沖縄よ! 群星むりぶし日記

沖縄を、日本を、そして掛け替えのない惑星・地球を愛する者として発信していきます。

翁長知事が残した大きな遺産、郷土愛・同朋愛

昨日の朝、ベッドから起き上がろうとした時、眩暈がして倒れそうになった。10日に、これまで経験したことのないような急激な体調異変の後、翌日の県大会に参加したのが良くなかったのか、あまり気分がすぐれない。

そのため、翁長知事の告別式に参列するつもりで準備していたが、用心のため家でじっとせざるを得なくなった。告別式の様子をテレビのニュースで見た。祭壇に飾られた翁長知事の遺影は、まるで知事がいまにも声をかけてくるかのように明るい表情をしている。知事は笑顔の素敵な人だった。

参列者は予定の時刻が過ぎても途切れることがなかったらしい。多くの市民県民が知事の早すぎる死を悼んでいる証拠だ。ぼくは翁長氏を個人的に知っているわけではない。新聞報道や他の情報で知る限り、政治家としての氏は常に市民目線に立った行政サービを心掛けたという。

氏は終生、心底郷土沖縄を愛した正真正銘のウチナーンチュだった。公の場で琉球語うちなーぐち)を多用した政治家は翁長氏の他に誰もいない。

「はいさい、ぐすーよー、ちゅううがなびら(こんにちは皆さん、ご機嫌いかがですか)」は冒頭の挨拶として馴染み深い言葉になった。とりわけ我々県民が驚き、勇気を奮い立たせられた言葉は、4年前の菅原文太も応援演説に立った、あのセルラースタジアムで発せられた言葉だった。

「うちなーんちゅ、うせーてー、ないびらんどーさい!(沖縄人を馬鹿にしてはいけないよ!)」

この言葉を聞いた聴衆は大きくどよめき、会場が割れんばかりの大拍手が沸き起こった。うちなーぐちがわかる世代の琴線に触れる衝撃的な言葉だ。あの瀬長亀次郎でさえ、天国から見てひっくり返ったに違いない。そして、次のように叫ぶ姿が目に浮かぶようだ。

「したいひゃー、たけし!(でかしたぞ、たけし!)」

翁長雄志と瀬長亀次郎は政治的立場は違っても、誰にも否定できない共通するところがあった。二人とも、郷土沖縄を愛することにおいて、誰にも負けない強烈な自負心があった。その誠実さ、信念、勇気、嘘をつかない気さくな性格。二人の郷土沖縄に対する愛情は純真そのものだった。だから大衆は二人を愛し、尊敬したのだ。

翁長雄志と瀬長亀次郎が沖縄にもたらした遺産は巨大なものがある。それは「不屈」の精神だ。地球儀を見ると米粒ほどもない小さな沖縄で、強大な日米両政府に真正面から正論を述べ、異議申し立てをするということは、揺るがない信念と勇気がなければできることではない。

だから米軍は瀬長亀次郎を恐れ、安倍内閣は翁長雄志を恐れたのだ。瀬長亀次郎に圧力をかけて那覇市長から追い落とした米軍事政権。辺野古新基地阻止を公約に掲げて圧倒的票差で当選した翁長知事に圧力をかけて工事を強行する安倍内閣

日米両政府の目に余る圧力は、二人の本物の政治家を恐れた確たる証拠だ。強大な政権を持つ者は、弱い立場にある者に対して、真摯な態度で耳を傾けるのが本来あるべき民主主義国家の姿であるはずなのに、日米両政府にそのような姿勢は露ほども見られない。翁長知事が言ったように、まさしく政治の堕落に他ならない。

特に今の安倍内閣は、政治を私物化する、まるで駄々っ子のような戦後最悪の内閣だ。米政府にしっぽを振るしか能のない意気地なし政権だ。弱い立場にある者に平気で圧力をかけ、強い者にしっぽを振る。こんなだらしない政治姿勢で日本の歴史を前に進めることができるか、馬鹿者!

瀬長亀次郎が成し得ず、翁長雄志が実現した大きな政治的遺産がある。それは、イデオロギーよりもアイデンティティという保革合同を成し遂げたことだ。部分的達成だとは言え、その政治哲学は、沖縄のこれからの政治を考えるとき、最も重要な理念を形成したと言える。

沖縄の政治の不幸は、小さな島であるにもかかわらず、中央の政党に系列化しないと政党として成立し得ない現実にある。本当は、沖縄独自の歴史・文化・伝統に根ざした特有の政党が主導権を握って然るべきなのに、現状は社会大衆党という地元の少数派政党が頑張っているに過ぎない。

その社会大衆党は国会ではほとんど非力だ。このような沖縄にとっては不利な情勢下で、自民党に所属して政治を行ってきた翁長知事の政治哲学は、保革が合流しない限り、沖縄の現状を根本的に変革することはできない、という強い信念にあった。

小さな沖縄で保守だ革新だとお互いの主張を言い合うだけなら、千年経っても沖縄の問題を解決することは不可能である。そのためには主張の違いを乗り越えて、保革合流を目指すべきである。

翁長知事はそう考えた。その根底には郷土沖縄にたいする深い愛があった。同じウチナーンチュに対する深い同朋愛があった。

この郷土愛・同朋愛こそが大きな接着剤になり得る。各政党に所属してはいても、ウチナーンチュは誰でも郷土愛・同朋愛を持っている。だから沖縄では、自民党共産党が合流しても少しも不思議ではないのだ。事実、翁長県政は自民党の一部と革新政党が合流して成立した政権である。

それを成し遂げた翁長知事の指導力・胆力は見事だった。どんなに称賛してもしたりない。翁長知事が我々県民に残してくれた大きな遺産である。さて問題は、翁長知事亡き後この大きな遺産をこれからどのように活かしていくか、である。

その課題に対する答えは極めて単純だが、単純ゆえに難しいとも言える。それは各政党の政治家は、中央の指令に従順になることから脱却することだ。県民の目線から考えて沖縄の利益にならない事案に対しては、中央に対してはっきりと物申す。できないものはできない、受け入れられないものは受け入れないとはっきり言う。

あくまでも郷土愛・同朋愛に立脚して行動する。郷土愛・同朋愛を一番目において、中央からの指令は二番目に置く。翁長知事にできて他の政治家にできないはずがない。翁長雄志という政治家が率先して示した政治行動を一人一人の政治家が実践すれば、沖縄が大きく変わる可能性がある。

そのためには翁長知事が模範を示したように、これから沖縄の未来を託される政治家諸君が命懸けで沖縄県民のために働くことだ。