沖縄よ! 群星むりぶし日記

沖縄を、日本を、そして掛け替えのない惑星・地球を愛する者として発信していきます。

西部邁さん、冬の多摩川に投身自殺

終戦から数年後、北海道のある村に、米軍の戦車が姿を現した。偶然、その戦車の前面に躍り出た西部少年は、敵愾心露わにじっと睨みつけた。すると、戦車の巨大な砲身が向きを変えて、少年に照準を定めた。勿論、米兵の操縦士は冗談のつもりだったに違いないが、西部少年の顔は蒼ざめて、その場から急いで退散し身を隠した。後年、西部氏が語った幼い頃の逸話の一つである。西部氏は、幼い頃に先の大戦を体験している。今迄、鬼畜米英と叫んでいた大人達が、終戦とともに手のひらを返すようにして、親米に傾いていく様子を見て、大人に対する不信感が、少年の心に芽生えた。大人も日本人も信用できねぇ。以後、西部氏の心から、この不信感が消えることはなかった、と言って良い。

西部氏の自殺を知ったのは、昨夜のことである。テレビより先に産経ニュースが流した。一瞬戸惑ったが、やはりそうだったか、というある程度予期していた事が現実になってしまった、という変な気持ちになったのも事実だ。
土曜日の「西部邁ゼミナール」を観て、西部氏の様子がどこかおかしい、と感じたのはぼくだけだろうか。「言論は虚しい」「ぼくの人生は、ほとんど無駄でありました」

少し冗談めかして喋るのは、西部氏の特徴で、相変わらずだとしても、「ぼくの人生は、ほとんど無駄でありました」とうつむいて喋った言葉が、最後の言葉になったのは、あの時すでに西部氏は、死を決意していたに相違ない、と思わざるを得ない。西部氏は、対米従属から抜けきれない戦後の日本に完全に絶望していた。「この国は、もはやダメなんじゃないですか」。この言葉を西部氏は、機会あるごとに何度も語っていた。市ヶ谷で自決した三島由紀夫と、多摩川に身を投げた西部邁の絶望の声が、時を隔てて日本の空にこだまする。

日本よ、米国の殻を突き破れ、日本よ、独立せよ!

キーボードを叩く手を休めて、安倍首相の施政方針演説を聴いた。「日米関係は、いまほど強固になった時期はありません」ただの戦後青年が、何を抜かすか。安倍晋三の言葉は何ひとつぼくの心に響かない。
ぼくの貧相な本棚に、西尾幹二著『国民の歴史』と西部邁著『国民の道徳』が並んでいる。『国民の歴史』はだいぶ前に読んで、文庫版も所有しているが、『道徳』の方は、100ページほど読んで、そのままだ。これから少しづつ噛み締めながら読もうと思っている。
西部邁さん、1月の多摩川の水は冷たかったでしょう。安らかにお眠りください。

合掌。