沖縄よ! 群星むりぶし日記

沖縄を、日本を、そして掛け替えのない惑星・地球を愛する者として発信していきます。

ロバート・エルドリッジが吼えた「米海兵隊は移設を望んでいない」

ロバート・エルドリッジ(略歴)

生年月日:1968年1月23日、米国ニュージャージー州生まれ

前職  :米国海兵隊太平洋基地政務外交部(G7)次長

専門分野:日本政治外交史、日米関係論、戦後沖縄史、安全保障、外交政策

     防災政策、人道支援・災害救援活動など

研究関心:日米の防衛協力、災害における日米協力、自衛隊の歴史、沖縄問題、

    :沖縄、奄美と小笠原の返還過程の比較研究、日本政治・外交

(エルドリッジ研究所より)https://www.robertdeldridge.com/

略歴から分かるように、エルドリッジ氏の専門分野は多岐にわたる。とりわけ沖縄に関する軍事知識は侮れないものがあるようだ。

2009年から15年まで在沖海兵隊の政務外交部次長を務めた経歴を持ち、『沖縄論・在沖海兵隊元幹部の告白』『誰が沖縄を殺すのか・県民こそが可哀想な奇妙な構造』などの著作がある。

そのエルドリッジ氏が普天間飛行場辺野古移設を痛烈に批判したのである。

「唯一の解決策と政府が説明する辺野古移設は、日米両国と沖縄にとって最悪な選択。3者の知恵により生まれた案でなく、妥協の産物だ。」

「そもそも、いつの間にか忘れられているが、米海兵隊は移設を望んでいない。普天間は世界最大級の航空機が離着陸できる約2700メートルの滑走路があるが、辺野古は約1200メートル。96年の移設合意は同等の機能を維持するのが条件であり、辺野古は満たしていない。」

妥協の産物による最悪な選択!

1200メートルしかない辺野古の滑走路は、海兵隊にとって致命的欠陥のようだ。

だから米政府は新たに8条件を追加したのである。そのひとつ、緊急時に民間空港(那覇空港)が使用できなければ、普天間の返還はあり得ない。(稲田元防衛大臣も国会の質疑応答で認めている)

実際はこれだけに収まらないから辺野古問題はこのうえもないほどに深刻なのだ。

今朝の琉球新報は軟弱地盤が水面下90メートル!に達する、と報道している。

https://ryukyushimpo.jp/news/entry-872176.html

これだけ深いと、地盤改良工事は不可能だろう、という専門家の解説もある。無理に施工すれば、工事期間はさらに延び、いつ完了するか誰も予測できない。

ここまでくるとまさにチェックメイトの場面。さてどうする、我らが愛すべき菅官房長官殿。

今からでも決して遅くはないぞ、工事を中断して、玉城デニー知事と納得のいくまで対話してみてはどうだ。

馬鹿の一つ覚えみたいに「辺野古が唯一」などと片意地を張っていると、いよいよ取り返しのきかない破局が待ち受けているだけだぞ。

よもや嘗ての大本営のように、このまま突っ走るつもりではないだろうな、菅義偉よ。

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八重山日報の挫折から見えてくるもの

八重山日報が本島での配達を、今月いっぱいで中止するらしい。

詳しい内容は「Osprey Fuan Clubうようよ対策課http://uyouyomuseum.hatenadiary.jp

をご覧頂きたいが、ある意味期待していただけに非常に残念だ。

琉球新報沖縄タイムスの編集方針に異を唱えて、保守派の視点に立った情報を提供する目的で、一昨年の4月から本島での配達を開始したのだった。 

当初、その熱意は並々ならぬものがあった。チャンネル桜「沖縄の声」による大々的な宣伝もあり、購読を希望する読者がいる以上は、たとえ少部数でも、なんとか定着するのではないか、と漠然と考えていたが、現実は厳しかったようだ。

断っておくが、ぼくは八重山日報のファンではない。ただ、新報・タイムス2紙が報じない記事は貴重だし、その意味で大いに張り合ってもらいたかった、というだけである。

違う視点からの情報は多いに越したことはない。各新聞社が競い合い、大いに切磋琢磨して質の高い情報を提供する。

その真贋は読者の判断に委ねる。これが理想であり、自然だろう。

その線で考えていくと、八重山日報が なぜ挫折したか、その原因がおぼろげながら見えてくるような気がする。

一昨年、郵便受けに八重山日報が投函されていた。見本という大きな文字がスタンプで印字されたものだ。

8面の薄い新聞。これで2160円の購読料は高すぎる、よほど質の高い記事を提供しない限り苦戦は免れないだろう、と直感した。

そして、記事のほとんどは八重山に関するものだ。これでは本島で暮らす人々の多様な要求に応えることはできないのではないか。

当然、編集部としてはこれらの懸念材料をすべて検討したうえでの本島進出だったに違いない。

しかし、結論から先に言うと、やはり準備不足で拙速すぎたのだ。となると、なぜこれほど急ぎ過ぎたのか、という疑問が湧いてくる。

考えられることは、「チャンネル桜」との関係だ。ご存知のように「チャンネル桜」は保守系を代表するメディアだ。

「沖縄の声」はその支所である。そこに登場するキャスターは全員、共通の信念で結ばれている。在沖米軍駐留を容認し、受け容れるという信念だ。

彼らの信念と八重山日報の編集方針が一致した。そこで「チャンネル桜」が丸抱えで八重山日報を応援することになった。

「沖縄の声」には「琉球新報沖縄タイムスを正す県民・国民の会」の代表を務める我那覇真子がいる。

八重山日報は、彼女を何度も大きな記事にして掲載した。両者の信念と利害が一致するのは自然の勢いというものだろう。

しかし、やはり世間はそう甘くはない。記者が配達に駆けずり回るという涙ぐましい努力にも関わらず、八重山日報はつい勇み足を犯してしまった。

あの有名な沖縄自動車道における多重衝突事故に関連する記事だ。

記憶されている方も多いと思うが、あのフェイク野郎・ボギー手登根を発生源とするフェイクニュース

それに関わったおかげで、産經新聞那覇支局長が更迭されるという事件にまで発展したフェイクニュースに、なんと八重山日報がうまく乗せられて、フェイク記事を書いてしまったのだ。

嘘がバレて、紙面で謝罪するという失態を演じてしまったのである。

詳しい内容は「うようよ対策課」をご覧いただくとして、取材もろくにしないで記事を書くという実態が明らかになった以上、賢明な読者から相手にされなくなるのは、これまた自然の成り行きというものだろう。

新報・タイムスと互角に張り合える保守思想を浸透させるという、高い志を掲げながら挫折せざるを得なかったのは、当然と言えば当然なことなのである。

そこでひとつ御忠告を。

八重山日報殿、チャンネル桜「沖縄の声」と深く関わると、ろくなことになりませんぞ!

心機一転して、新報・タイムスと互角に渡り合えるような、深く掘り下げた質の高い保

守報道を提供してもらいたい。

そのための一つの提案。紙にこだわらずに電子版専門にしたらどうか。現在の無料電子版は見た目もカッコよく、なかなかよくできていて、スタッフに優秀な人材がいることが推測できる。

価格を安く抑えることができたら、本島どころか、それこそ全国版として普及する可能性は大いにあり得ると思うが。

とは言っても、やはり有料にする以上、最後に勝負を決めるのは、記事の内容と質次第によるのは言うまでも無い。

 

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あまりにも非現実的な辺野古埋め立て工事

琉球新報の報道によると、軟弱地盤の改良工事のために使われる杭は何と6万本!

直径1.6〜2.0メートルのパイプを70メートル打ち込み、そこに砂を流し込んで地盤を固める工法らしいが、土木工事に詳しくなくても、環境アセスメントを考えると、ほとんど不可能に近いことは、容易に想像できる。工法の具体的な内容については「チョイさんの沖縄日記」を参照して欲しい。

 この軟弱地盤については、今日の衆議院予算委員会で、赤嶺政賢議員が問いただした。

赤嶺議員の質問は的を射た鋭いものであり、対する岩屋防衛大臣の態度は誠意の感じられないおざなりなものであった。

赤嶺議員の具体的な質問に対して、岩屋大臣の答えは同じことを繰り返すだけで、見ていて怒りしか湧いてこない。

この先何年かかるのか、膨らむ工事費がどのくらいになるのか、一切答えることができない。

いずれにしても、沖縄防衛局は、設計変更を県に申請することになる。

当然、玉城知事が承認することはない。県の「撤回」は今も有効だからだ。

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大人たちが子供を殺す

千葉県野田私立小学校4年生の栗原心愛(みあ10歳)ちゃんが父親の虐待により死亡した事件。

母親は糸満出身らしい。そのことが気になりここ2、3日関連する報道にできるだけ目を通した。

ぼくは、コザ市(現・沖縄市)に移る小学2年まで、糸満市(当時は町)で暮らしていたことがある。両親は糸満出身で、今は同市にある門中墓で永眠している。

父はぼくが生まれる前に亡くなり、母が他界してすでに19年の歳月が流れた。

だから、今回の事件は他人事とは思えず、ずっと関心を抱いてきた。そして可能な限り、この事件の全貌を把握し、整理できたら当ブログでまとめようと思っていた。

しかし、なかなかうまくまとめることが出来ない。

あまりにも多くのことが頭の中をよぎり、混乱した状態が続き、冷静になれなかったのだ。

そんな折、今朝の琉球新報の社説が役に立った。完全に満足できる内容ではないが、しかし、ぼくの混乱した心理状態を多少なりとも静めてくれたのは事実だ。沖縄タイムスも31日の社説でこの事件を取り上げている。新報の社説にはない情報が含まれているので、こちらも読んでいただけたらと思う。

児童虐待の報道に接するたびに、心が痛み、言い知れぬ悲しい気持ちになるが、いずれの事件にも共通するものがあることに気づく。

それは、子供が発する救いを求める声を、当事者である大人達が親身になって取り上げない、という事実である。

学校、児童相談所、市役所、そして被害者の近隣に住む大人達。

分けても学校、児童相談所、市役所の各担当者の責任は重大である。組織の在り方にも問題があるだろう。

しかし、問題の所在を限定すべきではない。やはり、児童虐待は我々大人全員に突きつけられた根の深い問題であり、問われているのは、我々大人の倫理観、心の問題そのものと言えるかも知れないのだ。 

 

「施政方針演説」から見えてくる「右の売国、左の亡国」

戦後、日本の政治からナショナリズム愛国心)が失われて久しい。公の場でナショナリズム愛国心)を語ることが、まるでタブーであるかのように七十三年の月日が過ぎ去ろうとしている。

日本病とも呼ぶべきこの醜態を、昨日行われた安倍首相の「施政方針演説」から読み取ることができる。

まずは「左の亡国」から。

安倍首相は東北大震災後の復興に力を尽くした地元の人々を賞賛して次のように述べた。

「東北の被災地でも、地元の皆さんの情熱によって、復興は一歩一歩着実に進んでいます。平成は、日本人の底力と、人々の絆がどれほどまでにパワーを持つか、そのことを示した時代でもありました。

『しきしまの大和心のおおしさはことある時ぞあらわれにける』

被災地復興と明治天皇の御歌とどう響き合うのか、いささか釣り合わない感じだが、それはそれとして、とりあえず横に置くとしよう。

問題は左翼リベラルから起きた反応である。

共産党志位和夫委員長が早速噛みついた。日露戦争の戦意高揚に使われた歌だ。演説に位置づけるのは憲法の平和主義に真っ向から反しており、強く抗議する。」

 正に左翼リベラルの「亡国」精神の見本のようなものではないか。国家の存亡を賭けた戦において、立憲君主であられる天皇が戦意高揚の歌を詠まれるのは、ごく自然なことであり何の不思議もない。

志位委員長は、今から百十五年前の日本人の立場に立つ労を省略して、現代の価値観で明治天皇を断罪し、返す刀で安倍首相を批判している。

時代錯誤も甚だしい。卑怯で生意気だ。こんな体たらくだから、一度も与党の経験がない万年少数野党に甘んじているのだ。安倍政治を批判するには、こんな歴史不認知的手法では肩透かしを食うだけだ。

批判された方は、ちっとも痛くもなければ、痒くもないだろう。安倍政治を本気で批判したければ、自らの「亡国」精神を改める以外にない。

共産党の「亡国」精神とは何か? ズバリ言って、ナショナリズム愛国心)の欠如だ。日露戦争を戦った明治天皇の御歌を断罪する精神のどこに、愛国心があるというのか。

さて次は「右の売国」。

安全保障政策について、安倍首相は次のように語っている。

「わが国の外交・安全保障の基軸は、日米同盟です。

平和安全法制の成立によって、互いに助け合える同盟は、その絆を強くした。日米同盟は今、かつてなく強固なものとなっています。」

続いて、普天間飛行場辺野古移設を進めると述べた後、突然次のように言いだした。

「自らの手で自らを守る気概なき国を、誰も守ってくれるはずがない。安全保障政策の根幹は、わが国自身の努力に他なりません。」???

①と②の整合性を説明できる人がいれば是非教えて頂きたい。①は、外交も安全保障も米国に追従する、というのが裏側の実態である。

②は、今の自衛隊を国軍に格上げして、戦後駐留し続ける在日米軍(占領軍)に撤退してもらうという、自主防衛論そのものである。

在日米軍(占領軍)の駐留を容認・推進することと、自主防衛論が両立し得ないことは誰にでもわかる安全保障の基本中の基本である。

まさしく保守の「売国」精神ではないか。

このように分析・検討してみると、保守の「売国」と左翼リベラルの「亡国」は、ナショナリズ(愛国心)の欠如で見事に一致するのである。

さすがにここまで来ると、誰でも勝手にしやがれ、天下国家!」と叫びたくなるのではないだろうか。

『右の売国、左の亡国』は、鬼才・佐藤健志の作品です。一読の価値有り。

 

「3択」で決着しても5市市長の責任がなくなるわけではない

「賛成・反対・どちらでもない」の3択で県民投票を実施することが決まった。

与野党調整の最終段階で、自民党だけが反対して独自の3択案を提示して紛糾した。その独自案とは、「普天間飛行場辺野古埋め立ては止むを得ない・反対・どちらでもない」というものである。

実に狡猾だ。これは政府が主張している「普天間飛行場の危険性を除去するための辺野古移設」を踏襲したものだからである。

そもそも県民投票を呼びかける声が県民の間から出てきた最大の理由は、政府の主張に整合性がないことを訴えた玉城デニー県知事候補が、政府が押す相手候補に圧倒的票差をつけて当選したにも関わらず「選挙の争点は辺野古問題だけではない」と述べた菅官房長官の県民を馬鹿にした発言に県民が怒ったことにある。

それなら辺野古の埋め立てに限って県民の意思を示そう、という呼びかけから県民投票が動き出したのだ。

その経緯をよく理解した与党が、自民党の独自案に猛反発したのは当然だろう。

このまま紛糾してもおかしくない状況の中、午後9時45分に始まった代表者会議で、ついに自民党が折れて独自案を取り下げ、議長提案を認め3択に決まった。

その知らせを受けた5市の市長はどう反応したか。

松川政則宜野湾市長「これでノーと言うのは仁義に反する」

桑江朝千夫沖縄市長「選管に(投票事務)準備を指示する」

島袋俊夫うるま市長「限りなく4択に近ければ大いに検討に値する」

下地敏彦宮古島市長「(県議会が)全会一致することが望ましい」

中山義隆石垣市長「市議会の意見を聞いてから判断したい」

文面から判断すると、松川市長と桑江市長は県議会の決定に同意したと見ることができるだろう。しかし、残る3市長は依然として態度を明確にしていない。

ということは、今朝の琉球新報の第一面の大きな見出し、「県民投票全県実施へ」は大いに疑問だ。これは明らかに県民を一定方向に誘導する見出しであり容認できない。

3市長の態度が明確でない以上、全県実施に至らない恐れだって充分考えられるからだ。琉球新報は大いに反省し、もっと謙虚な姿勢で紙面作りに取り組むべきだろう。

さて、前談はこれくらいにして、本論に入る。

まず指摘したいことは、「賛成・反対」の「2択」はダメで「賛成・反対・どちらでもない」の「3択」なら良いとする理念が、ぼくにはどうしても理解できない、ということである。

「どちらでもない」というのは、賛成でも反対でもないということであり、それならわざわざ投票所まで足を運ぶ必要はないはずである。

賛成か反対かというのは、積極的に意思表示したいことの現れだが、「どちらでもない」は消極的態度であり、ほとんど無関心に近い心理状態だ。

現実的に考えて投票率は多分7割前後だろうと思われるが、投票に行かない3割前後の中に「どちらでもない」のほとんどが含まれると想定される。

ということはつまり、「どちらでもない」を加えることに一体どれほどの意味があるか、ということになる。「賛成・反対」の2択とほとんど変わらないはずだ。

そうだとすれば何故、5市の市長(今のところ、少なくとも宜野湾市沖縄市の2人)は「3択」に賛意を表明したのか。

実はこの点を見逃すと今回の混乱の本質を見誤ることになる。5市の市長のこれまでの主張を見ると、3択でも反対するのが当然であり、彼らの本音は政府の従来の主張を踏襲した自民党が提示した独自案(上記)が採決されることにあるのは間違いない。

しかし、ここにきて「2択」案とほとんど内容が変わらない、どうでもいいような「3択」案に妥協したのは何故か?

このまま強行に反対し続けると、住民から裁判に訴えられる恐れが出てきたからである。実際、5市において、住民が市長を訴える動きが出てきたのだ。

法的な争いとなれば市長側が不利になるのは明らかであり、行政法憲法に詳しい多くの専門家の指摘がそのことを裏付けている。

その一人木村草太氏の論考を読んで欲しい。

木村氏の指摘は明快で完璧である。つまり、5市の市長は住民から訴訟を起こされることを恐れて、どうでもいいような「3択」案を飲んだのだ。

自分たちで県の条例にケチをつけ、政治的混乱に火をつけておきながら、住民が本気に怒り出すと県議会の努力を評価して「3択」案にすがるようにして妥協する。

そこで全県実施が決まって県民の間から安堵の声があがり、これで一件落着となることを期待しつつ。ところがどっこい、世間の常識はそう甘くはないんだよ。

世間の常識が5市市長の欺瞞的態度を見逃すはずがない。たとえ「3択」案で全県実施が決まったとしても、5市市長が法律違反を犯したのはまぎれもない事実であり、政治的に妥協したからといって、その事実が消えることはない。

住民の投票権を拒否した5市の市長の責任はあまりにも重大事であり、どれほど批判しても足りないくらい酷いものである。「3択」案を認めたことで住民から訴追されることは免れたかもしれないが、道義的責任は永久に残る。

今朝の新報に琉大教授の島袋純氏の見事な談話が載っているので一部引用する。

市民の投票権を奪うという違法行為を背景に、県の政治的妥協を引き出したことは重大な問題だ。いわば投票権の侵害を人質にしたのだ。投票権の侵害という、あってはならない事態を条件に、交渉が進んだことは民主主義的には本来ありえない政治交渉だ。

政治交渉の過程で争点が変わることはある。例えば消費税を8%にするか10%にするかという争点で、10%では高いから9%を落とし所にするということは政治的妥協としてありうる。

だが投票権という、権利が関わる問題は政治的選択で左右される問題ではない。それを政治的解決のために飲んだのが、今回の条例改正だ。

ぼくは、政治的妥協を求めて「3択」案を提示した与党には同情の余地があると思う。しかし、5市の市長を許すことはできない。

県議会の努力を評価する、と言う前にまずは地元住民に対して、投票権をないがしろにしたことを詫びるのが先だろう。しかし、彼らに反省の色は全く見られない。

 

 

「3択」?目もあてられない政治家たちの劣化現象

県民投票を2択にするか、3択にするかで県内政治のゴタゴタが続いている。

最大の原因は「賛成」「反対」の2択にした県条例を拒否した5市の市長(市議会議員も含む)が、わがままを押し通したためである。

法律に違反し、住民の投票権という民主主義の根幹をなす基本的権利を剥奪した5市の市長の責任は重い。住民の投票により市長職に就いた人間が、住民の投票権を奪うとは、いったい何事だ!

民主主義のルールを少しも理解しない輩はリコールにかけて、直ちに解職されるべきである。

このことを強調したうえで私見を述べたい。

現在検討されている3択とは、「賛成」「反対」に加えて「どちらでもない」の選択肢になるらしいが、これを紙面で読んだ時、思わず吹き出してしまった。

「どちらでもない」は読んで字の如く、「賛成」でも「反対」でもない、という意味だろう。そうであれば、なぜ難儀して投票所まで足を運ぶ必要がある?

そもそも辺野古の美しい海が埋め立てられることに「賛成」でも「反対」でもないという人は、もともとそんなことにはなんの興味もないのだ。

そのような人は、投票しなければ良いだけの話で、「どちらでもない」という選択肢が付け加えられたからといっても、本人は投票なんかしないだろう。

ということで、「どちらでもない」を付け加えるのは全くのナンセンス。

では何故、沖縄の政治家たちは「2択」にするか「3択」にするかという幼稚な議論にかくも振り回されているのか?

ここで冷静になり用心するのに越したことはない。「チーム沖縄」と称する5市の市長の裏側で見え隠れする怨念と卑劣な罠。

彼らが玉城県政に怨念を抱いていることは、県民投票の条例を議決した時の経緯を振り返れば理解できる。

与党の「2択」案に対し、野党(自民党公明党)は「4択」を主張した。裁決の結果は、与党の過半数により「2択」が決まった。

議会制民主主義において賛成多数で決まったことは、野党といえども遵守しなければならない義務がある。

しかし、自民党に属する5市の市長と市議会議員達は、何を勘違いしたのか事務経費を入れた予算を審議する段階でゴネにゴネた。

市議会は2度にわたり予算を否決し、市長は事務経費を計上できる権限がありながら、「市議会の決定は重い」として、自ら権限を返上したのである。

これが5市の市議会と市長に共通する今回の県民投票否決の経緯である。彼らの頑なな態度から見えてくるのは、「4択」が県議会で採用されなかったことに対する怨念だ。

しかし、5市の市長に対する法的視点からの批判が集中すると、水面下で「3択」を巡る駆け引きが行われ、現在のゴタゴタ状態に至っていると言えるのではないか。

「3択」が表に出てきたのには与党と野党にそれぞれの思惑がある。

県条例は「2択」で決まったものの、5市の市長の反対で約3割の市民が投票できなくなる恐れがある、これでは県民投票に傷がつく、できたら全市町村で実施したい、というのが与党側の思惑。

対する野党側の思惑は、5市の市長に対する批判があれだけ集まるとは想像できなかった、このまま反対を続けると次の選挙で不利になる、なんとか妥協の道を探すべきだ。

というそれぞれの思惑が働いた結果、いつの間にか「3択」案が出てきたというわけだ。しかもその「3択」たるや、「賛成・反対・どちらでもない」というのだからたまったものではない。

こんなだらしのない政治家たちに沖縄の行政を任せて良いのだろうか、と考えると気が滅入ってしまう。間接制民主主義の限界というべきか。

彼らの思惑は、大体そんなところだろうが、ぼくはそこにある種の罠が潜んでいるのを感じる。玉城県政を混乱に陥れ、来たる衆議院3区の補欠選挙と夏の参議院選挙で「オール沖縄」勢を敗北させること。

そのためには手段を選ばない。安倍内閣が沖縄における選挙で繰り返し踏襲してきた手法だ。その目的はただひとつ、玉城県政を揺るがすことで辺野古埋め立てを貫徹すること。

そう考えると、今回のゴタゴタは官邸からの見えない蜘蛛の糸が何本も張り巡らされている構図が見えてくるのだ。

政治家たちの劣化は全国的な現象だが、われわれ市民としては、真実を見据え辺野古埋め立て反対の声を発信し続けるしかない。

 桑江朝千夫沖縄市長、松川政則宜野湾市長、島袋俊夫うるま市長、下地敏彦宮古島市長、中山義隆石垣市長の5人は今回の県政を混乱させた責任を取って、直ちに辞職せよ!