沖縄よ! でぃぐぬ花日記

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琉球新報の社説を批判する

玉城知事と菅官房長官辺野古問題で1ヶ月の対話期間を設けることに合意した。しかし、その内容たるや実にふざけたものだ。

と言うのも、対話の間も政府は工事を進めるとしているからだ。対話の合意は形だけで、実態は決裂といって良い。権力を握りさへすれば、これほど人を馬鹿にしても許されるものだろうか。

菅義偉のような根暗人間には淡い期待すら虚しくなる。知事選で圧勝したのだから、対話を希望すれば会ってやる、しかし、話を聞く耳は持たないからそのつもりで。

玉城知事は、工事は進めると菅官房長官が発言した時点で、怒りを込めて席を立つべきであった。玉城知事は優しすぎる。代替案があれば話は別だが。

その代替案に関して、琉球新報の社説は下地議員を以下のように批判した。

< 2日の衆議院予算委員会で菅長官は「お互いの日程が合えば、虚心坦懐に話を聞いてみたい」などと述べ、今回の会談に至った。この答弁を引き出した県出身の下地幹郎衆院議員(維新・九州比例)はこの時、看過できない発言をした。

「玉城知事が(辺野古に代わる対案を)提案してくるかぜひ見るべきだ。辺野古も駄目だが、普天間(飛行場の固定化)も駄目だと言うなら交渉する必要はない。辺野古をやめたいなら提案してくるかどうか試したらいい」

なぜ知事が提案しなければならないのか。代替案を提案するとすれば、それは県ではなく政府の側である。>

下地議員の口調は鼻持ちならないが、社説子の論理もおかしい。県に代替案があれば堂々と提示すべきである。代替案を提案するとすれば、県ではなく政府の側である、と社説子は主張するが、そもそも頭の悪い安倍内閣辺野古以外の代替案があるわけがない。

辺野古に代わる案があれば提示して当然である。それを俎上に載せて侃侃諤諤議論を闘わせる。そしてその内容を国民の前に明らかにする。民主主義社会である以上、寧ろそうすべきだろう。

実は4年前、翁長知事と菅官房長官にそれぞれ一冊の本に手紙を添えて郵送したことがあった。その本には辺野古に代わる案が提示されていて、ぼくはその論考に深く共鳴して、県と内閣の出口のない鋭い対立に居ても立っても居られない気分になり、翁長知事と菅官房長官に著者の小川和久を中心としたチームをつくって、小川氏の代替案を実現する方向で議論を進めて欲しい旨手紙を書き、本と一緒に郵送したのである。

絶対に辺野古に新基地を作らせてはならない、という強い信念がぼくを突き動かしたのだと思う。

しかし、両者から返事が来ることはなかった。早いもので、あれから4年の歳月が流れた。

小川和久著『この一冊ですべてがわかる普天間問題』(ビジネス社刊2010年)

小川氏はこの本の中で、キャンプシュワブにつながるキャンプハンセンの中に普天間飛行場を移す案を提案している。

辺野古案と比較した場合の最大の利点は ① 工期が短い ② 工事費が安い。

強いてマイナス面をあげるとすれば、県内移設であることだ。しかし、そうだとしても既存の基地内に完全に収まるので、辺野古と違い、新基地と呼ぶことはできず、それこそ言葉の純粋な意味での移設であり、代わりに普天間飛行場が早急に丸ごと返還されることになる。

本の出版から八年が経過したとはいえ、深い軍事知識に裏打ちされた小川氏の提言は強い説得力があり、その鮮度はまだ少しも褪せていない。

下地議員は嘉手納統合案を提唱したことがあった。それについての本を出版するほどの熱の入れようであったが、小川氏によると嘉手納統合案如きは、机上の空論にしか過ぎない。

しかし、たとえ空論の烙印を押されたとはいえ、代替案を提示しただけでも下地議員の汗を掻く姿勢は高く評価されるべきだろう。代替案を提唱した自負心が、先の衆議院予算委員会での傲慢とも受け止められる発言につながったと理解すべきだ。

そして、その下地議員を新報が社説で批判した。しかし、その論理は知事が代替案を提案すべきではなく、政府が行うべきだ、というものである。

その論理はおかしい。知事に代替案があれば、それを俎上に乗せて県と政府の間で議論することが可能になる。例えば県が小川氏の代替案を取り上げることで、政府の既定路線に変化を及ぼすことだって充分あり得る。

玉城知事が代替案を提案してくるかどうか試したらいい、と傲慢をかました下地議員の発言には、悔しいけれど、一理あるのだ。

その意味で玉城知事がなんの準備もなく、菅長官と会談したのは失敗だった。相手は平気で法律を破る悪党である。悪党と対峙する時は、県はもっとしたたかに用意周到に準備して、玉城知事を支えるべきだろう。

今回の失敗を教訓にして、玉城県政にはもっと真剣に本気(ぬちかじりー)になってもらいたい。