沖縄よ! 群星むりぶし日記

沖縄を、日本を、そして掛け替えのない惑星・地球を愛する者として発信していきます。

那覇市長選雑感

朝6時半頃家を出た。家々はまだ寝静まっていて静かで、空気は新鮮で気持ち良い。最近、体力の衰えが気になりだして急に早朝の散歩を思い立った次第。幸いなことに、近くに散歩にうってつけの公園がある。歩いて15分くらいである。

初日から無理はせず普通に歩いたり、小走りしたりして公園内を2周した。鉄棒にぶら下がって筋肉をほぐしたり、腹筋台で腹筋運動をしたり。結果的に体力の衰えを痛感させられた。日課に組み入れて根気よく続けることにしよう、と自分に誓いを立てた。

さて、那覇市長選挙。NHKは投票締切時間と同時に城間幹子の当選確実をテロップで流した。これほど早いということは、大差に違いないと推測した。今朝の新聞を見ると、やはりそうだった。

城間幹子 79677票

翁長正俊 42446票

37231票の大差である。城間氏の勝利は動かないだろうとは思ったが、予想以上の大差である。ぼくは専門家ではないので、今回の選挙の勝敗の中身を分析しようとは思わないし、その興味もない。

ただ、感じた事だけを述べるにとどめたい。2000年の那覇市長選挙で翁長雄志が当選するまで、那覇市長は革新系の牙城だった。本土復帰の年1972年から平良良松が3期、1984年から親泊康晴が4期勤めた。38年の長期間、革新政治が続いたことになる。

その革新の牙城であった那覇市長の座を2000年の選挙で自民党の翁長雄志が奪還した。実はこの頃から革新系の衰退が始まるという政治状況を考慮に入れる必要があるだろう。98年の知事選では保守系の稲嶺恵一氏が革新系の大田昌秀(当時現職)を破っている。

沖縄が以前に比べて経済的に豊かになったことが、革新系が衰退する原因のひとつになったのは間違いない。さてこのように政治状況が変化する中、那覇市長を務めた約16年間、翁長市長は自らの政治理念をどのように熟成させていったか。

翁長雄志の言葉を調べていくと、彼が保守政治家であるのは確かだが、あくまでも沖縄の歴史・文化・伝統に深く根ざした保守であることがわかる。

「私は保守だが、沖縄の保守だ」と彼自信が強調していた。

これは何を意味するだろうか?例えば、「私は保守だが、高知の保守だ」あるいは「私は保守だが、群馬の保守だ」とわざわざ言及する本土の政治家がいるだろうか?ちょっと考えにくい。

「私は保守だが、沖縄の保守だ」と翁長雄志が強調した背景には明らかに、沖縄が歩んできた独自の歴史認識がある。本土とは根本的に異なる沖縄独自の歴史。

1609年の薩摩侵略以来、今日に至るまで沖縄の歴史は本土による差別の歴史だった。数ある歴史的事実がそれを証明している。特に目の前に顕在化する米軍(占領軍)基地の存在は、政府による最大の差別であり、沖縄の最大の政治課題でもある。

この問題を乗り越えるためにどうすれば良いか。翁長市長は長年基地問題で革新と保守が争う政治を自らも巻き込まれる体験を通して、何とかして保守も革新も沖縄の為に融合出来ないか、悩みに悩み、考え抜いたに違いない。

そして長年胸の内に温めた方向性を実践する為に、14年の県知事選は、計らずも千歳一隅の機会となったのではないか。沖縄の売国的言論人に翁長雄志は、以前からどうしても県知事になりたくて共産党に魂まで売ったのだ、と言うお馬鹿さん(又吉ヒジャイ)がいるが、全くの嘘であり、物事の表面しか見ない軽薄な見解にしか過ぎない。

仲井真知事が公約を守り、辺野古新基地を承認しない立場を貫いていたら、翁長雄志は、そのまま那覇市長を続けただろう。彼は那覇市長として政治生命を完全燃焼させたいと考えていたのだ。

仲井真知事が公約を破ったおかげで、自民党那覇市議団12名の推薦を受けたのが発火点となり、翁長雄志を県知事候補に担ぐ動きが顕在化したのである。

那覇市議団12名から推薦を受けて、翁長雄志は考えたに違いない。長年温めてきた政治理念を実行に移す時が来た、と。それは辺野古新基地を認めない革新と保守が合同すること。

イデオロギーよりもアイデンティティ。沖縄の政治的困難性を乗り越え、未来に向かって前進する為にはこれ以外の政治理念はない。

「私は保守だが、沖縄の保守だ」

何も本土の政党と完全に一体化する必要などさらさらない。翁長雄志に倣って、沖縄の革新諸君も「私は革新だが、沖縄の革新だ」と勇気と誇りを持って宣言すれば良い。

国政に通じる以上、本土の政党に系列化せざるを得ないという、沖縄政治の不幸な条件はあるにしても、聞き入れられない圧力ははっきり断れば良いのだ。要するにウチナーンチュによるウチナーンチュのための政治をすることだ。自明のことであり、何の問題もない。

オール沖縄の理念はここから来ている。各政党間のイデオロギーは腹八分に抑えて諸問題を解決し、共通の目標に向かって、ともに前進する。故翁長知事が切り開いて実現した保革合同の政治理念は、どれほど称賛してもし足りないくらいの素晴らしい政治遺産である。

豊見城市長選と那覇市長選でオール沖縄が勝利した。故翁長知事の政治遺産は継承された。目指す先は「誇りある豊かな沖縄」だ。

かつて革新は誇りのために闘い、保守は豊かさを求めて闘った。これからは、玉城デニー新知事のもと、保革が力を合わせて「誇りある豊かな沖縄」を目指して政治基盤を強固にするべきだ。

安倍売国奴政権は牙をむき出しにして襲ってくるだろう。しかし、すでに政権のレームダック化は始まっている。むき出した牙にひび割れが見える。

辺野古新基地はあらゆる面で欠陥品だ。欠陥品はいつか必ずボロを出して回収される運命にある。安倍晋三菅義偉辺野古新基地と運命をともにするタダの大根役者に過ぎない。

それにしても、城間幹子市長のカチャーシーは見事だった。あまりのうまさについ見惚れてしまった。デニー知事の男性的な個性溢れるカチャーシーも見応えがあるが、城間市長の方が少し上かな・・・。

四年前、知事選に勝利した翁長知事のカチャーシーも良かった。あの時の魅力的な笑顔が忘れられない。辺野古新基地が頓挫したら、ぐすーよー、するてぃ、かちゃーしー、もーてぃんじゃびら。

ちなみに、ぼくの今は亡き母のカチャーシーは、それはそれは国宝級の踊りでした。市長も知事も到底及ばないほどの野生的で艶かしい見事なものでした。