沖縄よ! 群星むりぶし日記

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芸術のテロリスト・バンクシー讃歌

心地よい秋風を感じる今日この頃だが、自分の知識がいかに貧しいかを思い知らされるようなニュースが飛び込んできた。

オークションで約一億五千五百万円で落札された絵画が、その直後額の中をずり落ちて、その下半分が、額縁に仕込まれたシュレッダーによって、縦に細かく切り裂かれるという衝撃的事件。

作者はバンクシーという世界的に有名な路上芸術家で、シュレッダーを仕込んだのも彼の仕業らしい。ぼくはこのニュースではじめて彼の存在を知った。いかに自分が呑気な暮らしをしているか痛感している。と言うよりも、世界は想像を超えて広すぎるのだ、と言うべきか。

衝撃と痛快。この相反する感情を掻き立てたバンクシーなる人物とは、一体いかなる者なのだろうか?昨日来、この人物のことを調べ、いろいろ考えに耽っている。英国生まれだけは分かっているが、正体不明の謎の芸術家。

神出鬼没で世界中の壁に風刺画を描く。予め用意した厚紙を壁に当てて、スプレーを吹きかける手法であっという間に作品は完成するので、足が付くことはない。パレスチナイスラエルとの間に造られた高い壁に壁画を描いた時は、イスラエル兵に殺されかけたが、素早い行動で難を逃れたらしい。

彼が一人、アトリエで腰掛けている写真が、Sputnikに掲載されている。黒づくめの服装に身を包み、黒頭巾を頭からすっぽり被っているため、顔は全く見ることはできない。

行動する芸術家。孤独の叛逆者。

何が彼を叛逆的行動に駆り立てるのだろうか?その動機を知るためには、彼の作品を鑑賞するのが一番手っ取り早いだろう。シュレッダーにかけられる前の『Girl With Balloon』を観てみよう。

三、四歳くらいの女の子が、風で飛ばされた❤️型の赤い風船を見上げて、左手を差し伸べている。女の子はモノクロで描かれ、風船だけが赤色である。突風が吹いたのだろう、一瞬の隙を突かれて、女の子は風船を手放してしまった。それだけの構図だが、想像力の逞しい人は、この作品の前で釘付けになるに違いない。

赤い風船は女の子にとって大切なものだ。それが自然という思いもよらない力によって奪われてしまった。思わず左手を上げて掴もうとしても、無理である。背後から吹く突風はまだ勢いがあり、女の子はもう風船の紐を掴めないことをよく理解している。

手が届きそうな距離にありながら、どうすることもできない絶対的不可能性を示す距離感。大切なものを一瞬で失う時の心理。

人間にはどうすることもできない永遠の離別というものがある。取り戻すことが不可能ならば、潔く諦めるしかないのだろう。離別と諦念を固定化すること。

しかし、人間が生きている限り、物語が固定化することはあり得ない。作者・バンクシーは数年前に『Girl With Balloon』に精巧なシュレッダーを組み込んだ。その動画がある。

オークションの落札の鉦の音と同時に絵がずり落ちる。センサーが働いたのかどうかは分からない。そしてシュレッダーが与えられた任務を遂行する。実に鮮やかな手口だ。

問題は、なぜバンクシーはこのように手の込んだ叛逆的行動に出たかである。理由は、オークションに集まる大金持ちの連中を軽蔑していると表明するためだ。バンクシーは、並みの芸術家ではない。

彼の叛逆は同時に犯罪に重なる部分がある。それを覚悟の上で行動する。今の世界は馬鹿者ぞろいだ。特に大金持ちと権力者どもは、軽蔑すべき連中だ。彼らの傲慢さ、馬鹿さ加減を風刺することがなぜ悪い。俺は銃火器でテロをやるのではない。絵画を武器に観念のテロをやるのだ。

馬鹿な連中の頭と心に爆弾を仕掛けるのだ。

バンクシーの作品は、いわゆる単なる風刺画とは違う。巷に散乱する風刺画は後味の悪さが残るものだが、バンクシーのそれは見る人々を沈思黙考させる力がある。作者に深い思想的裏付けと芸術的センスがなければ、出来ることではない。

実に偉そうな感想を述べてきたが、バンクシーのような天才が現代にいるおかげで、世の中楽しくなるというものだ。

どうぞこれからも馬鹿な世の中を覚醒させるような、ワクワクするような作品を描き続けて欲しい。そのためには、勿論、芸術を理解できない馬鹿な連中に逮捕されてはダメですぞ。

I ❤️ Banksy !