日本学術会議の任命拒否問題で、菅義偉首相は昨日の内閣記者会で会見を行なった。その中で菅首相は、任命を拒否した6人について、6人が安全保障法案や共謀罪をめぐる法案に批判的立場だったこととは一切関係ない、と述べた。
しかし、任命を拒否した理由については「個別の人事に関することはコメントを控える」と明言を避けた。
会見がそういう結果になるであろうことは、初めから分かっていた。モリ・カケ・サクラ問題で繰り返された「個別の人事に関することはコメントを控える」という言葉。
説明責任を回避するのに都合の良いこの言葉を、性懲りもなく平然と使うということは、恥の感覚が完全に麻痺している証拠だ。
何故、本当のことを言わないのだろうか? 6人は政権に批判的だったから排除しました、と。国家機密でもないのに、このくらいのことが何故言えないのだろうか?
一体、菅義偉は何を恐れているのだろう? 考えられることは、菅義偉という人間の隠蔽体質である。都合の悪いことは、できる限り隠蔽する。人事権を悪用しつつ政策を押し進める。
そうやって何とか目的を達成する。これが、彼が今まで取ってきた陰湿な政治手法だ。隠蔽した事実がバレたら元の木阿弥になる。そうなっては困るから、必死になって事実を隠蔽しようとする。真実が表に出て国民の前に晒されること、菅義偉が一番恐れていることは、これだ。
彼の顔の表情を見ればよくわかる。いつも何かを隠しているような雰囲気がある。陰湿で陰気。同じ会見で、彼は次のような発言もした。
(2001年の省庁再編時に学術会議の必要性を含めたあり方について)「相当の議論が行われ、結果として総合的、俯瞰的な活動を求めることになった」「総合的、俯瞰的な活動を確保する観点から、今回の任命についても判断した」
この発言の意味を理解できる人がいるだろうか? 残念ながら、ぼくは全く理解できない。「総合的、俯瞰的な活動を確保する観点から、今回の任命についても判断した」
あまりにも茫洋として抽象的であり、何が言いたいのか、全く理解不能。政治家にとって言語表現は最も大事なものであるはずだが、我らのゲシュタポ総理・菅義偉は、どうやら言語能力がお粗末のようだ。
ただそうは言っても、この発言から感じ取れるのは、ゲシュタポ総理・菅義偉は日本学術会議に対して、あまり良い感情を抱いていないのではないか、ということである。
仮に菅氏が、日本学術会議に対して不満があり、批判的見解を持っているなら、その問題点を指摘して国会で審議に付せば良いだけの話だ。日本学術会議は、日本学術会議法という法律に基づいて設立されているのだから、国会で取り上げて、法改正を迫れば良い。それだけの話。
しかし、ゲシュタポ総理は安易に行政権を使い、理由も明らかにせず6人を任命拒否したのである。国権の最高機関である国会に、日本学術会議の在り方を問うという民主主義手続きを省き、任命権があることを安易に解釈して、これまでの慣習を破ってまで6人を任命拒否したのは、ゲシュタポ総理の民主主義理解度が未熟だからに他ならない。
モリ・カケ・サクラ問題はまだ続いている。事実が隠蔽されたままだと永遠に終わりは来ない。そして今回、新たに日本学術会議任命拒否問題が加わった。隠蔽、隠蔽、隠蔽!
安倍晋三が残した負の遺産は解消されるどころか、菅に引き継がれて増大する一方だ。
推奨サイト