沖縄よ! 群星むりぶし日記

沖縄を、日本を、そして掛け替えのない惑星・地球を愛する者として発信していきます。

ワールドカップが熱い!西野監督の采配の善し悪し

ハリルホジッチ監督がワールドカップ開催2ヶ月前に解任された時、突然のことに驚くと同時に、後任の監督が日本人の西野朗氏に決まったことで安堵した。ぼくは日本代表の監督は日本人であるべきだとずっと思ってきたからだ。外国人の監督だと通訳が必要で、選手とのコミュニケーションが煩わしいだろうし、文化や感性の違いもあり、意思疎通が中途半端に終わる恐れが多分にある。

日本人監督だとそんな煩わしさは一切なく、監督の思いがストレートに伝わる。このような理由で日本人監督が持論だったが、しかし、今回の交代劇はあまりにも唐突すぎたのも事実だ。できるならもっと早めに、最低短くても半年くらいは欲しかった、というのが正直な感想である。

ぼくは、ハリルホジッチ氏の縦パス一辺倒の姿勢には賛同できなかった。日本選手は外国勢と違い、個人技を中心にした試合運びではうまくいかない。やはりチームワークを第一の主眼に置いた全員が一体化した陣形を目指すべきだ。その中で縦パスの技術も取り入れる。日本選手には日本人の特長があるのは当然のことで、それを最大限に発揮する方向で外国勢には真似ることのできない日本独自のサッカーを目指して欲しいのだ。

さて、ぼくは西野監督の手腕について殆ど知識を持ち合わせていない。プロ野球よりもサッカーの方が何倍も好きだという、普通のサッカー好きにすぎない。だから西野監督のことは殆ど何の知識もなく、日本代表の監督に就任してから関心を持つようになったのである。

監督就任からワールドカップが始まる前までの短い期間、観察してきた結果わかったことは、選手たちの表情が明るくなったということだ。ハリルホジッチ監督の下での選手たちの表情と明らかに違う。厳しい暗い表情から、落ち着いて余裕のある明るい表情になった。

これは、やはり監督が代わった原因が大きいと思われる。西野氏は選手たちの話をよく聞き、自分の見解を押し付けることをしないらしい。選手たちの考えを重視し、試合中は選手たちの自主性を重んじる。しかし、性格は静かで穏やかだが、戦略は緻密で決断を下す時は、妥協することなく決然と下す。そのような人物像が少しずつ明らかになってきた。

日を追うごとに選手たちの表情が冷静になり、自信を感じさせる雰囲気になってきた。ぼく自身、西野監督ならきっと良い試合を見せてくれるに違いない、と信じる気持ちが強くなった。ワールドカップ前の強化試合で2連敗を喫し、マスコミもサポーターも落胆し、辛辣な批判が多勢を占めたが、ぼくは違う、結果は負けだが試合内容は明らかによくなっている、と思った。

予想は的中した。最後の強化試合に日本は勝利したのである。しかし、西野監督と選手たちに浮かれた雰囲気はない。監督と選手たちが一体となった証拠だ。自分たちのサッカーをやる。選手一人一人の顔がそう語っている。監督の影響力は恐ろしい。ハリルホジッチ氏から西野氏への交代は、唐突だったとは言え、正解だったと言える。

第1次リーグでは、コロンビアに勝ってブラジル大会の雪辱を果たし、セネガルと引き分けた。日本はH組ではFIFAランク最下位である。全敗を予想した多くの下馬評を覆す最高の仕上がりである。西野監督の冴え渡る采配に日本中が狂喜した。最終戦となる対ポーランド戦は、勝てば勿論のこと、引き分けても決勝トーナメントへの進出が決まる。問題は負けた場合どうなるかだが、コロンビアとセネガルの勝敗の内容いかんに左右されるのだ。コロンビアが勝ってもセネガルが勝っても日本はセーフとなる。

しかし、引き分けると得失点差でコロンビアが優位となり、日本の敗退が決まる。人を神経質にさせるような実にデリケートな組み合わせになっているのだ。ところが現実は大量の神経症患者を生むような進行となったのである。

前半有利に進めたのにかかわらず、後半になると一転ポーランドが優勢となり、ついに一点を許してしまった。ここから猛反撃するべきなのに、38分経過した頃、異変が起きた。交代で入った長谷部の指示で日本チームは自陣内でボールを回し始めたのだ。西野監督の伝令であるのは明らかだ。

ボールを回すだけの消極的な姿勢にぼくはショックを受けた。とんでもない。間違っている。一体どうなっているんだ!西野監督、ダメじゃないか。一人声に出して興奮した。確かに、コロンビアが後半に一点入れて優勢であるとの情報が流されたことはわかる。このまま最後まで行けば、日本の決勝トーナメント入りが決まる。それで積極的に勝負に出て、いらぬ警告を受ける危険を犯すよりも、自陣内でボールを回しあって試合終了の笛が吹かれるのを待つ。西野監督はそう決断したに違いない。

しかし、アディッショナルタイムを含めると終了時間までまだ約10分もある。それまでにセネガルが同点に追いついて引き分けになる可能性だって十分にあり得る。そうなったらどうなる。決勝トーナメントの夢は消えるのだ。問題の核心は、この状況の全体像のデータを西野監督はどう把握し、分析し、判断したか、である。

西野監督は、セネガルが同点に追いつけないと判断した。入手した全データを分析した結果、ギリギリの線で、危ない橋を渡らない戦略をとった。一夜明けて、冷静に考えてみると、西野監督の判断の凄さに感心するのだが、素人の頭はまだ割り切れないでいる。難しい局面での決断力。その中身は本人以外に知ることはできないだろう。最高指揮官の孤独がそこにある。

消極的なボール回しで日本代表は決勝トーナメント入りの切符を手に入れた。観客から大ブーイングが起きる醜いパフォーマンスでも良い。勝つためには、小さな犠牲はやむを得ない場合がある。

西野監督の采配は、結果を見ると成功したと言えるだろう。この静かな闘志の持ち主のことをもっと知りたいという気持ちが強くなった。決勝トーナメントで、大きな番狂わせを演じてくれそうな気がする。

 

頭が悪いだけではない、言葉も軽い安倍首相

政治家にとって言葉は命である。その自覚があるかないかで、政治家としての器量を判定することができる。判定するのは、当然ながら政治家を選んだ国民だ。昨日の沖縄全戦没者追悼式で式辞を述べた安倍首相の言葉の軽さは如何ともし難いほどであり、聞いていて心が寒くなるのと同時に、怒りの感情がふつふつと湧いてくるのを抑えることができなかった。

「沖縄の方々には永きにわたり、米軍基地の集中による大きな負担を担っていただいている。この現状は、何としても変えていかなければならない。政府として基地負担を減らすため、一つ一つ確実に結果を出していく決意だ。本年3月には嘉手納以南の西普天間住宅地区跡地の引き渡しが実現し、跡地利用の取り組みが進んでいる。できることは全て行う。引き続き、この方針の下、沖縄の基地負担軽減に全力を尽くしていく。」

安倍首相が沖縄の基地問題について語るときの定番のレトリック。あまりにも白々しい。これを追悼式典で臆面もなく言ってのけたのである。同じような内容のレトリックを、我々沖縄県民はこれまで何度聞かされたことか。

西普天間住宅地区跡地の返還は、二十年前のSACO合意で決まった事で、安倍内閣が決めたものではない。にも関わらず、恰も自分の内閣の手柄のように繰り返し自慢するその厚顔さはどうだ。

安倍内閣が決定したのは、辺野古新基地建設の強行ではないか。「できることは全て行う」「沖縄の基地負担軽減に全力を尽くしていく」一体どのような思考回路からこのような、欺瞞に満ちた軽い言葉が出てくるのだろうか。

遺族の方々を含め、参列していた多くの人の厳しい視線が安倍首相に向けられたのは、自然であり、当然である。何度も言うように、安倍晋三という男は頭が悪すぎる。トランプ大統領に追随するだけで自国についての確かな、国民が納得できるような安全保障政策がない。「我が国は100パーセント米国と共にある」などと、一国の指導者が使ってはならない言葉を、平気で言ってみせる人間だ。

一方、安倍首相と比べて翁長知事の式辞は立派だった。膵臓癌切除の後、薬による再発予防治療で痛々しいほど痩せて、頭も坊主姿だが、声は力強く張りがあり、式辞の内容も誠実に満ちたもので、多くの人の心を打ったのではないだろうか。

「戦後焼け野が原となった沖縄で、私たちはこの「沖縄のこころ」をよりどころとして、復興と発展の道を力強く歩んできた。しかしながら、戦後実に73年を経た現在においても、日本の国土面積の約0.6%にすぎないこの沖縄に、米軍専用施設面積の約70.3%が存在し続けており、県民は広大な米軍基地から派生する事件・事故、騒音をはじめとする環境問題などに苦しみ、悩まされ続けている。」

「民意を顧みず工事が進められている辺野古新基地建設については、沖縄の基地負担軽減に逆行しているばかりではなく、アジアの緊張緩和の流れにも逆行していると言わざるを得ず、全く容認できるものではない。辺野古に新基地を作らせないという私の決意は県民とともにあり、これからもみじんも揺らぐことはない。」

こう述べた翁長知事の姿には鬼気迫るものがあり、新基地を作らせないという強い信念は本物である。日本の総理大臣は、安倍晋三よりも翁長雄志の方が相応しい、そう思いたくなる瞬間だった。翁長知事には、事後療養をしっかり受けて、早急に健康を回復して欲しい。

そして、不誠実で、頭の悪いお坊ちゃん安倍首相には、一日も早く政治家を辞めてもらいたい。

トランプ大統領、可愛い!

トランプ大統領は何となく憎めないキャラクターの持ち主である。大統領に就任して約一年半、思いついた事を気軽にツイッターに書き込んで、国民に直接訴えるやり方は、歴代の大統領には見られなかった、新鮮で型破りなスタイルだ。

オバマ前大統領と違い、建前の綺麗事を言う優等生の雰囲気がなく、思ったことを遠慮なく本音で語る気さくな性格が、少しづつ国民に受け入れられて支持率の上昇を招いているようだ。予測困難なところは相変わらずだが、しかし、注意深く観察して気付いたことは、就任時に約束した公約を執念深いほど誠実に実行に移していると言う事実である。

たとえ政敵からどんなに反対、非難されようと信念を貫くその一徹さが、国家の指導者に相応しい要素のひとつである以上、多くの国民がそのことを再認識し、賛同に傾いた結果、支持率の上昇をもたらしたのではないか、と思われる。

しかし、利かん気の強いトランプ氏にもアキレス腱があった。メキシコとの国境沿いで、不法入国者の親と子供が引き離されて、子供達が金網で囲われた施設に収容されるという事件が発生した。

この件に関して、トランプ大統領は、あくまでも法律を遵守すると主張して、強硬な態度で臨んだ。しかし当然のことながら、国会議員をはじめ、多くの人権派から強烈なバッシングを受けたのである。これだけなら、トランプ大統領は今まで通りに何とか耐えたかもしれない。違法入国者は厳重に取り締まる、というのは当初からの公約だからだ。

しかし、メラニア夫人と娘のイヴァンカがこの非人道的処置に対して猛烈に反対したのである。大統領と雖も、やはり米国人だ。何よりも家族を大事にすることが最優先事項となるお国柄だ。夫人と娘に折れた大統領は何といったか。

"Ivanka feels very strongly, my wife feels very strongly about it, I feel very strongly about it," the president said. "We are going to keep the families together. I didn't like the sight or the feeling of families being separated." 

そしてついに、不法入国者と雖も、親と子供達を引き離すべきではない、という大統領令にトランプ氏はサインせざるを得なかったのである。いざという時には、やはり女性は強い!トランプ大統領、なんとも可愛いではないか!ついでに負け惜しみを述べることも忘れなかったようだ。

"We're going to have a lot of happy people." 「 多くの人々が幸せになるぞ。」

世界の超大国・米国の大統領のアキレス腱は、何と意外にもメラニア夫人と娘イヴァンカだった。そこでもう一度言いたい。

Mr.President KAWAII ‼︎

 

埋立承認撤回に向けて機は十分に熟した

今朝の琉球新報に注目すべき論評が掲載されている。「新基地建設阻止へ提言」という沖縄大学名誉教授の桜井国俊氏による論評だ。桜井氏は以下のように書いている。

「埋め立てを律する法律は公有水面埋立法であり、民間事業者の場合には「免許」を、国の場合には「承認」を、免許・承認権者である知事から得る必要がある。そして埋立法32条1項は、埋立免許を得た民間事業者が埋立免許の条件に反する場合には、知事は民間事業者に原状回復をさせることができるとしている。岩国基地滑走路沖合移設「海の裁判」の2013年11月13日広島高裁判決は、この埋立法32条1項が、国にも適用されるとした。すなわち同高裁判決は、埋立承認における国の優位・特権を否定し、国にも原状回復義務を認めたのである。」

「今ならばまだ間に合う。埋立承認を撤回して土砂投入を回避し、県民投票など、それ以後も続く県民の闘いとの相乗効果によって国を埋立断念に追い込むことが出来るならば、広島高裁判決が活きてくるのだ。護岸建設のために投入された岩石を国に撤去させ、辺野古・大浦湾の原状回復を図ることが出来るのである。」

「原状回復に先立って求められるのが埋立承認の撤回である。埋立法32条1項は、民間事業者が埋立免許の条件に違反した場合には、免許その他の処分を取り消す(承認後の事後の「取り消し」を法学者は「撤回」と呼んでいる)ことが出来るとしている。国が事業者の場合にも、埋立承認の条件に違反すれば取り消すことが出来ると判示したのが広島高裁判決である。」

2013年12月27日、仲井真弘多前知事は公約を破って辺野古埋立事業を承認したわけだが、承認書には五つの留意事項が付されている。埋立承認の条件とも言うべきものだが、翁長県政は防衛局に対し、この時の留意事項を遵守するよう何度も通知したにもかかわらず、防衛局は、県の主張を無視して工事を続行している、と言うのが現在の状況である。

先月の23日にも県は沖縄防衛局宛に「普天間飛行場代替施設建設事業における工事停止について」通知した。この文書について桜井氏は次のように解説している。

「提出されていないのは、大浦湾に建設が予定されているケーソン護岸の「事前協議書」である。決定的なのは、ケーソン護岸を設置する地点の地盤が「マヨネーズ並み」とも表現される超軟弱地盤であることだ。この点について上記県知事通知は、“ 承認後に明らかとなった貴職の実施したシュワブ(H25)地質調査の報告書において、「当初想定されていないような特徴的な地質が確認されている」、「谷埋め堆積物については構造物の安定、地盤の圧密沈下、地盤の液状化の詳細検討を行うことが必須」との記述があることからすると、実施設計段階において護岸等の構造形式や配置、施工延長が変更される可能性や、その実施設計に基づき詳細検討しなければならない環境保全対策等も変更される可能性があります ”と指摘している。」

「誠意ある事前協議を求める知事の一連の通知を無視し、防衛局は護岸工事のための石材投入を強行し続けている。取り返しがつかないまでに工事が進んだとの印象を県民に与え、反対をあきらめさせることを狙っているのである。それと同時に防衛局は、回答不能な困難な課題を今秋の県知事選後にまで先送りしようとしている。無原則に新基地建設を容認する新知事の選出を待ち、その下で一挙に打開しようというのである。辺野古・大浦湾の環境を保全しながら超軟弱地盤の地盤改良を行い、ケーソン護岸を建設するというのは、御用学者ならばいざ知らず、職業倫理に誠実な専門家ならばあり得ないと結論するはずのものである。」

防衛局は焦っている。自分たちで調査したケーソン護岸予定地点の地盤が超軟弱地盤であることが分かったからだ。現設計図通り工事を遂行することが不可能になったのである。当然設計の変更を県に申請する必要がある。あらゆる手段を使ってでも工事を阻止すると断言した翁長知事が許可しないことは分かり切ったことだ。この時点で辺野古埋立工事は頓挫する。

とすれば、防衛局の狙いは、11月にも予定される県知事選で「無原則に新基地建設を容認する新知事」を誕生させることにあるのは間違いない。それが実現すれば、超軟弱地盤の改良工事にどれだけ金がかかろうが、工事期間がどれだけ伸びようがお構いなし、となる。安倍内閣はあらゆる手段を行使して、翁長知事に襲いかかってくるだろう。その翁長知事は膵臓癌手術後、健康に不安を残す。手術前に比べて、痛々しいほど痩せた。

しかし、精神は意気軒昂に見える。再選の出馬表明があるかどうか、予断はできないが、本人は恐らく辺野古阻止に命を賭けるつもりでいるのではないか。体力の回復を願いつつ、県民一丸となって翁長知事を支え、辺野古の現場で坐り込み闘争を続ける素晴らしい人々と連帯して、来たる県知事選では4年前の圧倒的勝利を再現させよう。

外交も安全保障も米国に従属する不誠実な安倍内閣に負けるわけにはいかない。面積も人口比も100対1の圧倒的少数派の沖縄県に、占領軍を押し付ける理不尽さ不条理が許されて良いわけがない。沖縄県民は、日本の民主主義が本物かどうか試される最前線で闘っているのだ。最後まで誇りを失わず頑張ろう!

 

「チビのロケット野郎」

Little rocket man は実は賢い男だった。首脳会談の前、最初の1分で相手の本気度を見極めることができる、と豪語したトランプ大統領は去年「チビのロケット野郎」と罵った金正恩委員長が「才能豊かな男」であり「一万人に一人」の有能な人物だと、会談終了後に手放しの賛辞で褒め上げた。

超大国米国の大統領が、弱小国の若き独裁者を、初対面で称賛して見せる。なかなかあり得ないことだが、実際に起きたのである。驚かされた事は他にもある。

「幾多の困難を乗り越えてここまでたどり着く事ができた」「世界は重大な変化を見ることになるだろう」「世界の多くの人々は、これをSF映画や空想だと思うでしょう」

金正恩氏の言葉には重みがある。単調な言葉を連発するトランプ大統領と較べて、金委員長の方が表現力は豊かだ。四月二十七日に行われた南北首脳会談で見せた金委員長の熟練した交渉力は、決して付け焼き刃ではなかったのだ。一連の経過をずっと見てきて、ぼくは今回の首脳会談も金委員長のペースで進むだろうと予測したが、共同声明を読むと正にその通りとなった。

トランプ大統領北朝鮮に安全の保障を与えることを約束し、金委員長は朝鮮半島の完全非核化への確固で揺るぎのない約束を再確認した。」

明らかに、金委員長は当初の目的を達する事ができた。但し、当然のことながら具体的な細部を詰めていく作業は、実務担当者に委ねられる事となる。全てはこれからであり、両国が誠実に取り組んでも、必然的に長丁場の工程になるのは間違いない。

金委員長の頭の中を占める最優先事項は、自国経済の立て直しであり、それによって慢性的な人民の飢えの状態を解消することにある。先代の時代に食糧危機で何十万人もの餓死者を出した事があった。若き後継者は冷徹な現実を見て激しく慟哭したに違いない。このままではダメだ、父親の政治を踏襲するだけでは確実に国は滅びる。負の遺産を正に転換しなければならない。

二十代で権力を引き継いだ若き独裁者は、数年の間、公の場に顔を出すことはなかった。内部の凄まじい権力闘争とこれからの国家運営、その青写真作り。修羅場で討死にすることなく、徐々に力をつけ、北朝鮮の未来図を描き、その実現の為の戦略を綿密に練り上げて、最適な時期に照準を合わせて大勝負に打って出る。

「幾多の困難を乗り越えてここまでたどり着く事ができた」

その為の水爆であり、ICBMであった。目的は米国を威嚇する事であり、戦争するためではなかった。若き独裁者の才能を見抜いたトランプ大統領も流石だ。いつの日か大統領が平壌を訪れ、金氏がワシントンを訪れる時がきっとくるに違いない。両者とも相互訪問を了解したとの報道がなされたからだ。あまりのスピード感に驚くばかりだが、その実現の為にも、金委員長が計画している外国からの投資に、中露米韓日各国は積極的に参加すべきだろう。北朝鮮の経済が豊かになり、民主化に向かえば人権問題も徐々に解決されるはずだ。

稀代の若き戦略家を得た以上、各国は快く手を差し伸べて朝鮮半島安定化のために、困難を乗り越えて全面的に協力すべきだろう。

さて、我が国にとって最大の問題、拉致被害者の問題が残っている。トランプ大統領は、安倍首相の強い要望通り金委員長に問題提起したようだ。しかし、共同声明に書き込まれることはなかった。帰国途上にある専用機からトランプ大統領は安倍首相に電話をしてその経過を報告した。それを受けて、安倍首相はインタヴューに応じたが、表情が全く冴えない。

そして、詳しい内容についてのコメントはなかった。以上のことから明らかなことは、金委員長の返事は、「その問題はすでに解決済みです」。こう言われたら、トランプ大統領としても黙るしかないだろう。至極当然のことである。だから、安倍首相は詳しい内容には触れず、冴えない表情を見せるしかなかったのだ。

予想していたとは言え、相変わらずこのざまだ!トランプ大統領は日本人ではない。拉致被害者家族に同情はしても、本気で北朝鮮と交渉するはずがないし、できるはずもない。金委員長に対して、安倍首相がこう言っていたと、拉致問題を伝える以上のことが出来ないことは誰でも知っていることであり、むしろ伝えただけでもトランプ氏に感謝すべきで、同氏としては、シンゾウには義理を尽くしたと思っているだろう。それだけの話なのだ。

許し難いのは、安倍首相の姿勢である。何故他国に拉致された同胞を救うのに米国大統領に頼む必要があるのだ。国民の生命と財産を守る責任のある、行政の最高責任者がこんなことで良いのか!

一体今まで、金委員長に直接繋がるパイプ作りに本気になって奔走したことがあるか、ないはずだ。「最大の圧力をかける」の馬鹿の一つ覚えだけではないか。トランプ大統領はもうこの言葉は使わないと言っている。と言うことは、拉致被害者を取り戻す戦略が、安倍首相には何一つ残っていないことになる。安倍首相の責任は非常に重い。

外交も国防も米国に従属してきた売国政治が拉致被害者とその家族を奈落の底に突き落とす。

ここまで来たら、朝堂院大覚総裁が言うように、拉致被害者家族は無為無策安倍総理大臣を裁判にかける訴訟を起こすべきだろう。森友・加計学園問題に関する国会答弁の不誠実さ、県民の大多数が反対しているにもかかわらず「辺野古が唯一」を繰り返す無能振り、安倍晋三は戦後最悪の総理大臣である。

米国に擦り寄る他に能のない売国奴政治家、安倍晋三、直ちに政治家をやめろ!

 

CVIDの大いなる矛盾

全世界が注目する米朝首脳会談が、いよいよ二日後に迫った。いかなる結果になろうとも、是非良い方向へ進む第一歩になることを祈るばかりだが、敢えて、嫌味と受け取られかねないことを承知の上で、多少疑問に感じた事を述べてみたい。

CVIDとは、complete verifiable irreversible denuclearization の略語である。日本語で「完全かつ検証可能で不可逆的な非核化」と訳されている。

舌を噛みそうな長ったらしい言い回しだが、なぜ分かりやすく端的に「核兵器全廃」と言わないのだろうか? ま、これについては深く追求しないことにする。ぼくが言いたいことは別の事だからだ。

米政府は北朝鮮に対して、CVIDを要求している。そこで単純な疑問。北朝鮮は何故逆に米国に対してCVIDを要求しないのだろうか? 馬鹿馬鹿しいと笑わないでもらいたい。独裁国家とはいえ、北朝鮮は国連加盟国である。国際社会から認知された主権国家・独立国家である。

当然のこととして、米国に対しCVIDを要求する権利を持っているはずだ。それができないのは何故か? 単純で素朴な疑問だが、答えはこれまた単純かつ明快である。つまり、米国の国力は北朝鮮に比べて、圧倒的に強力である、ということ。国力の圧倒的格差が、CVID要求の一方通行を可能にしているのである。

相手が嘗ての共産党独裁国家ソ連ならどうだろうか? 米政府は、果たして一方的にCVIDをソ連に対して要求できただろうか? 不可能であり、米政府にその気もなかっただろう。それじゃ、お前も核兵器を全廃しろ、と反論されるのがオチである。事情は、現在のロシア、中国に対しても同様である。

相手国を叩きのめすだけの核兵器を所有する国家間で、一方的なCVID要求は不可能である。北朝鮮核兵器保有したとは言え、相手国を叩きのめすほど所有しているわけではない。しかし、金正恩はついにICBMを完成させた。それで米国は焦った。ここで叩いておく必要がある、というわけだ。

しかし、ここに至るまでの経過を見ると、金正恩が描いたシナリオ通りに事が運んでいるとしか思われない。ICBMを完成させれば、米国は怒り狂って自国を潰しにくる。そこでCVIDを誘い水にして対話路線を匂わす。その結果、ディールの好きなトランプ大統領は、見事に乗ってきたのだ。

小国家が生き延びるためには、たとえCVIDを一方的に要求されても受け入れるしかない。その覚悟はできているが、ただし条件をつけて交渉することだ。段階的非核化に伴う段階的制裁解除。

時間をかけて交渉し、その間に北朝鮮の経済発展に力を入れる。そして南北統一に道を開く。これが金正恩が描いている朝鮮半島の未来図のはずである。その未来図が本物かどうか、トランプ大統領は虚心坦懐に金正恩の声を聞き、表情を読み取り、注意を凝らして真偽を嗅ぎ分けるべきだろう。

交渉の成否は、詰まる所、当事者同士の人間力にかかってくる。帝王学を仕込まれた三十代の独裁者・金正恩と不動産ビジネスで財を成した七十代の老獪ながら正直な人柄のトランプ大統領の丁々発止の駆け引きは、今年最大の政治劇となる。両者には、現代的異物のCVIDの矛盾を乗り越えて、是非成功してもらいたい。そして両者の背後には、戦争を望まない圧倒的多数の国民の存在がある事を忘れないで欲しい。

CVIDという奇形児を産んだのは広島・長崎である。米軍の空爆によって産み落とされたのだ。あの日が引き金となって、世界中が核兵器という怪物を持つことに血眼となった。核兵器攻撃から身を守る為には核兵器を持つ必要がある。その結果、核兵器開発競争が起きた。人間は実に愚かな動物である。核兵器は象徴的な実践的惰性態と言えるだろう。人間の労働を吸収して人間の自由を束縛する。人間が創り出した怪物。人間に命令を下し、人間を操るモンスター。

その怪物を亡くすためのCVIDは、核大国の一方通行で弱小国にしか適用されないという、大いなる矛盾。不幸なことに、我々現代人は、この理解し難い不条理の世界に生きているのだ。

 

 

西郷隆盛と愛加那そして琉球

新都心のメインプレイスの二階にある球陽堂書店で二冊の本を抜き出し、併設のコーヒーショップの空いている席のテーブルに置いて席を確保してから、カウンターへ行き、本日のコーヒー・Sサイズとチョコ菓子を注文して席に戻った。コーヒーを注文すれば書店の本を三冊まで試読することができ、試読後は必ずしも購入する必要はなく、後はただ返却棚に置くだけ、という有難いサービスが気に入って、よくこのお店を利用するようになったのである。

試読できるのは単行本だけで、雑誌類はご遠慮くださいとの店の注意事項があるにも関わらず、守らない客がいる。特に女性客に多いようだが、店員が注意するのを今まで一度も見たことはない。東京ではそうはいかないだろう。規則を守るのは当然のことで、客も店員もしっかりと了解しているからだ。沖縄はのんびりしている。

さて、選んだ本は大川周明著『日本二千六百年史』と副島隆彦著『真実の西郷隆盛』の二冊。

試読して興味が湧き、二冊とも購入することにした。『日本二千六百年史』は名著の誉れ高い作品であり、日米両政府が発禁にした問題の本である。日本通史として活用できそうだ。

副島隆彦著『真実の西郷隆盛』は副島氏の最新刊で、出版日は6月4日。出たばかりのホヤホヤだ。「はじめに」を読んでいきなり興味をそそられた。西郷はキリシタンであったと書いている。面白い。目次を追いながら気になる項目を探す。NHKで放映中の「西郷どん」で観た奄美大島での西郷隆盛の生活。

西郷隆盛奄美大島へ」という項目を見つけた。読んで見ると、テレビで放映されたより詳しく書いてある。島津家による奄美大島の農民に対する収奪は、残酷であった。それを現地で見た西郷は激怒する。「松前藩アイヌに対する取り扱いよりも酷い」

「割り当ての砂糖を差し出すことができない農民たちを藩の役人が拷問していることに憤慨し、「殿様に手紙で現状を訴える」と抗議し止めさせた逸話は、西郷隆盛を取り扱う書籍の多くに出てくる。」

西郷隆盛に人望が集まった理由の一つとして、西郷の弱者の側に立つ正義感にあったのは確かのようだ。島に来た当初、一人で暮らし木刀を振り回して奇声を発する西郷を見て、島の人々は「大和のフリムン(琉球語で頭のおかしい人の意味)」と噂していたが、時の経過とともに西郷は島の人々から信頼されるようになる。そして九歳年下の愛加那と結ばれる。

長男菊次郎が生まれた時、西郷は三十五歳だった。翌年には菊草(きくそう)と言う名の長女が生まれている。しかし、奄美大島での生活は三年で終わる。当時の規則では家族を連れて本土に帰ることはできない。島津家の島の人々に対する歴然とした差別意識を見せられる思いだが、それでも薩摩藩士と結婚した島の女性には藩から手当が出たらしい。正確な数字は書かれていないので、どれくらい愛加那の生活の足しになったのかは分からない。

ところで西郷は余程運が悪かったのか、帰還してわずか三ヶ月余で久光の怒りを買い、奄美大島から約百キロある徳之島に流される。琉仲為という島の役人のおかげで、島の子供たちに読み書きを教えたり、釣りをしたりという静かな生活を送っていた。そこへ子供二人を連れて愛加那がやってくる。

再び一緒に生活できるかと思われたその同じ日に、藩から命令書が届き、徳之島から更に南の沖永良部島へ移されることになった。この頃の西郷は余程運に見放されていたようだ。沖之永良部島で西郷は吹きさらしの狭い牢に幽閉されて、過酷な環境下で生死を彷徨うような日々を送る。

陰嚢が肥大化するフィラリアという風土病にかかったのもこの時期である。この風土病は戦後の沖縄でも見られた。ぼくが小学生の頃、銭湯で肥大化した陰嚢を持つ大人を何人か見た記憶がある。メロンほどの大きさの立派なものであった。

土持正照という大久保利通の異母姉を妻とする島役人がいなければ、西郷は沖之永良部島で命尽きてもおかしくはなかった。土持は西郷を救済するために奔走する。藩の代官所と交渉して、座敷牢に幽閉して保護することになった。これで西郷はなんとか一命を保つことができたのである。

この間、佐藤一斎の『言志四録』を徹底的に読み込む。島の子供たちに読み書きも教えたらしい。沖永良部という小さな南の島での生活は、西郷にとって後に歴史の表舞台で活躍するためのエネルギーを蓄積する場となったのではないか、と考えると人間の運命というものは、実に不思議で興味深いものだとつい感嘆してしまう。

さて、言うまでもなく、薩摩藩琉球は歴史的に深い関係があるのはご承知の通りだ。一六〇九年、薩摩による琉球への武力侵攻。それからおよそ260年間、琉球は形式上、王国を名乗ったが実態は薩摩の支配下に置かれたのである。そのために、租税制度は王府に納める分とは別に薩摩藩にも納めるという、農民にとっては過酷なものとなった。琉球が疲弊する大きな要因になった。

薩・琉関係史について全般的に言及するのは、今は控えたい。本書『真実の西郷隆盛』に書かれている興味深いところだけを取り上げたいと思う。それは、倒幕に向かわせた薩摩の潤沢な資金力の源泉は何処から来たか、と言うことである。

本書に「薩摩藩の実力の源泉となった資金力の3本柱」という項目がある。

そこに書かれた内容を要約すると、薩摩藩の資金力の第一の柱は、琉球の対中国貿易を独占して利益を得た。第二の柱は、奄美群島で栽培されるサトウキビから精製される黒糖を専売品として利益を得た。そして第三の柱は、これが面白いのだが、貨幣鋳造(偽金づくり)、えっ?薩摩藩なかなかやるじゃないか!

この三本柱で得た資金が、蒸気船になり、鉄砲になり、倒幕に偉大な力を発揮したのだ。そこでよく考えてみよう。奄美群島はもともとは琉球王国に属していたが、一六〇九年の琉球侵攻で薩摩藩の領土に組み込まれたのだった。そこから藩の圧政による島民達の筆舌に尽くせぬ苦悩が始まる。

テレビでも放映されたように、自分たちで生産した黒糖を食べることはおろか、子供たちにひとかけらでも与えることすら許されなかったのである。黒糖を隠し持っていることがバレると、拷問を受けることもあった。島民はソテツを食用として栽培しなければならなかった。薩摩藩の収奪がいかに厳しく過酷なものであったかがわかる。

つまるところ、長州藩とともに倒幕に大きく貢献した薩摩藩の行動を縁の下で支えたのは、琉球奄美群島の人々からの苛酷な収奪だった、ということになる。二百六十年に及ぶ薩摩による琉球支配はあまりにも長すぎた。ウチナーンチュのヤマトゥンチュに対する根強い不信感はこの時から芽生え定着する。

沖縄の若い人たち琉球・沖縄史を学ぶ時、薩摩による琉球への武力侵攻と、長期に及ぶ支配と収奪は喉に刺さる棘として受け止めなければならないだろう。歴史は苛酷なものである。苛酷な中に一筋の光があるとすれば、西郷どんが奄美大島の人々の側に立ち、藩の役人に立ち向かい横暴な姿勢を少しでも変えさせた、という事実だろう。愛加那の子孫は今頃どのような生活を営んでいるだろうか?

喉に刺さったトゲは、無理して抜く必要はない。時の経過とともに自然にポロリと抜け落ちる迄、忍耐強く待つことも大事である。