沖縄よ! でぃぐぬ花日記

祖国は日本。郷土は沖縄。日本国を愛し、沖縄を愛する者として、発信していきます。

我那覇真子の涙が意味するものとは

入管難民法」に抗議する集会が、首相官邸前で行われた。と言っても、リベラル派の集会ではない。自称保守の水島総が率いるチャンネル桜のメンバーが主体となった集会である。

水島氏はじめ、参加者が次々とマイクを握り、安倍内閣が立法化を目指す「入管難民法」を非難した。

その中に居た、居た。原理主義的保守思想信奉者にして政治活動家我那覇真子が悲壮な表情で訴えている。

内容は、紛れもなく安倍政治批判だ。???・・・あれあれ、確か、真子ちゃんは安倍首相の大ファンのはずではなかったか?

今年の正月、晴れやかな和服姿で、櫻井よしこ女史と一緒に安倍首相を囲んで新年の座談会に参加した我那覇真子

その時の座談会が月刊誌『正論』に掲載されて、全国的に顔を知られることになった沖縄出身の保守政治活動家

『正論』を読み、動画も見たが、その中で日本のジャンヌ・ダルク(真子ちゃん)は、こちらが恥ずかしくなるくらい、安倍首相の顔付・スタイルをベタ褒めして、持ち上げに持ち上げたのだ。

いやいや、安倍シンパの自称保守連中が日本のジャンヌ・ダルクとおだてるくらいはある、とその演技力につい感心したものである。

しかし、やはりいかなる安倍シンパであろうと、「入管難民法」という売国奴的悪法には我慢ができないと見た。

だからわざわざ台湾から駆けつけてきて、マイクを握り安倍政権を批判したのだ。

そう、その前日彼女は台湾に居て、現地で戦った英霊を供養する会に参加した。その時の様子を喋った時である、感極まって彼女は突然涙を流し始めたのだ。

同じような光景を、ぼくは違う動画で見たことがある。彼女は、先の大戦で戦った英霊について語る時、何故か感極まって涙を流す癖があるのである。

なんと純真な真子ちゃん!

と思って感動してはいけない。彼女の精神のねじれを知る者にとって、こんな演技に騙されるわけにはいかないからだ。

英霊に感謝するのなら、なぜ我那覇真子はかつての敵国米国が辺野古の海を埋め立てて米軍基地を造ることに反対しないのか?

なぜ、戦後73年間も占領軍が駐留し続ける沖縄の現状に怒りの拳を上げないのか?

英霊たちには感謝するが、占領軍の駐留には賛成し、積極的に容認する。明らかな論理破綻ではないか。道徳の欠如ではないか。一体我々の先人たちは誰と戦って散って行ったのだ?米軍だよ、米軍。

その米軍(占領軍)が今も全国に我が物顔で駐留し続けている現実。我那覇真子よ、日本のこの情けない姿を見て屈辱を感じないか?保守活動家として心が痛まないか?

我那覇真子はある意味、不幸で可哀想な女性ではある。小学生の頃から父親に保守思想とやらを徹底的に吹き込まれたらしい。

父親の教育は、娘の心を虜にするほど、完璧に近いものだったに違いない。以来、彼女の精神は保守的な物の見方から逃れることができなくなった。

一つの原則ですべての尺度を図り、判定を下す。教育はそのようなものであって良いはずがない。ましてや柔軟な精神を持つ小学生に対して、一つの原則に全てを押し込めるような教育は弊害しかもたらさないのは自明である。

義務教育の中学生までは、できるだけ広い視点に立って物事を認識する力を養うための教育を施すべきである。あとは本人の自助努力、自主性に委ねる。

保守の視点に立つか、リベラルの視点に立脚するのか、あるいは両方を融合する方向に向かうのか、時間をかけて本人が結論を下せば良いのである。

精神の柔軟な時期に、物事を判断するのに一つの原則だけを植え付けると、偏向志向に陥る危険性がある。その良い例が、我那覇真子というわけだ。

彼女の視線は独特の保守思想に毒されている。だから自分の目線に適わないものはすべて左翼思想、敵対思想に分類されてしまうのだ。

彼女のこのような姿勢を、ぼくは原理主義的保守思想と呼ぶ。

その姿勢はあまりにも単純すぎて、複雑な要素が絡み合う現代という時代を読み解くには、なんの役にも立たないばかりか、有害ですらある。

例えば、安倍晋三という人間を理解するためには、保守的視点から見るだけでは弱い。広い視野にたち、様々な角度から見ないとその正体はなかなか把握できない。

安倍シンパが喧伝する安倍像は、一面しか映し出さない。そして、その一面で持ってしても安倍晋三が日本の保守だとは到底信じ難いのである。

今回の「入管難民法」をはじめとする彼が今まで手がけてきた政策・法律は、ほとんどが日本を弱体化するためのものだからだ。

安全保障関連法、環太平洋連携協定関連法(TPP)、働き方改革関連法、総合型リゾート施設整備法(IR法)、まだある。水道民営化、種子法廃止、など全ては日本弱体化に資する法律ないし政策ばかりだ。

安倍内閣の日本を売る政策は、堤未果の本『日本が売られる』に詳述されているが、その中で堤さんは次のように書いている。

「今の日本では、国民の暮らしを左右する政策を決める場に、現場の人間や当事者はいない。財界人か財界寄りのメンバーと総理が議長の会議にて、あらゆる政策がビジネスの論理で決められてゆく。(211頁)」

今迄、安倍晋三の視線が国民に向けられたためしはない。彼の視線は、財界人とワシントンにしか向けられていない。その視線に沿って政策が決められていく。

安倍晋三こそは、保守政治家の仮面をかぶった新自由主義経済崇拝者、グローバリストに他ならず、国際金融資本家・ビジネス投資家に日本を売り飛ばす政策を推し進めてきた戦後最悪の売国奴である。

そして実は、「入管難民法」でその一端に気付いて安倍批判をはじめた我那覇真子も、水島総もウチナーンチュの目から見ると、安倍晋三と同じ穴の貉に過ぎないことが分かる。

なぜなら安倍も我那覇も水島も皆、沖縄で米軍(占領軍)が辺野古の海を埋め立てて、新基地を造ることに賛成し容認しているからである。

従って、安倍晋三我那覇真子水島総も、保守の仮面をかぶった似非保守に過ぎない、としか言いようがない。

日本の真の保守なら、皇室を尊崇し敬愛することと、辺野古米軍新基地建設に反対することの間に、なんら矛盾はないはずだ。

矛盾しないどころか、反対し阻止する意思を示すことこそが、真の保守ではないか。しかし残念ながら、今の日本で真の保守は少数派に過ぎない。

駐留米軍(占領軍)に異を唱えない根性のない似非保守がほとんどであり、その代表格が売国奴安倍晋三である。

結局のところ、我那覇真子が流した涙は英霊たちに響くことはないだろう。単純な原理主義的保守思想の限界である。視野狭窄の結果である。我那覇真子が流した涙は、まったく意味のない涙に過ぎない。

真の保守なら、今も沖縄の地と海に眠る、多くの英霊たちの慟哭に耳を傾けよ!