沖縄よ! でぃぐぬ花日記

祖国は日本。郷土は沖縄。日本国を愛し、沖縄を愛する者として、発信していきます。

永遠の少女・草間彌生

この優しさ、愛おしさはなんだろう?いまにも崩れそうな危うさからギリギリのところで調和を保つ精神力は、一体どこからやってくるのだろうか?草間彌生の絵をみると、いつもそのような不思議な感覚に捉えられる。激しさと静寂。虚無と豊穣。永遠なる神秘。遊び心に溢れていても、無責任に帰結することのない世界。彼女の絵は、言葉では言い表すことができない愛の物語だ。彼女は、彼女にしか知り得ない愛の語り部を演じているのだ。
何が原因でそうなったのだろう。
少女時代の彼女は、両親の不仲に悩まされて、幼い心に取り返しのつかない大きな傷を負っている。入り婿の父親は、浮気の常習犯だった。それが原因で、夫婦の間に口喧嘩が絶えなかった。母は神経質のうるさい女で、いつも娘に厳しく当たり散らした。そのような救いのない環境のなかで少女彌生は絵を描くことに集中するようになる。無力の女の子にとって、逃げ道はそこにしかなかった。一日中絵を描き続ける娘に辛く当たる母親。
少女は心は病んでいたが、利かん気の強い子供だった。母親の反対、妨害にめげることなく、絵を描き続けたのである。この妥協を許さない気の強さが、結果的に彼女を地獄から救出することになるとは、運命のいたずらと言うよりも、神の意志が強く働いたのではないか、とぼくは勝手に想像する。
この世に生を受けて間もない子供達が、強い意志を発露する時、我々大人は一種の感動を覚えることがある。子供の内面から自然に出てくる自発的な意志。独立心。それに対して喝采を送らない大人がいるだろうか?
我々はジャン・ジュネというもうひとつの例を知っている。身寄りのない私生児であった少年ジュネは、泥棒を繰り返しては、そのつど少年院に送られた。この大人たちが作り上げた地獄のような環境で、生き抜いていくために少年は決意する、「よし、俺は泥棒になるんだ!」と。その他に方法はなかった。
与えられた運命を自らの意志で受け入れること。ここから運命の逆転劇が始まる。
ジュネは地獄のような人生の中で、言葉を手に入れ、フランスを代表する作家へと自らの運命を切り開いていく。自発的意志がなければ、運命の女神は彼を見捨てたであろう。同級生にいじめられただけで、自らの命を絶つ少年、少女達はジュネ少年と彌生少女に是非、学んで欲しい。利かん気の強い子供になって欲しい。歴史の開闢より皇室を戴く日本は良い国だと、言い募る多くの保守派言論人がいるが、果たして現実はそれほど単純なものだろうか?我々の知らない深いところで、日本人は人間にとって最も基本的な野生的強さを失いつつあるのではないだろうか?
草間彌生は絵を描くことで、古いしきたりの家族の地獄から抜け出し、自由の世界へと大きく羽ばたいていく。魂の中で一度自由が爆発したら、神はもはやどうすることもできない。
彼女はニューヨークで大成功を収める。時代の最先端を行く芸術家として絶賛されて、世界的名声を獲得した。
88歳になる今も、憑かれたように絵を描き続けるその姿は、まるで成熟した永遠の少女のようだ。彼女の絵を前にすると、ピカソゴッホ岡本太郎も、そして他のほとんどの画家の作品が色褪せて見えるのは何故だろうか?いづれの絵にも、ある種の計算の働きが感じられるからではないか、とぼくは推測する。
草間彌生の絵にはいかなる計算も感じられない。うまく言えないが、精神が自然に流れるままに任せる。手が自然に動くままに任せる。そこに計算の入り込む余地はない。無我の境地。草間彌生は彼女の精神の自然な流れを絵にしていくだけで、自身の世界に対する果てしない愛の物語を紡いでいる。彼女の絵を観るたびに、静かな感動に酔いしれる。

お知らせ(保守も革新も辺野古へ行こう!NO MARINE !)

月曜日 午前9時発 平和市民連絡会
火曜日 午前9時発 オール沖縄那覇の会
水曜日 午前6時発 平和市民連絡会  午前9時発 島ぐるみ会議
木曜日 午前9時発 平和市民連絡会
金曜日 午前9時発 平和市民連絡会
土曜日 午前6時発 平和市民連絡会  午前9時発 島ぐるみ会議
 (いずれも県庁前広場発)