沖縄よ! 群星むりぶし日記

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荒谷卓 著『戦う者たちへ 日本の大義と武士道』7

今日は、我が国の建国記念日である。

琉球新報の「金口木舌」は「建国記念の日の歴史」と題して次のように書いている。
<「国民の祝日に関する法律」により16の祝日がある。唯一、日付を政令で定めているのが今日の「建国記念の日」だ
▼戦前は「紀元節」だった。初代神武天皇の即位日を日本書紀の記述を基に紀元前660年1月1日とし、日の干支(えと)などを検討して新暦の2月11日と決めたのが1873(明治6)年。以来、国威発揚の日として盛大に祝賀されてきたが、敗戦後、連合国軍総司令部(GHQ)によって廃止された
▼1952年の独立回復後、復活する動きが強まる。神話を基にした天皇制賛美だとして強い反対があり、国会で激しい議論となった。そして、根拠があいまいな日付を政令で定めることとして祝日「建国記念の日」となったのが66年である
▼沖縄では、日本復帰に伴い73年に初めて祝日となった。その前日付本紙で安仁屋政昭沖縄国際大名誉教授(近現代史)は、即位年も即位日も「つじつま合わせ」だと指摘。小国家が成立していない時代の神武即位そのものが「虚構」だと断じた
▼44年を経た今も「虚構であることは全く変わらない」と安仁屋さんは言う。「歓迎する人もいるが、天皇制が悲惨な沖縄戦とその後の米軍支配と関わっていることを忘れてはいけない」と強調する
▼天皇家の祖先によって日本国が建国されたとされる日。この祝日自体の特異な歴史を、沖縄の歴史を振り返りながら考えたい。>

安仁屋政昭氏がどのような人柄であるか、存じあげないが、神武天皇即位そのものを44年を経た今も「虚構であることは全く変わらない」と述べたことについては、安仁屋氏の個人的な学問上の見解としては仕方ないとしても、<天皇制が悲惨な沖縄戦とその後の米軍支配と関わっていることを忘れてはいけない>と強調したとなると、反論せざるを得ない。

先の大戦の時、我が国は絶対君主制ではなく英国同様、三権分立が確立した立憲君主制国家であり、実際の行政権は内閣にあり、天皇は内閣が決定した事項に関しては、それを承認するか、意見を述べられるくらいで、制度上、内閣に命令を下すことは不可能であった、という事実だけでも指摘しておかなければならない。

沖縄戦だけが悲惨であったのではない。第二次世界大戦そのものが悲惨であったのだ。そして、大東亜戦争に限っていえば、我が国は欧米帝国主義国家からアジア諸国の植民地を解放するという大義を掲げて戦ったのであり、敗北したとはいえ、イギリス、フランス、オランダ各国の軍隊をアジアから駆逐した結果、アジア諸国は独立を果たしたのである。現在のアジアの平和の背景には、我が国が三百万人の尊い犠牲を払ったという事実があることを忘れてはいけない。

安仁屋氏は、44年を経た今も、GHQが広めた偏向史観から脱し切れていないようだ。驚くと同時に、残念でもある。

引き続き、荒谷卓氏の『戦う者たちへ』の文章を紹介するが、今日の文題は奇しくも「日本建国の理念」となっている。全くの偶然だが、偶然の必然性という言葉が頭をよぎる。

「 八、日本建国の理念

日本の建国宣言にあたる、神武天皇即位の詔(「橿原建都の詔」)では、次のような日本的社会思想を国造りの理念としている。

『夫(そ)れ大人(ひじり)の制(のり)を立つ義(ことわり)必ず時に随う』とは、人間は自然の心理をすべて感ずることはできないから、人間社会の掟は、決して固定(教義化)することなく、そのときどきに応じて判断すべきことを示していると思う。

これは、人為的に作られた社会規範(経典やイデオロギーや法)を、普遍的、絶対的なものとする思想とは、ずいぶんと異なるところだ。そもそも、古事記日本書紀の神話では、(人には)姿を見せることがない天神五柱から物語が始まる。最初に現れる神「天之御中主神」は、宇宙のすべての根源たる理(万物万象の原理)を現しているものと思われるが、この神様は見えない神様としている。ここは、重要なところで、いわゆる(絶対的)真理は、人にはとても計り知れないとの示唆なのだろう。あたかも宇宙の真理を得たりと『教義』を説こうとする人間への戒めのようにも思われる。

では、時や時代に応じて、何をもって正しさの基準とするかといえば、『苟も民(おおみたから)に利(くぼさ)有らば、何ぞ聖造(ひじりのわざ)に妨(たが)わむ』。すべての民に利益のあることならばそれは正しいことだとしている。神武天皇が即位にあたり、「すべての民に利益をもたらす」政(まつりごと)を行なう「寶御位」の意義をまず示すことで、この御位につく天皇がいかなる御存在であるかを示している。天皇は「しろしめす」存在、すなわち「国民すべての心のうちを等しく知る」ともいわれ、「人々の声を分け隔てなく聞きとどける」という、いわば日本的民主主義の理想を象徴している。

日本的民主主義とは、多数決による意思決定ではなく、少数の意見であっても聞き入れ、優れたものであれば取り入れるというものだ。『上(かみ)は即ち乾霊(あまつかみ)の国を授けたまう徳(うつくしび)に答え、下(しも)は即ち皇孫(すめみま)の生を養いたまえふ心を弘めむ』とは、「天皇は、先祖たる神々の神聖なる徳を受け継ぎ、模範を示し、臣下・民は、その範を見習い、同じように先祖を大切にする心を社会に広める」というもの。神々と同じ徳に満ちた社会を創ろうという大理想を示している。

また、物事を決めるときは、今生きている者たちにとっての利益だけではなく、先祖の経験と知恵に尋ね、将来の子々孫々の幸福をも考えるべきことを明示している。ここも重要なポイントで、民主主義のシステムに歴史的経験値を組み込むことで、特定の世代の幸せのために自然の資源を食いつぶしてしまうような愚かなことがないように戒めているのだ。これは、時代の横軸にあたる同世代間だけの民意だけではなく、各時代を貫く縦軸としての先祖の意思も含めた、壮大なる民主主義の発想である。

『然して後に六合(くにのうち)を兼ねて以って都を開き八紘(あめのした)を掩(おお)ひて宇(いえ)と為(せ)むこと亦よからずや』とは、そういう大理想を持ちつつ、一つの家のような国を創ることを目指そうという意味だ。

神武創業に日本建国の理念があり、日本の大義はここに存する。」