沖縄よ! 群星むりぶし日記

沖縄を、日本を、そして掛け替えのない惑星・地球を愛する者として発信していきます。

辺野古埋め立ては国防理念のない政府の悪あがきに過ぎない

2017年01月30日の当ブログで、「ポリタス」から引用した論稿を基に、ぼくは安倍内閣の国防の無策を批判した。

偶然、今日読み返してみたのだが、本質を突く内容に今更ながら感心し、再度読者に提供するのも悪くないだろうと考えて、再び掲載することにした。

安倍内閣辺野古の美しい海に土砂投入して工事を強行しているが、この「ポリタス」の論稿を読めば、そのやり方がいかに無謀無策であるか、理解されるであろう。

辺野古新基地建設が頓挫する2つの理由」を連載している『チョイさんの沖縄日記』と併せて参考にして頂ければ幸いです。

<【 辺野古新基地とオスプレイ配備の本質とは 】

今回の沖縄県知事選挙の中心的な争点は、米海兵隊普天間航空基地の移転先を県内・名護市辺野古とし、新たな基地を造るか否か、である。言わずもがなのことであるが。

辺野古新基地建設が必要とされている理由は、中国の軍事的脅威の増大に対し、在沖海兵隊が「軍事的抑止力」であるため、とされていることも、改めて言う必要がない。

更に、「革命的な新兵器」オスプレイMV–22が、長い航続距離・高い巡航速度で、尖閣諸島での対中国軍事衝突に参戦するという期待が、日本政府の高圧的な辺野古新基地建設の背景にあることは明らかだ。

オスプレイ尖閣での戦闘に加わる、離島防衛とか離島奪還とかの軍事作戦に、沖縄島から飛んで行くという作戦はない。その「事実」は、どれだけ知られているだろうか。
アフリカで3年前に独立した南スーダンで、昨年12月、新たな内戦が激化し、反政府ゲリラが支配する地域に米国人が取り残された。

その救出に、米空軍オスプレイCV–22が3機向かい、反政府ゲリラの小銃に撃たれ、乗員4名が負傷、内2人が重傷を負い、救出作戦を中止し、撤退した。(この事件については、The New York Times, “Attacks on U.S. Aircraft Foils Evacuation in South Sudan”, 12.21, 2013およびThe New York Times, “Americans Evacuated from South Sudan”, 12.23,2013を参照して下さい)
救出作戦は、後日、反政府ゲリラに話を付けて、攻撃しない約束を取り、国連と民間の通常のヘリコプターをチャーターして完了した。
南スーダンの反政府ゲリラの小銃に追い払われる機種が、どのように中国軍と戦争出来るというのか。
この南スーダン銃撃・撤退事件には後日譚がある。オスプレイ脆弱性に懲りた米空軍は、オスプレイの装甲強化と火器搭載を計画しているという。しかし、搭載能力の低いオスプレイに、これらの改装を加えると、重量が増加し、飛行に支障が生じる。

そのために、エンジン製造会社のロールス・ロイス社が、エンジン出力の増強をする、ということまで必要とされ、その予算の確保が問題となっている。

(空軍オスプレイの改装についてはUS Air Force Special Ops Looks To Add Armor, Firepower to Ospreysを参照して下さい。この他、US Air Forces Osprey Added Armorで検索すれば、関連報道記事が見付かります)

もし、オスプレイ尖閣での戦闘に飛ばす意図があるならば、在沖海兵隊オスプレイが真っ先に改装されねばならないが、海兵隊オスプレイの装甲強化・火器搭載という話は出ていない。それは、在沖海兵隊には、尖閣での戦闘に加わる意思も作戦も元々ないからである。海兵隊オスプレイは、地上兵員輸送機なので、搭載量を削ぐことが出来ない。ちなみに空軍仕様と海兵隊仕様は、同一機体である。念のため。

また、機体の小さいオスプレイには、陸上自衛隊パジェロ改造の小型トラックが積めない。
オスプレイは、搭載能力不足と脆弱性のために、商売として頼みにしていた陸軍が採用しなかった。今、日本中でオスプレイを飛ばしているのは、日本へのセールスのためのデモである。
海兵隊は、今後の米国戦略での必要度が低く、予算確保に苦しんでいる。兵員は大幅に削減され、老朽化している普天間飛行場の、本来の代替施設であるはずのグアムの基地整備に、米国議会は予算をほとんど付けていない。

辺野古新基地建設は、自国政府の中では予算を取れない海兵隊が、既得権を維持するために、日本政府・日本国民を謀って、日本の税金で新たな基地を獲得しようとしている企てなのである。

また、ボーイングとベルが、商売になっていないオスプレイの売り込み先として、自衛隊に買わせ、更に自衛隊に、海兵部隊の戦闘を教えるという海兵隊の新商売込みのパッケージ商法を展開しているのが、辺野古オスプレイ配備の本質である。
海兵隊が、敵地に侵攻して、橋頭保を築くという、本来の作戦を行ったのは、1950年朝鮮戦争仁川上陸作戦が最後である。海兵隊は、空軍・海軍が敵を叩いた後での占領に行く、「第二陸軍になった」と批判したのは、ロバート・ゲイツ元国防長官本人である(この2010年の演説書き起こしは、国防総省サイトで読めます)
 在沖海兵隊も同様で、作戦遂行には、オスプレイと兵員を、佐世保米国海軍基地所属の強襲揚陸艦ボノム・リシャールに搭載して、上陸展開する近くまで持っていかねばならない。だから、沖縄にオスプレイを置いても、「尖閣に近い」などという軍事的意味はない。
沖縄に、「実体は何だか分からないが、勇猛果敢だという海兵隊と、凄い新兵器らしいオスプレイを置いておけば、中国が攻めてきても大丈夫」という、御守りを買うようなことは止めたらどうか。1兆円近い金をこんなことに注ぎ込むのは、間抜け極まりないことではないか。
辺野古を造らなくとも、軍事的抑止力としての米空軍嘉手納飛行場は存続する。嘉手納閉鎖・返還は、政治的要求・日程には全く上っていない。( 2014年11月15日「ポリタス」)>