沖縄よ! 群星むりぶし日記

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日本をどうする!?斎藤まさしvs 水島総

タイトルを見てビックリした。水島総が斎藤まさしと対談?しかも、生配信?

右と左のガチンコ対決。予想を超えて、思想においても人柄の面でも、両人の違いと共通点がはっきりと出ていて、大変面白かった。企画した水島氏に感謝したい。

関心のある方は、下の動画をまずはご覧いただきたい。


www.youtube.com

いかがであろうか。当然、受け止め方は、人それぞれだと思うが、以下、個人的な感想を述べることにする。

まずは水島氏の姿勢に対してである。水島氏はゲストを終始、鼻から見下している。自ら対談を呼びかけた以上は、少なくともゲストをリスペクトするのは当たり前のことで、最低限の必要条件だろう。

明らかに、斎藤氏を極左思想の塊として一定の枠内に押し込めた上で対談に臨んでいるのが見て取れる。

俺は真正保守であり、お前は極左左翼だから、二人の思想が完全に相容れないことはハッキリしている。だから、いい機会だからこの場で、お前の危険思想を焙り出してやる。お前を呼んだ目的はそのためだ。

ぼくは、水島氏の底意をそう読んだ。そうでなければ、水島の失礼な態度は理解できない。ゲストをリスペクトする気持ちがないとしても、できるだけ相手の発言を引き出して、言いたいことは何か、その全体像を見ている側に提供する責務が、この番組を企画した水島氏にはあるはずだ。

しかし、斎藤氏の発言を途中で遮り、全体の時間の3分の2以上を自説を述べることに費やしている。これでは斎藤氏の危険思想を炙り出すことなど不可能ではないか。

両人の思想を比較する前に、それぞれの姿勢を見た場合、斎藤氏の方がずっと紳士的であり、水島氏が子供っぽく見えて仕方がないのだ。

斎藤氏は、自分の発言が途中で遮られても、相手の言い分を頷きながら最後まで聞き、それから発言している。最後までそのような形が繰り返されている。

では、相手の発言を遮ってまで、自説を繰り広げる水島氏の思想とは一体どのようなものか?

水島氏の思想という言葉は不適切かもしれない。思想らしきもの、と言った方がより正確だろう。なぜなら水島氏の発言のほとんどは、まとまりのない知識の羅列に過ぎないからだ。明晰と緻密さに欠ける。

真正保守を名乗るだけで、その内容はとても信用できるものではない。

一方の斎藤氏の方は、極左の烙印を押されている割には、その思考はまともであり、ネットの風評は偏見に満ちたものではないか、という印象を受けた。

水島氏と違って思考に柔軟性があり、原理主義の悪癖を当てはめることはできない。世界の全体像を把握する能力は水島氏よりずっと優れている。

資本主義の最終形態である金融資本主義は既に終わりに近づき、現代はIT化統制の覇権争いに突入する次元に来ている、という斎藤氏の見解は、傾聴に値する。

斎藤氏の鋭い分析と緻密な思考に対して、水島氏は明らかに恐れている。だから何度も斎藤氏の発言を遮って、まとまりのない陳腐な保守的見解を並べ立てたのだ。

危険思想と言われる極左イデオロギーに対してではなく、斎藤氏の明晰な分析力を水島氏は恐れているのだ。

危険思想を炙り出すはずの水島氏の目論見は、自ら墓穴を掘る形でもろくも崩れたのである。

東京では自主防衛を唱え、沖縄に来ると辺野古新基地(占領軍基地)を容認する水島氏のような人間をぼくは信用しないことにしている。

しかし、今回の立ち位置が全く異なる斎藤氏を迎えるという対談企画には感謝したい。

最後に斎藤氏が述べた言葉

「立場の違う人間が議論しなきゃね、新しいものは生まれませんよ」

を水島氏は真摯に受け止めるべきだろう。偏見による排除の論理ではなく、まずはお互いの立場を尊重して、誠実に向き合う。そして議論を試みる。最低限の基本だろう。

水島氏が持論を抑えて、斎藤氏に充分な時間を与えることができたら、もっと中身の濃い素晴らしい内容になっただろうに、と思うと本当に残念である。

 

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