沖縄よ! 群星むりぶし日記

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荒谷卓著『戦う者たちへ 日本の大義と武士道』8

民主主義だ、人権だと抽象的概念を叫び続けた結果、戦後の日本社会が失ったものは、共同体の横のつながりであり、伝統文化の空洞化である。戦後、日本が半ば強制的に押し付けられた欧米型民主主義は個人の権利を最優先するものであって、それゆえ共同体としての人間同士の絆は、脆弱にならざるを得ず、事実、現代の日本社会はそうなってしまった。

女性の麗しい黒髪は醜い茶髪になり、ズボンをずり下げたまま、街を闊歩する若い男子がいる。自由だからいいじゃないか、と主張するが、自らの意思というよりも、他者の周りの影響が強く働いている事実に気づいていない。

物事の本質を履き違えた主張には迫力がない。自由が本物であるためには、自発的必然性が伴わなければならないし、自由と責任は同義語であると認識する必要がある。自由放任は自由の誤解でしかない。

歴史的にみて、欧米型民主主義は欧米人にとって、自発的必然性であったがゆえに、彼らの行動ふるまいに不自然な感じがしないのだ。しかし、日本人の場合は違う。戦後体制に自発的必然性がなかったために、戦前と戦後を比べると、日本人の振る舞い方に異和感を覚えるのである。

男女を問わず、戦前の日本人の振る舞い方は、地に足がついて自然であり、無理がない。古より培ってきた文化伝統を熟成させ、その中で生活してきたからだ。しかし、戦後は欧米文化が怒涛のように流入し、消化不良のまま現在に至っているから、本来の日本人にそぐわない、不自然な、そして自信のない振る舞いが多く目につくのである。特にアメリカナイズされたものは外観も醜く感情的にも反発したくなるが、そう感じるのは果たしてぼくだけだろうか。

日本人が再認識しなければならない本来の日本人の精神のありようとは何か、荒谷氏の言葉は深い矜持に富むと思い、断続的ではあるが引き続き紹介したい。

「 九、人間の真心を具現する武士道 (略)

日本の武士道が教えるのは、戦闘者が、単なる戦闘技能を有する武者に終わらず、道理を探求し実践する生き方である。自らの主体を精神に置き、精神の目的に応じて肉体を使い切る生き方である。武士道は本来「死」を対象にしているのではなく、魂が最も充実する「生き方」を提示しているのだ。

キリスト教徒であった内村鑑三は「(武士道は)日本における唯一の道徳・倫理であり、かつ、世界最高の人の道」と賞し、「日本武士は、その正義と真理のため生命を惜しまざる犠牲の精神に共鳴して神の道に従った。武士道があるかぎり日本は栄え、武士道がなくなるとき日本は滅びる」とまで断言した。この、生死に直面してもなお貫こうとする人間としての生き方、この奥深い普遍的原理こそ、世界的に注目を引く要因なのだと思われる。(略)

日本の武道や神道は、人間の持つ感性の歴史と経験で築き上げたものであって、知識のマニュアル化ではない。逆に言えば、現代において武道や神道を学ぶ重要な意義は、知識の啓蒙作用によって失いかけた人間の感性を磨き、自然の普遍的原理に立ち返るということなのかもしれない。」