沖縄よ! でぃぐぬ花日記

祖国は日本。郷土は沖縄。日本国を愛し、沖縄を愛する者として、発信していきます。

権力に対する非暴力闘争:12回目の辺野古

昨日、辺野古へ行った。帰宅した時は疲労が激しく、すぐ冷たいシャワーを浴び、心身ともにスッキリしてから、のんびり夕食をとった。頭は何も考えることができないので、ブログは翌日書くことにして、早めの就寝となった。さて、県民広場に着いて暫くしてから、ラミス氏がきた。カンパが思うように集まらないらしく、再度お願いするためだという。ぼくは先日すでに、郵貯から送金したので、その旨話すと礼を言ってくれた。辺野古基金からのカンパはないらしい。辺野古行きのバスも、財政は苦しいらしく、辺野古基金から補填される多少の援助では、赤字を埋めることはできず、そのぶん参加者が別途にカンパを募っているのだという。みんな金銭的に苦しい中で頑張っているのだ。今日は、総勢25名であった。その中に、大学生が一人いた。県内で、通信大学を受けているという。先週も本土から来た大学生がいたが、大変良いことである。ありのままの辺野古闘争を体験するのは非常に大事なことで、将来必ず、彼らの生き方になんらかの指針を与えるはずだ、と信じたい。途中、知念さんの詳しい現況報告があった。座り込み500回を超える、強者の一人だ。話は面白く、参加者からの信望も厚い。このバスは9時出発だが、今日すでに6時に出発したバスもある。工事車両の搬入を少しでも遅らすため、できるだけ早く、現場で座り込みをするためである。そうすることで、参加者になんのメリットがあるわけでもない。新基地建設を許したら、沖縄の将来が大変なことになる、絶対にそうさせてはならない、という信念だけで厳しい闘争を続けている。それを思うと、自然に胸が熱くなる。弱い心に鞭が入る。明るい性格の世話役、比嘉さんのおかげで、車内は終始和やかである。辺野古に着くと、先行組はテントの中ではなく、工事用ゲート前で、すでに座り込みをしていた。我々も、そちらへ向かう。暑い。沖縄育ちで、暑さに強いとはいえ、意識がボーッとするような悩ましい暑さである。座っているだけで汗が吹き出て流れていく。無料サウナ。我々が来る前、参加者の一人が転倒して救急車で運ばれる騒ぎがあったらしい。詳しい状況はわからない。40分ほど座っていただろうか、機動隊が動く様子がないので、全員テントに移動することになった。臨機応変に動くことは大事なことだ。機動隊と対峙するときに備えて、テントの中で涼をとる。ラミス氏と一緒にきた女性が、カンパの紙箱を持って参加者の間をお願いして回っている。彼女もVFPのメンバーの1人らしい。昼食が終わって、13時頃、工事用ゲート前で、座り込みが始まった。いつも通り、最後列に座る。何人かの人がマイクをとって話すが、頭がボーッとして、真面目に聞くのが嫌になる。時間が経過しても機動隊の動きがない。彼らも連日の暑さで、体力を消耗しているのだろうか、それとも、同じウチナーンチュを強制排除する職務に対し、嫌気がさしているのだろうか。後者は十分あり得ることだ。我々は何も好きこのんで反対闘争をしているのではない。同じように彼らも好きこのんで強制排除するわけではないだろう。本音は、ウチナーンチュ同士、体を張った争いはしたくないのだ。そうせざるを得ない状況に追い込んだのは、現政権の安倍内閣である。だから、我々沖縄県民にとって、安倍内閣は、歴代政権で最悪の政権である。辺野古闘争に参加する人は皆、そう思っている。内閣支持率が急落している今、我々の方に風が吹き始めている。しかし、それでも気を緩めることなく、新基地建設を断念に追い込むまで、座り込みを中止するわけにはいかない。40分ほど経過してから機動隊がやって来た。やはり、彼らの動きがどこか変だ。自分たちの仕事に嫌気がさして来たのではないか。彼らの顔の表情に覇気がない。いつものようにぼくは、自分でもびっくりするくらいの大声で「機動隊、帰れ帰れ!」「ここはアメリカじゃないぞ!」「恥ずかしいことをするな!」と繰り返し繰り返し叫び続けた。それでも、1人、また1人と強制排除されていく。いつも繰り返されるシーンだが、我々はあくまでも、非暴力に徹している。権力に対する非暴力闘争。権力と暴力に勝てないぶん、根性で負けるわけにはいかない。100回排除されたら、101回座り込む。我々の視線は、目の前の機動隊のはるかかなた、東京に向いている。安倍内閣を睨んで離さない。安倍内閣が自滅し、新基地建設を断念に追い込むまで、権力に対する非暴力闘争が終わることはない。次の座り込みに備えて、テントで休憩を取ることになった。ラミス氏がマイクを握った。今日のカンパに対する感謝の意を込めて、歌を歌うという。「囚人が言う。暑くて喉が乾いたので、これはここの状況と一緒ですね、一杯の水をくれ、シルヴィー。ぼくの声が聞こえるか、シルヴィー。バケツに入れて、水を持って来てくれシルヴィー。すると、シルヴィーは一杯のコーヒーを持って来た。一杯のお茶を持って来てくれた。そして、そのほかにも色々なものを持って来てくれた。しかし、持ってこなかったものがある。それは、牢屋の鍵です。このような内容の歌です。オリジナルは長いので、少し短くして歌います。」と前置きしてから、英語で歌い始めた。上手い。歌詞も良い。感動した。歌い終わると、大きな拍手が沸き起こった。ラミス氏は大変な知識人だが、欧米人特有のユーモアの精神溢れる、好人物である。2回目の座り込みは、16時頃に始まった。権力に対する非暴力闘争。100回排除されたら、101回座り込む。正義は我々の側にある。負けるわけにはいかない。帰りのバスの中、ラミス氏が歌った歌詞をメモ帳に書いてもらった。

Sylvie,Sylvie   I'm so hot and dry   Sylvie,Sylvie   Can't you hear?   Can't you hear me calling?   

Bring me little water,Sylvie   Bring me little water by   Bring me little water,Sylvie   Every little once in a

while   Bring it in a bucket,Sylvie   Bring it in a bucket by   Bring it in a bucket,Sylvie   Every little once in

a while   She brought me a little tea   She brought me nearly every damned thing   But she didn't bring

the jailhouse key   Sylvie,Sylvie I'm so hot and ......

そして、一番下に次のように記されていた。Youtube-Harry Belafonte ''Sylvie''   帰ったら、早速調べることにしよう。車内は、冗談も飛び交い、終始和やかである。女性が多いせいもあるかもしれない。ぼくもマイクを握った。ラミス氏の歌に感動したことを述べた後、島倉千代子の「無法松の一生」をスマホで流した。この歌には深い思い出でがある。40年ほど前、東京で働いていた頃、歌舞伎町のコマ劇場で島倉千代子歌謡ショーを観たことがあった。当時、島倉千代子は人に騙され、莫大な借金を背負い、絶望のどん底にいた。死ぬことまで考えたと言う。そんなある日、雨の降る歌舞伎町を夜、泣きながら歩く島倉千代子を偶然見た細木数子が、島倉を説得して、私が力を貸すから、もう一度一からやり直そうと持ちかけ、全国縦断の歌謡ショーを企画した。ちょうどその頃に見た島倉千代子の歌謡ショーだった。司会の細木数子がその辺の事情を説明し終わってから、島倉千代子が最後に歌った「無法松の一生」。女性が男物を歌うときの迫力は独特のものがある。あのとき味わったなんとも言えない感動は、いまでも心の中に残っている。そんなことを話してから、スマホからマイクで流した。帰りのバスは、できるだけ和やかに楽しくしなければ、辺野古で受けた心の傷は癒すことができない。明日の英気を養う上でも、必要なことである。県民の皆さん、是非、辺野古へ来てください。一緒に闘いましょう!

 

 お知らせ: 保守も革新も無党派層の人も辺野古へ行こう!
海兵隊が沖縄に駐留する必然性はない!
新基地ができると、日本の真の独立は200年遅れるぞ!
毎日無料高速バスが出ています:参加費はカンパのみ
月曜日 午前9時発 平和市民連絡会
火曜日 午前9時発 オール沖縄那覇の会
水曜日 午前6時発 平和市民連絡会  
午前9時発 島ぐるみ会議
木曜日 午前9時発 平和市民連絡会
金曜日 午前9時発 平和市民連絡会
土曜日 午前6時発 平和市民連絡会  
午前9時発 島ぐるみ会議
 (いずれも県庁前広場発:受付8時半〜)