沖縄よ! 群星むりぶし日記

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法律音痴の5市の市長に市民の投票権を奪う権限などない

 5市の市長が県民投票を拒絶したことに対して、行政法に詳しい専門家から多くの批判が寄せられているが、そのなかで憲法学者の木村草太氏の解説は明快で分かりやすく、読者の参考になればと思い、沖縄タイムスに載った寄稿文から抜粋した。

木村氏の文章を読むと、5市の市長がいかに法律音痴の能無し政治屋にすぎないか納得できるのではないだろうか。

< 地方自治法252条の17の2は、「都道府県知事の権限に属する事務の一部を、条例の定めるところにより、市町村が処理することとすることができる」とする。今回の住民投票条例13条は、この規定を根拠に、投票に関する事務は「市町村が処理する」こととした。

なぜそうしたのかと言えば、投票所の設置や投票人名簿の管理は、国や県よりも地元に密着した市町村が得意とする事務だからだ。つまり、今回の事務配分は、各市町村に投票実施の拒否権を与えるためではなく、あくまで県民投票を円滑に実施するためのものだ。

しかし、宜野湾市宮古島市で、県民投票の事務処理を拒否する動きが進んでいる。この動きには、地方自治法・県条例のみならず、憲法の観点からも問題がある。

一番の問題は、憲法14条1項が定める「法の下の平等」に反することだ。一部の市町村で事務執行がなされないと、住んでいる場所によって「投票できる県民」と「投票できない県民」の区別が生じる。「たまたま特定の市や町に住んでいた」という事実は、県条例で与えられた意見表明の権利を否定するだけの「合理的な根拠」とは言えない。したがって、この区別は不合理な区別として、憲法14条1項違反だ。

この点、投票事務が配分された以上、各市町村は、その区域に居住する県民に投票権を与えるかどうかの選択権(裁量)を持つはずだとの意見もある。しかし、「県条例が、そのような選択権を認めている」という解釈は、県民の平等権侵害であり、憲法14条1項に反する。合憲的に解釈するならば、「県条例は、そのような選択を認めていない」と解さざるを得ない。 >

< さらに、平等権以外にも、問題となる権利がある。県民投票は、県民全てに開かれた意見表明の公的な場である。県民の投票へのアクセスを否定することは、憲法21条1項で保障された「表現の自由」の侵害と認定される可能性もある。さらに、憲法92条の規定する住民自治の理念からすれば、「県政の決定に参加する権利」は、新しい権利として憲法13条によって保護されるという解釈も成り立ちうる。

このように考えると、各市町村の長や議会には、県民の憲法上の権利を実現するために、「県民投票に関わる事務を遂行する義務」がある。議会が関連する予算案を否決したり、長が地方自治法177条の原案執行を拒否したりするのは、この義務に反する。訴訟を検討する住民もいると報道されているが、市町村が事務執行を拒否した場合、裁判所も厳しい判断をする可能性がある。 >

< ちなみに、県条例は棄権の自由を認めているから、県民投票反対の県民は、市長や市議会議員に代表してもらわなくても、棄権という形で抗議の意思を表明できる。市民全員に棄権を強制することは不合理だ。

前回の参議院議員選挙では、徳島県と合区選挙となった高知県で、大量に「合区反対」と書いた棄権票が投じられたことが話題となった。今回の県民投票でも、棄権票に「県民投票反対」と書いて、強い反対の意思を表示することもできる。宜野湾市で、千単位、万単位のそのような棄権票が出れば、大きな話題となるはずだ。

県民投票は、県民の重要な意見表明の機会だ。沖縄県内の市町村長・議会議員の方々には、ぜひ、県民の権利を実現する憲法上の義務のことも考えてほしい。(首都大学東京教授、憲法学者)>

www.okinawatimes.co.jp

さて、公平を期すために、次は宮崎政久衆院議員に登場してもらおう。

あれ、落選したんじゃなかったの?と驚く方もいると思うが、ドッコイ彼は実に悪運の強い人間らしいのだ。

九州比例区園田博之が昨年11月11日に死去したのを受けて、同月21日に繰り上げ当選となったらしい。彼の選挙戦を振り返ると、不思議な経歴に誰もが唖然とするのではないだろうか。

2012年、14年、17年の衆議院選挙で照屋寛徳に連敗して落選している。がしかし、12年と14年の選挙では落選後二度とも比例復活したのだ。

不思議な運に味をしめたのかどうか知らないが、17年の衆議院選挙にも登場して、この時も見事に、宿敵・照屋寛徳に敗れ去ったのである。

そして悲しいことに今回は比例復活もならず、冷や飯を食う羽目になった。これが運の尽き、宮崎の政治生命は終わったもの、と誰もが思い、人々の記憶から消えた人物だったはずだが、まさかの繰り上げ当選!

沖縄の神様も悪戯が過ぎるというものだ。こんな男の顔、二度と見たくはないと思っていた県民は多いはず(ぼくもそのひとり)、しかし、公職選挙法という立派な法律がある以上、不満を述べたところでどうなることでもない。

余談ついでに言うと、宮崎政久という人物は、12年の選挙では「TPP反対」「日米地位協定全面改訂」「オスプレイ県内配備の見直し」「米軍普天間基地の県外移設」を公約に掲げて闘ったのだ。

ところが比例で復活すると、沖縄選出の全自民党国会議員と一緒に、時の幹事長・石破茂に怒られてシュンとなり、公約をすべて撤回するという信念のなさを披瀝したのである。

そんな男が繰り上げ当選に気を良くして「県民投票反対呼びかけ」なる文書を自治体の自民党議員の勉強会で配布した。

この件は県2紙がとりあげ、NHK朝日テレビなども放送したから多くの人が知っているはずである。琉球新報は昨日の紙面に全文を掲載した。

読んでみたが、木村氏の文章と比較すると、その法律論は意図的に難しくしている嫌いがあり、読みづらい。しかし、何が言いたいかは概ね理解できる。「その他雑感」という項目に彼の意図がよく現れているので、ここだけを取り上げてみたい。

< そもそも、義務費であると考えるか否かが大きく影響する。首長が義務費であると判断した場合、自ら義務であると判断した投票事務を履行しなかったとなれば、不作為の違法確認訴訟において、義務に反して違法だとなりやすいのではないか。

議会、議員としては、そもそも論としての県民投票の不適切さを訴えて、予算案を否決することに全力を尽くすべきである。議員が損害賠償などの法的な責任を負うことはない。

議会運営の方法論としては、不確定な事情があるから採決するまでに議論が熟さず、当該予算案を審議未了で継続もしくは廃案にするということも考えられないか。 >

 

ryukyushimpo.jp

「その他雑感」の文章も悪文で読みづらいが、要は

議会、議員としては、そもそも論としての県民投票の不適切さを訴えて、予算案を否決することに全力を尽くすべきである。>

という文章に彼が言わんとすることが凝縮されていると考えて良い。法律を重く見るよりも、政局に重点を置く。そして県政を混乱に陥れ、県民投票を実現不能に追い込む。

宮崎政久という人間は、弁護士の資格は持っていても法律を都合よく解釈する、手垢のついた沖縄選出の国会議員として最もふさわしくない政治屋である。

そもそも、長野県からやってきて沖縄選出の国会議員となること自体、おかしなことである。こんな吹けば飛ぶような男の言葉に影響される沖縄県連の自民党諸君、5市の市長、ならびに市議会議員諸君、恥ずかしいぞ!