沖縄よ! でぃぐぬ花日記

祖国は日本。郷土は沖縄。日本国を愛し、沖縄を愛する者として、発信していきます。

死者とともに生きる

台風の接近で悪天候にも関わらず、昨日開催された県民大会の会場となった奥武山陸上競技場には大勢の人が集まり、異様な熱気に包まれた。

ぼくは集団に参加することが苦手であり、好きではない。昔からそうだった。しかし、不思議な力に吸い寄せられるように奥武山公園に向かったのである。その不思議な力とは、8日に死去した翁長知事の魂に間違いないだろう。短袖の青いシャツと青いタオル、そして腕に喪章を着けて参加した。

主催者によると参加者は最終的に7万人に達したらしい。しかし、ぼくの実感としては、4〜5万人くらいではないだろうかと思う。もちろん正確な数字がわかるはずもない。ただ予想以上に多くの人々が参加し熱気に包まれたのは事実だ。

最初に1分間の黙祷があった。それから謝花喜一郎副知事はじめ、多くの人が登壇し演説したが、参加者全員が最も感動したのは、翁長知事の声が流れた時である。

慰霊の日におこなった翁長知事の式辞を録音したテープが流されると、会場がシーンと静かになった。慰霊の日と全く同じ生々しい音声が流れる。落ち着いて澄んだ声。淡々と語る言葉から郷土沖縄に対する深い思いが伝わってくる。参加者全員が感動を新たにし、音声が止むと大きな拍手が沸き起こった。

すすり泣く女性がいた。思わずぼくも、目頭が熱くなった。翁長知事は確かに生きている!肉体は消えても、彼が残した言葉は生き続ける。演壇に翁長知事がこの日かぶることになったであろう帽子が椅子の上に置かれていた。それを見て不思議な感覚に襲われた。人間の死とは一体なんだろうか?

素朴な疑問だが、又、素朴であるがゆえに正解を得るのは難しい。しかし、確実に言えることがある。生きている人間の記憶の中で、死者は生き続けるということ。18年前に亡くなった母は、今もぼくの中で生きている。毎朝のうちゃとー(お茶を仏壇に捧げること)の際、短い会話を交わす。飾ってある写真の母の表情が毎日、微妙に変化する。

それだけではない。亡くなった叔父、従兄弟、姉、友人・知人すべての人々が今もぼくの記憶の中で生々しく生きているのだ。彼らが本当の意味で死ぬ時は、ぼくが死ぬ時だろう。ぼくの記憶から完全に消え去る時だろう。

しかし、ぼくが死んだ後も生者の中で彼らは生き続ける。このように死者と生者の交流は永遠に続く。

辺野古新基地に反対する人は、会場に集まった人たちだけではない。反対の意思表明をして亡くなられた多くの死者達も含まれる。彼らの肉体を見ることはできないが、参加者一人一人の記憶の中で生きている。

「県民はあきらめない!」と書かれたプラカードを参加者全員で高く掲げて反対の意思表示をしたが、多くの死者達がともにいることを忘れてはならない。我々が生き続ける限り、死者達もまた、生き続けるからだ。

菅義偉官房長官は10日の翁長知事の通夜に参列した後、記者の取材に次のように語っている。「知事とは普天間飛行場辺野古移設については意見が分かれていたが、沖縄の振興発展について話し合ってきた。大変思い出深い、そういう思いで焼香した」

この言葉に菅義偉という人間の人格がよく表れている。「沖縄の振興発展について話し合ってきた」結果、県予算を3年間で500億円も削ったのは一体誰だ?翁長知事が当選した4年前、面会のため上京した知事に会わず、知事に恥をかかせ、その後も4ヶ月に渡って、知事の再三の面会要求に聞く耳を持たず、高慢な態度をとり続けたのは、一体どこのどいつだ?

こんな冷血漢に知事の通夜に来てもらいたくなかった。多くの県民はそう思ったことだろう。代役にきてもらうだけで十分だったのだ。しかし、菅は臆面もなく日帰りの日程でやってきた。

彼の腹の内は知れている。前倒しで行われることになった来月の知事選に向けて、知事の死去の結果予想される県民の知事選にかけるエネルギーの爆発を恐れて、それを少しでも鎮め、既に自党候補に内定した佐喜真宜野湾市長に有利になるように、いかにも菅義偉という人間は情に厚いかを演出するための焼香だったのだ。

辺野古新基地の利権にこだわる菅にしてみれば、C護岸直下の軟弱地盤を強化する難工事に伴う設計変更を認可する知事がどうしても必要である。だから何が何でも今度の知事選に勝たなければならない。

そのための手段は選ばない。だから本心では来たくもない通夜にやって来たのだ。事情に明るい県民にとって、彼の本心は丸見えだ。

安倍晋三が頭の悪いお坊ちゃん政治家だとすれば、菅義偉は腹黒い陰気な性格の政治家である。この二人が総理大臣と官房長官という要職を占める今の売国奴政権に、我々沖縄県民はどんなことがあっても屈するわけにはいかない。

昨日の県民大会は、そのことを誓い再確認する意味で、非常に意義深いものとなった。菅の企みとは逆に、日にちが経過するにつれ、辺野古新基地阻止闘争は益々激しくなるだろう。

大会が終わってモノレールに乗り、おもろ駅で降りた。新都心につながる通路を歩いて階段を降りている時、偶然、高校時代の同級生に出会った。豊浜弘だ。何十年ぶりの再会である。懐かしい。奥さんと二人で県民大会に参加した帰りだという。歩きながら話が弾み、一緒に食事をしようということで、メインプレイスに入ったら、食事処はどこも順番待ちで、ほとほと参った。

待っている間も話は尽きず、時間があっという間に過ぎていく。すず屋という店でおかず定食をとった。食事中もいろいろ話し込んだ。店を出て別れる時、電話番号の書かれたメモをもらった。

近いうち、機会を見つけて談笑したい。