沖縄よ! 群星むりぶし日記

沖縄を、日本を、そして掛け替えのない惑星・地球を愛する者として発信していきます。

「私は喜んで犯罪者になる」行政の欺瞞を暴き出す宮城秋乃さん

蝶類研究家の宮城秋乃さんをRBCが取材した。下の動画をまずはご覧いただきたい。


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山原の森で貴重な蝶類の生態を調査しているうちに、宮城さんは自然とは相容れない異物を発見する。米軍が置き去りにした廃棄物だ。しかも廃棄物が発見された場所は1ヶ所だけではない。広範囲に及ぶことがわかってきた。

訓練用砲弾、ドラム缶(PCBが検出される)、ライナープレート、新品の空包、野戦食の袋・缶類、大量のビール瓶、放射性物質コバルト60の電子管、未使用の7.62mmNATO弾(実弾)、軍用ブーツ、薬瓶、(以上、中村之菊著『抵抗・国家という暴力との戦い・』から引用、いずれも写真付)これだけの廃棄物が広範囲にわたって野晒しにされていた。

とりわけ銃弾は無数に発見されている。そして何と、これらの米軍廃棄物が発見された場所は、昨年、世界自然遺産に登録された北部訓練場返還地の中である。

これらの放射性物質を含む廃棄物の存在が明らかになれば、当然のことながら世界自然遺産登録はなかったはずだが、管轄部署である沖縄防衛局は支障除去は完了したと嘘をついたのだ。

沖縄防衛局の隠蔽体質は、上の動画を見ればわかる。中村さんからの通報で現場に駆けつけてきた名護署員は、RBCが取材していることに驚いて公になるのを恐れている様子で、なかなか話を聞こうとしない。そこでRBCは撮影を断念するが、中村さんのスマホがしっかり現場の様子を捉えていた。

警察官と中村、宮城両氏のやり取りを聞いていると、次のようなことがわかる。①警察は米軍の廃棄物を引き取ることはできない。②できることは管轄所管の沖縄防衛局に連絡すること。

ということらしいが、中村、宮城両氏によると、警察が防衛局にいくら連絡したところで、防衛局から両氏に連絡が来た試しがない、とのこと。

つまり沖縄防衛局は、この件で積極的に動くことはしないということのようだ。支障除去は完了したと報告した手前、今更米軍廃棄物の存在を認めたくないのだろう。典型的な役人の姑息な隠蔽体質が現れている。

しかし、宮城秋乃さん、中村之菊さんのおかげで、膨大な量の米軍廃棄物の存在が明らかにされ、マスコミも取り上げるようになってきた。

沖縄防衛局と政府はいつものやり方で、事実をできるだけ矮小化し、何の問題もなかったことにしようとするのだろう。対米従属から抜けきれない自公政権の限界がそうさせるのだ。

宮城さんは、拾った米軍廃棄物を持ち主に帰すつもりで、米軍基地内にそれらを置いた。それが罪に問われて起訴されることになった。さらに、先の県知事選で、佐喜真候補が演説しているところに向かって、米軍が廃棄した銃弾を投げつけた。その時の様子が上の動画に映っている。

彼女の一連の行動は、決して咄嗟の衝動に駆られてのことではない。十分に自覚した上でのことだ。だからこそ「私は喜んで犯罪者になる」と言えるのだ。過激と言えば過激である。

小柄な彼女のどこにそんな強烈なエネルギーが秘められているのだろうか。実に不思議な魅力を持つキャラクターである。

一応日本は法治国家だから、彼女の行為は法律が裁くことになるのだろう。しかし、彼女を犯罪者と呼ぶことはできない。真の犯罪者は、不条理を押し付けて、真実を隠蔽しようとする自公政権である。アキノ隊員(宮城秋乃)と連帯して共に自公政権と闘おう。

 

那覇市長選挙が分裂した最大の責任は城間那覇市長にある

23日投開票予定の那覇市長選挙が15日に告示された。立候補者は以下の2名。

翁長雄治(35)立憲・共産・れいわ・社民・社大推薦

知念覚 (59)自民・公明推薦

告示前から両陣営による激しい選挙運動が展開されているが、何故か今回は誰に投票して良いやら判断がつかず、まだ態度を決められないでいる。

その最大の原因は、候補者選定の不透明さ、杜撰さにあるとぼくはみている。翁長氏の立候補表明は早かったが、その時点でオール沖縄側が誰を推薦するかはまだ未定だった。知念氏の名前が出たり消えたりしていたのは、オール沖縄側が翁長氏にするか知念氏にするか、まだ検討中の段階だったからである。

これはなにを意味するかというと、城間幹子市長としては知念氏を推薦したかったので、オール沖縄側との調整が必要になり、そのために時間的に手間取ったことが考えられる。ではなぜ城間市長は知念氏を推薦したかったのかというと、知念氏は副市長としての8年間、城間市長と二人三脚で行政に携わってきた実績があり、知念氏の行政手腕を城間市長が高く評価したからだ。

知念氏は行政経験が豊富で、当時那覇市長だった翁長前知事は知念氏を副市長に起用するよう城間次期市長に推薦した。知念氏は純粋な意味での行政マンであり、党派性はほとんどない。翁長雄志市長の後継者に選出されてオール沖縄陣営の一員として活動してきた城間市長としては、知念氏をあくまでもオール沖縄推薦としたかったに違いない。そう考えることで、城間市長の変節(彼女自身は認めていない)の意味が理解できる。

城間市長の変節とは、知念氏をオール沖縄としてではなく城間市長個人で推薦したということである。何故そうなったのか、彼女の言い分としては、自分が変説したのではなく、オール沖縄が翁長前知事の考えと乖離したためだという。

その詳しい説明を、ぼくはまだ目にしていないので何とも言えないが、城間市長の主張には大きな矛盾を感じてしまう。何故なら、知念氏を自民党公明党が推薦する形になったからである。これではオール沖縄陣営からすれば、立派な裏切り行為になる。

保守の一部と革新勢力が合流してオール沖縄という政治勢力を結集した1番の功労者は翁長雄志前知事である。翁長氏は、県内の大きな選挙がある度に、基地反対を主張する勢力と経済を重視する勢力が相争う事態に心を痛め、基地反対と経済重視を両立させる理念を打ち出した。それが「誇りある豊かな沖縄」という言葉に集約されている。

外国の軍隊の駐留を認めない革新勢力の「誇り」。経済に力点を置いて県民生活を向上させる自民党の「豊かさ」の追求。翁長知事は、この両方の理念を対立するものとしてではなく、統合できるものと考えた。ウチナーンチュのアイデンティティーを接着剤にすれば、「誇り」と「豊かさ」は両立させることができる、翁長知事はそう考えた。

イデオロギーよりもアイデンティティー」

翁長知事のこの言葉は、ウチナーンチュの琴線に響く。狭い沖縄でイデオロギー闘争は無意味だ。それよりはアイデンティティーを重視して県民生活を安定させ向上させる。それには「誇り」と「豊かさ」は同じ比重で重要であり、合体させる必要がある。

「誇りある豊かな沖縄」

翁長知事が掲げたこの理念は、戦後沖縄の政治の集大成と言っても過言ではない。この理念に反対する県民は一人もいないはずである。いるとすればモグリか天邪鬼だろう。

全ての県民が自らのアイデンティティーを自覚することができれば、外からやってくる理不尽な力に対して、結集して対抗することができる。

玉城県政は翁長知事の理念を引き継ぐことでスタートした。だから玉城知事は、今も事あるごとに「誇りある豊かな沖縄」という言葉を口にするのだ。

城間幹子市長も事情は同じである。翁長知事の理念を継承する形でオール沖縄の支持を取り付けたはずである。しかし、ここに至って豹変してしまった。なぜ県民の民意を踏み躙ってまで辺野古新基地工事を強行する自民党公明党が推薦する知念候補を応援することになったのだ?

ぼくは知念覚を批判する気はさらさらない。先にも書いたように、彼は経験豊富で有能な行政マンであり、党派性は薄い。ぼくが知り得た情報からすると、那覇市長にふさわしい人物だ。

残念なのは、党派性の薄い彼を自民党公明党が推薦したことにある。その前に翁長雄治はオール沖縄の推薦を取り付けていた。調整が上手くいけば、オール沖縄が知念氏を推薦する可能性も大いにあり得た。しかし、時すでに遅し。敵に塩を送るような最悪の分裂劇になってしまった。

全ては調整の不手際にあったのではないか、とぼくは思っている。翁長雄治はまだ35歳と若い。政治経験も短くまだ十分とは言えない。いくら翁長知事の息子だからといって、それだけで県都那覇市の首長を任せるには時期尚早の感が強い。

2期8年、知念氏に任せても翁長氏は43歳。それでもまだ若いが、政治家として十分経験を積み脂が乗り切った年頃でもある。その時に那覇市長を目指すのもよし、国会議員を目指すのも良し。むしろこの方が最善策ではなかったか、とぼくは思う。

オール沖縄の内部で政治力学がどう動いたか、詳しい内実を知る術はないが、表に出てきた情報だけで判断すると、オール沖縄は翁長雄治の推薦を急ぎすぎたのではないかという懸念が残る。その背景には彼が辺野古新基地工事に反対を表明していることが考えられる。その点、知念氏は反対も賛成も明確にはしていない。

それでも城間市長は知念氏を推薦した。つまり、オール沖縄内部で辺野古基地問題が翁長氏を推すか、知念氏を推すかのリトマス試験紙となった可能性がある。そこで翁長知事の息子で辺野古に反対する翁長雄治を推薦する方向にベクトルが大きく傾いた。それでも城間市長の態度は変わらなかった。よほど知念氏の行政手腕に惚れたようである。

この場合の最善策は先に述べた通り、知念氏をオール沖縄が推薦し、翁長氏を説得して降りてもらうことだが、ついでに次善策も考えてみたい。

それは最善策とちょうど逆で、翁長氏をオール沖縄が推薦して知念氏に降りてもらう。そして引き続き副市長として翁長氏を支えてもらう。この場合は、当然のことながら、城間市長と知念氏を説得して同意してもらう必要がある。

最善策、次善策のいずれに転んでも、ぼくは受け入れることができるが、問題は、そこに至る話し合いが果たしてどの程度行われたか、である。各人、各政党の欲望、信念、思惑、計算が入り乱れる中で、調整機能がうまく作用し、妥協点をどこに置くか、というところまで突っ込んだ話し合いがもたれたかどうか、である。

ぼくにはこの点がなかなか見えてこないのだが、結果を見れば、失敗に終わったことだけははっきりしている。しかも最悪の結果になってしまった。

選挙公報を見ると、知念氏の枠には、「副市長を那覇市のトップへ!」の文句で知念氏と城間市長のツーショット写真が掲載されている。そして城間市長の右側には、「城間市長も応援しています!」とある。これだけなら何の問題もない。問題は、自由民主党公明党推薦という悍ましい文字が刻印されていることだ!

城間幹子市長よ、よくぞやってくれたな。いくら知念氏の行政手腕に惚れたからといって、これではやりすぎというものだろう。今までの8年間は一体なんだったのだ? 完全な裏切り行為である。彼女に対する信頼が完全に失墜した瞬間だ。

知念氏は党派性が薄いといっても、自由民主党公明党推薦ということになると、当然のことながら、彼らとの間で政策合意を取り結ぶ義務がある。直接的間接的に彼らの意見を採用しなければならない場面が出てくる。公認じゃないからそんなことにはならない、という考えは甘い。下手すると自公政権に完全に取り込まれる危険さえある。そう考える方が現実的だ。

そうなると沖縄の政治は大きく後退するだろう。なぜなら、自公政権になってから、日本はOECD諸国の中で唯一経済成長しない国になってしまったからだ。しかも近年の自公政権の腐敗ぶりは目に余るものがある。中央政府とのパイプを活かすんだと? 冗談じゃない。誤った経済政策と腐敗を呼び込むだけだ。

城間幹子よ、よくぞやってくれた。貴方の罪はあまりにも大きすぎて、その償いはこの先何十年も消えることはないだろう。

 

ひろゆき(西村博之)氏よ、掲示板の制作者と「腹を割って話す」勇気はあるか?

今朝の沖縄タイムスWEB版はひろゆき氏に「汚い字」と言われた掲示板作った住民、母を殺された過去「腹を割って話してみたい」」というタイトルの記事を配信した。大変考えさせられる内容の記事なので全文掲載する。

ひろゆき西村博之)氏が「0日に」とやゆして有名になったゲート前の掲示板は名護市辺野古の住民、金城武政さん(65)が作った物だ。母を米兵に殺害された。生活のため、新基地建設事業の警備員になった時期もある。本土の基地押し付けに人生を翻(ほん)弄(ろう)され、それでも現場で反対の声を上げ続ける金城さん自身、そして多くの人々の思いが、掲示板には込められている。(編集委員・阿部岳)

ひろゆき氏にやゆされた掲示板と、作者の金城武政さん=11日、名護市辺野古の米軍キャンプ・シュワブゲート前ひろゆき氏にやゆされた掲示板と、作者の金城武政さん=11日、名護市辺野古の米軍キャンプ・シュワブゲート前

インターネット掲示板2ちゃんねる」解説者のひろゆき氏は3日、米軍キャンプ・シュワブゲート前を訪れた。2014年7月の座り込み抗議開始から「3011日」を刻んだ掲示板の横で写真を撮り、「0日にした方がよくない?」とSNSに投稿した。

「普通はそんな心情にならないと思うんだけど」と、金城さんは不思議そうだ。「この日数は、基地押し付けと抵抗がこれだけ続いていることを示している。本土の人が見れば、放置してきた恥ずかしさが出てくるはずだと思う」

犠牲の押し付けは戦後ずっと続いている。「辺野古でバーを経営していた金城さんの母富子さんは1974年、強盗に入った米兵にブロック片で頭を殴られ、頭蓋骨骨折による脳内出血で亡くなった。金城さんは当時高校3年生。2階で勉強していたが、気付かなかった無念を抱える。

高校卒業後は本土で働き、体を壊して2004年に辺野古へ戻った。地元に仕事は少なく、ちょうど始まった新基地建設の調査のため、辺野古漁港で夜勤の警備員を1年余り務めた。「生きるため」にと割り切った。

生活に追われても、命を脅かす新基地に反対する気持ちは変わらなかった。14年に座り込みが始まると、地元住民としてテントの設営から手伝った。今も日々、現場に通い、デザインを学んだ知識を生かして看板書きも引き受ける。

掲示板は当初、政府が千日以内に断念することを願い、あえて3桁の日数で作った。その後、右翼団体の襲撃で破壊されるなどし、そのたびに金城さんが作り直してきた。

ひろゆき氏は出演番組の中で掲示板を「汚い字」と中傷したが、金城さんは「そう言うなら、もっときれいに作り直してもいい」と、いたって平静だ。「もう一度彼が来たら、なぜ私たちが反対しているのか、彼がなにを考えているのか、腹を割って話してみたい。こちらからは批判しようとは思わない」と語った。」

どうだ、ひろゆき氏よ、君が「汚い字」と罵った掲示板の由来は記事にある通りだ。製作者の金城武政さんは、君が「なにを考えているのか、腹を割って話してみたい。こちらからは批判しようとは思わない」と言っている。

この際勇気を振り絞り、頭の中を空っぽにして素直な気持ちで金城氏と話してみてはどうだろうか。是非そうしてもらいたい。君の発言の誤解を解くために、そして何よりも君がただのあぶく(泡)コメンテーターでないことを証明するためにも勇気ある決断をお願いしたい。

 

 

あぶく(泡)コメンテーター・ひろゆき(西村博之)氏の子供っぽさはあまりにも見るに耐えない

西村博之(以下ひろゆき氏と呼ぶ)の言動が世間を騒がせている。わざわざ辺野古に来て、新基地建設に反対する人々が座り込んだ日数(毎日更新される)が書かれた看板を指して、「0日」と書いた方がいいんじゃない?と揶揄した。

実際は、その時点で座り込み日数は3000日を超えているが、ひろゆき氏が「0日」としたほうがいいんじゃないの、とあえて揶揄したのは、彼が現場に来た時、座り込みをする人がいなかったというのが主な理由になったらしい。つまり3000日を超えたとする反対派の算出方法に疑問を呈したということのようだ。

もしそうだとしたら、あまりにも思考が短絡的すぎて問題にすることすら馬鹿馬鹿しくなる。わずか1日だけ立ち寄っただけでは、現場がこれまで積み重ねてきた日々の重さと人々が流した汗と痛みを理解できるはずがない。

実はぼく自身、5年前の夏、5、6、7月の3ヶ月間、島ぐるみ会議がチャーターするバスで毎週水曜日に辺野古へ出かけて1日3回(その日の工事の状況次第で2回の場合もあるし、全くない時もある)工事用ゲート前で座り込みをし、その都度、若い機動隊員3名に両脇と足を抱えられるようにして、あらかじめ用意された隔離場所に移されるという経験をした。

その時の様子は、当ブログに詳しく書き留めてある。当時のことを思い起こすと、今回のひろゆき氏の行動と言葉は、あまりにも軽すぎて、呆れると同時に怒りの感情が沸々と湧き上がってくる。

ひろゆき氏は、座り込みは24時間続けるべきで、それで初めて1日としてカウントされる、とでも言いたいのだろうか? 彼の真意はよくわからないが、もしそうだとすればアホとしか言いようがない。24時間座り続けたらそのうち死んでしまうよ。その日の工事は終了し、工事用ゲートも閉まっているのに、なんで無理して座り込む必要がある? それこそナンセンスだ。

継続の意志があり、それが途切れることなく人々が現場に集う状況が続けば、立派に1日としてカウントされる。そのことになんの問題もないはずである。その日の状況次第で工事の日程も変わる。それも考慮した上で座り込みの取り組みの仕方も決まる。

ぼくが参加する以前から、そしてぼくが抜けた後も、人々は現場に集い、座り込みを続けてきた。そして現在も続いている。こうして座り込みは3000日を超えたのである。なんの不思議もなければ非難される謂れもない。むしろ過酷さを強いられる座り込みを続ける人々に対して、敬意こそ表すべきだろう。

これで終わりにするつもりだったが、あぶくのように口の軽いひろゆき氏がどうやら沖縄人そのものを軽蔑しているのではないか、という沖縄タイムスの報道を目にして、このままで終わることができなくなった。

彼はユーチューブで「沖縄の人って文法通りしゃべれない」「きれいな日本語にならない人の方が多い」などと発言したらしい。そして「もともと普天間の基地があった。周りに住宅を作っちゃった」「もともと何もなかった」とも発言している。

明らかにヘイトスピーチであり、沖縄の米軍(占領軍)基地に関して何も学習していないことを自ら証明している。ところでこの人物のいう「きれいな日本語」って、いったいどんな日本語だろうか?

東京弁?関西弁?東北弁?

日本列島にはその地域特性の伝統文化に根ざした独自の訛りを持つ言葉が数多く存在する。ひろゆき氏のいう「きれいな日本語」とはおそらく、東京を中心とする標準語を指すのだろう。彼自身が標準語を使っているからだ。

しかし、だからと言って標準語が「きれいな日本語」とは限らない。なぜなら関西弁、東北弁、その他各地の伝統文化を色濃く反映する言葉も、それ自体がれっきとした「きれいな日本語」だからだ。

沖縄には琉球語ウチナーグチ)という独自の言葉がある。それは現在も残っていて年配者の間では普通に使われている。玉城知事がよく談話の冒頭で「はいさい、ぐすーよう、ちゅううがなびら」(みなさんこんにちは)と述べる言葉も琉球語である。

翁長雄志前知事もよく琉球語を使った。玉城知事は前知事のやり方をそのまま継承したのだ。沖縄人が本土の人々(ヤマトンチュ)に対して自信を持ってきた証だ。地元の文化伝統に根ざした言葉を使って何が悪い。

しかも琉球語には日本の古代語が多く含まれる。長男を意味する嫡子という言葉は、今でも沖縄では普通に使われている。琉球語は紛れもない日本語系統に属する言語である。

ひろゆき氏は、琉球語がどのような特質を持つ言語か、学習したこともないのだろう。そんな人間が「きれいな日本語にならない人の方が多い」などとよくも言えたものだ。あまりにも軽薄で表層的すぎる。大事なのは見てくれではない。中身であり実態だ。それを把握し理解するには学習と想像力が必要とされる。

たとえひろゆき氏が会話を交わした沖縄人の言葉が、訛りの強い言葉であっても、沖縄の歴史と琉球語を多少なりとも学習していれば、彼が言わんとすることは何かと自問自答するはずである。しかし彼はそんなことはせず、想像力も働かせないままに、単に標準語と比較して沖縄人が発する言葉を異端視して軽蔑するのだ。

彼のこのような高飛車な姿勢はいったいどこからくるのだろうか? 沖縄人に対する大和人の優位性? 仮にそのようなものがあるとしたら、それはどのような性格を持つ優位性なのだろうか、とまずは問いたい。

沖縄と本土の面積差?人口差?あるいは容姿の違い?歴史と伝統文化の違い?

多くの点で違いのあることは認識できるが、大和人の優位性とは何か、といくら考えてもぼくには答えが見つからない。つまり、沖縄人と大和人の間には多くの点で違うところはあるが、実は優位性というものは実在しない、それは単なる抽象的観念でしかない。これが答えだ。

あるいは、ひろゆき氏とぼくとでは人間存在の理解の仕方が根本的に違うのかもしれない。ひろゆき氏は人間を己の価値観で測っている。自分の尺度に合わない者はできるだけ排除しようとする。異端者はそれだけで余計な存在であり、彼を理解するために必要な背景を考慮しようとはしない。これがひろゆき氏の人間理解の規範なのだろう。

しかしそこにあるのは、身勝手な排除の論理であり、これでは肝心な物事の全体性を把握することは不可能だ。ただ単に対立を煽るだけで終わってしまう恐れがある。だとするならどうすれば良いか?

簡単なことだ。結論を急ぐ前に、現地で反対派の意見を聞くことから始めるべきだった。なぜ座り込み日数が3011日になっているのか、その経緯と根拠を時間をかけて対話形式で問うべきだった。

しかし、彼がそうした形跡はない。その日その時、たまたま座り込む人がいなかったから、「0日でいいんじゃない」とツイートしたのだ。これではあまりにも配慮に欠けすぎる。これでは子供となにも変わらない。常識ある大人のやることではないだろう。

彼が辺野古にきたのは、真実を知るためではなく、あらかじめ抱いていた偏見を確認するためだった。次の言葉がそれを裏付けている。

「沖縄の人って文法通りしゃべれない」「きれいな日本語にならない人の方が多い」

最後に西村博之に言いたい。沖縄の歴史と伝統文化、そして在沖米軍(占領軍)の実態をもっと時間をかけて学習しなさい。実のあるまともな議論をしたければ、どうしても通過しなければならない必要最低限の条件である。それが真っ当な大人の取るべき礼儀というものだろう。

 

米軍車両の前で仁王立ちするアキノ隊員(宮城秋乃)

「私がパトカー来るまで1時間前後米軍車両の前から動かない止め方をしたら「轢かれろ」と言われるのに、辺野古にいる方々が長期戦を見据え機動隊のごぼう抜きに従う工事車両の止め方をしても「本気じゃない」と言われる。どんな方法でやってもネトウヨは文句言う。権力に抗うものをひやかしたいだけ。」

上の文章は、アキノ隊員(宮城秋乃)のツイートから転載させていただいたものである。実はこのツイートには写真が付いているのだが、コピペ防止の機能がほどこされているらしくて、何度試みても貼り付けることができなかった。衝撃的な写真であるだけに残念である。

その写真というのは、大きな米軍車両3台が連なる先頭の車両の前で一人仁王立ちする女性の姿を映したものである。後ろ姿で小太り気味の彼女の表情を見ることはできないが、宮城秋乃さんに間違いない。上のツイートでわかる。

彼女の強心臓には驚くばかりだが、なんと1時間前後も仁王立ちして米軍車両を止めていたというのだから凄い!凄すぎる。そして美しすぎる!

ぼくはこの写真を見た時、胸が熱くなって全身の震えを抑えることができなかった。宮城秋乃さんの勇気と怒りは、一体どこから来るのだろうか?

その経緯は彼女と活動を共にするザ・右翼の中村之菊さんの『抵抗-国家という暴力との闘い-』に詳しく書かれている。

その本の一部から引用すると「宮城秋乃氏は沖縄島の国頭村と東村にまたがる米軍北部訓練場返還地で大量に発見されている米軍廃棄物の調査をしながら、米軍基地があることによる人災や問題、また日米関係の在り方にも問題提起をし続けてきた。そもそもは氏がチョウや生き物が好きなことから、希少生物の調査をするために、やんばる(沖縄島北部の森)に入っていた延長線上に、米軍廃棄物の調査が加わってしまったことはあまり認知されていない。

つまり宮城さんはチョウや希少生物の調査をしている間に、やんばるの森が米軍廃棄物で汚染されていることに気づいたのだ。そして中村之菊さんと出会い、米軍廃棄物の処理問題で行政側と交渉しているうちに政治の不条理を目の当たりにして、怒りを募らせていった。

米軍(占領軍)基地の過重な負担、政府の不甲斐なさ、行政の怠慢。これらの不条理を現場で体験してきたことが、宮城さんの行動の動機となったのだ。先に行われた県知事選で、佐喜真候補の陣営に米軍(占領軍)が廃棄した銃弾を投げつけたのは彼女である。

宮城さんは、自分がとった行動が罪に問われることを承知の上であえて実行した。そして今回の仁王立ちである。その背景にあるのは、米軍(占領軍)による自然の破壊・汚染であり、それに対して手をこまねいてなす術を知らない無責任で臆病な政府に対する怒りである。

多くの県民は彼女の怒りを共有している。しかし、宮城さんのような直接的で過激な行動をとる人間はほとんどいない。それは多くの県民(ぼくを含めて)は日々の生活に追われて時間的余裕がないのと、あえて過激な行動に走る勇気がないというのが主な理由だろう。

そうだとすれば、我々としては宮城秋乃さんや中村之菊さんに対してどう応えればいいのだろうか?たとえ一緒に行動できなくても、それぞれの立場でなんらかの連帯を表明すること、それが精一杯のところだろう。

勿論、彼女たちと一緒に行動する人が出てくればそれに越したことはなく、その時はその人の勇気を称えたいと思う。ぼくは種々の理由から一緒に行動することはできないが、日本は自立した主権国家を目指すべきとの立場から、彼女たちの言動に連帯を表明したい。

さて蛇足になるが、最後に一言。

先の大戦で日本軍はインドから英軍を、ベトナムから仏軍を、インドネシアから蘭軍を、フィリピンから米軍を追い出した。

東南アジアを植民地にして現住民を奴隷化し暴利を貪った欧米諸国の軍隊を駆逐して、東南アジアを解放したのが日本だった。世界史の1ページに燦然と輝く日本の正義だ。

米軍車両の前で仁王立ちするアキノ隊員(宮城秋乃)の姿が、ぼくには東南アジアを解放した日本軍にダブって見える。大袈裟でもなんでもない。戦後77年経っても、占領軍である米軍が駐留し続ける日本の現状が異常なのだ。

国民の中からアキノ隊員のような人が増えなければ、日本は永遠に自立した主権国家になることはできないだろう。少なくともアキノ隊員に連帯を表明しよう!

 

平和ボケの東京都民に一人でドスを突きつけるザ右翼(The Uyoku)・中村之菊さん


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上の動画は、安倍晋三元総理大臣が銃撃されて死亡した7月8日に、首相官邸前で街宣に立つ中村之菊(みどり)さんを映したものである。

中村さんは、銃弾に倒れた安倍氏の死と、米軍人に殺された沖縄人の死を区別することはできないと言う。どんなにダメな人間でも奪われていい命なんてない、とも言った。続けて、なぜそういうことになったのか、みんなが生ぬるいことをやってきたからではないのか、と鋭く訴える。そして民主主義とはなんでしょうかと問い、それはあらゆる人の声を聞くことだ、しかし政府は沖縄の人々の声を聞いてこなかった、と糾弾した。

道ゆく人々は中村さんの言葉をどう受け止めただろうか?

無関心、今はそれどころではない、基地問題は政府に任せておけば良い、など人それぞれだろうが、おそらく大多数の人は無関心ではないだろうか。大都会東京とはそんなところだ。長い間東京で暮らしていたから良くわかる。しかし、そんな状況でも中村さんの言葉に心打たれる人もいるに違いない。沖縄の基地問題をもう少し掘り下げて考えてみようという気持ちになればしめたものだが、果たしてどうだろうか。

「沖縄の米軍基地を東京へ引き取る党」が中村さんが立ち上げた党名である。氏の思いをストレートに出した名称に違いない。あまりの単細胞ぶりに言葉を失うが、しかし、これが彼女の強みでもある。

ドスは誤魔化しが効かないのだ。平和ボケの東京都民の目を覚ますには、お上品で高級な理屈よりも鋭いドスこそが必要である。勿論、磨きに磨き上げた鋭い言葉のドスだ。生ぬるい東京都民が一人でも多く目覚めるまで、繰り返し何度でも言葉のドスを突き刺す。

一本気、江戸っ子の真骨頂ここにあり。

中村さんの活動は右左関係なく各方面に少しづつ浸透し、支持する人が増えていくものと信じる。沖縄の自称右翼、保守の諸君は、中村之菊さんの爪の垢でも煎じて飲むと良い。

 

天才的愛国者プーチン大統領の覚悟と不安

プーチン大統領は、9月30日、ウクライナ東部のドネツク州とルハンスク州、南東部のザボリージャ州と南部ヘルソン州の合わせて4州を併合する演説を行った。そして演説のあと、4州の代表者と「併合条約」に署名した。

これで4州は形式上ロシアに属することが決まった。欧米諸国は揃って国際法違反だと非難したが、時すでに遅し、プーチン大統領の鮮やかな戦略的勝利と言える。

プーチン大統領は、演説で民族自決権は国連憲章で保障されていると述べて、あらかじめ予想された西側諸国からの非難に対して予防線を張った。住民投票の結果、4州とも約9割の人がロシア併合に賛成したのは民族自決権を正当化するものだった。

4州にはソ連崩壊後も多くのロシア人が住んでいたが、2014年のマイダン騒動以降、ウクライナ政府によるロシア住民への虐待が先鋭化し、地域紛争へと発展する。

ウクライナ政府の残酷なやり方にプーチン大統領は何度も抗議し、紛争解決へ向けた交渉を何度も試みるが、ウクライナ政府が聞き入れることはなかった。こう着状態は8年間も続いた。

その間もウクライナ政府は米政府の支援を得て、プーチン大統領を挑発し続けた。特にバイデンが大統領に就任してからのロシアに対する挑発はますます酷くなった。バイデン大統領はゼレンスキー大統領をけしかけてNATO加入を促した。ウクライナNATOに加入すれば、ロシアとの国境沿いに核ミサイルが配備される危険性がある。

プーチン大統領は、バイデンとゼレンスキーの連携を最後通牒と受け止め、これ以上の挑発を阻止するために、2月24日特別軍事作戦と称してウクライナへ軍事侵攻したのである。

同時にそれはロシア住民を保護する目的もあった。そして7ヶ月に及ぶ戦闘で、4州のほぼ全域を支配下に置いた。そこで4州をロシアに併合し、ゼレンスキー大統領に停戦を呼びかけたのである。

ここに至って我々は、全面戦争ではなく特別軍事作戦と名づけたプーチン大統領の意図が理解できる。ウクライナ全域を占領するのではなく、ウクライナ政府に虐待される多くのロシア人が住む東南部4州を開放するための限定的な軍事作戦だったのだ。

当初の目的を達成したのだから、これ以上の戦闘は必要ない。だから間髪を入れずに演説で紛争終結に向けた停戦を呼びかけたのである。

2014年のマイダン騒動以来、時系列でプーチン大統領の行動を観察すると、実に知的で勇猛果敢、ゆるぎなき愛国心、米国のグローバリズムに決して負けない政治的信念、これらが一体となっていることに気付く。

歴史の大きな歯車を一人で動かす力を有する稀有な指導者・プーチン大統領

とは言っても本当の問題はこれからである。戦闘の終結に向けた停戦の呼びかけに対して、ゼレンスキー大統領は、すぐさま拒否した。そしてクリミアを含む占領された全域を取り戻すとまで言ってのけたのだ!

政治的に無能な人間が一国の指導者になることほど不幸なことはない。見栄っ張りのバカな大統領のおかげでウクライナ人は先の見えない犠牲を払うことになるだろう。そして無能な大統領の後ろにはバイデンという悪魔が控えてゼレンスキーを操っている。

彼も戦闘の終結は望んでいない。大量の米国産の武器をウクライナに供給することで、軍事産業の株価を上げる。米軍人の血は一滴も流さず、ウクライナ人が死んでいくのを見物するだけで良い。

ウクライナ人が頑張れば頑張るほどロシアは消耗する。そのうちプーチンが失脚すれば、ロシアの資源は我が国の金融資本家たちのコントロール下に入る。これが金融資本帝国・米国の最終目的である。彼らの意向に沿ってバイデンは動いているに過ぎない。

ウクライナ紛争は、米国金融資本家たちにとっては千歳一遇の金鉱脈なのだ。彼らの意向に従わないプーチン潰しにウクライナが利用されている。

この絵図が見えない日本のマスコミは、あいも変わらずプーチン批判を繰り返している。欧米のマスコミに追随する他に能のない日本のマスコミを信じると白も黒になってしまう。彼らが言う国際社会とは、欧米諸国のことだ。その他にも多くの国があり、ほとんどはプーチン大統領を批判しているわけではない。

国際社会という言葉にはくれぐれも気をつけよう。マスコミによる洗脳に用心するのに越したことはない。

さて今の時点で、バイデン大統領とゼレンスキー大統領が戦闘終結を望んでいないことがはっきりした。となると、プーチン大統領の覚悟はどうか、ということになるが、それはすでに演説の中で表明されている。

西側諸国が本気でロシアを潰しにくるなら、ロシアはあらゆる手段を取る、と。つまり、最終的に核爆弾の使用も辞さないと言っているのだ。

そんな事態にならないことを祈るばかりだが、しかし歴史に不測の事態が起きるのを防ぎようがないのも事実である。不幸にも万が一そうなった場合、プーチン大統領は間違いなく最大の効果を狙って核爆弾を使うだろう。

彼の言動と性格を考えると、そうなる可能性は非常に高い。だからそうならないために、バイデンとゼレンスキーはプーチンの提案を真剣に検討すべきだろう。

ことが勃発してからでは遅いのだ。地獄をこれ以上拡大しないために、バイデンとゼレンスキーは血便を流すほど真剣になって知恵を絞るべきだ。ウクライナ危機はそこまできてしまった。