沖縄よ! 群星むりぶし日記

沖縄を、日本を、そして掛け替えのない惑星・地球を愛する者として発信していきます。

玉城デニーの再選は固いだろう

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右から玉城デニー・大石あきこ・プリティ宮城ちえ・山本太郎の各氏。

玉城県政のヴィジョンは「平和で誇りある豊かな沖縄」である。この言葉には深い意味が込められている。

地上戦で壊滅状態になった沖縄を占領した米軍は、この小さな島に広大な基地を建設した。ベトナム戦争イラク戦争の時には、沖縄の米軍基地から多くの米軍機が飛び立っていった。そして大量のベトナム人イラク人を殺戮した。ベトナム人が沖縄を「悪魔の島」と呼んだのには立派な理由があるのだ。

広大な米軍(占領軍)基地は、72年に祖国復帰した後も維持されたまま居座り続けている。主権国家の中に、外国の軍隊が長期間駐留し続ける事態は、まさに異常事態である。つまり、今の日本は主権国家の体をなしていない。だから異常事態と呼ぶ他はないのだ。

現状のままでは、望まぬ戦争に直結する危険性が非常に高い。曲がりなりにも主権国家の一員として、この望まぬ危険性に抗うためには平和を強調する必要がある。だから玉城県政はヴィジョンの中に「平和」という言葉を盛り込んだのだ。

誇りある豊かさ、の意味は何だろうか?

振り返ると大きな選挙がある度に、沖縄は広大な米軍(占領軍)基地を巡って保守陣営と革新陣営に分かれて戦ってきた過去がある。革新陣営は人道的立場から県民の誇りをかけて米軍(占領軍)基地縮小・撤去を訴える。保守陣営は基地の縮小・撤去は現実的には困難で、それよりも経済発展に主軸をおいて、県民の生活を豊かにすることを主張する。

革新陣営の「誇り」保守陣営の「豊かさ」。それぞれに言い分があり、掲げる旗の違いは鮮明だが、しかし、あらゆる政治的現象において明確な線引きができるということではない。

95年に起きた米兵による少女暴行事件の時は、県民一丸となって米軍(占領軍)基地の縮小・撤去を日米両政府に求めたのだ。当時は大田昌秀革新県政であったが、革新と保守の立場を超えて、全県民が一丸となって抗議したのだった。

米軍(占領軍)基地あるがゆえに起きる大きな事件・事故の際に、革新と保守が共同で抗議する姿はよく見られる現象で、多くの県民は当然のこととして受け止めている。政治的立場の違いはあっても、深いところで我々は同じウチナーンチュだという共通認識が存在するのだ。

いざという時は、不条理な外敵に対して共同戦線で立ち向かう。この潜在意識を上手い言葉で表現したのが翁長雄志前知事の「沖縄はイデオロギーよりアイデンティティ」だ。

この言葉に活眼してなるほどと頷いた県民は多いのではないだろうか。ぼくにとって、この言葉は、しなやかな強さを持って琴線に触れた。このことが理解できない人はウチナーンチュではない。ウチナーンチュの顔をした異星人だ。

イデオロギーよりアイデンティティ」が昇華されて「誇りある豊かさ」に代わった。しかし意味するところは同じである。沖縄という小さな空間で、革新か保守かで争って何になる。むしろ県民一丸となって困難な問題に立ち向かう。そして少しずつ前進する。

玉城県政の「平和で誇りある豊かな沖縄」というヴィジョンは、日本の政治の先頭を走っている。政府は「平和で誇りある豊かな日本」を政府のヴィジョンに掲げてはどうだろうか?