沖縄よ! 群星むりぶし日記

沖縄を、日本を、そして掛け替えのない惑星・地球を愛する者として発信していきます。

桜と梯梧、遠ざかる祖国

那覇で暮らすようになって八年になる。東北大震災を東京で経験したことが帰郷を決断する直接の動機になった。

東京は地震が多い。しかし、あの時の揺れの大きさと時間の長さは、初めて経験するものだった。東京に居てさへそうだから、東北の人々の衝撃は計り知れないものだっただろう。そして想像を絶する巨大津波原子力発電所の爆発!

現実とは思われぬ自然の猛威!

東北大震災が発生しなかったら、おそらくぼくは東京に居続けただろう。年に一度か二度沖縄に帰る習慣を維持しながら。会社を辞めると告げた時、親しかった同僚の言った言葉が忘れられない。

帰る古里のある人は羨ましい

あれ以来、東京へはまだ一度も行っていない。あれほど好きだった桜を見ることもなくなった。今頃は復興が進む東北あたりで満開を迎えているのだろうか。

この八年の間に、ぼくの内部で何かが少しづつ静かに変化していくのを感じている。東京での暮らしの実感が薄れ、故郷沖縄でのそれが比重を増して内部で蓄積していく感覚。うまく表現できないが、やはりぼくは髪の毛一本から足の爪先に至るまで、ウチナーンチュだという不思議な感覚

この感覚をどう説明したらいいだろうか。言葉で定義するよりも最近の経験を語るほうがうまく説明できるかも知れない。

今月から健康増進を目的に、県立図書館まで歩くことを習慣にしているのだが、偶然にもその道順が大変気に入ってしまったのである。

国場りぅぼう店が面する県道46号線を楚辺交差点方向へ歩き、そのまま真っ直ぐ県庁南口交差点を目指す。そこを左折すると県議会棟と那覇市庁舎に挟まれた一方通行の狭い道路があり、そこを抜けて左折すれば図書館へ行き着く。

地図であらかじめ確認しておいたこのルートが、意外にも多彩な並木道になっていることに気づいて感動し、この道順を歩くのが楽しくなったのである。

違う種類の植物が、百メートルから二百メートルくらいの間隔で次から次へと展開する。トックリキワタから始まり、赤木、松、ホウオウボク、花水木、等々が次々に現れてくる。

城岳小学校に面する松並木には、ふたつのガジュマル(榕樹)の大木があり、その勇姿を楽しむこともできる。

しかし何と言っても心が踊るのは、県議会棟と市庁舎に挟まれた一方通行の狭い道路に入った時である。梯梧の大木が、道路を挟んでずらっと並んでいるのだ

いずれの樹も直径が70センチから80センチくらいの大木である。手入れが行き届いていて、全ての樹木が生き生きしている。

鳳凰木と福木も散在しているが、いずれも梯梧の大木には見劣りがする。静かな環境で威風堂々としたその姿は圧巻であり、その魅力につい引き込まれてしまう。

象の肌のような硬くて粗い表皮をポンポンと叩いてみる。沈黙!ただ沈黙あるのみ!

人間の出る幕ではない。汚れて錆び付いた言葉になんの意味があるというのか。

言葉に翻弄される小さな人間であることの自省と、自然の偉大さを気づかせてくれる沈黙の広がりがぼくの心の汚れを浄化する。

この経験がぼくの中で水銀のように少しづつ沈殿していく。不思議なことに、ひとつの梯梧の樹だけが真っ赤な花を咲かせている。青空に向かって激しい恋心をぶつけるかの如く。

桜の花と梯梧の花は、性格がまるっきり違う。

桜の花は一気に咲き乱れ、一気に散っていく。このあまりにも見事な潔さに人々は狂喜する。ぼく自身、その狂喜を何度も味わい楽しんだ。

梯梧の花にそんな華々しさはない。花の形も、樹そのものの姿も、美しいとはお世辞にも言えない。むしろ醜いといった方が正しいのかも知れない。

桜の花の上品さに比べれば、梯梧の花は粗削りの南国の無骨者だ。

桜と梯梧、そして東京と沖縄。

振り子のように東京と沖縄を行ったり来たりした過去を振り返ってみると、桜と梯梧は、東京と沖縄を見事なまでに象徴しているように思われて仕方がないのだ。

そして八年の間に東京と桜は限りなく遠くなり、今、無骨な梯梧の大木と沈黙の言葉を交わしている。これが本来のぼくのあり方だったかのように。

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