沖縄よ! 群星むりぶし日記

沖縄を、日本を、そして掛け替えのない惑星・地球を愛する者として発信していきます。

上原康助氏の思い出

上原康助さんが亡くなられた。84歳。復帰前の1970年に行われた戦後初の国政参加選挙で当選した県代表の政治家が、1人また1人と鬼籍に入る中、上原氏は最後の1人となった。戦後初の国会議員となった7人の侍たちが当選証書を手にして、晴れやかな表情で映った写真を見ると、懐かしさと、親しみの感情が入り混じって複雑な気持ちになり、なんとも言葉にならない。西銘順治(自民、衆院)、喜屋武真栄(無所属、参院)、瀬長亀次郎(人民、衆院)、稲嶺一郎(自民、参院)、上原康助(社会、衆院)、国場幸昌(自民、衆院)、安里積千代(社大、衆院)。各人、主義主張の違いはあったが、全員が沖縄を少しでも良くしたい、という情熱に燃えていたのは間違いない。広大な米軍基地の存在と、国会では絶対的少数派という、厳しい状況の中で強いられた困難な闘い。それでも、我々の先人達は、忍耐の限りを尽くしながら、少しずつ少しずつ、沖縄の歴史を前に押し進めて来たのは、紛れも無い事実である。保守革新を問わず、ウチナーンチュの誇りをどう守るか、心の中はみんな一緒である。イデオロギーよりもアイデンティティを呼び掛ける翁長知事の主張は、沖縄問題を解決するための本質論と捉えるべきだろう。政治的駆け引きがあるため、沖縄の政治は、本土の政党と系列化せざるを得ないという不幸はあっても、その限界を突破するためには、沖縄のアイデンティティを最大限強調する必要がある。そして、なにより我々県民自身が、そのことを自覚すべきだろう。

さて、上原氏の業績については、今朝の琉球新報が詳細に報じているので、ぼくは上原氏の思い出について、少しばかり言及したいと思う。実は今から14年前、沖縄の政治状況に不満と怒りを感じていたぼくは、沖縄の各界の言論人の主張を幅広く集約し、閉塞状態の政治状況に一石を投じる目的で、「沖縄自立新聞」という名の新聞を個人で創刊したことがあった。インタヴューの趣旨に賛同した人にインタヴューを行い、テープレコーダーに録音してから、後でその内容を記事にした。太田範雄(沖縄商工会議所名誉会頭)、西田健次郎(元自民党沖縄県連会長)、宮城弘岩(沖縄物産企業連合代表取締役)各氏を実際にインタヴューして、記事にまとめた。上原康助氏に対しても、彼の事務所を訪れて、直接インタヴューを申し入れた。嬉しそうな表情を見せた上原氏は、申し込み趣意書を読んでから、2、3日待ってくれないか、と言った。そして、数日が過ぎて上原氏のファクスが届いた。「発刊に寄せて」と題した寄稿文を久しぶりに読むと、感慨深いものがある。勿論、ありがたくそのまま、創刊号に掲載させて頂いた。

「 発汗に寄せて      沖縄自立新聞の発刊おめでとうございます。この度「沖縄自立新聞」の編集担当の金城武男氏から、同紙発刊にあたって、インタヴューしたいとの依頼を受けました。自立新聞を構想した理由は、沖縄にとって、最も重たい「古くて新しい」課題である沖縄の自立について、広く各界の意見を聞きながら政策提言等を行って行きたいとのお考えを披瀝なさいました。私にインタヴューを申し入れたのは、衆議院現職時代に沖縄の独立について質疑をしたこと、目下、琉球新報に月1回日曜評論を書かせてもらっていますが、1月に「初夢、沖縄の独立宣言」としましたが、その内容に金城氏が共鳴できる面があったからとのことでした。沖縄の自立については、誰しも関心があり期待を持っているところです。その立場からすると、この新聞が目指そうとする構想や趣旨には、共感をもちます。しかしながら、この沖縄自立新聞は、4月から発刊するとのことです。今のところ見本がないだけに、どのような性格の新聞になるのか、またどういう方々が登場なさるのか、未知な点が多くあります。

しかも、私へインタヴューしたいとの内容が、沖縄の独立に関する意見として、一、軍事・防衛面をどうするか? ニ、経済の自立は可能か?三、世論をどう盛り上げていくか?について聞きたいとのことでした。これほどコンパクトな内容の論点を短時間でまとめるのは、私にとって至難なことです。

加えて発刊号からいきなり、沖縄独立論の最も「核心部門」を聞かせて欲しいと言われても、些か戸惑いを感じました。そんな経緯がありましたので、発刊にあたって、私の感想を寄稿させて頂くことにしました。この沖縄自立新聞が、その発刊目的と内容等が、多くの県民に理解され、広く認知される新聞になることを祈念いたしております。

2003年3月吉日   前衆議院議員 上原康助

沖縄の基地問題が、少しも解決しないどころか、ますます酷くなる現状を目にしたまま、鬼籍に入った上原氏は、さぞ無念であったろう。1970年当時に比べて、社会インフラの整備は充実し、県民の生活は豊かになったとはいえ、基地問題の深刻さは県民の心を蝕み続けている。血の滲むような先人達の努力を無にしてはならない。

上原康助さん、安らかにお眠りください。

 

お知らせ: 保守も革新も無党派層の人も辺野古へ行こう!
海兵隊が沖縄に駐留する必然性はない!
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