沖縄よ! 群星むりぶし日記

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荒谷卓著『戦う者たちへ 日本の大義と武士道』5

「 六、個人の「自由」が暴走する社会

世界規模の金融危機を引き起こし、人々の富の格差を急速に広げる資本主義の大義は「自由」である。これは、欧米の近代国家の基盤となる社会思想が、人間個人の「自由」は創造主から与えられた絶対不可侵の「権利」であると定義したことに由来する。

世界史の大転換となった近代国家の成立、その起源ともいうべき十七世紀のイギリスの名誉革命を思想的に支えた哲学者ジョン・ロックの社会契約説によれば、「人間はすべて、ただ一人の全知全能なる創造主の作品であり、自然状態において、生命、自由、財産の所有の権利を与えられた」。だから、この権利すなわち「自然権」を行使することは正しいとする思想だ。

この考え方は、近代国家の形成に伴い、資本主義と結びつき、「啓蒙」という思想教育によって世界中に普及した。

米国の独立宣言の中にも「(人間は)創造主によって生存、自由、そして幸福の追求を含む侵すべからず権利を与えられている」とあり、ロックの自然権の思想が生かされている。これは、「自由」という名の下に「他人を犠牲にしても、稼げるだけ稼ぐこと」を正当化し、世界中で富の格差を加速度的に進行させているグローバル資本主義の大義と通底している。

この思想が、戦後、我が国においても、憲法の中で社会正義として規定された。すなわち「主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。(国政の)権威は国民に由来し、福利は国民が享受する。これは人類不変の原理であり、この憲法はかかる原理に基づくものである(全文より抜粋)」「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り・・・最大の尊重を必要とする(十三条)」の中に象徴的に現れている。

これによって、「公共の利益に奉仕することを正しい」としてきた日本人の価値観が、「個人の利益追求こそ正しい」という英米の価値観に置き換えられた。(略)

歴史認識とは、単に考古学的な検証ではなく、国家、民族がどのような価値観で過去を評価し、どのような価値観を持って未来を築くかという、社会の価値基準を示すものである。この価値基準が変われば、歴史の見方はまったく違ったものになる。

大東亜戦争は、欧米の価値観と日本人の価値観の戦いでもあった。通常、戦争処理というのは国際法の中で執り行われるものであるが、終戦後の東京裁判では、国際法の枠を超え、欧米の価値観で日本の価値観を断罪した。このような欧米の価値観で日本の歴史を断罪する政治手法を「東京裁判史観」と呼ぶが、東京裁判史観と同じ史観で現憲法が作られていることを忘れてはいけない。つまり、先の戦争に対する米国の政治報復は今もなお続いているのである。(略)

グローバル化が進み、地球資源に限りが見えてきた現在、「自然権」を手にした人間を自然状態に放置しておけば、明らかにホッブスが言う「万人の万人に対する闘争」に陥る。それを社会契約により規制しているのは国家だけである。

その国家がグローバル市場の波に呑み込まれてしまえば、金融競争に勝ち残った数名のスーパー・リッチによる世界支配か、逆に、このプロセスを打倒して生まれる新たな社会か、いずれにせよ必然的に社会秩序を根底からくつがえす結果が訪れるだろう。」