沖縄よ! 群星むりぶし日記

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荒谷卓著『戦う者たちへ 日本の大義と武士道』について 2

「 一、日本人が忘れたもの (略)

海や山、風や土にそれぞれに神がいて、その神々との対話の中に、人間と自然との関わり合いのあり方を模索していくという、我が国の伝統的な自然との共生の考え方が海外から注目されてきている。自然の供給量と人間の必要量の適正なバランスを維持して生活する経験的知恵を日本人は持っていた。しかし、今や当の日本人がその価値を十分に理解していないというのが現状ではないか。

林業の世界で「匠」と称されている人の映像を見た。森に入山する前に、必ず山の神様にお祈りをして、森の一部の命をいただくことへの許しを請うていた。日本の自然観は、いまだに神々との関わりにおいて維持されている。科学的な自然保護とはまったく異なる考えだ。自然と人間との関わりは、科学的根拠によって成り立ってきたわけではない。自然と人間が共生できたのは、神々の下で、人間は自然の一部としてのみ存在できるとの自覚があったからに他ならない。だからこそ、自然を観察することに意を凝らし、自然の移ろいや変化を繊細に詩に詠んできた。そうした日本人の自然観は、今やまさしく世界的環境問題に必要とされている。これもまた、政治問題として取り扱うべき重要な課題だ。(略)

ニ、「大義」を喪失した日本

では、なぜ現在の日本に、日本文化の価値観を基盤にした戦略展開ができないのか。それは、戦後の憲法の価値観が日本の伝統的価値観を否定した上に成り立っていることに起因する。

終戦交渉において、日本側は「国体護持」を標榜して終戦を受け入れたが、実際には、憲法を根底から変えられたことで「国体の護持」はあいまいとなった。「国体」を英訳すれば「コンスティチューション」、つまり「憲法」である。憲法を抜本的に変えるということは、国体を変えるということに他ならない。さらには、憲法と並ぶ皇室典範が内容を改竄され、一法律におかれたことの意味は大きい。象徴としての天皇の御位と万世一系の世襲は残されたことで、国体は守られたとも解されているが、それが戦後保守派の甘えとなり、占領政策からの脱却が遅々として進まず、むしろ深く定着してしまった原因となっているように思われる。

現行の日本国憲法は、ホイットニー少将率いるGHQ民政局内の改憲作業チーム(ケーディス大佐以下二十一人のスタッフ)により、わずか一週間で作成された。スタッフの一人にルース・エラーマンという女性がいた。彼女は改憲チームの全体を統轄する運営委員会の一員で、ケーディス大佐の秘書的な存在であった。その彼女が書き残した日誌には「日本の歴史を書き換えるという名状しがたい情熱に取りつかれた」とある。つまり、日本の歴史と伝統を否定し、米国、厳密に言えば、彼らスタッフの価値観で日本を変革することが憲法起草の原動力となっていたのである。

明治憲法は、日本の伝統・文化を維持しつつ、欧米の近代国家システムを導入するため、明治天皇が、明治九年に「国憲起草を命ずる詔勅」を発してから十二年余にわたり国民の意見を広く求めて議論し、参議のみならず民間からも百以上の憲法草案が提出されたうえで制定された。一方、現在の憲法は、国民の関与が及ばぬところで、比較にならないほどの短期間のうちに作り換えられた。

憲法の草案を事前に承知していた日本国民はいったい何人いたのか。現憲法が民主的プロセスを得て成立したという人は、日本国民の総意ではなく、米国の指示に従うことを「民主的」と言っているのだろう。その中で、日本の歴史認識、すなわち神話から不断につながる日本人の価値観を継承された明治憲法の告文、勅語、上諭がすべて破棄され、現憲法前文にある英米の価値観に改められたことで、日本人が歩んできた二千有余年の歴史は葬り去られた形となった。日本人の価値基準の革命を意図して、アメリカの独立宣言と同じ趣旨の文言で憲法は書き換えられ、これを核心として、戦後の日本がスタートを切った。

この米国の精神価値を軸に作られた戦後憲法の思想を、日本国民に徹底するため、昭和二十二年に教育基本法が制定された。この法律には、明確に『日本憲法の精神に則り、教育の目的を明示して、新しい日本の教育の基本を確立するため、この法律を制定する』と記されている。」