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沖縄よ! でぃぐぬ花日記

祖国は日本。郷土は沖縄。日本国を愛し、沖縄を愛する者として、発信していきます。

光り輝く皇室と思慮浅き安倍内閣

今朝の沖縄タイムスの社説は、4月28日が沖縄にとってどのような意味を持つか論説している。核心を述べていると思われるので、全文を掲載する。

《 沖縄で「4・28」(ヨン・ニーハチ、ヨン・テン・ニーハチ)といえば、サンフランシスコ講和条約が発効した「4月28日」のことを指す。
65年前の1952年4月28日、サンフランシスコ講和条約が発効し、敗戦国日本は独立を回復した。全国各地で祝賀会が開かれ、学校では校長の音頭で児童生徒が新生日本を祝って万歳を三唱したという。
沖縄の人々が「4・28」を心に刻むのは、本土の人々がそうするのとはまったく逆の理由からだ。
講和条約第3条によって沖縄は日本から分離され、すべての統治権が米国にゆだねられた。鳩山一郎首相でさえ、国会で「沖縄はアメリカの信託統治領なので…」と失言するような世界でも例のない極めて特異な統治形態だった。
沖縄を「制約のない基地」として確保するためである。56年6月に発表されたプライス勧告は指摘する。「ここではわれわれが原子兵器を貯蔵または使用する権利に対して何ら外国政府のせいちゅうを受けることはない」
占領初期、米軍は「みずからの必要とする土地を『立ち退き命令書』一枚のみで自由に取得することができ、しかもそれを無償で使用していた」(平良好利『戦後沖縄と米軍基地』)。
講和後の53年4月、布令第109号「土地収用令」が公布され、県内各地で強制接収が始まる。「太平洋の要石」と形容される巨大な基地群が形成され、戦前の農村社会とは似ても似つかない基地社会が出現した。
戦後日本の方向を定め、沖縄の将来を決定づける歴史的な講和条約であるにもかかわらず、沖縄の人々は自らの意思を国会の場で明らかにすることができなかった。
戦後、軍事占領下にあった沖縄住民の選挙権が停止され、条約を批准する国会に沖縄選出の議員がいなかったからだ。
50年の群島知事選によって沖縄住民は、まがりなりにも選挙で選ばれた首長を持つことができたが、52年4月に琉球政府が発足したため、群島政府の時代はわずか1年半しか続かなかった。
琉球政府行政主席(現在の知事)の公選が実現したのは、68年11月のことである。
自治・自立・自己決定権という言葉が沖縄において極めて重い響きを持つのは、72年に施政権が返還されたあともそれが実現されていないからである。
日本政府は戦後一貫して沖縄に米軍基地を置くことに安全保障上の利益を見いだし、基地維持を優先させてきた。
「米軍基地を国内に置くことから生じる政治問題を避けることができるという理由から」『ケイセン調査団報告書』である。
2013年4月28日、「4・28」のその日、政府は沖縄県民の強い反発を押し切って「主権回復・国際社会復帰を記念する式典」を強行した。
県外からも批判が相次いだため、その後、政府主催の記念式典は開かれていないが、沖縄への無理解がここにも表れている。》

安倍晋三氏が総理に就任して以来、ぼくはずっと彼の政治姿勢に疑問を抱き続けている。深い思慮が欠落しているように感じられるのである。2013年4月28日、「主権回復・国際社会復帰を記念する式典」の様子をテレビで見たが、天皇陛下の表情は終始こわばっているように思われた。式が終わり、天皇皇后両陛下がご退席する際、出席者全員が「天皇陛下万歳!」を三唱した。しかし、陛下の表情はこわばったままで、むしろ少し怒っているようにぼくには見えたのである。

むろん、勝手な推測に過ぎないが、陛下は内心、沖縄のことを気にしておられたのではないだろうか?天皇陛下は、皇太子の時代から何度も沖縄に足を運び、戦没者を慰霊し、遺族の方々に声をかけられた。

陛下は、沖縄の歴史・文化について、おそらく国会議員の誰よりも深い知識を持っておられる。琉歌をお詠みになられることからもそれは察しられるが、唯々、恐れ入るばかりである。

そのような陛下の真摯なお姿に、多くの県民は心打たれ、心の傷は癒されたのではないだろうか。少なくとも、皇室に対する県民の意識が大きく変化したのは確かである。陛下は、政治的発言はなさらないので、その胸の内は知る由もないが、やはり、「記念する式典」を快く思われなかったのではないだろうか。

だから、一度だけ開催されて以降、取りやめとなった理由は、陛下の暗黙の拒否にあるに違いない、と思われて仕方ないのだが、どうであろうか。ともあれ、天皇陛下の偉大さと、安倍内閣の軽薄さが浮かび上がった式典開催であった、と言えるのではないか。