沖縄よ! 群星むりぶし日記

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荒谷 卓著『戦う者たちへ 日本の大義と武士道』について

明治神宮武道場至誠館」館長を務める荒谷卓氏の著作『戦う者たちへ』を読んで深い感銘を受け、愛国心とはなにかについて読者に資すること大なるものがあるのではないかと思い、数回にわたってその内容を引用しながら紹介していきたい。

「 ( 略 )冷戦後の国際社会の構造は、日本にとって極めて深刻な状況に向かいつつあるにもかかわらず、目の前の経済動向に翻弄されている。また、かつては世界でも有数の治安状態の良い国だった日本が、伝統的社会規範や道徳の崩壊から、今や自分のためには家族でさえ傷つけるような危険な社会へと変貌しつつある。

戦後、日本人の精神が荒廃した根源は教育にある。戦後の教育は、教育基本法によって憲法の思想を普及することに主眼を置いた。その憲法の思想とは何か。例えば、憲法九条だ。この戦争放棄をうたった精神は、インド独立運動ガンジーのように、自己を犠牲にしても武器の前に無抵抗で戦う崇高なる非暴力の精神とはまったく無縁のものである。

九条は人権という美名の下に、社会集団に対する犠牲的精神を嫌うエゴイストを正当化し、「侵略国の国旗を揚げて歓迎することはあっても、戦いは放棄する」という「精神価値の放棄」を日本人にあたえた。これは、奴隷的精神である。敵意のあるものに対して、一方が「戦わない」と宣言したからといって、平穏でいられることなど、現実にはありえない。いじめっ子に、無抵抗でいたらどうなるか予想がつくはずだ。

憲法九条の精神では、同胞が拉致され、その家族が苦悩している状況を自らの問題として考えることもなく、ましてや理不尽を正すためには戦いも辞さないという発想はまったく出てこないだろう。結局、戦後の日本人が憲法精神に従って放棄したのは「戦争」ではなく、「戦うことも辞さない正義心を持った生き方」なのではないか。「世のため人のため」に精一杯尽くすことを良しとし、「少なくとも人様に迷惑をかけないように」と教えていた社会道徳は、「自分のためにだけ生きる」憲法思想に取って代わられ、上から下まで自己の欲求を最優先する輩が日本を占有している。

日本人本来の美しくて強い精神文化である「家族のような国を創ろう」という神武天皇建国の精神や、「正しいと信ずることを貫き通すためには、自分の肉体の生死など気にかけない」という武士道の犠牲的精神は憲法思想の敵として追い詰められてきた。

( 略 )

私は、この本を通じ、グローバリズムの抱える問題を素材として、日本人が歴史的に構築してきた自然観と人間観が、現代および将来の社会に極めて重要な意義を有していることを伝えたいと思う。」

以上、「読者の皆様へ」というところから抜粋した。