沖縄よ! 群星むりぶし日記

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反沖チャンネル桜「沖縄の声」のデマを斬る!

チャンネル桜「沖縄の声」のキャスターが発信する多くのデマの中の一つに、「キャンプ・シュワブは地元が誘致した」というのがある。事実かどうか、先日紹介した沖縄タイムス社編集局編著『これってホント⁉︎ 誤解だらけの沖縄基地』の中の18項目から引用する。


<「キャンプ・シュワブ辺野古区が誘致した」という言説がある。大抵の場合、だから「新基地も積極的に誘致している」「地元が賛成なのだから、沖縄は新基地を認めるべきだ」と続く。「誘致でも強制でもない。昔も今も」と語るのは、保守系の元名護市議で辺野古に生まれ育った島袋権勇さん(67歳)だ。新基地に絡む歴史論争に少し疲れた様子だ。
シュワブの土地使用契約が結ばれたのは、1956年である。当時を知る長老を訪ねて資料を集めて、「辺野古誌」(1998年発行)に経緯を記録した。
米軍は1955年、広大な土地接収を久志村(現名護市)に通告した。村議会や辺野古区総会が反対を決議し、村長も反対を陳情した。しかし、米軍側の態度は強硬だった。「もしこれ以上反対を続行するならば、部落(住宅)地域も接収地に線引きして強制立ち退き行使も辞さず、しかも一切の補償も拒否する」(辺野古誌)
絶対の権力を誇った米軍を前に、区は交渉に応じるほかなかった。区長ら5人を交渉役に選び、「銃剣とブルドーザー」による強制接収があった宜野湾村(当時)伊佐浜も視察した。
余剰電力と水道の供給、適正補償など、条件を付けて接収を容認することになった。
折しも、土地接収に反対する「島ぐるみ闘争」の真っ最中だった。瀬長亀次郎さん、安里積千代さんら革新系の大物立法院議員も「水を差す」と辺野古の説得に訪れたが、拒絶した。島袋権勇さんは「先輩方は相当腹をくくって、団結して地域の利益を守った」とみる。辺野古新基地をめぐる今の動きと「状況は似ている」と言いつつ、念を押した。「誘致じゃなくて、条件付きの容認だ」と。>


以上の冷静な記述を読めば、宜野湾村(現市)伊佐浜の悲惨な実情を視察した当時の地元住民が、「銃剣とブルドーザー」による強制接収だけは避けたいと、条件を付けて容認するという、苦渋の選択を強いられたことが良くわかる。
地元住民が積極的に誘致したとするデマを流したチャンネル桜「沖縄の声」の罪は大きいと言わなければならない。むしろ私達は、当時の地元住民の苦悩を思いやり、そして共有すべきだ。

 『これってホント⁉︎ 誤解だらけの沖縄基地』を多くの人に読んでもらいたい。