沖縄よ! でぃぐぬ花日記

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ケネス・シンザトの無期懲役判決に思う

昨年4月に発生した女性暴行殺人事件の犯人ケネス・シンザト被告(33歳)に対する判決が昨日、那覇地裁(柴田寿宏裁判長)で言い渡された。検察側の求刑通り、無期懲役であった。しかし、求刑通りとはいえ、やはり腑に落ちないのだ。そもそも何故検察側は死刑ではなく、無期懲役を求刑したのか疑問である。
というのも、ぼくの持論は正当防衛以外の殺人は全て死刑にするべきだとする原則に立つからだ。全く見識の無い赤の他人を、自分勝手な都合で殺害することは決して許されることではない。ところが、現在の司法の在り方は、判例に倣う習性が身についているため、今回の事件のように遺族が裁判で死刑を訴えても、検察が死刑を求刑することも、裁判官が死刑の判決を出すこともないことは、初めからわかっていた。この司法のあり方はおかしいと、ぼくは言っているのだ。
なぜ判例に従わなければならないのか。なぜ検察官は自分の判断と良識に基づいて死刑を求刑する勇気を持てないのか、不思議でならない。
判例に倣うのではなく、明確な基準を定めて、それに基づいた求刑をするべきではないか。今回の判決文は、被告人の動機は身勝手で殺意が認められるとしながらも、最後の部分で次のように述べている。「 他方、被害者参加人の意見を踏まえても、同種事案との公平の観点から、検察官の求刑を超えて死刑を科すべき特別な事情はない。」
この裁判官の見解は、やはりおかしいと言わなければならない。判例に倣っているだけだということが文面に如実に表れている。
検察官も裁判官も自分の頭で考える柔軟性も勇気もない、単なる公務員としてのサラリーマンにしか過ぎないということか。つまり、法律を食い扶持とする小役人ということだ。法律をどれほど勉強しようと、人間としての常識を持ち合わせなければ、庶民が納得のいく裁判を行うことは所詮無理だろう。職業としての検察官も裁判官もどのような求刑判決を出そうが、裁判が終われば担当した事件とは関係が切れる。そして、職業法律家として次の事件をこなしていく。それを繰り返していくだけ。しかし、残された被害者の家族は死ぬまで十字架を背負って娘の供養をしなければならない。被害者の恐怖と絶望感、家族の無念と無力感を思う時、いたたまれない気持ちと犯人に対する怒り、そして今の裁判のあり方に対する不信感が込み上げて来るのをどうにも抑えることができない。ぼくはケネス・シンザトが元軍属だから死刑にせよと言っているのではない。同じ日本人であっても、正当防衛以外の殺人犯は全て死刑にするべきだといっているのだ。小役人の小難しい法律論なんかなんの役にも立ちはしない。
無期懲役の場合、30年間は仮釈放の申請は認められない。30年が経過して申請が認められない場合はさらに10年経過してからでないと次の申請はできない。再度の申請が認められないとさらに10年先に伸びる。こういうシステムらしいが、その間もケネス・シンザトは生きているのだ。自由のない刑務所暮らしとはいえ、独裁国家と違い拷問があるわけでもない。規律は厳しくても、ちゃんとした食事を与えられ、たまに娯楽の時間もスケジュールに組まれている。人を殺して反省も謝罪もできないケネス・シンザトのような馬鹿人間には過ごしやすいところだろう。
そのいっぽうで、殺された娘の両親は、娘のことを思いながら、辛い日々を生きていかなければならない。この不条理を、怒りを一体誰にぶつけたらいいというのだ。
願わくば、殺された被害者と残された家族に寄り添って、俺が判例を作ってやると起ち上がる常識のわかる、そして勇気ある検察官なり裁判官の出現を期待したい。
新聞に載った被害者の父親のコメントをそのまま引用させていただく。彼は傍聴席の柵を乗り越えてケネス・シンザトを刺し殺したい衝動に駆られたに違いない。ぼくにも同年の娘がいる。ぼくが彼の立場ならきっとそうしただろう。感情は抑えているが、強い怒りが伝わってくる文章である。


「 一年半をへてようやく裁判になりました。長かったです。私達遺族は人殺しに極刑を願い、そして真実を知りたくて裁判に参加しました。私達は公判で死刑を望みましたが、願いが叶うことは出来ませんでした。娘は痛み、苦しみの中でこの世を去りました。娘の無念を思うと死刑しか考えられません。死刑の適用基準というもので被告人は極刑をまぬがれ、黙秘権も法で認められています。遺族には殺した人数や前科とかは関係ないのです。残された遺族の事をもっと考えて欲しい、人殺しには今まで以上の厳しい量刑を設けて欲しいのです。被告人は自分を守り、黙秘で本当のことを話しませんでした。自分が犯したことについての反省もみられず、平然としていました。被告人には人としての感情が欠けているようにみえました。被告人には真実を述べてほしかった。私達と娘に謝ってほしかった。私達は被告人を許す事は出来ません。私達は日々悲しみ、苦しみの中にいます。それは生きているかぎり続くでしょう。子を持つ親ならば子を思うのは当然です。私達が娘にしてあげられるのは、娘の痛み、苦しみを取り除き成仏させてあげる事だけです。これからも娘を思い供養していきます。
平成29年12月1日 父 」


「 死刑の適用基準というもので被告人は極刑をまぬがれ、黙秘権も法で認められています。遺族には殺した人数や前科とかは関係ないのです」この言葉には、父親の今の司法のあり方に対する深い不信感が滲み出ている。