沖縄よ! 群星むりぶし日記

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又吉(ヒジャイ)よ、下手な冗談もいい加減にしたまへ「沖縄に内なる民主主義はあるか」を批判する 7

<「沖縄を返せ」は日本に沖縄を返せという歌である。歌の意味も知らずに歌う連中の無知よ>

というタイトルで又吉(ヒジャイ)は相変わらず視野の狭い、幼稚な言論を展開している。在沖米軍擁護論者、原理主義的民主主義論者としての彼の思想傾向のいい加減さ、矛盾をよく表している内容なので、その点を指摘しつつ批判したい。

< 固き土を破りて 民族の怒りに燃える島 沖縄よ

 我等と我等の祖先が血と汗をもて 守り育てた 沖縄よ
我等は叫ぶ沖縄よ 我等のものだ沖縄は
沖縄を返せ (返せ) 沖縄を返せ

この歌は沖縄の人間がつくったものではない。本土の公務員がつくった歌である。だから。民族とは日本民族のことである。「我等のものだ沖縄は」とは沖縄は日本のものだということであり、沖縄を日本に返せと主張しているのがこの歌である。

私はこの歌が嫌いだった。「民族の怒りに燃える島」と民族主義であるのと、「我等のものだ沖縄は」と沖縄を「我ら(日本)」の所有物だと主張していることだ。沖縄は誰の所有物でもない。沖縄は沖縄だという思いが私には強かった。>

又吉(ヒジャイ)には短絡的思考癖がある。本土の公務員が作った歌だから、

<「我等のものだ沖縄は」とは沖縄は日本のものだということであり、沖縄を日本に返せと主張しているのがこの歌である。>と決めつけている。

真実は、米国統治から沖縄を取り戻して日本国憲法下に保護せよと主張しているのであって、沖縄は日本の所有物だなどとは、一言も言及していない。又吉(ヒジャイ)特有の短絡的推測に過ぎないのは明らかである。

仮に、又吉(ヒジャイ)の主張を容認するとしたら、他のところで書いた彼の文章と辻褄が合わなくなる事を彼はどう説明するだろうか。つまり、彼は琉球処分は明治政府による当時の農民たちの琉球王朝からの解放であった、だから農民たちは喜んだに違いないと書いているのだ。

そうであるなら、沖縄は日本政府に多大なる恩義を受けたのだから、日本が沖縄を自らの所有物だと主張したとしても、少しもおかしくない筈なのに、それを非難するとは、自分の主張に論理的整合性がないことを自ら暴露しているようなものだ。

彼の琉球処分論に対して、ぼくはこのブログで先日批判したので、ここで詳述するのは控えたい。ただ一言で要約すると、約260年に及ぶ薩摩藩(ヤマトゥ)の支配でヤマトゥに対する不信感が身に染み込んだ農民たちが、琉球処分(廃藩置県)の真意を理解して、単純に喜ぶ姿をぼくはどうしても想像できない、と述べたのである。

<「沖縄を返せ」は祖国復帰運動の象徴的な歌だった。祖国復帰するのは沖縄人は日本民族であり、本土は母なる祖国であるから祖国に復帰するのは当然であるというのが祖国復帰運動であったが、それでは本土が軍国主義国家でも復帰するのかという疑問が私にはあった。もし、軍国主義であったなら本土に復帰しない方がいい。本土が民主主義国家であること、沖縄は弱小であり沖縄だけで米国と交渉するのは不利であり、日本の施政権下になれば米国とはもっと有利に交渉できるから私は施政権を日本の政権下に置くのは賛成だった。日本は祖国だから復帰するという祖国復帰運動の思想には反対だった。>

このように支離滅裂な言辞を弄する人間が、「沖縄に内なる民主主義はあるか」という本を11号まで出版し、チャンネル桜沖縄支局で隔週ごとに出演して、活発な言論を展開しているのだから、沖縄の言論空間の一部とはいえ、いかに稚拙であるかと思うと恥ずかしくてやりきれない。

< 本土が軍国主義国家でも復帰するのかという疑問が私にはあった。もし、軍国主義であったなら本土に復帰しない方がいい。>

残念なことに、戦後の日本は、GHQ憲法を押し付けられて、他力本願的民主主義国家となった。この現実を正視することなく、軍国主義であったなら本土に復帰しないほうがいい、と考える又吉(ヒジャイ)少年は、世にも稀な夢想家であったにちがいない。

人生の終盤に差し掛かった現在も、高校生時の感想を語るという事は、今なお当時の信念にゆるぎはないと宣言しているに等しい。沖縄の諸問題を考える時、物事を単純化することほど危険な態度はない。

沖縄が辿ってきた歴史は独自のものであり、先祖代々続く文化、伝統も独自のものである以上、他国ないし他地域との関係性をできる限り正確に読み解くためには、丁寧に忍耐強くその複雑さを解きほぐす努力が要求されるのは当然であり、それを怠ると歴史の全体像を概略的にでも把握することができなくなるだけでなく、自らの立ち位置を見誤ることになる。

又吉(ヒジャイ)の歴史認識は単純過ぎて幼稚であり、彼の議論を読んだり、聞いたりする人(特に若い人々、そして琉球・沖縄の歴史を知らないヤマトゥンチュ)に誤解を与える恐れがある。

例えば、復帰運動を考察する場合でも、又吉(ヒジャイ)が言うように

<本土は母なる祖国であるから祖国に復帰するのは当然であるというのが祖国復帰運動であった>

と単純化してしまうと、真実が見えなくなってしまう。現実はもっと複雑であった。祖国復帰運動で沖縄中が燃えていた頃、反復帰を唱える人々もいた。新川明もその一人であった。彼は当時の沖縄の言論界では、最も先鋭的な主張をした知識人であった。彼のヤマトゥに対する不信感には激しいものがあった。彼の思想に賛同した人も多かった筈である。

既得権益にしがみつく沖縄自民党も祖国復帰には消極的反対の立場であった。彼らの胸の内には、やはりヤマトゥに対する根強い不信感があったと思う。野底土南の琉球独立党も存在したし、現在は屋良朝助に引き継がれている。これらの全ては、沖縄がこれまで歩んできた歴史の中で身に付いた、ヤマトゥに対する強烈な不信感の表明だと言える。

そして、復帰運動をリードしたのは、教職員組合をはじめとする諸団体で構成された祖国復帰協議会であった。彼らの主張は、本土は母なる祖国であるから祖国に復帰するというような単純なものではなかった。米軍による沖縄人の人権蹂躙があまりにも酷いので、日本に復帰することで日本建国憲法による人権の保護を求めたのである。

米軍擁護論者の又吉(ヒジャイ)には理解できないだろうが、歴史の真実は紛れもなくそうであったと断言できる。

<「沖縄を返せ」は日本本土の人間が沖縄は日本だから日本に返せと主張している歌である。もし、沖縄に石油が大量に埋蔵されていて独立したほうが豊かになれるとしたら祖国復帰運動をやらないだろう。沖縄の損得で復帰は考えるべきであると、高校生の頃の私は考えていたから祖国復帰運動に反発していた。もう、50年以上も前のことである。

祖国復帰前は「沖縄を返せ」は沖縄は日本だから日本に返せという意味で歌っていたが、祖国復帰した後は、沖縄は沖縄人のものだから沖縄に返せという意味に変え、反日反米の歌にしている。沖縄革新のご都合主義の「沖縄を返せ」である。>

又吉(ヒジャイ)は意識的か無意識的か米軍の存在に言及しない。祖国復帰運動の最大の原因である米軍の存在にあえて言及しないのは、彼の思想的欠陥によるものだ。

<もし、沖縄に石油が大量に埋蔵されていて独立したほうが豊かになれるとしたら祖国復帰運動をやらないだろう。>

とはよく言えたものだ。下手な冗談もいい加減にしたまへ。沖縄で石油が大量に発見されたら、施政権者の米軍にいいように弄ばれて、忽ち沖縄はアメリカの石油メジャーの餌食となるだろう。彼らの利益のおこぼれに預かれるとしても雀の涙ほどで、独立どころか祖国復帰は永遠の彼方へと消えていったに違いない。そして、米軍による人権蹂躙は半永久的になるのは目に見えている。