沖縄よ! 群星むりぶし日記

沖縄を、日本を、そして掛け替えのない惑星・地球を愛する者として発信していきます。

チャンネル桜の水島総社長と沖縄

2年ほど前からチャンネル桜YouTubeでよく見るようになった。その理由の一つは、登場する論客陣が凄い、ということがある。特に西尾幹二日下公人西部邁馬渕睦夫、小堀圭一郎、各氏の博学は抜きん出て、討論番組での論述を聴くことで、又、諸氏の著作を読むことで、多くのことを、特に保守思想の本質を学ぶことができたように思う。

そして、もう一人、佐藤健志氏がいる。現代という難しい時代を、独創的に解明する注目すべき人物だ。次代を担う、論客の一人になることは間違いないと思うし、期待したい。そのほかにも深い学識を持つ多くの論客がいる。

「防人の道」という、元自衛官達の貴重な話を聞くことができる番組もある。そういう意味で、チャンネル桜の水島社長には、大いに感謝しなければならない。ところが、チャンネル桜沖縄支局に関しては、事情が違ってくるのだ。

水島氏は当然、保守派の論客の一人であり、安全保障に関しては、GHQ憲法改正、自主防衛を主張している筈である。ところが、水島氏は先刻、十数名の仲間達とともに沖縄に来た時、辺野古で基地建設反対運動をする人たちをマイクを使って、非難した。水島氏の仲間達が大きな日の丸を支えて立つ光景は異様であった。

水島氏は、反対派のうち、主に左翼を非難していたように思うが、それでも明らかに氏の態度は、思想的に矛盾していると言わざるを得ない。なぜなら、反対派には左翼を除く、多くの県民がいるからだ。そして、辺野古で反対運動をする県民の後ろには、辺野古には行けないが、翁長知事を支持して投票した、辺野古米軍基地建設に反対する多数の県民の存在がある。ぼくもその一人である。

それとも水島氏は、反対派全員を非難したいのだろうか?そうだとすれば、在沖米軍基地の存在を容認する立場をとることになるが、それだと東京にいる時と、沖縄にいる時との主張が違うことになる。仮に、左翼だけ非難することが目的だったとしたら、度量が小さすぎはしないか。

本気で自主防衛を唱えるなら、県民と一緒になって、辺野古米軍基地建設に反対するのが筋だと思うが、どうだろうか。それが嫌なら、黙って見守っていれば良いだけの話だ。左翼だろうと右翼だろうと、辺野古米軍基地建設に反対する人なら、我々沖縄県民としては、大歓迎である。地元の住民が大きな力に抑圧されている時、その大きな力と戦うのに左翼も右翼もあるものか。

ところで失礼は承知の上だが、果たして水島氏は、沖縄の歴史をどの程度勉強したのだろうか?

沖縄の現状を理解するためには、どうしても琉球・沖縄の歴史を知っておく必要があると、指摘しておきたい。沖縄はその面積が全国の0.6%しかない狭い地域だが、琉球・沖縄がたどって来た歴史は、けっして平坦な道ではなかった。無理に単純化すると、本当の姿を捉えることはできない。水島氏が力を入れている南京事件の真実を知るには、最低限、当時の中国の歴史を知る必要があるのと同じ理屈である。偉そうなことを言うようだが、是非、琉球・沖縄史を勉強してもらいたい。

そのうえで、ウチナーンチュに対して言いたいことがあれば、堂々と主張すれば良い。そして、沖縄にも安全保障に詳しい論客陣がいるから、彼らと議論されたら良いと思う。

さて、皇統を敬愛する気持ちは、ぼくと水島氏は多分、濃淡の差はあれ、共通している。

しかし、沖縄に関しては、立場は大きく異なる。ぼくは、自主防衛という確たる安全保障の観点から、沖縄と我が国にとって、不利益となる勢力とは徹底的に戦うつもりだ。そして、これは、皇統を尊崇する気持ちと少しも矛盾しないと確信している。辺野古米軍基地建設に反対するのは、日本の将来のためでもあると信じて疑わない。

その理由は、当面の間、我が国の抑止力は、嘉手納空軍基地と横須賀の第七艦隊、それと我が自衛隊だけで十分だからである。海兵隊は沖縄に駐留しなくても、我が国の抑止力になんら問題ないのだ。そして政府は、急いで自主防衛路線へ国策を転換するべきである。GDPが韓国より少ないあのロシアさでえ、広大な国土を一国で守っているのである。

戦後71年にもなるというのに、かつての敵国の軍隊が我が国に駐留し続けること自体が、異常なことであり、正常なあるべき姿に戻すべく、国民が声を上げなければならないのだ。その意味でも、辺野古米軍基地建設反対運動は、日本人として真っ当な行動であると断言する。

本土の多くの言論人同様、水島氏も、沖縄について発言する時は、誤解と偏見に陥るようで、ある意味尊敬している水島氏だけに、非常に残念である。「沖縄の声」のキャスター陣は東京と比べると、その力量の貧しさは、見ていて恥ずかしいばかりである。特に、在沖米軍擁護論を展開するヒジャイこと、又吉康隆の存在は異常である。