沖縄よ! 群星むりぶし日記

沖縄を、日本を、そして掛け替えのない惑星・地球を愛する者として発信していきます。

秘境に生きるセンチネル族、永遠なれ!

 ふと空想にふける時がある。はるか何千年前、縄文時代と呼ばれた時期、琉球諸島に住んでいた我々の祖先は、いったいどんな暮らし方をしていただろうか?
農耕文化が伝わるはるか以前、厳しかったはずの食環境をどのように凌いだのだろうか? 人口の数、話し言葉の種類、集団における序列形態、死者の処遇、宗教の存在・・。考え始めるときりがないが、今のところすべては謎で深い闇の中に封印されている。
しかし、はっきり想像できることがある。それは、海も空も、現在と比較にならないほど、澄み切って美しかったに違いない、ということだ。
沖縄の海は美しいと言われ、それが多くの観光客を引きつける誘因の一つになっているが、それでもぼくが幼少の頃と比べると、今の沖縄の海は汚れてしまった。少年の頃泳いだ海は、東シナ海側も太平洋側も澄み切っていて、20メートル下の海底をはっきり見ることができるほどだった。離島の海は今も美しいと思うが、本島の海は、長年に渡る開発の影響で透明度がかなり落ちた。
文明に汚染される前の我々の祖先は、太陽の光に反射して眩しい砂浜を歩いて海に入り、魚介類、モズク、アーサなどの海藻を採って食糧にしたのだろう。海の幸は豊かだったに違いない。Time Machineに乗って原始時代の沖縄に行く。ユートピアの世界に浸る。文字も電気もない世界で、野生のままの生活を送る。大陸と違い、肉食獣がいない琉球列島は、全てがのんびりして、時間がゆっくり流れる。そんなことをとりとめもなく想像しながら、つい夢心地になる時がある。ところが、当時の沖縄を彷彿とさせるような世界が、現実に存在することがわかった。
インドのベンガル湾にあるアンダマン・ニコバル諸島の南西部に位置する北センチネル島がそれだ。サンゴ礁に囲まれた密林の島で、面積は約60平方キロだから、久米島とほぼ同じくらいの孤島である。
写真で見る北センチネル島の様子は、どこかしら沖縄と似ている。緑豊かな内陸部と、白い砂浜、澄み切った美しい海、そして温暖な気候。しかし、驚嘆すべきはそこで暮らすセンチネル族の激しい性格である。誰一人として島に近づこうとする人間を寄せ付けないばかりか、上陸しようとすると、弓矢でもって攻撃し、殺傷することを厭わないらしい。実際、近づいた漁民が殺害されている。この異常とも言える警戒心の原因はわからない。嘗て文明人がやって来て、酷いことをされて自衛のために警戒するようになったのか、全く謎である。領有権のあるインド政府は、何度も接触を試みたが弓矢で応戦されて、ついに断念せざるを得なくなったという。調査のため低空飛行で島の上を飛ぶと、弓矢で飛行機を射る姿勢を構えて威嚇する!その無謀とも言える激しくも愛すべき原始人の姿に驚かされるのだが、なぜか共感の感情が湧き出て、応援したくなるから不思議だ。
結局、インド政府は、センチネル族と接触することを断念した。観光客が興味本位で島に接近するのも禁じている。観光資源とならないよう遠方から島を監視するだけだと言う。島が、インド政府の管轄でよかったと思う。インド政府が下した結論は、センチネル族の意思を最大限尊重することになるからだ。もし白人の管轄下にあったなら、調査と称して強引に接触し、騙し騙し文明化を強制したことだろう。そして、彼らの精神をズタズタに辱め、誇りを失わせて、ついには滅亡させる。歴史を振り返れば、彼ら白人が先住民族にとってきた残虐さが、その可能性を示唆している。
イギリス人は、18世紀から19世紀にかけて、20万人のタスマニア原住民を絶滅させている。弄ぶように虐殺して絶滅させたのである。これは文明人・白人が犯した凶暴さのほんの一例にすぎない。長い間、イギリスの植民地にされ虐待された歴史を持つインド人は、イギリス人と違い、センチネル族を絶滅させるようなことはしないだろう。センチネル族は39人から400人くらいが生存しているとされるが、正確な数字ではないらしい。多くの人が実態を知りたいと思うのは、好奇心を考えると自然なこととしても、しかし、外部との接触を拒否するセンチネル族の立場になって考えるなら、そっとして置くほうが、真の意味での民族の共生であると思うし、その結果として、お互いを尊重することになるのではないだろうか。島が観光地化されて、センチネル族が、金銭のため観光客に媚びを売る姿を想像するのは、あまりにも残酷すぎる。
むしろ、珊瑚礁に囲まれた小さな島で暮らす原始人センチネル族の神秘的世界を想像する、そして我々の好奇心をできるだけ抑え込む。そのほうが、我々を真っ当な人間にするのではないだろうか。夢見心地に浸りつつ、そのような事を考えた。
心から祈りたい。秘境に生きるセンチネル族よ永遠なれ!