の必要最小限の自衛能力」の内容を、簡潔に説明しておきたい。筆者は「日本は自主的な核抑止力を持つべきだ」という立場であるが、日本の軍事大国化には反対である。

筆者の唱える「自主的核抑止力」とは、小規模で安価な、必要最小限度の核抑止力のことである。具体的には、潜水艦をベースとする核弾頭付き巡航ミサイルを、200〜300基配備することである。

日本の自主防衛には、先制核攻撃に使用できるICBMSLBMのような長距離弾道核ミサイルはいらない。戦略爆撃機や大型空母も不要である。日本は決して他国を侵略・占領することはないから、陸上自衛隊の規模もせいぜい15万人程度でよい。日本に海兵隊は不要である。米中露が大量に保有している多弾頭の長距離弾道核ミサイル(ICBMSLBM)は、短時間で一挙に敵国の核ミサイル基地を破壊してしまう能力を持つから、「先に使った方が勝ち」という性格を持っており、「軍事バランスを不安定化させる核ミサイル」である。

それに比べて巡航核ミサイルは、「軍事バランスを安定化させる核ミサイル」といわれている。巡航核ミサイルは単弾頭であり、しかも低速だから、短時間で一挙に敵国の核ミサイル基地を破壊する先制核攻撃能力を持たないからである。

このことを、著名な軍事評論家であり、クリントン政権の国務副長官を務めたストロープ・タルボットは、次のように説明している。「巡航核ミサイルの飛行速度は、普通の戦闘機の速度よりはるかに遅い。せいぜい時速600マイル(約960キロメートル)程度だ。だから巡航ミサイルは、先制核攻撃に使用されることはない。ほとんどの西側の核戦略理論専門家は、巡航核ミサイルを、『報復攻撃にしか使用できないから、軍事バランスを安定化する効果を持つ核ミサイルだ』と評価している」(タルボット著『Deadly Gambits』

海中に配置しておく日本の巡航核ミサイルは、常に広汎な海域を移動しているから、敵国からのサプライズ・アタックによって一挙に破壊されてしまうことはない。これらの巡航核ミサイルは、日本が核攻撃を受けた場合に、報復核攻撃を実施する目的だけに使用できる兵器である。もちろん、巡航核ミサイルを先制核攻撃用に使う事がまったく不可能だ、というわけではない。しかし米・中・露・イスラエル等の覇権主義国家は、先制核攻撃のためには弾道核ミサイルを使用するつもりであり、巡航核ミサイルを先制核攻撃に使うことは考えていない。

日本は、これら覇権主義国家の真似をして先制核攻撃用の弾道核ミサイルを持つ必要はない。核弾頭付き巡航ミサイル200〜300基と、それを搭載するベースとしての潜水艦(約30隻)を建造し運用するために必要な毎年の軍事予算は、1兆円以下である。

現在の日本の軍事予算はGDPの1・0%程度であるが、筆者の提案する「自主的核抑止力を備えた自衛軍」の予算は、GDPの1・2%程度のものでしかない。GDPの1・2%レベルの国防予算というのは、世界諸国の平均的な軍事支出の半分以下の水準である。これは、「日本の軍事大国化」とは何の関係もない、自主的な核抑止力構築プランである。(106〜108頁)>

目の覚めるような伊藤貫の「自主的核抑止論」である。あらゆる角度から検討した結果、ぼくは伊藤氏の提言に、全面的に賛成する。

伊藤氏の核抑止論の根底には、核兵器を持つ国同士の戦争はあり得ないという国際安全保障上の暗黙の了解がある。北朝鮮金正恩はこの事実を知悉しているから、たとえ国民が草を食む事になっても、核兵器開発に執念を燃やし続けているのだ。

イラク核兵器を所有していたら、米国のイラク侵攻はなかっただろう。核兵器による報復を恐れるからだ。イランが核兵器所有にこだわる理由もそこにある。イランが核兵器を持つようになれば、米国の中東支配の野望は完全に挫折する。だから米国は、イランに経済制裁を課して執拗に核兵器開発の邪魔をしているのだ。

さらに言えば、ウクライナ核兵器を持っていたなら、ロシアの軍事侵攻はなかったと明言できる。かように核兵器を軸にして国際社会を観察すれば、核兵器を持つ国家同士の全面戦争があり得ないことははっきりしている。

そこで日本の現状を考えてみよう。日本は今、中国、北朝鮮、ロシア、米国という核兵器保有する4カ国に包囲された形になっている。自衛隊は陸・海・空軍で構成されているが、核兵器は持っていない。その理由は、同盟国であるはずの米国が執拗なまでに禁じているからだ。

在米30年になる伊藤氏によると、何度となく米政府高官たちと議論してわかったことは、彼らは日本にだけは絶対に核兵器を持たせない、と断言するということだ。この事実に日米同盟の本質が凝縮されていると考えるべきだろう。

日本が核兵器をもてば、日本は自立した主権国家となり、米国の言いなりにならなくなる。在日米軍は全面撤退せざるを得なくなる。そうなると東アジアにおける米国の影響力は極端に弱まる。これは見栄っ張りの強い米国にとっては我慢のならないことだ。だから、日本にだけは核兵器を持たすわけにはいかない、これが戦後一貫した米国の対日戦略である。

しかし、この戦略はあまりにも子供っぽく間違った戦略といわなければならない。なぜなら、米国は今、東アジアにおける中国の覇権主義を抑えることに力を注いでいるはずである。しかし実情はどうか。中国はごく近い将来、経済においても軍事力においても米国を凌駕するといわれている。多くの専門家たちがそう指摘している。

逆に米国は、経済力も軍事力もかつての勢いはない。国内の政治も分裂して不安定だ。今の米国はもはや民主主義国家とは言えない、とまで断言する米評論家もいるくらい弱体化している。

今の状態が続けば、間違いなく東アジアにおける中国の覇権主義を抑えることは困難になるだろう。では、どうすれば良いか。一番いいのは、米国がこれまでの対日戦略を変えて、日本に核武装を薦めることだ。そうすれば中国の覇権主義は、東シナ海で立ち往生せざるを得なくなる。

日本列島に踏み込む事は不可能となる。東アジアにおける中国の覇権主義は限定的なものとなるだろう。そうなれば日本にとっては理想であるが、これまで散々日本から甘い汁を吸ってきた米国が、自らやすやすと戦略を転換するとは考えにくい。

ではどうするか。日本の政治家が覚悟を決めて、伊藤氏の「自主的核抑止論」を米政治家に忍耐強く説明し納得させることだ。日本が核武装することで中国の覇権主義を食い止める事ができれば、日米両国にとって利益になることを米政治家が理解すれば、東アジア情勢は一変するだろう。国の進路を決める国会議員にはその責任がある。しかし、今の国会議員を見ると、この大事業を成し遂げることのできそうな政治家は、誰一人として見当たらない。

憲法9条を死守する左翼政治家と米国ベッタリの親米・拝米保守政治家ばかりだ。残念なことに「右の売国・左の亡国」(佐藤健志)が今の日本の政治状況である。絶望せざるを得ない状況だが、しかしそれでも覚悟を決めた政治家が現れることを祈りたい。言論の自由のない中国の属国にならないために、これから少しづつ声を上げていきたいと思う。

付け加えるなら、伊藤氏の「自主的核抑止論」は専守防衛の範囲内におさまる。そして軍事大国化しないのだから、リベラル・保守関係なく多くの国民が納得できるはずだと信じたい。

岸田政権は、5年で防衛費を43兆円規模にすることを表明した。確たる政治理念の欠けた中身がスカスカの愚策であるといわなければならない。米国製のトマホーク500発とその他の兵器を多数購入するらしいが、あからさまな米国従属である。これでは日本がウクライナの二の舞になる危険性さえある。核兵器保有する敵国から我が国が軍事攻撃を受けた際、米国は核保有国と戦闘を交えることはない。

しかし、ウクライナに対して行なっているように、我が国に武器供与だけはするだろう。そして戦争が長引けば長引くほど、米国の軍需産業は活況を呈して潤う一方で、多くの日本人が死んでいく。今のウクライナと同じ現象が日本列島で展開されないとも限らない。こんな地獄絵を画策させてはならない。

我々はもっと冷徹な眼で国際政治を捉える必要がある。伊藤貫の分析から学ぶことは多いのだ。

伊藤氏の『自滅するアメリカ帝国・日本よ独立せよ』(文春新書)『歴史に残る外交三賢人・ビスマルクタレーラン、ドゴール』(中公新書ラクレ)も合わせて強く推薦したい。