沖縄よ! 群星むりぶし日記

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魂を亡くした男「沖縄に内なる民主主義はあるか」批判 9

又吉(ヒジャイ)は魂を亡くした男である。彼の言論を調べると、そう思わざるを得ない。26日のブログで「沖縄を「もはや戦後ではない」にしたのは基地経済である。:県の「県民は過重な基地負担を背負う」は嘘である。」と断じて以下のように論述している。

< 県は「本土復帰まで27年間にわたり、米軍の施政権下にありました」と書いてあるが、それは嘘である。米軍の施政権下にあったのは1945年からの5年間であった。1950年からは米民政府の統治に変わる。米国は議会制民主主義国家である。米軍は米大統領の指揮下にあり、シビリアンコントロールされている。米軍は軍事を専門に行うものであり政治を行うことは許されていない。沖縄を統治するということは沖縄の政治を行うことである。米軍が沖縄を統治することは許されていなかった。終戦から5年間はインフラ整備のために米軍が統治した。しかし、1950年からは米大統領の直轄になり、沖縄に米国民政府が設置された。その後は祖国復帰するまで米国民政府が統治したのである。米軍ではない。県の米軍が統治していたというのは嘘である。>

又吉(ヒジャイ)は何も理解していない。自分に都合の悪いことは、たとえ真実であっても、嘘であると断じて恥じることがない。米軍が沖縄を占領してから、本土復帰が実現するまでの27年間、米軍の施政権下にあったのは、何人も覆すことのできない歴史的事実である。にもかかわらず、事実を捻じ曲げてまで、根拠のない嘘をつく狙いは何か?
それは単に、彼が盲信してやまない議会制民主主義というものを礼賛し、絶対化するためである。そしてそれに付随するものとして、シヴィリアンコントロールなるものを、必ず付け加えて見せるのだ。
<米軍は軍事を専門に行うものであり政治を行うことは許されていない。沖縄を統治するということは沖縄の政治を行うことである。米軍が沖縄を統治することは許されていなかった。>
一体何を根拠にこのようなデタラメなことが、ヌケヌケと言えるのだろうか?ぼくは、4月6日の当ブログで、又吉(ヒジャイ)の今回と同じ内容の言論に対し、次のように批判した。
「 1945年4月1日に沖縄本島に上陸した米軍は、ニミッツ米海軍元帥の名前で、軍政府布告(ニミッツ布告)を公布する。
日本政府の全ての行政権を停止し、南西諸島の居住民に関する全ての最高行政責任が、ニミッツに帰属するという内容の布告である。これでもって、琉球列島米国軍政府が成立したのである。その後、1950年12月15日に琉球列島米国民政府に改組されるが、最高責任者の民政長官は、全員軍人であった。
1957年に民政長官制は廃止されて、高等弁務官が最高責任者となる。6代続く歴代の高等弁務官は全員、中将の肩書きを持つ軍人であった。
3代目のキャラウェイ中将の時の民政官は、キューン氏という文官で、以下祖国復帰まで、4代の文官の民政官が続くが、あくまでも、琉球列島米国民政府の最高権力者は、軍人である高等弁務官だったのである。
又吉(ヒジャイ)は、民政府という言葉にとらわれて、恰も文官による政治が遂行されたような言い分だが、下手な冗談はやめてもらいたい。
占領期間中、文官による民政ではなく、軍人による軍政が行われたのは明らかである。議会制民主主義がどうあろうと、シヴィリアンコントロールがなんだろうと、アメリカ政府は、27年間沖縄で軍政が実行されることを承認したのである。」
以上の批判で充分、又吉(ヒジャイ)の嘘は完膚なきまでに、論破されたはずである。
それに懲りず、同じ主張を繰り返すなら、同じように叩きのめすだけだ。

< 本土で「戦後は終わった」と経済白書で宣言した1956年の前年の沖縄の人口は80万人を超えている。なんと戦前より21万人も増えたのである。経済から見れば沖縄は戦前をはるかに超えたのである。まさに奇跡の経済成長である。
戦前の沖縄と戦後の沖縄の違いは米軍基地があるかないかである。戦前は米軍基地はなかったが戦後は米軍基地ができた。それ以外は同じである。沖縄の経済発展は米軍基地があったからである。それ以外の原因はない。>

この男の短絡的思考癖は、何度も指摘してきたが、ご覧の通り、治る兆候がないばかりか、ますます酷くなる一方のように思われる。人口が増えれば経済成長の結果だと単純に結論付ける頭脳は、何処かに深刻な欠陥を抱えているに違いない。
1956年といえば、終戦から11年が経過している。その間に団塊世代と呼ばれる人口増加があった。1947年、48年、49年の3年間に生まれた人口数は戦後最大を記録している。
この現象は、沖縄においてもみられる現象だ。戦争という殺し合いの残酷な環境から解放され、精神的に安堵できる状況下で出生率が急上昇する傾向にあるのは、世界各地に見られる現象ということができる。人口増加は経済成長が原因だとする又吉(ヒジャイ)の指摘は、あまりにも無理があると言わなければならない。
< 戦前は米軍基地はなかったが戦後は米軍基地ができた。それ以外は同じである。沖縄の経済発展は米軍基地があったからである。それ以外の原因はない。>
もし仮に、沖縄が米軍に占領されずに、戦前同様本土と一体であったなら、つまりGHQ憲法とはいえ、日本国憲法に組み込まれていたなら、朝鮮戦争で経済成長を遂げた本土同様、その波及効果は沖縄にも及んだはずだ。米軍基地による経済発展など比べ物にならないほど、沖縄は豊かになったはずである。少し想像力を働かすことができれば、誰にでも理解できるような単純な理屈だ。又吉(ヒジャイ)君の想像力はどうも貧弱らしい。

<沖縄の経済発展に自分の人生のすべてを打ち込んだアメリカ人がいたことを沖縄の政治家、知識人、マスコミは封殺している。「かみつき」
米民政府は沖縄の民間の企業育成にも尽力したのである。県はその事実を無視して米軍基地の負担だけを取り上げている。>

又吉(ヒジャイ)はサムエル・C・オグレスビーについて述べている。彼のことをマスコミは封殺しているというが、琉球新報は去年の12月15日の「 南風 」というコラムで取り上げている。
<南風>沖縄の産業振興に尽くした米国人
2016年12月15日 
サムエル・C・オグレスビー。1911年10月米国バージニア州生まれ。メリーランド大学やエール大学で極東問題と日本語を専攻した。 氏は、1950年3月に米国民政府職員として、復興途上の沖縄に赴任する。 米軍統治下の沖縄は、琉球政府の上に米国民政府があり、法人認可、貿易管理、復興金融基金などに大きな権限を持っていた。 当時、経済局開発部次長であった氏は、沖縄の復興には産業振興が重要との理念を掲げ、まず、製糖工場とパイナップル缶詰工場の設立に中心的な役割を果たす。また、製鉄、セメント、ビール、肥料、煙草(たばこ)、製菓などの起業化や環境整備に尽力した。同時に、輸出品には特恵措置を、輸入品には物品税を課す措置を取るなどして、操業間もない県内産業を支援した。 しかし、氏の進める施策は必ずしも順調ではなかった。民政府の中には、氏の考え方に賛同しない人もおり、局内の説得には強いエネルギーが必要だった。時には、統治の最高権力者である高等弁務官に企業の視察を促し、産業支援の必要性を説くこともあった。 多くの壁にぶつかりながらも、氏は、次々と産業振興の種子を蒔(ま)き、育て、戦前の沖縄では夢想だにしなかった近代工業の基礎を築き上げた。真に沖縄のためを思わなければ、到底達成できなかった業績である。 オグレスビー氏は66年に55歳の若さで病で逝去した。産業界は浄財を集め、氏が生前希望した泊国際墓地に墓碑を建立した。同時に、産業功労者表彰や奨学金給付を目的とするオグレスビー氏産業開発基金を設立した。 毎年12月20日の命日に関係者が集まり、追悼式を行っている。今年は50回目の節目の追悼式を迎える。今年も沖縄の産業振興に尽くした立派な米国人に衷心より哀悼の意を捧(ささ)げる。 (桑江修、沖縄県工業連合会専務理事)

以上見られるように、サムエル・C・オグレスビー氏は沖縄人に正当に評価され、いまも感謝されて、多くの人々から慕われている。どのような組織においても、必ず良心的人物はいる。そう信じなければ、混沌としたこの世界で、我々は生きていくことはできない。
沖縄人は、米軍関係の人だからというだけで、悪人扱いするわけではない。良心的人物は正当に評価され、悪人は批判される、当然のことだ。サムエル・C・オグレスビー氏が沖縄のために行動していた一方で、米兵の犯罪は多発し、沖縄人の人権が蹂躙されたのも事実だ。
真実の姿を捉えるためには、我々はこの両面を見る必要がある。
しかし、又吉(ヒジャイ)君は、米軍を一方的に賞賛するだけだ。その論理的根拠は、アメリカは議会制民主主義国家であり、米軍はシヴィリアンコントロールされているからというものだ。この揺るぎなき信念は、もはや彼にとって、宗教的色彩を帯びて、何人にも反論を許さない聖なる世界となっている。議会制民主主義国家がすることは、すべて正しい。なぜなら、それは選挙で選ばれた国民の代表が執り行う政治体制だからだ。
こんな単純な論理を振り回されては堪らない。気違いに刃物とは、まさにこのことを指すのではないか?
実際、彼は米兵が犯罪を犯したら、米兵を擁護してきた実績がある。シヴィリアンコントロールされた米軍が悪いことをするはずがない、と。ここまできたら、もはやこの男は沖縄の敵だ。

<県は県民全体が基地の過重負担を背負っているというが、騒音被害についていえば嘉手納飛行場普天間飛行場などの周辺の住民は被害を受けるが那覇市など周辺に住んでいない住民は被害を受けない。騒音被害を受けている住民はわずかである。県民の多くは被害を受けていない。>

那覇市新都心の上空をオスプレイが飛ぶ様子を、ぼくは何度か目撃している。米軍の飛行機は、普天間飛行場嘉手納飛行場の上をぐるぐる飛ぶわけではない。日米地位協定によって、基地の自由使用が保証されているために、沖縄で米軍機が飛行制限されている区域はゼロである。逆に嘉手納ラプコンのように、民間機の飛行制限区域があることからも分かるように、沖縄は今も米軍優先である。県民の多くは被害を受けていないと、現実を矮小化するとは、又吉(ヒジャイ)の狡猾さは筋金入りだ。沖縄県民は全員、騒音被害を受けている住民の側に立ち、その不条理、理不尽に対して怒りを共有してきた。狭い沖縄を、被害の及ぶ範囲と及ばない範囲に区切るなど、全くナンセンスである。

<米軍基地は県土面積の約10%を占めているという。ということは90%には基地はないということだ。人口に当てはめると90%の県民は米軍基地とは関係なく生活しているということになる。>

この男は本物の馬鹿者だ。数字を子供のように解釈して、実体を見ようとしない。こんな人間が塾を経営したことがあるというのだから、愕然として言葉が見つからない。
彼の塾で学んだ子供達は、果たしてまともに成長したのだろうか?
ぼくは現在、那覇に住んでいる。米軍基地を直接感じるのは少ないといえる。しかし、ぼくは島ぐるみ会議が用意してくれたバスで辺野古へ行く。辺野古新基地建設に反対する県民と心を共有するためだ。実際に行動することが、自分の義務だとも思う。
90%の県民は米軍基地とは関係なく生活しているだと?又吉(ヒジャイ)よ、ぼくは君のような人間を心の底から軽蔑するよ。

 お知らせ(保守も革新も日本人なら辺野古へ行こう!NO MARINE !)
月曜日 午前9時発 平和市民連絡会
火曜日 午前9時発 オール沖縄那覇の会
水曜日 午前6時発 平和市民連絡会  
               午前9時発 島ぐるみ会議
木曜日 午前9時発 平和市民連絡会
金曜日 午前9時発 平和市民連絡会
土曜日 午前6時発 平和市民連絡会  
               午前9時発 島ぐるみ会議
 (いずれも県庁前広場発)