沖縄よ! 群星むりぶし日記

沖縄を、日本を、そして掛け替えのない惑星・地球を愛する者として発信していきます。

佐藤優の祖国とは?

『インテリジェンス武器なき戦争』は佐藤優と手嶋龍一両氏の対談本だが、佐藤氏の数ある本の中でぼくが最初に読んだ本である。今からおよそ十一年前のことになる。様々な情報戦に現場で関わって来た両氏の話は新鮮で抜群に面白く、一気に読み終えた記憶がある。その後インテリジェンスという言葉を、マスコミや言論界で頻繁に目にするようになったが、おそらくこの本の影響が大きかったのではないかと思う。

そしてこの本のおかげで、佐藤氏に興味を持ち氏の本を次々と購入するようになった。『国家の罠』『獄中記』をはじめとして、三十数冊がぼくの貧相な本棚に並んでいる。ひと頃「国策捜査」という言葉が流行りだしたのは多分『国家の罠』が発信源ではなかっただろうか。

底知れぬ知識と常識を超えた記憶力、そして日本人には珍しい論理的思考力で、多くの読者を魅了し、今や出版された本の数は膨大な量になる。県内の大手書店に行けば、佐藤氏の本は山積み状態だ。驚嘆すべき情熱とエネルギーを持つ日本を代表する知識人の一人である、と言っても決して言い過ぎではない。

そして何よりも氏の母親が久米島出身ということもあって、なんとなくウチナーンチュには親しみが感じられる。県内にも多くの熱心な読者、ファンがいるのではないだろうか。ぼくもその一人であり、佐藤氏の言動には常に注目している。

しかし、今朝の新報に掲載されたコラム「ウチナー評論」に少し引っかかる箇所があった。このコラムで佐藤氏は、11日に起きたCH53E米軍ヘリコプターの炎上事故について書いている。政府と米軍の対応の非道さを非難し、本土側の沖縄に対する構造的差別について指摘している。その論旨に対しては多くの県民は共鳴するだろう。勿論ぼくも賛成だし感謝したいくらいだ。しかし、佐藤氏は末尾で次のように書いている。

「日本人の良識に期待することは幻想だ。沖縄が自己決定権を強化し、われわれの祖国である沖縄を沖縄人の力で守るしか術がない。22日の総選挙では、沖縄に降りかかっている「国難」を克服できる政治家を国政に送り出してほしい。」

この文章でぼくが引っかかるのは「われわれの祖国である沖縄」という箇所である。佐藤氏の言い間違えか、新聞社の誤字表記であって欲しいのだが、そうでないとすれば非常に気になる言葉だ。というのもこの言い回しは明らかに琉球独立論に直結すると思われるからだ。何故なら47都道府県の中の一つの県に過ぎない沖縄県が祖国(国家)であるとするのは、論理をどれほど飛躍させても成立しない概念だからである。

だから「われわれの祖国である沖縄」という言い方は、琉球独立を想定したうえでの発言としか思われない。佐藤氏の意図するところはどこにあるか知らないが、危険であると言わざるを得ない。

何故危険か、理由ははっきりしている。中国共産党尖閣諸島を自国の領土だと主張するだけでなく、かつての中国の領土琉球を奪還する、と公言しているからだ。故に中国共産党の言い分は荒唐無稽であるにしても、今の状況下で琉球独立論に言及するのは、中国共産党を利するだけで非常に危険である。

いつの日か中国が民主化され、中国共産党が消えてその脅威が消滅してなお、相変わらず日本政府が沖縄に対して理不尽な政策を取り続けるなら、その時こそ琉球独立論が議論されても許されるのではないだろうか。物事にはそれなりにふさわしい時期がある。

今は、胸にしまって悪しき中国共産党に利用されないよう最大の注意を払う必要がある。独立がいいのか、沖縄自治州がいいのか、議論の別れるところだが、その時期が来るまでは辛抱するしかない。

「われわれの祖国である沖縄」という佐藤優氏の発言は、どんなに好意的に見ても、やはり思慮に欠ける発言であった、と言わざるを得ない。