沖縄よ! 群星むりぶし日記

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森友学園問題から見えてくるもの

籠池泰典理事長の証人喚問が23日に行われることが決まった。野党側の参考人招致を拒否した自民党だったが、安倍総理夫人を介して、安倍総理から百万円の寄付金を受けたと、籠池理事長が発言したため、怒った自民党がそれじゃ証人喚問にしようといって、与野党合意で証人喚問が決まった、というような状況の流れが各マスコミから報道された。

何故、今まで表に出なかった事実を暴露したのか、籠池理事長にどのような心境の変化があったのか、氏の胸の内を知るよしもないが、国会を巻き込んだ一連の騒動を見て感じることは、戦後保守派と呼ばれる人間が、いかにだらしなく、いい加減であるかということである。

数年前の海上保安庁の船に中国漁船が体当たりした事件以来、度重なる中国共産党の我が国に対する傍若無人な振る舞いが、国民を大いに刺激して、にわか保守層を誕生させるきっかけとなり、屁っ放り腰の民主党政権に代わって、保守派期待の星、安倍晋三政権を誕生させる要因となったのは、多くの国民が認めるところだろう。

その安倍総理と籠池氏を結ぶのはお互い保守思想の持ち主であるということだと思うが、籠池氏が総理になる前の安倍氏にどの程度の思想的共鳴を懐き期待を寄せていたか、総理に就任してからもその思いは持続したのか、あるいは多少なりとも変容していったのか、 情報は限られていてなんとも判断しかねるが、どうも各マスコミの報道を見る範囲では、籠池氏の方から積極的に安倍総理に接近したのではないかと推察してほぼ間違いではないと思われる。

そうだとすれば、籠池氏の意図は明らかである。学園を経営する上で、安倍総理をなんらかの形で利用できないか、学園のステータスを上げるのに総理の名前を活用できないか、と思案を巡らしたに違いない。そう考えると、安倍晋三記念小学校という名前をつけた強引さも納得がいく。

安倍総理は、自分の名前を学校名にするのは迷惑だとして、断ったことが判明したので、両者の関係は籠池氏の一方的な思い入れが強かったのではないかと推測される。それが事実なら、証人喚問が行われたとしても、安倍総理が法的に問われる事態にはならないだろう。

国会の場で、籠池氏がどんな発言をするか見ものではあるが、そんなことよりも保守思想を標榜する氏の体質、人格こそ問われるべきである。

氏が愛国者であるのは疑う余地はないと思うが、幼稚園児に教育勅語を暗唱させる氏の教育者としての姿勢は大いに疑問である。ぼくは、教育勅語そのものに対しては、なんら抵抗感を感じる者ではなく、むしろ尊崇の念を持つ一人だが、その文体は文語調で格式が高く、基礎的教養を身につけた者でないと、容易に理解できるものではないと思う。

それを幼稚園児に強制するのは、大人の身勝手と言うべきで、園児達にとっては、なんの躾にもならないどころか、無意味であり、精神的拷問になる恐れさえある。そのように考えると、籠池氏は教育者としては失格であると言わざるを得ない。

日本の危機的現況に警鐘を鳴らす氏の想いは理解できないでもないが、氏の教育方針には反対である。園児達にとって、最も重要なことは、困難な状況に耐え抜く強い精神力と丈夫な体を身につけさせることであって、純朴な園児にとって観念的範囲を超えないままの教育勅語を暗唱させてもなんの役にもたちはしないことは誰にもわかることだ。

一方の安倍総理はどうか。拉致被害者の救出、憲法改正北方領土の返還、戦後レジームからの脱却、日本を取り戻す、総理になる前の数々の威勢のいい発言の中で、緖に着いたのは北方領土の返還交渉だが、その中身は経済交流を深めるというもので返還の「へ」の字も見当たらない気の遠くなるようなものでしかないことがはっきりしたにすぎない。

安倍内閣ができて四年、その軌跡を遡っていくと、内閣の性格が明瞭になったのではなかろうか。歴代内閣と似たり寄ったりの屁っ放り腰内閣であると断言したい。完全な期待外れである。

期待した人間が悪いと言われればそれまでだが、何しろ外れた度合いがあまりにも巨大で、日本のこれからの進路に絶望的にならざるを得ないのだ。安倍総理は2013年12月に靖国神社を参拝して以来、一度も参拝していない。その理由は、国内外、特に米国と中国そして韓国から反発されたからである。

世界第3位の経済規模を誇る大国の総理大臣が、国家のために戦って死んでいった英霊に感謝の意を捧げるのに、他国に非難されたからといってなんで萎縮する必要があるか。非難した国の脅し文句を聞きたいところだが、靖国神社を参拝したら、原爆を落とすぞとでも言われたのか。

実際、米国は原爆を落とすぞと、毛沢東を何度も脅迫した実績があるから、その可能性はあり得るだろう。しかし、毛沢東は少しもビビることはなかった。貧乏国であったにもかかわらず、急いで独自に核実験を成功させたのだ。

毛沢東を見習うべし、とまでは言わないが、少なくとも8月15日は靖国神社を参拝せよと言いたい。これは日本国民を代表する内閣総理大臣に課せられた最低限の義務である。義務を果たすことができなければ、総理は即刻辞任するべきである。

そのくらいの覚悟がなくて総理大臣が務まるか。積極的平和主義などと言って、世界各国を飛び回るよりも、他国の非難をはねのけて、8月15日に靖国神社を参拝する勇気を見せつけるほうが、世界の歴史を大きく転回させる効果があるとなぜ理解できないのか。

西尾幹二氏をはじめとする少数の思想家を除けば、籠池氏、安倍総理他、大多数の戦後保守派なんていい加減で醜い姿を世間に晒しているだけで、ぬるま湯に浸かって自分は日本の良き伝統を守る保守派である、と自己満足しているに過ぎない。

 籠池氏の証人喚問で出てくるものは、戦後保守派の聞き飽きた陳腐な言葉のやりとりだけのように思われて、なんとも暗い気持ちになる。