沖縄よ! 群星むりぶし日記

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自分で解決する「命の選別」

人は自殺しなくても、いつか必ず死ぬ。何人も肉体の死を免れることはできない。これまでの長い人生で、どんなに辛く苦しい時でも、自殺を考えたことは一度もなかった。

恐らくこの先もないだろうと思う。しかし、数年前から自分の死について考える時間が増えた。いつか必ず訪れる死、その時のために必要な準備を整えておかなければならないはずだが、怠惰な性格ゆえに、長い間漫然と構えてきた。しかし、姉の死によって怠惰な心に鞭が入ったのである。

姉の夫の墓は大宜味村にある。しかし残された親戚は皆高齢者で、一緒に納骨に行けないという。迷った挙句、永代供養に関する情報をネットで検索した。

すると沖縄県メモリアル整備協会というところに行き着いた。種類がいくつかあるなかで、海洋散骨に目が止まった。これだ!と思った。

死んだら骨は海に流す。若い頃から変わらぬ、ぼくの希望であり、信念である。当時、親戚で賛成する人は誰もいなかった。共同体意識の強い社会では、先進的思想は異端であり、受容できないものだった。特に母親の反対は強烈だった。

その母が19年前に亡くなった時、骨を海に流すという自論を展開して、親戚から白眼視された。それでも実践しようとするぼくを最終的に思いとどまらせたのは、妻の言葉だった。

「本人の希望に従うべきでしょう?」

生前の母の希望は門中墓に入ることだった。父もそこに眠っている。母の希望は自然で当然、誰が考えても常識の極みである。異端は常識に敗北する。

糸満門中墓は大きい。納骨の日、厚い扉が開かれて中に入り、一ヶ所に積まれた骨山に投げ込んだ。合掌してから後退りで外に出る。そういうしきたりだと教えられた。

それから時代は大きく変わった。核家族が増え、共同体は急速に希薄化しつつある。骨は海に流すという異端思想は、時代の流れと共に世間に受け入れられるようになった。

海洋散骨が永代供養のメニューのひとつになっている事実がそれを証明しているのではないだろうか。海洋散骨・永代供養・記銘彫刻すべて込みで、お一人様15万円(非課税)。

理想的だ。生前契約もできるという。姉の供養が終わったら、契約するつもりだ。これで誰にも迷惑をかけることなく、何の憂いもなく世界の海を駆け巡ることができる。

 

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