沖縄よ! 群星むりぶし日記

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西尾幹二著『保守の真贋』に見る安倍晋三の正体

衆議院解散後の今の政界の混乱ぶりは、すべて安倍首相の責任である。解散する必要性が全く無いのにかかわらず、自己保身のためだけに臨時国会の冒頭で解散を強行した。明らかに解散権の私物化乱用であり、与党内から反発ないし疑問の声が出てしかるべきなのに、誰ひとり声を上げようとしない。

それどころかマスコミも言論人も野党の再編がどうのこうのと、面白おかしく解説するだけで、我が国が直面している戦後最大の国家的危機に、真正面から言及する人間は、誰ひとりいない。

政治家の質の低下は日々進行中で、この状態が続くと長い下り坂の先は日本国消滅であろう。そんな中、今の政治家の無責任・無能力を象徴する安倍首相を批判する本が出版された。西尾幹二著『保守の真贋(副題:保守の立場から安倍政権を批判する)』がその本である。安倍晋三という政治家の本質を見事に指摘し、その能力を冷静に分析した注目に値する著作である。その中から数カ所を引用して、安倍晋三という政治家がいかに食わせ者であるか、読者の参考に供したいと思う。

安倍氏は保守のなかの保守だった。「真正保守」と言われ、保守の「星」として期待されていた。しかも拉致問題の解決を高い優先順位に掲げ、エキスパートと目されていた。彼が引き受けてくれたのだからもう大丈夫だ、とみんなが思ったし、側近もそう語っていた(例えば西岡力氏は安倍さんについていけばいいのです、と言っていた)。安倍氏自信が具体的に成案があるかのごとく胸を張って見せていた。けれども実際に、現実は何一つ動かなかった。担当大臣がおかれて何度か入れ替えはあったが、政権としては何もしなかったに等しい。安倍氏によって問題に目に立つ新らしいメスが入れられた具体的政策はなにひとつなかった。周知のとおり、大言壮語はあって、悲劇の犠牲者の政治的活用もあって、事件の悲劇性はいちだんと倍加された。しかし国民的規模の解放運動はその後二度と再燃することはなく、風船がしぼむように元気をなくしていった。それもそのはずである。主役がいい格好したいばかりに舞台に上がり、巧言令色、美辞麗句を並べ、俺がやってみせると言い、いいとこ取りをして自己宣伝し、拉致に政権維持の役割の一端を担わせ、しかし実際にはやらないし、やる気もない。政治家の虚言不実行がそれまで燃え上がっていた国民感情に水をかけ、やる気をなくさせ、運動をつぶしてしまった一例である。」

「 要は改正への情熱、ないし執念が一貫して言動のうちに滲み出るように現れ出ていなかったことだ。五年かかる、と最初に煙幕を張っていた。周知の通り、第九十六条改正から手を着けるという手法が最初とられた。これはいかにも怖いものに近づくおっかなびっくりの姿勢に見えた。たちまち九条を隠そうとしている姑息な案であると見破られた。彼は慌てて引っ込めた。世間はあのとき、「隠すなよ、やるなら堂々とやれ」と言っていたのである。安倍氏はそれを誤解した。ウラが簡単に見抜かれてしまう逃げ腰の小手先戦術は、臆病なこの人の体質からきている。その揚げ句、ついに今度の新提案だ。二0十七年五月三日、新提案は出された。例の戦力不保持の二項温存、戦力保持以外は考えられない自衛隊合憲の三項追加という、矛盾に満ちた珍妙キテレツなアイデアが打ち出されたというしだいである。"美しい国日本"というお坊ちゃん気質まる出しのスローガンを掲げて登場したこの人らしく、いわば足して二で割る式の、本人だけが合理的と思っている非現実の幻の提案である。考えてもみてほしい。もしこの案が言葉どおりに実現したら、どんなに法律的に上手に作為されても、二項と三項の整合性をめぐって、これまでの七十余年と同じような不毛な憲法論議があちこちで引き起こされ、糸が絡まるように出口を失い、国家の安全保障はまたまた新たな迷走の袋小路に落ち込むことになるであろう。」

お坊ちゃん気質という西尾氏の表現に思わず、アッと唸ってしまった。偶然だが、ぼくも安倍晋三の性格をお坊ちゃん的だと指摘してきたからだ。

櫻井よしこ氏をはじめとして、多くの保守言論人たちが安倍首相称賛派である。その中にあって西尾幹二氏の安倍晋三批判は際立っている。時流に安易に流されず、深い歴史認識を持つ思想家、西尾幹二氏であるからこそ可能な分析だろうと思う。

政治も言論界も混迷を深めるいま、西尾幹二氏の言葉は闇を切り裂く村正の妖刀である。氏の思想に大いに学びたい。