沖縄よ! 群星むりぶし日記

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荒谷卓著『戦う者たちへ 日本の大義と武士道』6

「 七、普遍的な神道の考え方(略)

日本の神話では、風、日、水や草木も人も、すべてのものが神々によって次々に生み出され、それは過去から現在に続き、未来もそれが続く。神々の宇宙万物の創造は、過去の一時点だけではなく、過去から将来にわたり永遠と続いているのだ。我々が子供を産み育てるということは、神々の創造の業の連続である。草木も人もすべてが神々の子孫であり、過去から未来まで、すべての存在が一つの家族のようなものとして考える。したがって、自然界で人間だけが特別な権利を持ち、人間個人の利欲を正当化するという発想は持ち得ない。

神道の発想は、人間と自然の共生と、民族の協和を当然視するものである。また、我々は全員が神々の子孫であるということは、本来、神の心を受け継ぐ神聖なるものを、一人一人が持っているということだ。これが、日本人は「性善説」に立つと言われる所以である。

しかし、肉体は、明らかに個々の所有物で、他との共有はできない。肉体を養うため、他の生き物の命を頂戴し、また肉体が欲する欲望により穢れを纏うことになる。それを放置しておくと、自分の心の中の神聖なるものが欲する声が聞こえなくなる。だから、日々積もった、禍事や罪穢れを取り払って自分の真心を取り戻し、その真心を貫いて人生を全うしようと努力する。

神道の特徴は、肉体が死んだあとの精神世界で神に近づこうとするのではなく、肉体を有する現世において、神々に近づく努力をするということである。

もう一つ、日本の神話の示す大事な点について触れてみる。日本の神話において、仮に、最も武勇に長けたスサノオノ命が最高神であったのならば、それはギリシャ神話のゼウスのように、智謀をめぐらし武力を持って勝ち抜いた者が最高の権力を手にする覇権的民族神話になろう。

しかし、日本の神話は、穢れがなく清らかですべてのものを同じように照らし清めるアマテラス大神を最高神とした。そこに、日本人の価値観がある。

現実においても、アマテラス大神のように穢れがなく清らかで、すべての人々をしろしめす(人々の心を分け隔てなく受け止める)存在である天皇の御位がうえにあって、いかに智謀・武力に優れた強者が現れようと、その者は上の座を侵すことなく、上の意を汲んで、その知能・実力を社会に奉仕することを良しとしてきた。それが日本である。

日本の神話は、神と人の関係を「神の精神を受け継ぐ子孫」とし、「清く穢れのないものが正しい」とする価値観を示しているのである。つまり「神が人間に与えたのは原罪や権利ではなく、神の徳を知る心である」。人間はそれを自覚し、その心に従って生きるべきだという原始的な価値観である。それは、日本神道の地理的・歴史的な特殊性ということができる。しかし、その特殊性は、すべての民族の起源に共通する普遍性を有しているともいえるのではないか。」