沖縄よ! でぃぐぬ花日記

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荒谷卓著 『戦う者たちへ 日本の大義と武士道』9

民主主義だ人権だ、と喚き書き散らすインテリの薄汚ない言葉よりも、武士道精神を説く「至誠館」館長、荒谷卓氏の真摯な言葉に耳を傾けられたし。

「 十一、自然の摂理に従い生きる(略)

彼らが武士道に関心を持つようになった直接的原因は、社会から「正義、倫理、道徳」といったものが失われ、人の心が荒廃しているという問題認識にある。さらにこの精神的、道徳的荒廃が、一地域や一時的な現象ではなく、世界的な現象として見られるという。

そして憂慮すべきことに、こうした問題を解決するための有効な思想が、近世以降世界をリードしてきた西欧の社会思想の中にはもはや見い出せないというのである。彼らは、このような閉塞状態にあって日本の神道や武士道の中に何らかの答えを見出そうとしている。

カトリック教徒が九十五%を占めるポーランドの武道家は、日本での三ヶ月の武道・神道研修を経たあとに、次のように述べた。「キリスト教では、道徳的にいくら努力しても、生きている間、原罪は消えない。努力が報われるのは死後である。一方で、人権思想では、神が、生きている間の幸福の追求を権利として与えている。

しかも、その幸福の追求は道徳的努力を必要とはしない。これが社会のモラルを崩壊させている。一方、日本の神道は、道徳的努力は生きている間に報われるという。この考えは素晴らしいと思う。」

繰り返しになるが、欧州では、キリスト教の布教と近代社会思想の啓蒙によって、キリスト教以前に各民族が伝えてきた知恵と精神は歴史から葬り去られた。各民族の独自の信仰や習慣など本来の民族アイデンティティーは記憶の中から失われ、今では考古学的な検証に頼らざるを得ない状況にある。

さらにその後、人間の存在と活動を、人為的に作られた秩序に閉じ込めるため、国家が統制する啓蒙により、イデオロギー的価値観の普遍化(均質化)が図られ、過去の歴史の価値は非科学的遺物として顧みられなくなった。このような人為的統制により、すべての民族が本来持っていたはずの自然と人間の関わりや知恵は、社会の記憶から取り除かれ、もはや読み物としての神話や観光地としての遺跡が残るのみである。

欧州の武道家たちが異口同音に言っていたように彼らはもはや過去に立ち返って民族の知恵に学ぶことは困難で、自然の摂理から離れた人為的価値観でしか問題解決を図れない。これに対して日本民族は、神話から歴史の連接を図り、「自然界の中の一つの存在としての人類」という考えを前提として、正しさの根源を人間を超えた自然(神々の世界)に置いた。

これにより我々は自然の一部にすぎないという謙虚な気持ちを保つことができ、自然(神々)の声を聞くことを大切にしてきた。また、先祖の魂を神々の列に置き、子孫は、先祖が為した善行を模範として、社会への貢献に勤めることを教えた。

人為的な教義を絶対視せず、自然や経験から学んだことを善し悪しの判断とする考え方は、排他的な宗教やイデオロギーに比べて、はるかに包容力があり、柔軟な問題解決の糸口を備えている。

このような自然社会文化の中で育まれた日本人の思考様式は、かろうじて日本人の慣習の中に今でも残されている。人間が、自然の一部として生かされているという日本古来の発想は、「自然との共生」「人類の家族的共存」という自然の摂理に従い生きる普遍的な考え方として、民族の垣根を越えて全世界に提案できるものと、私は信じている。」