沖縄よ! でぃぐぬ花日記

祖国は日本。郷土は沖縄。日本国を愛し、沖縄を愛する者として、発信していきます。

大和撫子はなぜ黒髪を捨てた?

街を歩いていて嫌な気分になることがある。目に映る女性のほとんどが、茶髪であることだ。年齢に関係なく、色の濃淡の差はあっても、多くの女性が茶髪で、黒髪は圧倒的少数派である。茶髪の男性も見かけるが、女性に比べると少ない。そして、男性の場合は、特に若者に多いような気がする。
男女を問わず、スポーツ選手も茶髪にしている人が多い。サッカー、野球、レスリング、etc. そしてニュースキャスターと、あらゆる分野に渡っている。日本選手が出場するサッカーの試合を観戦したある外国人が感想を漏らしたらしい。「あれじゃまるで猿のようだ」と。さもありなん、確かに猿に似ている。なでしこジャパンの茶髪の選手が、ボールを追ってフィールド内を駆け回る。その姿を見ながら声援を送る前に、醜い茶髪をなんとかしてくれ!と、つい叫びたくなる。
個人の好みでいうと、ぼくは茶髪が大嫌いである。と言えば、「余計なお世話だ」という声が聞こえてきそうだ。しかし、今の状況を単なる流行だと割り切ってしまうのは、何か大事なものを置き去りにするような気がして、納得しづらい。
生きている人間にとって或る大事なもの。それは精神に宿る自発性ではないだろうか?他者の言葉に容易に振り回されることのない、精神の自立性と言って良いかもしれない。精神の本来の姿。
茶髪が流行する背景にあるのは、精神の自発・自立の消失ではないだろうか?「大袈裟な」という声が聞こえてきそうだ。しかし、日本人は心の奥深いところで、日本人であることに自信と誇りを持てなくなっているという現実があるのではないか。その遠因に敗戦の影響が時間をかけて、ゆっくりと着実に作用しているのではないだろうか?と言えば果たして、考えすぎだと批判されるだろうか?
あるいは、もう少し単純に考えて、茶髪の流行はアメリカナイズが行き過ぎた結果に過ぎない、と言えば許してもらえるかもしれない。
戦後の日本はアメリカ文化を取り入れ過ぎたのは事実だ。その結果、必然的にいたるところで、消化不良の兆候が現れている。数年ほど前のことだが、東京で仕事をしていた頃、人通りの激しい街中を、ズボンを尻が見えるところまでずり下ろして、堂々と闊歩している複数の若者たちを見たことがある。アメリカで流行りだしたスタイルを、何のためらいもなく無邪気に真似る日本の若者に、激しい嫌悪感を抱いた。Americanization !
アメリカからやってきた民主主義は、彼ら自身の自立・自発的精神から形成されたものだ。そしてそれは、彼らに特有の自由の観念と強烈な個人主義に支えられ、彼ら独自の慣習と伝統を構成している。そして当然のように、アメリカ人は自分たちの自立・自発的精神に自信と誇りを持っている。だから彼らの立ち居振る舞いには不自然さがない。
彼らの行動は、日本人が真似て習得できるような代物ではない。消化不良で体調を崩すのが関の山だ。そうであるなら、どうすれば良いか、答えは単純ではっきりしている。
アメリカナイズされる前の日本人に帰れば良い。日本人独自の自立・自発的精神を発露するだけで良い。戦前の日本人は自分たちの自立・自発的精神に自信と誇りを持っていた。
古事記に描かれた神話以来、独自の文化伝統を営々と構築し発展させてきた。それゆえ、戦前の昭和から遡って、中世、古代の我々の先祖の立ち居振る舞いに不自然さが感じられないのは、当然のことである。それは日本の歴史が、しっかりと証明している。
精神の内側から出てくる自発性こそ本物のエネルギーであるなら、大和撫子よ、なぜ誇らしき黒髪を捨てた?
なぜ安易にアメリカナイズして、醜い姿になったのだ。アメリカ人は自分たちの金髪に誇りを持っている。ラテン系のイタリア人、スペイン人、フランス人は自分たちの黒髪に自信を抱いている。なぜなら生まれたときからそうであり、それが自然そのものだからだ。
彼らは、心の底では日本人の茶髪を、醜いと軽蔑している。社交辞令ではっきり言葉に表すことはないが、ついポロリと本音が出る時がある。先ほど例にあげたサッカー観戦で漏らした「猿」発言だ。
ラテン系の人々は不思議に思っているに違いない。なぜ日本人は我々と同じ黒髪なのに、醜悪な茶髪にするのだ?黒髪の日本女性は美しいのに勿体無い、と。
大和撫子よ、そして若い男子諸君、茶髪を捨てて黒髪を取り戻そう!「日本を取り戻す」なんて安倍総理の抽象的な呼びかけなんかナンセンスだ。具体的な提案こそ必要である。日本人よ、黒髪を取り戻そう!そして大和撫子よ、和服姿で麗しい黒髪をなびかせながら、ニューヨークを、ロンドンを、そしてパリを練り歩いて、日本女性がどれほど美しいか欧米人に見せつけて欲しい。列を成した男性群が貴方の後ろについて歩く姿が目に見えるようだ。
そう言えば、大相撲があった。関取衆は全員黒髪である。新横綱稀勢の里関、頑張れ!
そしてもうひとつ。それは「バンクーバーの朝日」という映画で、戦前バンクーバーで働く日系人が作った野球チームの物語だ。体格に劣る日系人のチームは、腕力に勝る白人チームのピッチャーが投げるボールに全く歯が立たず、連戦連敗を重ねる。白人たちから軽蔑される日々が続くが、ある試合で試みたバントが見事成功する。これをヒントに全員でバントの練習に励み、技術を身につけて臨んだ試合で初勝利を勝ち取る。バント作戦が見事的中したのだ。体が大きい白人たちにバントは不得手ということもあり、この試合以降は日系人チーム「バンクーバーの朝日」の独擅場となる。そしてついに大会で「バンクーバーの朝日」チームが優勝する。その最後の場面。優勝した選手全員が揃って、帽子を取り、観客に向かって深くお辞儀をする。なんと彼ら全員の麗しい黒髪が、太陽の光を浴びて、燦々と輝いているではないか。ぼくは深く感動して、しばし時が過ぎるのを忘れたのだった。
風立ちぬ、いざ生きめやも   Le vent se lève il faut tenter de vivre.