沖縄よ! でぃぐぬ花日記

祖国は日本。郷土は沖縄。日本国を愛し、沖縄を愛する者として、発信していきます。

今上天皇のメッセージ

学童疎開の為、本土に向かった対馬丸は米潜水艦の魚雷攻撃によって大破し沈没した。まだ十代だった皇太子(今上天皇)は疎開先でこの事を知り衝撃を受ける。以来、対馬丸事件が皇太子の記憶から消えることはなかった。
沖縄は1972年に本土復帰した。その年の7月、明仁皇太子はひめゆりの塔に慰霊に向かわれた。献花される際、事件が発生した。皇太子めがけて火炎瓶が投げられ、献花台上で破裂炎上したのである。幸い、皇太子も皇太子妃もご無事であった。犯人はヘルメット姿の過激派だった。
当時の映像を見ると、人々が大混乱する中で、〜さん、大丈夫ですか、と案内役と思われる人を気遣う美智子皇太子妃の声を聞くことができる。明仁皇太子もさほど取り乱した様子は見られない。
この事件があった夜、皇太子は談話を公表した。
『 払われた多くの尊い犠牲は、一時の行為や言葉によってあがなえるものではなく、人々が長い年月をかけてこれを記憶し、一人一人、深い内省の中にあって、この地に心を寄せ続けていくことをおいて考えられません』
この談話を聞いて心動かない県民はいないだろう。皇室に異議を唱え、直接暴力で訴えた犯人達の背後に、沖縄が歩んで来た苦難の歴史に想いをかける明仁皇太子。
その想いに偽りがないからこそ、目の前で火炎瓶が破裂炎上したくらいでたじろぐことはなかったのだ。
明仁皇太子は、幼い頃疎開先で対馬丸事件を知らされて以来、同じ年頃の学童疎開の悲劇に心を痛め、成長するに伴い沖縄のことを学び、想いを深めて来られたに違いない。そうでなければ、談話から滲み出る誠実さを理解することはできない。
打算のかけらも感じられない明仁皇太子の誠意溢れる一言一句は、皇室に対する沖縄県民の蟠りを溶かす象徴天皇になられる前の最初の意思表明となったような気がする。
あの時の談話に少しも嘘がないのは、天皇に即位してから何度も沖縄を訪れ、誠意に満ちたお言葉を残されてきた事実が証明している。
今上天皇は、七十歳の誕生日の記者会見で、次のように話された。
『私にとっては沖縄の歴史をひもとくということは島津氏の血を受けている者として心の痛むことでした。しかし、それであればこそ沖縄への理解を深め、沖縄の人々の気持ちが理解できるようにならなければならないと努めてきたつもりです』
1609年に島津氏が琉球に攻め入り、以来およそ260年間琉球を支配した。琉球・沖縄にとって苦難の歴史の始まりだった。
今上天皇は、沖縄の歴史をよく勉強し知悉しておられる。その上で「 島津氏の血を受けている者として心の痛むことでした」と述べておられる。なんと言うお方だろう。俗世の打算的世界から隔絶していなければ、このような純粋な感想が生まれることはない。
沖縄の歴史に打ち込まれた棘の先から滲み出る毒を溶かすことができるのは、天皇陛下のお言葉のみなのか?我々俗世に生きる人間はあまりにも打算的すぎる。打算が働くと、物事の真の解決はあり得ない。濁った解決で妥協せざるを得ない。それが俗世に生きる我々の宿命だ。
今上天皇は、六年前の誕生日の記者会見で、次のように語っておられる。
『沖縄は、いろいろな問題で苦労が多いことと察しています。その苦労があるだけに日本全体の人が、皆で沖縄の人々の苦労をしている面を考えていくということが大事ではないかと思っています』
今上天皇のお言葉は、共生の思想そのものだ。日本のどこかに苦労をしている人々がいれば、日本全体でその人々のことを考える。苦労を分かち合い共に生きる。
天皇陛下は、多分広大な米軍基地に苦しむ県民の苦労を語ったのだと思う。陛下は政治的発言はなさらない。だから米軍基地と直接的に言及するのではなく、間接的に県民の苦労と述べておられるのだ。
政治的発言ではないから、陛下の想いが頭の悪い安倍晋三に伝わるはずはない。県民の大多数が反対しているにもかかわらず、辺野古新基地を強行する安倍売国奴政権。
天皇皇后両陛下は、日本列島最西端の島与那国島を始めてご訪問されて、今日、沖縄空手会館で空手の演武をご覧になられてから東京の御所へお帰りになられた。
今回がおそらく沖縄最後のご訪問になるだろうと言われている。なんだか少し寂しい気もするが、天皇皇后両陛下のご健康を心からお祈りしたい。
今上天皇が残された沖縄に対する数々のメッセージを胸に秘めながら。