沖縄よ! 群星むりぶし日記

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最高裁の孔子廟「違憲」判決の背景にあるもの

那覇市の松山公園にある孔子廟「久米至聖廟」をめぐる訴訟問題で、24日、最高裁判所は「違憲」とする判決を下した。

最高裁に至る経過は次の通り。18年の一審・那覇地裁判決は「違憲」であり、使用料全額を徴収すべきとした。一審判決に対して那覇市が控訴。19年の二審・福岡高裁那覇支部判決は「違憲」だが使用料については那覇市に決めさせるべきとした(金額は明示せず)。二審判決を受けて、原告側と市の双方が上告。そして最高裁で「違憲」が確定した。

経過を簡単に振り返ると以上の通りだが、大事なことは、その背景に横たわるものを浮き彫りにすることにある。がしかし、言うは易く、実のところ、全体像を描くのは非常に難しい。

と言うのも、歴史における琉球と中国との関係が深く関わってくるからだ。それと原告側・金城テルさん(92歳)の思惑を考慮する必要もあるだろう。

まず、金城さんの思惑から考えたい。金城さんは、チャンネル桜「沖縄の声」のキャスターの一人だ。高齢にもかかわらず、沖縄の左翼勢力を激しく批判することで、ネットの世界ではちょっとした有名人である。

彼女の主張には共鳴できる部分もあるが、左翼批判を超えて沖縄を貶めるところまで踏み込む姿勢にはとてもついていけない。だから彼女が孔子廟問題で那覇市を訴えた時、ぼくは覚めた目で経過を見守っていた。その時ぼくの頭の中をよぎったのは、中国共産党のマネーが当時の那覇市長・翁長雄志に流れたかどうか、と言うことだった。

孔子廟の設置を認可したのは、前那覇市長・翁長雄志だった。その翁長氏は、辺野古新基地を阻止する目的で、全左翼政党と保守政党の一部をまとめて「オール沖縄」を結成し、仲井真弘多知事に10万票の大差をつけて沖縄県知事に就任したのだった。

チャンネル桜「沖縄の声」は反翁長知事だった。翁長知事のアキレス腱・粗探しに血眼になったに違いない。「沖縄の声」の凄まじい反翁長知事キャンペーンに煽られて、本土の保守層、ネトウヨによるデマがネット空間に溢れた。

曰く、翁長知事の娘達は中国に留学している、翁長知事には中国共産党から資金が流れている、翁長知事と中国共産党はつるんでいる、等々。虚しいかな、全部嘘である。証拠は何一つ出てこなかったのだ。

そこで金城テルさんの孔子廟訴訟だ。認可したのは翁長那覇市長であり、現那覇市長は革新系(左翼)の城間幹子である。金城さんの目には、またとない大きな獲物と映ったに違いない。

裁判にかけてやれ、そうすれば時間の経過とともに、中国共産党からのマネー流入に行き当たるかも知れない。そこまで行かなくても、違憲判決が出たら、左翼勢力に甚大なダメージを与えることができる。

以上が金城テルさんの思惑である。勿論、ぼくの勝手な推測だ。そして金城さんの思惑通り、最高裁の「違憲」判決で孔子廟訴訟は決着した。長い裁判の勝利は、高齢の金城さんには感慨深いものがあっただろう。ご苦労様でした、と一言だけ言いたい。

しかし、この煮えきらない気分はなんだろうか? 

中国共産党からの資金流入はなかったのだろうか? 実は、ぼくの関心事は、この点にこそあったのだ。仮に孔子廟設置を認可した翁長那覇市長に、その見返りとして中国共産党(関係機関)からの資金提供が明らかにされたら、瞬時に「オール沖縄」は壊滅したことだろう。

沖縄の政治状況は一気に、先の読めない暗黒の世界へ突入していたはずだ。しかし、そうはならなかった。中国共産党(関係機関)からの資金流入は影も形もなかった。

となると、金城テルさんの勝利は、ぐっと小さく見えてしまうのだ。「憲法違反」と言う言葉自体はいかにも深遠な響きを持つがしかし、判決の内容を検討すれば、大したことはないのである。

その性格をよく見定めたのが、琉球新報の社説だ。社説は林景一裁判官の反対意見について言及している。

一方で、裁判官15人のうち唯一、反対意見を付けた林景一裁判官は、孔子廟の宗教性を「習俗化していて希薄」とした上で、違憲判断を「牛刀をもって鶏を割く」ようなものだと断じた。政教分離規定を過度に拡張すれば「歴史研究・文化活動等にかかる公的支援の委縮」をもたらしかねないと警鐘を鳴らす。

林裁判官の「牛刀をもって鶏を割く」という言葉は秀逸で、この裁判の性格を的確に言い当てている。また、政教分離規定を過度に拡張すれば「歴史研究・文化活動等にかかる公的支援の委縮」をもたらしかねないとも述べている。この言及も実に秀逸だ。

林景一氏は、裁判官である前にひとりの人間として、人格の優れた人物に違いない。裁判官15人のうち唯一、林裁判官だけが合憲の判断を下している。東京裁判で唯一、日本を擁護したパール判事を思い起こさせるような一コマだ、と言えば大袈裟になるだろうか。

しかし、林裁判官が「歴史研究・文化活動等にかかる公的支援の委縮」をもたらしかねない、と言及したおかげで、那覇市保有する松山公園に、使用料全額免除で孔子廟設置を認可した那覇市の判断の正当性が浮き彫りになったのである。

そして面白いことに、産經新聞が林裁判官と同じような見解を述べているのだ。

政教分離をめぐって、昭和52年の津地鎮祭訴訟の最高裁判決では「目的効果基準」が示された。「目的が宗教的意義を持ち、効果が特定宗教を援助、助長あるいは他の宗教を圧迫するものでない限り、憲法違反とはいえない」との緩やかな解釈を示したものだ。

政教分離規定の厳格な適用は好ましくない。例えば、地域社会に伝わる文化、行事は伝統的な宗教と密接な関係にある。

平成22年に北海道砂川市の「空知太(そらちぶと)神社訴訟」で最高裁は、市有地を神社に無償提供したことを違憲とした。だが、このとき合憲とした裁判官の反対意見が「神社は地域住民の生活の一部になっている」などと指摘し、違憲とした多数意見について「日本人の一般の感覚に反している」と述べていたのはうなずける。

首相ら公人の靖国神社参拝や真榊(まさかき)奉納に「政教分離」を持ち出す愚も避けるべきだ。

産經新聞は「空知太神社訴訟」を取り上げて「だが、このとき合憲とした裁判官の反対意見が「神社は地域住民の生活の一部になっている」などと指摘し、違憲とした多数意見について「日本人の一般の感覚に反している」と述べていたのはうなずける。」と書いている。

これは先の林裁判官の見解と相通じるところがある。常識を重要視する姿勢は頼もしいばかりだ。そして産經新聞らしく「首相ら公人の靖国神社参拝や真榊(まさかき)奉納に「政教分離」を持ち出す愚も避けるべきだ。」と釘を指したのはさすがである。然り正論だろう。

さて、原告の金城テルさんに話を戻そう。彼女の真意が左翼批判にあったのは確かだ。仮に、当時の翁長那覇市長が、市長職にずっと留まっていたとするなら、果たしてテルさんは訴訟を起こしただろうか?

ぼくは否定的だ。何故なら、当時の翁長氏は沖縄自民党の重鎮の一人であり、彼が認可した孔子廟設置を法律違反として訴えることは到底想像できないからだ。テルさんの政治的立ち位置は右翼に近い保守である。

そんな人間が、沖縄の保守を自認する翁長氏を訴えるなんてあり得ない。では何故訴訟に踏み切ったのか? 翁長氏が左翼系の全政党と一部の保守系をまとめて「オール沖縄」を結成し、自民党系の仲井真弘多知事を破って、県知事に就任したからだ。

その時から翁長氏は金城テルさんの敵になった。だから那覇市長時代に許認可した翁長氏を裁判にかけて「オール沖縄」にダメージを与えるべく行動したのだ。そして運よく中国共産党からの資金提供の情報がもたらされるかも知れないという思惑も絡んでいたことだろう。

しかしそんな情報はどこからも出てこず、「違憲判決」が下されただけである。そしてその内容は、琉球新報の社説が書いたように「宗教の本質論議を避けた」お粗末な判決となったのである。原告側にとってはまさに、労多くして実入り少なし、といったところだろう。

今回の訴訟でさらに考えなければならないことは、中国と琉球の歴史的交流から来る孔子廟をめぐる背景である。ここでも琉球新報の社説は参考になる。

中国から渡来した久米三十六姓、17世紀に久米村で孔子廟を建立したのが始まりだ。18世紀には琉球初の正式な教育機関明倫堂」が境内に建設された。儒学教育が行われ、中国の最高学府への留学希望者が学んだ。

沖縄戦で焼失したが、久米三十六姓の子孫である久米崇聖会(そうせいかい)が那覇市若狭に再建し、2013年に松山公園に移転した。当時の翁長雄志市長が公園敷地の無償提供を決め、崇聖会が施設を建設した。

政教分離を巡る最高裁判決はこれまで神道が中心で、儒教は初めてだ。最高裁は、供物を並べて孔子の霊を迎える年1回の行事である。「釋奠祭禮(せきてんさいれい)」の様子から、「宗教性を肯定でき、程度も軽微ではない」と結論付けた。だが、教義に基づく布教行為が孔子廟で行われているわけではない。一般社団法人の久米崇聖会が宗教団体なのかも、最高裁は判断を示していない。

儒教の教えや祖先崇拝は、琉球・沖縄の歴史の中で思想や教育、習俗として定着してきた。宗教というには違和感がある。釋奠祭禮の運営も、久米三十六姓をルーツとする門中(血縁集団)が久米村の歴史を継承する中で、年中行事を再現・保存するという文化、教育的な側面を持つ。

孔子廟の建立は17世紀に遡る。中国から渡来した久米三十六姓が建立したとされる。この古い歴史的背景を認識することが大事である。沖縄戦で焼失した後、子孫である久米崇聖会が再建し、今日に至った経過は、社説が書いている通りである。

このような歴史的背景を考えるなら、文化的遺産に対して公的支援を与えることは、郷里を愛する人々からすれば当然といえば至極当然のことである。問題はただ、使用料を全額無償にするかどうかだけである。市民の意見をよく聞いて、行政が適切に判断すれば良いだけの話だ。

違憲」判決を勝ち取ったものの、判決の内容がお粗末ときたら原告側の内心は忸怩たる思いがあるに違いない。

左翼を批判する他に能のない金城テルさんに対しては、ご高齢にもかかわらず、よくぞここまでご健闘されたと労いの言葉をかけてやりたい。

しかし、労多くして実入り少なしとなると、なんともお気の毒である。沖縄を愛する心の薄いご高齢の金城テルさんは、なんとも可哀想な女性である。

 

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