沖縄よ! でぃぐぬ花日記

祖国は日本。郷土は沖縄。日本国を愛し、沖縄を愛する者として、発信していきます。

沖縄の似非保守・我那覇真子が靖国神社で吠えた?

軽い鉄砲玉、我那覇真子終戦記念日靖国神社で演説した。例のごとく、実に勇ましい内容の薄っぺらな演説であった。戦後日本の堕落した風潮を指摘して、靖国に眠る英霊に申し訳ない、と健気にも涙ながらに聴衆に訴えたのである。そして、英霊を2度死なすわけにはいかない、とも強調した。英霊が今の日本を見たら、きっと嘆くに違いない、という意味でそう言ったのだろう。言っていることは、保守運動家の言動として最もらしいのだが、彼女が沖縄出身であると思うと、やはり、強い違和感を覚える。というのも、真子ちゃんは沖縄の米軍駐留容認派だからである。現在進行中の辺野古新基地建設にも賛成している。辺野古新基地建設に反対している人たちは、左翼であり、地元の人間は少なく、ほとんど本土から来た人間であり、その3割近くは朝鮮人活動家である、などととんでもないデマを激しい口調で宣伝し続けている。ぼくは何度も辺野古へ行き、実際に反対闘争に参加して来たから、彼女の主張が全くのデマにすぎないことを知っている。デマを流してまで彼女が、辺野古新基地建設に賛成し、在沖米軍に感謝する理由は何か?彼女には明確な国防の国家理念がないのがその最大の理由だ。かつての敵国米国の軍隊が戦後居座り続ける現実に、彼女は少しの疑問も感じていないようだ。真の保守なら、何よりもまず自主防衛を主張するのは当然のことだろう。東京では勇ましい言動を展開する自称保守連中が、沖縄の基地問題に言及する時、急に日和って在沖米軍礼賛へと豹変する姿を、ぼくは嫌という程見て来た。水島総百田尚樹竹田恒泰、その他大勢。しかし、彼らは沖縄が歩んで来た歴史と実情に疎い本土の人間だ。我那覇真子は違う。血筋からすると、生粋の沖縄人である。にもかかわらず、彼女が沖縄の苦難の歴史について語ることはない。沖縄の言論界の偏向を訴えるべく、彼女は盛んに本土各地で講演をこなしているが、その中で次のように話したことがあった。

「いつも沖縄県民は取り残されている。基地の問題でも、沖縄の人は誰も文句を言っていないのに、よそからやってきた人たちが割って入ったり情報をゆがめたりして、問題でないものを勝手に問題にしている」

基地問題で沖縄の人は誰も文句を言っていない?よそからやって来た人たちが問題でないものを勝手に問題にしている?とんでもない。全くのデタラメだ。県民の7割は辺野古新基地建設に反対している。彼女のこのような言動こそが偏向しているのではないか。新報・タイムスを正すなどと大見得をきる前に、自身の偏向言動を正すのが先ではないか。

彼女の軸足は本土の側にある。そしてその保守思想は沖縄に根ざすものではない。そうであるからこそ、沖縄が歩んできた苦難の歴史を深く考えることもなく、沖縄の人々を貶める発言を繰り返して恥じることがないのだ。「英霊を2度死なすわけにはいかない」と靖国で大見得を切った我那覇真子は、沖縄では英霊を無邪気にも、2度殺すようなことを平気でやっている。祖国防衛のために沖縄戦で命を散らした多くの英霊に、嘗ての敵国米国の軍隊が駐留し続ける現状がどう映っているか、その無念を思う時、胸が張り裂ける思いがするのは、決してぼくだけではないだろう。しかし、我那覇真子は違う。彼女は在沖米軍を積極的に容認している。沖縄の地に眠る英霊の無念に想像力が及ぶことがない。標準的な保守思想を展開したところで、その実態は似非に過ぎないことを、自ら表明しているようなものだ。本土に軸足をおく沖縄の似非保守、我那覇真子ちゃん。沖縄の歴史に疎い本土の保守層は、若い沖縄出身の女性の勇ましい発言に喝采を送ることだろう。しかし、ぼくには、彼らも似非保守にしか見えないのだ。真の保守なら国防100年の大計を立て、米国従属を脱して、自主防衛を堂々と主張すべきではないか。現状においてすら、安全保障を少し研究すれば、海兵隊が沖縄に駐留する軍事的必然性がないことは明らかである。

 

 お知らせ: 保守も革新も無党派層の人も辺野古へ行こう!
海兵隊が沖縄に駐留する軍事的必然性はない!
新基地ができると、日本の真の独立は200年遅れるぞ!
毎日無料高速バスが出ています:参加費はカンパのみ
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火曜日 午前9時発 オール沖縄那覇の会
水曜日 午前6時発 平和市民連絡会  
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土曜日 午前6時発 平和市民連絡会  
午前9時発 島ぐるみ会議
 (いずれも県庁前広場発:受付8時半〜)