沖縄よ! 群星むりぶし日記

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主権在民を理解できない5市の市長たち

島袋俊夫うるま市長が県民投票の不参加を表明したため、沖縄市宜野湾市石垣市宮古島市を加えて5市が県民投票を行わないことが、ほぼ確定的となった。

5市の有権者数は約36万7千人で、全県の約31.7%になるらしい。これだけ多数の県民が投票できないとなると、県民投票をやる意義はないことになる。全県民(有権者全員)がなんらかの形で意思表示をする、そのための県民投票だからだ。

にもかかわらず、なぜこれほど混乱をきたしているのか、原因はどこにあるのか、しっかり見極める必要がある。

不参加を表明している5市の市長は全員「チーム沖縄」という政治グループに属している。チーム沖縄というのは、翁長前知事が結成した「オール沖縄」(革新グループと保守の一部で形成される)に対抗する目的でつくられた自民党を中心とする政治勢力だ。

混乱の原因の一つはここにあると見るべきだろう。つまり県民投票を政局がらみにしようと目論んでいる節が多分に感じ取れるのだ。

もちろん、彼らはそんなことはおくびにも出さないが、彼らの言い分が共通しているところを見ると、どうしてもそうとしか思えないのである。

彼らが反対する最大の理由は、県議会で採択された県条例が2択になったためだ、というのが彼らの言い分である。

県議会で野党の自民、公明党は県民の多様な民意が反映されるためには4択にすべきだと主張した。それが受け入れられず、与党の賛成多数による2択案で決着がついた。

その時の不満を5市の市長と市議会議員(5市の市議会は自民、公明党が与党を形成)は共有している。だから反対した。とすれば、なんて子供っぽい大人達だろう!

確かに、二度にわたる市議会での予算否決を尊重する(5市とも二度行われた県民投票に必要な経費を入れた予算案を否決)、と言う市長の見解には一理ある。それでは市議会の反対理由は何か?ここでも4択でなければダメだとする不満が決め手になっている。

では、彼らがそれほどまでに固執する4択とはどのようなものか?

先日行われた記者会見で、桑江朝千夫沖縄市長は「具体的にどういう選択肢があれば検討するか、との質問に対して次のように応えている。

「『(埋め立ては)やむを得ない』、あるいは『どちらかというと反対』などいろいろ考えられる」

つまりは、埋め立てに賛成か反対かの2択に上の二つを加えての4択。これが5市の市長(市議会議員)がそろって強調する4択案だ!

嗚呼ああああ、開いた口が塞がらない!誰か、助けてくれ!

わが愛する郷土沖縄の市長(市議会議員)とはこの程度のレベルである。情けない、ほんとに情けない。『(埋め立ては)やむを得ない』は賛成であり『どちらかというと反対』は反対に他ならない。

これでは賛成か反対かの2択となんら違わないではないか。問い方が遠回しで優しい感じがする?

確かに同じ記者会見で桑江市長は「選択肢を一つないし二つ増やせば、与党市議にもうなずく議員が現れるのではないか。2択で市民に迫るのは乱暴だ」と述べている。

賛成か反対かと迫るのは乱暴だから、少し遠回しに迫る方がよいのでは?

おいおい、県民投票(住民投票)は世論調査とは違うぞ。世論調査なら多様な意見を反映させるために質問事項をできるだけ多くしたほうが良いのは理解できる。

しかし、辺野古の埋め立ての是非を問うのに選択項目を増やせば混乱を招くのは必然で、そもそも主旨に反する。世論調査と県民投票(住民投票)は本質的に違うのだ。このくらいの区別もできない政治家(屋?)なんて実に哀れで情けない。

だいいち、チーム沖縄の首長自身が、政府と歩調を合わせるように、辺野古普天間飛行場かの2択を主張しているではないか。

自分たちが主張する2択は正しく、県議会が議決した2択は間違いだと言うのは、自己矛盾もはなはだしい。

5市の市長(市議会)が固執してやまない4択というものが意味をなさないことがはっきりしたところで、彼らがいかに民主主義の本質を理解していないかについて糾弾しなければならない。

民主主義における間接制と直接制。一般市民は仕事と生活に多くの時間を費やすため、直接行政に携わるのは困難である。そのため代議士を選挙で選び、行政を委託する。

これが間接的民主主義。間接的であるがゆえに自ずと限界がある。政治家と市民の間に横たわる距離。その距離がいちばん近づくのが選挙の時だが、終わってしまえば政治家と市民が直接話し合う機会はほとんどない。

この距離が良くも悪くも政治が堕落する原因になる。だから、市民は悪政が行われていないか、絶えずチェックする責任と義務があるが、時間的制約があるため非常に難しい。

これが普段における政治の実態だが、住民の生活と権利が脅かされるような大きな政治的問題が発生すると、住民が直接政治に関わる意思を明らかにしなければならない状況に至る場合がある。

まさしく辺野古の埋め立て問題がそうだ。政府と沖縄県が争って、紆余曲折を経ながら23年経過しても解決しない。

それならば県民の意思を直接聞こうという声が出てくるのは至極当然なことである。県民の意思を投票で明らかにする。埋め立てに賛成か反対か、投票で決着をつける。

賛成多数なら反対派にとって決定的な痛手となり、埋め立ては今後、順調に進むだろう。反対が多数を占めれば、政府に対して大きな圧力となり、工事は支障をきたすことになる。

県民が直接意思表示する県民投票は、このように絶大な効果を政治に及ぼす。なぜなら我が国は民主主義国家であり、憲法主権在民を唱っているから、政府といえども沖縄県民の直接的意思を無視できないからだ。

しかし、沖縄、うるま、宜野湾、宮古島、石垣の5市長は不参加を表明した。これは市民から投票権を奪うことに他ならない。市民の投票で選ばれたはずの市長が、自分たちの言い分が通らないからと言って、市民から投票権を奪い、声を封じようとする。

これは委託された権力の乱用であり、主権在民のわが国において、決して許されるものではない。市民の側から市長を裁判に訴える動きが出てきてもおかしくはない。

5市在住の市民は、怒りをこめて市長を裁判にかけるべきだろう。市民が持つ唯一の政治権力、投票権はそれだけ価値のある貴重でかけがえのないものである。

民主主義の基本中の基本、主権在民に裏づけられた県民投票の本質を理解できない5市の市長が、沖縄の政治を混乱させ堕落させている。

玉城デニー知事は住民票が沖縄市にあるため、投票できないことになる。こんな理不尽なことが許されるものだろうか。桑江沖縄市長は、胸に手をあててよく考えるべきだ。

今朝の琉球新報の社説は、権利侵害の議論こそ必要だとして次のように書いている。

「投票事務の予算を否決した市議会や市長の判断も問題だ。間接民主制をとる中で住民投票は、より成熟した民主主義に近づけるために保障された権利である。

市長らは市議会の意思を尊重したと言うが、有権者は市長や議員に行政運営や政策の判断は委託しても、住民の権利を奪うことまでは委ねていない。住民による直接の意思表明の権利を奪うことは重大な権利侵害だ。」

見事な論理だが、この正論を5市の市長が破壊している。住民による直接の意思表明の権利を奪う市長に政治を行う資格はない。